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kurotera
2025-02-24 08:27:05
174619文字
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You are what your back bears
2022年6月に発行したイノセントブレス IB本の再録です。
発行から一年経ち、頒布も終了しているので掲載。
当時手に取っていただいたかた、ありがとうございます。
【概要】
ぼくのかんがえたさいきょうのイノセントブレス本(非公式)
無印三部前提
出てくるメンバー:教会勢、ラプラスの悪魔、ダーククロウ、LL、無銘
ですが無銘の四名とダーククロウさんは本当に一瞬です。あくまでIB中心。
戦闘と日常の比率は6:4ぐらい。当社比。
書き手の趣味が爆発してえらいことになりました。
要素/注意
九割捏造。特に過去。
公式ファンブック旧版と一部キャラクターメッセージカードを元に当時は執筆していますが、未所持のカードもあるので設定にずれが生じています。
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昼下がりの陽光が詰め所に差し込む。ラジエルが淹れた紅茶を口にしながら会話をしていると、扉を叩く音が響いた。
「来たわね」
シスターが立ち上がり、扉に向かっていいわよ、と呼びかける。静かに扉が開けば黒い隊服に身を包んだ三人の男が入ってきた。艶やかな黒髪に紫水晶を思わせる瞳を持つ男の表情は冷たく、金髪の男は一見柔和そうだがその笑みはどこか底知れない。
最後に入ってきた銀髪の男は、自分達の中で一番背の高いザドギエルよりずっと大きく、ひょろりとしている。その彼がライトブルーの目をハニエルに向けて小さく首を傾げた。
「あ、ハニエル」
「オファニム先輩!?」
ハニエルが思わず叫び、はっと口を押さえる。顔を赤くしてザドギエルの後ろに隠れたのを見やって、シスターが苦笑いを浮かべる。
「紹介するわ。あなた達の先輩にして
……
教皇直属の部隊を除く使徒の中では一番強い部隊のお兄さん達よ。部隊名は『AC』
……
左からアブディエル、ラグエル、オファニム。来週から彼らのサポート役としてあなた達には実戦訓練を受けてもらうので仲良くしてちょうだいね。
……
ほらほら、先輩達もしかめっ面で突っ立っていないで、何か言いなさいよ!」
「くれぐれも足を引っ張るな。以上」
「あ、う、すみません
……
」
アブディエルの言葉にザドギエルの背中あたりから弱々しい謝罪が聞こえてくるのにラグエルがくすくすと笑う。
「まだ‘授業’に出てすらいないのに弱気になっちゃうだなんて大丈夫? ま、俺達は優しいからさ、死なないぐらいには面倒みてあげちゃうけどね」
「あー、えっと
……
あんまり俺達の仲間を苛めないでくれる?」
「苛めるだなんて、人聞きが悪いなぁ。先輩としての気遣いだよ」
ザドギエルの声が僅かに低くなったのを感じたのかラグエルが肩を竦めて彼を見やり、嗤う。その姿にラジエルとサマエルがぼそりと悪態をついたが、涼しい顔だ。
「よろしくお願いします、先輩」
「
……
お前が隊長か。シスターからお前に隊長としての在り方を指導するように頼まれている。覚悟しておくんだな」
「はい」
頷くサンダルフォンを一瞥し、アブディエルがフン、と鼻を鳴らす。
「では早速だが次の月曜日、俺達と悪魔討伐の任務に出て貰うぞ。各自準備をして、『IB』の詰め所に集合。いいな」
はい、と五人が返事をするのを聞いて、教室を出て行く三人の背中を見送ったシスターが大きくため息を吐いた。
「あの子達、使徒としては最高なんだけど先輩としては落第ね」
「ほんっとそう思うぜ」
ラジエルが笑ってカップに残った紅茶を飲み、サンダルフォンも肯定する。冷えた空気がふっと緩んで、ハニエルも少し安堵したようだった。
「さ、今日の授業はこれでおしまい! それぞれ委員活動や自習、鍛錬に勤しむのもいいけれど休養もしっかりね。私は日が暮れるまで詰め所にいるから、何かあったらおいでなさいな!」
シスター・ゴーが明るい声で授業の終わりを告げる。それぞれ立ち上がって、各々の予定を過ごす為に部屋を出て行くのを見送ってからサンダルフォンも席を立った。
日も落ちかけて、生徒達もそれぞれ寄宿舎に帰る頃合いだったもののまだその気分になれず、サンダルフォンが向かった先は厩だった。
午前中、馬場に放されていた馬も全て寝床に戻っている。ラジエルの馬もハニエルの馬もザドギエルの馬もそれぞれの馬房で微睡んだり、飼い葉を食んだりしていた。
サンダルフォンの馬は、一番奥にいた。主人の気配を察したのか、馬房から顔を出して出迎える愛馬の頬に触れる。ゆっくりと撫でる主人の手を受け入れながら、白毛の馬はじっと黒い瞳で少年を見つめている。
「
……
君を見た時、昔を思い出したんだ」
しばらく撫でていたサンダルフォンが静かに語り出す。
「まだ故郷に住んでいて、オレも小さかった頃の話なのだけど
……
街の礼拝堂で飼っていた馬が子を宿してね。親友といつ生まれるんだろうって待っていたんだ」
黒い瞳をゆっくりと瞬きさせ、白毛の馬は主人の言葉を聞いている。
「
……
ある夜、産気づいたのを知って馬小屋に彼と行ったよ。礼拝堂へ向かう途中で見た星空がとても綺麗で、こんな夜に生まれる仔馬はきっと特別だろうねと親友と喋ったことも覚えてる。大人達はばたばたと忙しそうにしていて、オレ達二人は邪魔にならない場所で呻く母親を見ていた。やがて仔馬の頭が出てきて
……
そう、彼女はとても苦しそうだった。オレは少し怖くなってね」
そう、あの頃の自分はちょっとだけ大人しく、怖がりだった気がすると苦笑いを零した。
「でもあいつはそんなオレを励ましてくれた。朝になる頃に生まれた馬は、君と同じ毛並みで、白い身体をつやつやと輝かせて、藁の上で立ち上がろうと藻掻いていた。それから見に行く度に元気よく駆け回っているその仔馬を見るのが、オレ達の楽しみだった。大きくなったら乗れるかなぁってあいつは、楽しみにしていて」
サンダルフォンが語るのを止めて、少し遠くを見る。それから俯き、深く息を吐いた。
「その後すぐのことだ。彼がオレに何も言わないまま、どこかに行ってしまったのは。仔馬もいつの間にかいなくなっていた。偉い方が召し上げたと言っていたけど、もう何も分からないよ。すぐに故郷は燃えて、オレは孤児になった」
昔の話だよ、とサンダルフォンが寂しげに笑う。
「
……
君の毛並みを見て、それを思い出したんだ。どうしてだろう、白毛の馬はどこにだっているのに」
サンダルフォンの手がゆっくりと愛馬の首筋を撫でる。愛馬が慰めるように鼻先を擦りつけてくるのに、くすぐったそうに笑った。
「もう帰らなきゃ。おやすみ、またね」
厩を後にして、寄宿舎に向かう。冬の気配が混じりだした秋の夜空は澄み切っていて、何気なく見上げてみれば星々が瞬いていた。
ああ、あの日のような空だと思案しながら、夜を駆ける天馬座の胴を指先で撫でる。
「
……
どこにいるんだい」
ぽつりと呟き、目を瞑る。ただ今は、どこにいるのかも分からない親友の安寧を祈るしか出来ないことに、つきん、と胸が痛むのを感じた。
鴉とも野犬ともつかない声が森の奥深くから聞こえてくる。その入り口でサンダルフォン達『IB』とアブディエル達『AC』は静かに立っていた。
「失踪事件が多発していると街付きの『教会』から知らせが入った。最初は野盗の仕業かと思われていたが
……
俺達にこの話が寄越されたということは、そういうことだ」
「つまり
……
街の人達が悪魔に攫われたと?」
サンダルフォンが確認するように問えば、ラグエルが肩を竦め、軽く首を振った。
「うーん、当たっているかもしれないし、もっと違うものかもね。どちらにせよ、この森に悪魔が潜んでいることは俺達で確認済み。お前達の授業にうってつけのね」
「
……
それなら行かないか。一刻も早く悪魔を殺すべきだ」
サマエルが森の中を睨み付け焦れたように提案するがアブディエルは小さく首を振る。
「むやみやたらに突っ込んでもこちらが痛手を負うだけだ。お前達がへまをすれば、更に被害が大きくなる可能性も忘れるな。
……
ラジエル」
紫の双眸がラジエルに向けられる。へ、俺? とベイビーブルーの瞳を丸くして、ラジエルが自分を指差した。
「お前の能力でこの森全体を把握しろ」
「
……
マジかよ」
戸惑うラジエルに出来るだろう、とアブディエルが促す。わかったよ、と頷き目を瞑り、ラジエルが小さく聖句を呟いた。
「〝我は見えるものにではなく、見えぬものこそ目を注ぐ〟」
瞼は閉ざされているというのにラジエルの視界は、上空を旋回する鳥のように森を見下ろしていた。更に集中すれば隅々まで、木の虚で眠る栗鼠、枝で首を捻る梟、兎を狩る狐も見える。その中で異変がないか、見落とさぬようにラジエルは集中した。
「
……
小屋がある。女の人がいて、生きてるっぽい。あと悪魔が
……
十匹以上はいる。一匹は結構でかい、山羊みたいな
……
」
「なるほど、わかった。オファニムはどうだ」
「
……
ああ、ここからだと姿は曖昧だが悪魔の数は概ねそれぐらいだろう」
暗闇の中でライトブルーの瞳を一層輝かせながら、オファニムが頷く。その様子を見ていたハニエルがごくり、と喉を鳴らした。
「よし、では三方に別れて小屋を目指すぞ。ハニエル、ザドギエルはラグエルと、ラジエルとサマエルはオファニムと行け。お前は俺とだ。悪魔は
……
残らず殺せ」
はい、と五人が頷き、小屋の詳しい様子を調べるためにラジエルとサマエル、オファニムが先行して森へ入った。ヴェールを靡かせながら鬱蒼とした森へと消える三人を見届け、ザドギエルがハニエルを見やる。
「よし、俺達も行こうか、ハニエル」
「おい」
アブディエルがザドギエルを呼び止める。小さく肩を跳ねさせて、何か? とザドギエルが首を傾げた。
「お前、ヴェールはどうした」
「
……
ああ、えっと」
皆が纏う加護のマリアヴェールを一人纏っていないことを見咎めたアブディエルが目を細めてザドギエルを睨む。サンダルフォンもはたと気がついて、眉を下げた。
「忘れたの?」
「いや、そうじゃないよ」
使徒にとって加護のマリアヴェールは、悪魔の力から身を守る為、そしてなにより自らが使徒であるという証左を示す為に、基本的に着用を義務づけられているに近い。責めるようなアブディエルの視線に気まずそうな表情をさせて、ザドギエルが口を開いた。
「
……
嫌なんだ。汚れるのが」
「どういうことだ」
「俺の血で汚したくない。サンダルフォンも皆も知っているとは思うけど、俺の能力
……
俺なんかの血で、あれを汚したくないんだ」
浮かない顔で答えたザドギエルを見定めるように、紫水晶の双眸が睨み付ける。張り詰めた空気に耐えかねたサンダルフォンが、ザドギエルに視線を向けた。
「ザドギエル」
「サンダルフォン、ごめん。お小言は帰ってたっぷり聞くから」
「
……
あのさ、早く行かない? あの三人だけ先に着いちゃうよ」
呆れた声でラグエルが口を挟めば、はい、とザドギエルが頷く。ハニエルは青ざめた顔でザドギエルとアブディエル、そしてサンダルフォンを見ていたが、やがてぺこりと頭を下げて二人についていった。
「部下の行儀ぐらい躾けておくんだな。俺達も行くぞ」
アブディエルが吐き捨て、歩き出すのに、サンダルフォンも無言でそれに続く。
夜闇の中に沈む森を歩いて行く。灯りは持たないが使徒の力か、夜目が利いた。
「お前の能力はなんだ」
「加護の力です。オレはザドギエルやサマエルのように攻撃特化ではなくて」
アブディエルの質問に答えれば、なるほどな、とアブディエルが呟き、思案するように黙りこくる。ややあって口を開いた。
「では質問をしよう。悪魔がお前と、瀕死で動けないお前の仲間、そして何の力も持たない無力な人間の目の前に現れたとする。悪魔はお前の仲間と人間を襲うだろう。勿論お前は力を行使するだろうが、状況的にどちらかしか助けることが出来ない」
紫水晶の眼差しが、サンダルフォンを射貫く。
「お前は、どうする」
「
…………
」
「迷っている間にどちらも死ぬぞ」
アブディエルの冷ややかな声が刺さり、目を見開く。
「オレは
……
」
「それならまだいい方だ。悪魔に操られた人間が無辜の者を殺そうとしている。お前ならどうする。お前は、操られた人間を殺すことが出来るか?」
アブディエルが立ち止まって振り向き、じっとサンダルフォンを見据える。
紫水晶の双眸からは彼自身の感情を読み取ることが出来ない。
「お前が感じたその迷い、そこから生じた甘さは誰も救わない。人を救えない使徒など無意味で無価値だ。そんなお前が、あの四人の命を背負えると思っているのか」
「
……
貴方は、選んできたのですね」
「そうだ」
アブディエルが再び歩き出す。
静かな木々の中で、静かながらもその声ははっきりと聞こえた。
「そうだ、俺は選んできた。今までずっと
……
ああ、これからもだ。迷っている間に悪魔は罪の無い人間の命を奪い取っていくだろう。我ら使徒にとって迷うことは罪だ」
サンダルフォンに語る声はどこか異様な熱を孕んでいる。罪、とサンダルフォンが目を細め、拳を握る。彼の言葉は正しく、だからこそ若い使徒の心を揺さぶった。
「いるぞ」
アブディエルが立ち止まり、短剣に一本を抜く。こちらに向けられた殺気にはっと顔を上げれば枝の上に黒い猿のような、育ちすぎた蝙蝠のような生き物がたむろしている。その顔は醜い老人のようで、歯を剥き出しにしてこちらを睨み付けていた。
「三体か。肩慣らしにはちょうどいいだろう、サンダルフォン」
「
……
っ、はい
……
」
サンダルフォンも四対の剣のうち二本を引き抜く。それを脅威と受け取ったのか、悪魔の群れは耳障りな叫び声をあげた。それが合図だった。
アブディエルが地を蹴り、サンダルフォンもそれに続く。飛びかかってきた悪魔の一体をアブディエルの短剣が捉え、腹を裂く。断末魔と共に悪魔がぼとりと地に落ち、そのままタールのような黒い染みとなって、溶けていった。
「っ!」
襲いかかってきた悪魔が振り下ろした爪を、左手の剣で受け止める。鋼鉄の如き爪と白刃がかち合って音を鳴らす。そのまま力を込めて圧しながら、右手の剣を振るった。
「ギュッ」
悪魔が苦悶の声をあげる。腹に食い込んだサンダルフォンの刃は悪しきものを滅ぼさんと更に深く、その肉を削いでいる。
「はあぁっ!」
左手の剣が受け止めた爪の力が弱まったのを見計らい、サンダルフォンが一歩踏み出し両の剣で薙ぎ払えば二本の刃に切り裂かれた悪魔はその場で無残な骸と化した。
――
もう一体!
――
背後から襲い来る気配を感じ、目を見開く。
「〝恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる〟」
聖句を唱えるサンダルフォンの周りを風が吹きすさべば刹那、悪魔の鉤爪が少年を八つ裂きにすべく振り下ろされる。
しかしそれは彼に触れることなく、何も無い筈の空間に弾き飛ばされた。薄く輝く光の膜に攻撃を阻まれ、悪魔の顔が戸惑いと怒りに歪む。サンダルフォンが真っ直ぐに悪魔を見据えれば激昂した悪魔が再び目の前の使徒に飛びかからんと、蝙蝠の羽を羽ばたかせる。
――
が、二つ、切っ先が閃く。断末魔を振り絞ることすら叶わず、悪魔はその身に斬撃を受けて瞬く間に霧散した。
「は、っ
……
」
肩で息をしながら、悪魔のいた空間を見つめる。剣を握る手が震えているのに気付いて、ごくりと喉を鳴らす。
「なるほど、筋は悪くないようだな」
アブディエルの冷たい声に、そちらを見やる。既に短剣を鞘に収め、地面に溶け行く黒い染みを見下ろした後、アブディエルはサンダルフォンを見つめた。
「しかしまだだ。まだお前には力が足りない。こんな雑魚如きに息を乱すなどな」
「っはい
……
」
刃についた赤黒い血を振り払い、サンダルフォンが返事をする。行くぞ、とアブディエルが歩き出すのを、追った。
「目を逸らしちゃ、駄目」
「っ
……
!」
くすくすと笑いながら咎める声にハニエルが震えながらも頷く。草藪で様子を窺う三人の視界の先、少し開けた場所で悪魔達は哀れな犠牲者の亡骸を玩具のように弄んでいた。既に四肢はちぎれかけ、それが生きていた頃の面影を残していない。
肩を震わせるハニエルの隣で身を潜めるザドギエルも、その凄惨な光景に表情を凍り付かせていた。右手に持った剣で一刻も早くあの悪魔を殺さねばと強く握りしめている。しかしラグエルはそれを許さず、ハニエルの肩に手を置き、小さく笑うばかりだ。
「ね、お前達が戦うのはああいう奴らだよ。ハニエル、怖い?」
「あ
……
」
「ザドギエル、お前は? 憎いんだよね、わかるわかる」
「
……
なら、早くするべきじゃないかな」
ザドギエルの低い唸り声にゆるく首を振る。
「ハニエル、目を逸らしちゃ駄目だからね? よーく、見て」
濡れた琥珀色の瞳からぼろ、と涙が零れる。目の奥が燃えるように熱い。
「いい子だね、聖句を唱えて」
「っ
……
ぁ
……
」
「ハニエル、いい、無理をするな」
「黙ってなよ」
「っ
……
わかった」
ラグエルの低い声に圧され、ザドギエルが口を閉ざす。ハニエルの精神の負担も心配だが、目の前の光景は自分にとっても心が軋むものだった。早くあいつらを殺さなければ、とザドギエルの頭の中で本能が叫んでいる。
「君のその眼は、何の為にあるの」
ラグエルの声にハニエルが目を見開く。震える唇を動かして、聖句を唱える。
「
……
〝邪な骨を散らせ、骸は捨て置かれ、お前は恥辱を晒すであろう〟」
ハニエルの視界にいる悪魔に黒い火が灯る。
額、胸、腹。三匹それぞれに灯る火は、彼らの弱点だった。
「右の悪魔から額、右胸、腹です
……
!」
「ザドギエル」
ラグエルの声に弾かれたようにザドギエルが地を蹴る。結ったムーングレイの髪を靡かせながら、悪魔の一体に飛びかかった。そのまま悪魔に組み付く。屍に夢中だった故か不意に飛び出してきた使徒に驚いて逃げようとするが、ザドギエルの左手に蝙蝠羽を掴まれ引き倒される。
「おい、どこに行くんだ?」
深く青い目を細め、ザドギエルが笑みを悪魔に向ける。その酷薄な笑みに怯んだ悪魔の脳天に剣が振り下ろされた。
声すら上げることを許されずに刃を頭蓋に受けた悪魔を、ザドギエルが投げ捨てる。
剣はザドギエルの血で満たされたカートリッジが装填されている。悪しき者を殺す血潮を身体に注がれた悪魔は瞬く間に砕け散った。
地面にうち捨てられ砕けたそれに一瞥すらくれることなく、ザドギエルは懐のホルスターからもう一本カートリッジを引き抜き装填する。
もう二匹の悪魔はザドギエルの持つ力を察知したのか、その場を脱しようと羽ばたく。
「逃がさねぇ!」
ザドギエルが吠え、正確に悪魔の右胸を突き刺した。
返す刃でもう一匹を薙げばその羽根が切り裂かれる。一匹は砕け、もう一匹は羽根が凍り地に落ちた。のたうち回る悪魔を見下ろし、ザドギエルが柄に手をかける。
「あは、本当凄いねえ、君の血。噂通りじゃん」
ラグエルが讃えるように手を叩き、草藪から出てくる。悪魔の亡骸から剣を抜く手を止めてザドギエルがそちらを見やればハニエルも青い顔で立っていた。
「でも三匹独り占めはちょっと、ねえ。ね、ハニエル」
「っ
……
」
ラグエルの声にハニエルがびくりと肩を跳ねさせる。
「ほら、君も殺すんだよ。使徒なんだからさ」
そう促され、ハニエルが一歩、悪魔に歩み寄る。震える手で柄を握り、ゆっくりと抜いた。眼下で藻掻く悪魔が、歯を剥き出しにしてハニエルを威嚇している。
「やれ」
ラグエルの命じる声に剣を振り上げる。自分だけが見える黒い炎に向けて、切っ先を突き刺せば長い断末魔をあげて、悪魔は息絶えた。
「よく出来ました」
満足そうなラグエルの声に何の反応も返さず、ハニエルは肩で息をしている。その顔は真っ青で、琥珀色の眼は虚ろだった。それをザドギエルの青い双眸が眺めている。
「さ、行こうか。合流しないとね」
ラグエルが上機嫌に言い、奥へ進む。ザドギエルが応え、ハニエルの背中をそっと叩けばハニエルも顔をあげて歩き出した。
「ええっと、十時、二時の方向に一体ずつ!」
「サマエル、二時の方をやれ」
「ああ」
木々の間を飛び交い翻弄しようとする悪魔は、ラジエルには全て見えていた。それだけではない、ラジエルには森の中にいるハニエルやザドギエル、サンダルフォン達の姿も全て見えている。
――
ハニエル、大丈夫かな
――
ちらと意識に引っかかったハニエルの姿を案じながら、ラジエルは意識を集中させる。
この先に小屋があり、最初に見た山羊型の悪魔もいた。
サマエルの右腕から、炎が踊る。赤い蛇の姿と化したそれは木々の間をぬってラジエルが示した二時の方角へと放たれた。耳障りな叫び声と共に悪魔がこちらに逃げてくる。そこをあの蛇が纏わり付き、その穢れた身を焼き尽くそうとしていた。
「っ
……
!」
サマエルが右手をぐ、と握りしめる。それを合図に蛇は締め付けを強くさせ、悪魔諸共燃え上がった。
「よし」
もう一方の悪魔を狩ったオファニムが二人に歩み寄れば鉢合わせた悪魔を倒せたとラジエルがほっと息を吐いた。
「あー、びっくりした」
「まったく
……
油断するな」
ラジエルが地面にへたり込めばサマエルが眉を寄せて苦言を呈する。
「だってさぁ、いきなりあいつらが森に散らばるとは思わねえじゃん」
「勘付かれていたのだろうな」
短剣を仕舞うオファニムの声は冷静だ。
彼がハニエルの先輩だということは最初に顔を合わせた時から知っていたが、どうもハニエルが語る先輩の様子とはかけ離れている気がしてならない。
「
……
おい、皆はどうしている」
「んー、無事っぽい。こっち向かってる
……
いてて」
強い頭痛に襲われて、額を抑える。
能力を使いすぎたようだとラジエルがため息を吐いた。
「で、どうすんの、先輩」
「
……
」
オファニムのライトブルーの瞳が輝く。暫く思案していたが、やがて口を開いた。
「この先に小屋がある。流石に皆であたったほうが
……
いや、待て」
直後、地響きが響き渡りオファニムの眼が見開かれる。その様子にラジエルも痛む頭を無視して再び力を使おうとしたが、その必要はすぐに無くなった。
「
……
皆を待っている時間はないようだ」
三人の見る方角の木々が音を立てて倒れていく。大きな影がゆらりと現れラジエルはうわ、と声をあげた。それは確かにラジエルが小屋と共に見た、山羊型の悪魔だ。
とはいえ先ほどまで戦っていた下級悪魔よりもずっと巨大で、ラジエル達三人へ敵意の籠もった赤い眼差しを向けている。周囲には残っていた取り巻きだろう下級悪魔が蝙蝠羽を羽ばたかせて浮いている。
山羊型の悪魔が忌ま忌ましげに吠える。その蹄で地面を掻く度にそこがえぐれるのを見て、ラジエルとサマエルは収めかけていた剣の柄を握り返した。
「いけるか?」
「やるしかないだろう」
「あいつらが来る前に倒してやろうぜ!」
ラジエルの言葉を合図にサマエルが駆け、巨大な黒山羊に斬りかからんと跳ぶ。しかし群れの長を守るかのように下級悪魔がそれを阻み、鉤爪を振るった。刃と爪が甲高い音を立て、火花を散らす。サマエルの右腕から赤い炎が蛇のようにうねり、その悪魔の喉元に食らいつけばすぐにそれは、燃え上がった。
「どりゃあぁ!」
ラジエルが叫び、剣を振り下ろす。下級悪魔の身体を一閃すれば血を滴らせ、忌ま忌ましそうにそれが飛び退いた。
それを見逃さず、短剣を持ったオファニムがそれに組み付き、得物で喉を裂く。
「って、どんだけいるんだよコイツら!」
「きりが無いな」
一匹倒せばまた一匹と下級悪魔が舞い降りてくる。どうやらあの黒山羊が喚びだしているらしく、むしろ数を増してきていた。
「ちっ
……
」
サマエルが舌打ちをして、襲い来る悪魔の群れを睨み付ける。
「〝これは受くべき報いである 火と硫黄の苦しみよ 永遠の滅びよ〟」
聖句を唱えるサマエルの身体から赤い炎が舞い踊る。その炎は悪魔達を嘗め、瞬く間に滅ぼしていくが同時に、周囲の草木も枯れ果てさせていった。
「先輩や皆がいるんだから、使いすぎんなよ!」
「わかっている! しかし埒があかない!」
群れる下級悪魔のせいで黒山羊に一太刀も与えられていない事に焦れたサマエルがその手に毒を纏わせ、苛立ちに眉を寄せた。
「いや、もう来る」
オファニムの声が二人を止めれば、視界の端で草叢が揺れた。
「うらああああァ!」
飛び出してきたのはザドギエルだった。悪魔の一体を組み敷きながら剣を突き立てる。瞬く間に悪魔が凍り、砕け散った。
「ザドギエル!」
「やあ、抜け駆けかい?」
「生憎だな。まだ余るほどいるぞ。血は足りるのか」
サマエルの苦い声ににやりと笑い、ザドギエルが悪魔の亡骸から剣を引き抜く。
「ラジエル!」
「おわ、ハニエル!」
少し遅れてきたのはハニエルだ。息を切らしながらラジエルに走り寄ってきた。
「大丈夫かよ、お前」
「え、あ
……
はい、オレは
……
」
ラジエルの問いに一瞬視線を彷徨わせたが、頷く。二人に気付いた悪魔が立ちはだかり、鉤爪を振るった。
「わっ、くそ!」
一瞬の油断をつかれラジエルが剣を振る。しかし切っ先は空を切って、反撃に転じた悪魔の爪がラジエルを捉えようとした。
「させないよ!」
薄く輝いた何かがラジエルを襲う爪を防ぐ。
怯んだ悪魔に剣を突き刺したのはサンダルフォンだった。
「油断しないで」
「っ、ごめん!」
続けざまの強襲に悪魔達は一瞬怯んだが、どれも若い使徒だと分かれば数で押し通せばいいと歯を剥き出しにして醜い声をあげている。
「さあ、行こう」
「ああ!」
「はいっ」
すぐに乱戦になった。爪と刃が甲高い音をたて、火花を散らし暗闇で瞬く。下級の悪魔たちは群れて使徒に襲いかかり、少年達は邪悪なものたちを滅するべく剣を振るう。
「く
……
!」
自分に向けて振り下ろされた爪をハニエルが剣で受け止める。しかしそのまま力で押し切ろうと悪魔が力を込めれば、じりじりと押されていった。相手が非力だと見切ったのか、裂けた口をにたりと歪ませ、剣を弾くべくもう一度腕を振り上げる。きぃん、と澄んだ音を立て、持っていた得物を弾き飛ばされた反動でハニエルは倒れ伏した。
少年を八つ裂きにしようと悪魔が嬉々と飛びかかる。
「ハニエル!」
一瞬遅れて仲間の危機を察知したサンダルフォンが叫ぶ。加護を展開しようとするが悪魔のほうが速い。間に合わない、と悟った瞬間。
「っぐ
……
!」
血飛沫が飛ぶ。悪魔の爪が使徒の腕を掠め切り裂いたが、しかしそれはハニエルではなく、ザドギエルのものだった。
「ザドギエルさん!?」
「ハニエル、立て!」
ザドギエルの返り血をもろに浴びた悪魔が苦悶の叫びを上げる。
その部位が凍り付いたようにひび割れていき、のたうち回るのを見やればザドギエルが剣を薙いだ。そのまま頭を飛ばされた悪魔が、地面の染みと化す。袖が破れ、ザドギエルの腕、指先からぽたぽたと血が流れている。痛みに顔をしかめながらちらりとハニエルを見れば、血の気が引いた顔でハニエルが見上げていた。
「あ、ごめんなさ
……
」
「怪我は?」
「ない、です
……
」
そう、とザドギエルが頷く。
「ザドギエル、ハニエル!」
最後の一体を倒したサンダルフォンが二人に駆け寄る。大丈夫だ、と応えるザドギエルの腕を見て、眉を寄せた。
「大丈夫じゃないだろう!?」
「そんなことより」
サンダルフォンの言葉を遮り、ザドギエルが黒山羊を指差す。
「まずはあいつを殺さないと」
あれほど群れていた取り巻きを全て滅されたというのに、黒山羊に焦りは見られない。しかし同胞を悉く滅ぼされた怒りはあるのか、蹄で地面を踏みならして吠え立てている。
ラジエルとサマエルが既に攻撃し始めて、剣を振るっている。その黒い皮膚を傷つけるのは容易ではなく、弾き飛ばそうと跳ね上げる脚や振り上げる角に攻めあぐねているようだった。
「ハニエル、あれの弱点を見ることは出来る?」
サンダルフォンが立ち上がったハニエルの肩にそっと手を置く。微かに怯えるような素振りを見せたが、戦う意思を見せるザドギエルを見て意を決し、こくりと頷いた。
「はい」
琥珀色の双眸を黒山羊に向ける。黒い炎が黒山羊の両角に灯っている。
「角、です
……
角を折れば
……
!」
「わかった」
「ザドギエル! 無茶をしないで!」
「サマエル!」
血を滴らせながらザドギエルが叫ぶ。サマエルが声に反応し、炎を黒山羊に放てばその毒に悪魔が膝を折る。間隙をぬって、ザドギエルの剣が閃いた。
それは間違いなく黒山羊の捻れた両の角を斬り、血による苦痛に染まった獣の咆哮が森に響く。切り裂かれた部分からぱきん、とひびが入ったのが見えた。
「サンダルフォン、やれ!」
ザドギエルの声に地を蹴り、跳ぶ。
黒山羊の目がぎょろりと使徒を睨み、怨嗟の眼差しを向けた。
「悔い改めるといい、君は地獄に還る」
祈りの言葉を紡ぎ、ひびの入った角へと剣を振り下ろす。まるで枯れた枝を手折るように、それはあっさりと切り裂かれた。黒山羊が断末魔をあげて、溶けていく。骨すらも黒い泥と化したそれは、やはり地面へ染みこんでいった。
「
……
終わった
……
」
ラジエルが安堵の息を吐きへたり込む。その頭上で使徒の殲滅から逃れていたらしい悪魔の一匹がギャアギャアと喚き、そこから離脱しようと羽を羽ばたかせたが、短剣がそれを貫き塵に変えた。逃げようとした悪魔を仕留めたアブディエルが五人に歩み寄る。
「及第点、といったところだ」
息荒く地面に座り込むラジエルとサマエル、布でザドギエルの傷を止血するハニエルと、肩で息をしながらも辛うじて立っているサンダルフォンを見やった。
「だが一匹を逃がしかけたのは反省しろ。逃がした悪魔はやがて誰かを殺すかもしれないのだからな」
「っ、すみません
……
」
サンダルフォンが頷き、サマエルが舌打ちをするもアブディエルは表情を変えずに言葉を続ける。
「まだまだお前達は弱い、そして何よりも甘い。ここに名前付きの悪魔がいれば
……
恐らく全滅している。特にお前はこの中の誰よりも非力だ。その無力がお前の仲間に傷を負わせた。それを自覚しろ」
「
…………
はい」
ハニエルが震える声で頷く。その姿をザドギエルは横目で見やり、小さく首を振った。
「小屋の中を見てきたけど攫われた人は一人だけ無事だったよ。でもすごく弱ってるみたいだから休ませてる」
先に小屋を偵察してきたラグエルが皆にそう告げれば、五人の間に安堵が降りる。
「よかったぁ
……
」
ラジエルが胸をなで下ろす。アブディエルが頷き、五人を見渡した。
「俺達は攫われた人間を保護し、街の教会に連れて行く。すぐに動けないだろうからな、新しい悪魔がやってこないとは限らん。お前達はオファニムと共に先に街に帰還しろ。
オファニム、こいつらを頼む」
「分かった」
オファニムが了承し、サンダルフォンに目配せをする。痛む身体を叱咤し、五人は歩き出した。六人が去ったのを見送り、アブディエルがラグエルと顔を合わせる。
ラグエルは肩を竦め、せせら笑った。
「優しいねえ」
「
……
ここから先は俺達の仕事だ」
アブディエルが低い声で呟き、小屋へと向かう。小屋の中には確かに女がいた。若く美しい女だ。恐怖に怯えた顔で椅子に座っていたが、黒衣の使徒が入ってきたのを見るや、ああ! と声をあげて立ち上がった。
「使徒様、使徒様! ありがとうございます、あの悪魔から助けていただいて
……
もはや慰み者になるか喰われるものかと恐ろしくて
……
!」
自らに縋る女を見下ろすアブディエルの瞳はどこか冷たい。それに気がつかないまま、女が笑みを浮かべて懇願する。
「さあどうぞ私をここから連れ出してください! もうこんな場所は嫌です!」
「
……
何故、外にいた悪魔はお前をすぐに傷つけなかった?」
「それは
……
分かりません、私はただ恐ろしくて
……
ここで震えていました
……
もういいではありませんか、悪魔達はあなたとその仲間に殺されたのでしょう?」
アブディエルの冷ややかな態度に戸惑いながら女は早口で請う。その様子を見ていたラグエルは口元を歪め、笑っていた。部屋をぐるりと歩き回る。
「数ヶ月前、街から情報が来てね。悪魔崇拝をしている奴がいるって」
「わかりません、そんなの知りませんよ! まさか私を疑っているのでしょうか? 使徒様、誓います、私は何も
――
」
「我らが主、神にか?」
「っ
……
、か、か、カ
……
」
「ねえもうやめよ? 時間の、無駄」
ラグエルが言い淀む女の言葉を遮る。彼女の腕を掴み、服の袖を捲れば奇妙な紋章
――
それはオリーブと、東洋の紋が組み合わさったような、それでいて梟の顔のようなものが刺青として刻まれていた。刹那、纏っていたか弱さとは真逆の強い力でラグエルの手を振りほどき、脚をもつれさせながら後ずさる。
その顔は敵意と屈辱で歪み、憎悪の眼差しを二人に投げつけていた。
「クソが! 神の木偶め、呪われろ!」
「もう喋るな」
アブディエルの短剣が閃く。女の首元から血が噴き出し、ごとり、とそのまま後ろに倒れる。絶命した『学会』の女を二人は無表情で、見下ろしていた。
オファニムに伴われて街に帰った。
深夜にもかかわらず村長がいそいそとやってきて、不安げに六人を見渡す。オファニムが一歩前に出て、彼に何やら耳打ちをすれば男の顔はぱっと明るくなった。
「そ、そうですか! 悪魔は誅されましたか!」
使徒様ならばやってくれると信じておりました、としきりに感謝を述べられるのに少年達はこそばゆい思いをさせた。
「彼らに温かい食事と身を清める湯、そして寝床を。戦いが激しく疲れ切っています」
オファニムが短く請えば、勿論ですともと町長が慌ただしく去る。恐らく教会に向かったのだろう。
「おつかれさま。よくできました」
六人だけになった途端、ふわりとオファニムが微笑み、小さく手を叩く。
「言うなっていわれてたけど、アブディエルは皆褒めてた。これはほんとう。だから今日はゆっくりやすんで」
「あ、あの、オファニムさんは
……
」
ハニエルが問えばんー、とオファニムが考える素振りを見せる。
「二人を待つ。
……
多分すぐに帰ってくるから」
オファニムと別れ、すぐにやってきた修道士に案内される。悪魔と自らの血で汚れた身を清めることが先決だった。
「あ、あの」
ザドギエルさん、とハニエルが呼び止める。血で汚れ、破れたシャツを脱ごうとしていたザドギエルが手を止めてハニエルを見やる。悪魔の爪を受けた腕は、戦いが終わった後すぐにハニエルが布で止血をしていたがその布も赤く染まっていた。
「どうした?」
「修道士様に聖水と包帯を貰ってきたので
……
あの、腕
……
」
徐々にか細くなるハニエルの声に、ああ、と察したザドギエルが笑みを浮かべる。
「お願いできるかい」
傍らにあった椅子に座り、ザドギエルがシャツを脱いで腕を出す。ざっくりと深く裂かれた皮膚は使徒の御力で既に幾分かは塞がっていたが、暫く痕が残りそうだった。
それを見たハニエルの息が一瞬詰まる。しかしすぐに気を取り直して十字をきり、祈りの言葉を唱えた。聖別された水が入った瓶の蓋を開ける。
それを傾け、ザドギエルの傷口に中身を振りかけた。
「っ
……
ぐ
……
」
ザドギエルが小さな呻き声を漏らす。軽く唇を噛んで耐え、目を瞑れば睫が震えた。
「ごめんなさい
……
オレのせい、です
……
」
傷口を清め、包帯を巻きながらハニエルがぽつりと呟くのに、ザドギエルの青い目がそっと開かれる。
「アブディエルさんの言う通りです。もっとオレに力があれば、ザドギエルさんは怪我しなかった
……
」
「
……
こんな怪我すぐに治るさ。気にしないで」
ザドギエルが苦笑し、ハニエルを宥める。包帯を巻き終わり、ハニエルが一瞬思い詰めたような眼をそこに向けた。それから終わりましたと告げればありがとう、とザドギエルがハニエルの頭を撫でる。
「よし、じゃあハニエルも身を清めてこい。早くしないとラジエルが疲れただの腹が減っただの、うるさいだろうしね」
そう促され、ハニエルがこくりと頷く。
その背中を見送ればザドギエルも身を清めるべく、椅子から立ち上がった。
礼を含めてのことだろう、街の小さな教会にしては豪勢な食事を振る舞われた後、寝床に入る。戦闘で疲れ切った五人はすぐに寝入ってしまった。
気がつけば雄鶏がけたたましく鳴く朝になり、サンダルフォンはそっと寝床を抜け出す。まだまだ起きそうにない仲間を目覚めさせないように支度をして、部屋を出た。
木造の礼拝堂に入り、朝の祈りを済ます。祈りの言葉を唱え、聖歌を歌う。どこにいたとしても、これはサンダルフォンの日課だった。
アブディエルとラグエルが助けにいった人は、怪我はなかっただろうか、きっと恐怖で怯えていただろう、とその人が安寧であるように祈る。
「〝御身の加護が、皆に等しく吹き渡りますように〟」
深々と頭を垂れる。朝の優しい光が、礼拝堂に降り注ぐのを感じて、十字をきった。
祈りを済ませ、部屋に戻る。ハニエルとサマエルは既に起床し話をしていた。まだベッドで眠るラジエルとザドギエルにもそろそろ起きてもらわなければならない。
これから聖都に帰るのだ。
――
初陣から数日後。
聖都に帰還したサンダルフォンは報告書を纏め上げ、シスター・ゴーに提出した。
それを受け取ったシスターはサンダルフォンと仲間を労い、それでようやく肩の荷が下りたような心地がした。初陣はおおむね成功したと言ってもいいだろう。しかしそれぞれの課題はある。アブディエル達に師事されている間にどれだけ実力をつけられるか、といったところだ。
シスターと少し話をし、詰め所を出る。日はすっかり暮れていて、寄宿舎に戻るべくサンダルフォンは足早で歩き出した。
――
話し声が、聞こえる。
「
……
隠してもお前に利は無いぞ」
「隠す、ね。神に誓って言うけど、俺は本当に何も知らないんだ。あの時も知らせを聞いて驚いたのは俺も同じだよ」
アブディエルとザドギエルの声だった。アブディエルの声はどこか苛立ちを孕んでいて、ザドギエルの声は冷ややかだった。思わずサンダルフォンの歩みが止まる。
「お前があの三人を知っているのは把握済みだ。あいつらに対して少なくない借りがあることもな。
……
我々を裏切ったあいつらを庇う理由は充分あるだろう?」
「あのなあ、先輩。確かに俺は彼らに救われた。俺が使徒としてここにいられるのも、彼らのおかげだ。ただそれとこれとは話が別じゃないか。あいつらは何も言わずにここを出て行って、俺は残って使徒として戦うことを決めている。俺が言えるのは
――
」
「ならば何故、加護のヴェールを被らない」
ザドギエルの言葉を遮り、詰るアブディエルの声に小さくため息を吐く音がする。
暫く沈黙が続いたが、ザドギエルが口を開いた。
「
…………
血で汚れるのが嫌なんだ。俺の能力を知っているだろ」
「
……
」
「ああ、言いたいことは分かるよ。貴方が言いたいことは
……
っ、サンダルフォン?」
夜闇の中、深く青い目がこちらを見つけ、見開かれる。その声につられて紫水晶の双眸もこちらを向いた。
「
……
お前」
「オレの仲間に
……
何をしているんですか」
意を決して二人に歩み寄る。
もう一度、次は大きなため息を吐いてザドギエルが目を伏せた。アブディエルが苦々しい顔をさせて、吐き捨てる。
「お前には関係ない」
「いいえ、あります」
サンダルフォンの反論に何、とアブディエルがサンダルフォンを睨み付けた。
「彼は、ザドギエルはオレと同じ部隊。そしてオレは『IB』の隊長です。新米のオレが序列の高い貴方に意見する無礼は承知ですが
……
オレは彼を守る責務がある。今の様子、貴方は明らかに
……
オレの仲間を詰り、害そうとしていた。たとえ俺達の指導をする役割を持つ貴方でも、オレは見過ごせません」
きっぱりと言い放ち、ザドギエルの傍らに立つ。
「ここにいたのがラジエルやサマエル、ええ、ハニエルでもそうしていたでしょうね」
飴色の瞳がアブディエルを見据える。暫く二人は睨み合っていたが、やがてアブディエルが諦めたように小さく息を吐いた。
「
……
悪かった。謝罪をしよう。俺も冷静にならねばならない」
「ザドギエルにこのようなことをした理由を教えていただけますか」
「サンダルフォン」
サンダルフォンの問いを遮ったのはザドギエルだった。どうして、とそちらを見やればゆるく首を振って制止する。
「いい、お前がそう言ってくれるだけで充分だ。
……
帰ろうよ」
穏やかな口調のザドギエルの目は、サンダルフォンに有無を言わせないような意思を孕んでいる。その気配に圧されてサンダルフォンが頷けば、ザドギエルはふ、と微笑んだ。そしてアブディエルに視線を向けて、軽く会釈する。
「では先輩。俺達はこれで。
……
おやすみなさい」
「オレのご無礼をお許しください。おやすみなさい」
「
……
ああ」
自分の傍を通り抜けて去る二人の後輩を眺め、アブディエルが眉を寄せる。苛立ちと自己嫌悪が同時にやってきて、くそ、と小さく悪態をついた。
「隊長、ね。中々度胸あるよねえ、彼。見直しちゃったかも」
「
……
聞いていたのか、ラグエル。オファニムもか?」
「後輩くん、いじめちゃだめ」
「
……
」
珍しく焦ってたじゃん、とラグエルが笑う。軽く舌打ちをさせアブディエルが唸った。
「俺は一刻も早くあいつらの足取りを掴みたいだけだ。その為にはなんだってするさ」
「で、かわいいかわいい後輩ちゃんを問い詰めた、ってワケ。ま、気持ちは凄く分かるし、彼に吐かせるなら手緩い方だと思うけどさ
……
何にも知らないサンダルフォンくんに見られたのは迂闊すぎない?」
「分かっている
……
」
苛立ちながらアブディエルが歩き出し、二人が後に続く。今日はもう寝床に帰るつもりだった。『IB』の指導をする為に約一ヶ月、本来の任務は他の使徒に任せている。
「
……
裏切ったあいつらが何をしでかすか分からない今、早い段階で叩くしかない。異端の芽は残らず摘むべきだ」
「それには俺も賛成。あーあ、暫くは後輩ちゃんたちのお守りかぁ
……
とっとと終わらせたいよね」
三人の姿は闇に消える。
そこにはもう誰もいなくなった。
「心配かけてごめんな」
帰路につく途中、ザドギエルがぽつりと零す。サンダルフォンが見上げれば、先程の様子はどこへやら、申し訳なさそうに眉を下げていた。
「君のせいじゃないだろう」
「
……
うん、多分ね」
ザドギエルは少し躊躇ったが、肯定するのにサンダルフォンが頷く。確かに彼は少し荒い一面もあるが、背信行為をするようには思えなかった。
ただ、アブディエルと話していた内容は少なからずサンダルフォンにとって、心当たりが無い中でも引っかかるものがある。
「どこまで喋ってくれるか、聞いても?」
サンダルフォンの言葉にザドギエルが目を細め、遠くを見るように視線を彷徨わせた。
「俺は、お前達を裏切ったりなんてしないってことだけ。それと先輩達は悪くないよ」
「そう
……
」
ザドギエルの言葉に頷く。それで充分だと笑みを浮かべるサンダルフォンに、ザドギエルがぱちりと瞬きをする。
「いいのか?」
「いいんじゃないかな」
サンダルフォンの声は穏やかで、明るい。
「今のところオレは、ザドギエルに疑念を抱く理由なんてないからね。君が何を知っていて、何を語るか、語らないか。それは君の意思だ。オレはその意思を、信じているってだけさ」
「
……
なるほどね」
暫く黙ったまま、二人は歩いて行く。ややあって口を開いたのはザドギエルだった。
「
……
一つだけ、いいか」
「ああ、いいとも」
「俺はお前みたいに敬虔な信徒じゃない。ヴェールだってそうだし、使徒になったのだって人を救おうとか、国に安寧をもたらしたいだとか、そんな立派な理由じゃないんだ。
でもこれだけは信じてくれないかな。俺は、お前達を全力で守るって。どんな悪魔でも、俺は逃げない。それこそ俺の血が一滴も流れなくなるまで」
「
……
ザドギエル」
ザドギエルの言葉にどう答えればいいのか、一瞬迷った。オレにはそんな君を守る使命があるんだよ、とサンダルフォンは言いたくなったがそれを告げても、この男はきっと笑って、この前の戦いのように悪魔の鉤爪さえも恐れずに仲間を守る為に飛び出してしまうのではと漠然とした不安がよぎった。
「さ、皆待っているだろうなあ、なんて言い訳しようか」
「あ、ああ
……
」
随分と遅くなってしまったねとため息を吐けばザドギエルが微笑む。
「じゃあこうしよう。外で読書に夢中になっていた俺を、お前が迎えに来たって」
それがいいね、とザドギエルが勝手に頷き、辿り着いた寄宿舎の扉の前に立つ。扉を開ければラジエルの帰ってきた! と叫ぶ声が飛んできた。
「ただいま、遅くなってごめんな」
「おかえりー! めちゃくちゃ遅かったじゃん! なにしてたんだよ」
「ああ、俺が本を読むのに夢中になっちゃって
……
サンダルフォンが迎えに来てくれたんだ。日が短くなると時間の感覚が狂ってしまうな」
暢気な声で言い訳するザドギエルは普段通りの様子を保っていた。
温かい飲み物はあるかい? と中に入っていく彼の背中をじっと見つめる。
「サンダルフォンさん?」
出迎えたハニエルが首を傾げればはっと我に返ってサンダルフォンが首をゆるく振る。
「なんでも。オレも温かいものが欲しいよ」
そう笑い、皆の輪に入る。頭の隅に残ったひっかかりを、気にしないことにした。
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