kurotera
2025-02-24 08:27:05
174619文字
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You are what your back bears

2022年6月に発行したイノセントブレス IB本の再録です。
発行から一年経ち、頒布も終了しているので掲載。
当時手に取っていただいたかた、ありがとうございます。

【概要】
ぼくのかんがえたさいきょうのイノセントブレス本(非公式)
無印三部前提
出てくるメンバー:教会勢、ラプラスの悪魔、ダーククロウ、LL、無銘
ですが無銘の四名とダーククロウさんは本当に一瞬です。あくまでIB中心。
戦闘と日常の比率は6:4ぐらい。当社比。
書き手の趣味が爆発してえらいことになりました。

要素/注意
九割捏造。特に過去。
公式ファンブック旧版と一部キャラクターメッセージカードを元に当時は執筆していますが、未所持のカードもあるので設定にずれが生じています。


 大聖堂から少し離れた、修道士の居住区を警護していたハニエルとザドギエルにもその銃声は聞こえた。その音にびくりとハニエルが肩を跳ねさせ、大聖堂の方向を見ればザドギエルもそれを聞き取ったらしく、なんだ、と立ち止まり同じ方向を見つめている。
「ザドギエルさん」
「今の……銃声か……?」
「だ、大聖堂の方からです……何かあったのでしょうか……?」
 ハニエルの不安げな声に大丈夫だ、と肩に手を乗せザドギエルが目を細める。また銃声が聞こえないか様子を窺っていれば、向こう側から人々が走ってくるのが見えた。
 悲鳴をあげ、混乱した様子で走っている様は何かから逃げているかのようだ。
「ハニエル」
「はいっ」
 逃げる人々の波に逆らい、大聖堂へと向かう。
 途中足をもつれさせて倒れた男を助け起こせば、彼は真っ青な顔で怯えていた。
「どうした、何があった?」
「あ、悪魔……悪魔が……!」
 男の言葉に顔を見合わせる。助け出した男が一顧だにすることなく逃げ去るのを横目に、ザドギエルが険しい顔で走り出す。逃げてくる人々は皆、顔に恐怖を滲ませていた。
「わ……!」
 誰かとぶつかったらしいハニエルがよろけたのに、ザドギエルがとっさに背中を支える。そのまま人々の間を縫うように進んでいけば不意に、周囲が薄暗くなった。
「っ!?」
「え?」
 鳥、にしては大きすぎる影だ。一瞬何が起きたのか分からず、周囲を見渡せば走っていた人々も足を止め、一様にぽかんと空を見上げている。
「ざ、ザドギエルさん……!」
 ハニエルに袖を引かれ、つられて顔をあげる。見上げた先には丁度、空の真上に座する太陽がある――筈だった。
「なんだ、あれ……
 本来であるならば春の温かな陽光を注いでいる筈のそれが、じわじわと影に浸食されつつある。
 どこからともなく現れた丸い影が、太陽を食べている。
 その様を二人は、人々は呆気にとられ見つめていた。徐々に太陽の光は失われ、まるで夜のように暗くなっていく。
「あ、悪魔だ……!」
 誰かが指をさし、声をあげる。人々の悲鳴と嘆きがあふれかえる中でハニエルとザドギエルはあの太陽を食らう影から、悪魔の群れが飛来してくるのを見た。


「なんで急に夜になっちゃったわけ!?」
「知るか! とにかく悪魔を殺れ!」
 同時刻、別の居住区の警護にあたっていたラジエルとサマエルも空の異変を察知し、そこから飛来してきた悪魔達の交戦に入っていた。殆どが蝙蝠羽を持った老猿の姿をとる下級悪魔なのだが数が多い。ラジエルには他の区域も交戦が始まっているのも見えた。 
「皆、近くの建物に入れ! 絶対に出るんじゃないぞ!」
 逃げ惑う民衆に声をかけながら、サマエルが剣を振るい下級悪魔を斬り捨てていく。この数ならば毒を使った方がいいのだが民衆の何人かが未だに外にいる中では毒が使えない。もどかしさのまま、悪魔の身体を真っ二つに斬り捨てた。
「ラジエル! 逃げ遅れはいないか!」
 サマエルが近くで戦うラジエルに呼びかけた。ラジエルは能力で逃げ遅れがいないかを探しながら応戦している。次々に人々が近くの建物に逃げ込み、扉を閉めて鍵をかけていくのが見えた。
「っ、あ……くっそ!」
 ラジエルが舌打ちをし、気配を感じたそちらを見やる。民家のドアを子どもが泣き叫びながら叩き、入れてと懇願していた。しかし扉の中は沈黙を守ったまま、開かれることはない。その声を聞いた悪魔の一匹が、下卑た笑いをあげながら子どもへと襲いかかる。鋭い爪で憐れな獲物を切り裂こうと、それを振り下ろした。
「させねえって!」
 子どもの悲鳴の代わりにあがったのは甲高い金属音だった。
 ラジエルの剣が悪魔の爪を受け止め、押し戻す。不機嫌な唸りを漏らしながら悪魔が飛びすされば、ラジエルは子どもを守るように立ち塞がった。
「大丈夫、お兄さんがお前もこの街も守ってやるからさ!」
 背後の子どもを励ますように叫べば、小さな相づちが返ってきた。
 思わず笑みを浮かべるが体勢を立て直した悪魔に誘われるように、もう二匹、悪魔が舞い降りてきたのに、げ、と声をあげる。
――いやでもさ、ここで逃げるのはナシ! ――
 気を取り直し剣の柄を握りしめ、敵対者を睨み付ける。じりじりと間合いをとり隙を窺っていれば静かに扉が開く音が耳に入った。
「ぼうや、おいでなさい」
 女の小さな声がして、ちらりと後ろを見ればその家の住民らしき妙齢の女が、恐怖に怯えた、しかし何かを決意したような表情で少年の手を掴んでいた。
「頼んだぜ、お姉さん!」
 ラジエルが叫び、地面を蹴る。ぱたん、と扉が閉まる音とともに剣を突けば、その悪魔の胸を貫いた。
 足下で何かが割れる音に視線を落とせば、鮮やかな色のイースターエッグが割れている。茹でられた中身と塗られた殻が地面に張り付いているのを見やり、サマエルは眉を寄せた。住民を助けながら悪魔を屠り、辿り着いたのは小さな広場だ。
 復活祭の卵探しが行われていたのか、地面の所々に踏み荒らされた卵がへばりつき、愛らしい飾り付けも悪魔によってずたずたに切り裂かれていた。
 ふつふつとした怒りが自身の腹から沸き起こるのを感じ、柘榴に似た双眸を細める。どこからともなく、悪魔の群れが舞い降りてきたのを見て、剣を振るい血を払う。
「〝これは受くべき報いである 火と硫黄の苦しみよ 永遠の滅びよ〟」
 サマエルが聖句を紡ぐ。
 その低く怒りに満ちた声に呼応するかのように彼の身から炎のような毒が生じ、悪魔の身体を灼いた。醜い断末魔の声を上げ悪魔が地に堕ちると共に、広場に飾られた草木や花も熱に焼かれたように朽ち果てていく。
 舞い降りてきた敵対者達が神の毒により一瞬のうちに死に絶えたのを確かめ、獲物を求めるべくサマエルが一歩踏み出す。
 はたと視線をあげればそこには民家があった。
 僅かにカーテンから人の顔が覗き、こちらを窺っているのに気がつけば、視線が合う。すぐにカーテンは閉められ、二度と揺れることはなかった。
 ゆっくり息を吐き、歩き出す。皆と合流したほうがいい。そう判断した。
 
 天の穴から悪魔は途切れること無く生まれ堕ち、街を蹂躙していく。教皇の護衛の為に多くの使徒がこの都市にいるのが救いであるが、それでも犠牲者は増えていく。
「くそっ……!」
 予想だにしない状況に舌打ちをし、ベリアルが迫り来る悪魔を刀で斬り伏せ、駆ける。共に戦うクザファンも炎を使って悪魔を灰燼に帰しているが、街の中故にその力を十全に発揮出来ていない。
「一体何が起きている!」
「太陽が無くなるなんて聞いてないよお!」
 カスピエルが泣き言を零すが今はそれを叱りつけている暇は無い。確かに使徒として、そして『教会』から抜け、堕ちた使徒として悪魔と対峙してきた短くない時の間にもこんな状況にあったことはない。
 真昼間の空に浮かぶ太陽が影に覆われ、夜のような暗さになるという怪現象。おそらく、この都市にいる全員がそうだろう。『教会』にいた頃に読んだ使徒活動報告書のどれにも書いていない筈だ。故にこの状況をどうすればいいか、皆目見当がつかない。悪魔を生み出しているあの穴は、一体何なのか。たった一つ分かるのは――
「とにかく、住民を守れ!」
 目の前に降りたってきた巨大な蜘蛛型悪魔の脚を切り飛ばす。赤黒い体液をまき散らしながら蜘蛛は無事な脚をめちゃくちゃに暴れさせ、道の物を破壊していく。
 建物に被害が及べばその中の人間もただでは済まないだろう。
「カスピエル!」
「emeth、〝汝、土から取られたものである〟」
 カスピエルが聖句を唱えれば周囲の地面が盛り上がり、土くれの人形達が這い出してくる。そのまま蜘蛛の無事な脚にすがりつき、動きを封じた。蜘蛛の身体にとってつけたような老爺の顔が、忌ま忌ましげに歪められる。蜘蛛の脚を踏みならし、使徒の傀儡を破壊するが土くれで出来たそれは幾度も再生し、脚に縋る。
「オオオオ……!」
 悪魔が咆哮する。
 牙がぞろりと生えた口から蜘蛛の糸が吐かれ、敵対するものを捕らえようとする。しかしその糸はクザファンの炎で焼き尽くされ、火の粉として舞うのみであった。
「ベリアル~、早く~!」
 俺の力も無限じゃないと言いたげにカスピエルがベリアルを急かす。力を振り絞った蜘蛛が再びカスピエルの使役する傀儡を薙ぎ払った刹那、悪魔の頭上で影が踊る。足下に気を取られていた悪魔にとっては不意打ちに近く、それが頭上にいると認識し見上げた時には既に遅かった。
「遅え」
 一言あざ笑いベリアルの振りかざした刀が一閃、老爺の額を刺し貫く。
「オ……ゴオ……
 濁ったうめき声を漏らし、悪魔がよろめく。どしゃ、と蜘蛛の脚を折って息絶えたそれの傍にベリアルが降り立ち、血で濡れた刀を振るった。
「meth 、〝汝、ちりに還るだろう〟」
 カスピエルが聖句を唱えれば土くれの傀儡が一斉に崩れ去る。クザファンも手に宿した炎を収め、どうする、と首を傾げた。
「てめえら、大聖堂だ」
「本当に? 危なくない?」
「それしかないだろうな……『教会』が関与していないわけがない」
 不満を漏らすカスピエルを宥め、クザファンが大聖堂に視線を向ける。とっとと行くぞ、とベリアルが駆け出せば。
「な……!」
 悪魔を屠りながら大聖堂へ向かっていたであろう使徒と出くわした。
 ムーングレイの長い髪の使徒と、リラ色の髪の使徒。こちらを認めた途端、ムーングレイの髪の使徒――ザドギエルは驚いたようにその青い目を見開く。
「ベリアル……?」
…………
「ザドギエルさん?」
 焼け焦げたヴェールを被った男の出現に足を止めたザドギエルを不思議に思い、ハニエルが見上げる。
 長らく顔を見なかった知り合いの予期せぬ再会にお互い沈黙のまま見つめ合っていたが、ベリアルに追いついた二人もザドギエルの顔を見て、立ち止まった。ただならぬ雰囲気にハニエルがおどおどとそれぞれを見やるが、それも轟音と共に終わりを告げた。
「っ……!」
 傍の壁を突き破り、新たな悪魔が現れる。
 黒い翼を具えた二足歩行の獅子。右手には血に染まった斧を持ち、左手には燃えさかる松明を手にしている。崩れた瓦礫から姿を見せたそれは、居合わせた五人に敵意を向け、唸り声をあげていた。
「新手か!」
「きりが無いな……
 それぞれの武器を手に、悪魔を迎撃しようと構える。琥珀色の双眸を燃やし、ハニエルが悪魔を見据えた。
「〝邪な骨を散らせ、骸は捨て置かれ、お前は恥辱を晒すであろう〟」
 悪魔のうなじに冥い火が灯っているのが見える。
「ザドギエルさん、うなじです……!」
「分かった!」
 ザドギエルが悪魔に向かって駆け出し、カートリッジを装填すれば排出された空のカートリッジが砕けた。ハニエルの声を聞いたベリアルも走り出す。
「〝その火の、炎の中を歩め 燃えさかるたいまつの中を歩め 我の手からこれを受け 苦しみのうちに伏し倒れよ〟」
 クザファンの唱える聖句と共に、再び指先に火が灯る。悪魔の足下には土くれの手がそれに群がろうと突き出してきていた。刹那。
「うおおぉ!」
 男が吠える。ヴェールを被り、悪魔の背後から影が飛び出しそれに飛びかかる。純白のヴェールに漆黒の隊服を纏った使徒が、手にした短刀を悪魔のうなじに振り下ろした。深く突き刺さったそこから、血が噴き出す。邪悪な獅子が咆哮をあげ、どう、と倒れ伏せばその亡骸に男が降り立つ。その姿に、ベリアルが顔を顰めた。
「てめえ……アブディエル」
「久しいな、裏切り者。これはお前達の仕業だったか」
 悪魔を屠った短剣を引き抜き、刃を三人に向ける。その後ろから追いついたオファニムが姿を現した。
「オファニムさん……!」
「ハニエル、ザドギエル、大丈夫か」
 オファニムの言葉に二人が頷く。アブディエルがちらりとザドギエルを見やり、眉を寄せた。ザドギエルは三人とアブディエルを見据えたまま、剣を握りしめている。
「お前はどちらだ?」
「俺は……
 アブディエルの問いにザドギエルが口を開く。しかしそれも、頭上で何かがひび割れるような大きな音に遮られた。
「今度は何さ!?」
「あ……なに、あれ……
 カスピエルとハニエルが驚いた声をあげ、空に出来た穴を凝視する。一歩、あとずさるようによろめくハニエルを支え、ザドギエルもそちらを見た。
 太陽を覆う丸い穴に、白い亀裂が入っている。そこから黒い破片のようなものがこぼれ落ちるのは卵から雛が生まれ出る為に殻をやぶる様子に似ている。
「ハニエルどうした、あそこに何が……
 ザドギエルの声を遠くで聞きながら、琥珀色の双眸を見開く。あの黒い穴、いや穴だと思い込んでいた球体がその殻を徐々に破っている。その奥で冥い炎が揺らめいて、眼が焼けそうな程熱くなる。冥い、地獄の底で燃えさかっているような業火。その正体をハニエルは誰よりも理解出来ていた。あれは卵だ。悪魔の、卵。
「悪魔、が……
「悪魔?」
 まだやってくるのかとザドギエルが舌打ちをする。『教会』の裏切り者、自分を疑う使徒、そして絶え間ない悪魔の群れ。
――サンダルフォン……! ――
 大聖堂で一人戦っているであろう、仲間。
「ハニエル、次はどんな悪魔が来るんだ。教えてくれ」
…………勝てません」
……ハニエル?」
 ハニエルの絞り出すような声にオファニムが異変を察したのか聞き返す。恐怖に息を荒らげ、しかしハニエルはじっと黒いそれを見つめていた。
「勝てません。あんな、あんなものが生まれてくれば……!」
 みんな、死にます。
 ハニエルが震える声で言い切り、青ざめた顔でザドギエルを見る。
「なんだって……
 ハニエルがこの状況で冗談やごまかしを言うようには思えない。血の気を失せさせ、怯えきった表情はまさしく、その言葉が真実であるとザドギエルには理解出来た。
 ぱき、ぱき、とひび割れる音が大きくなる。孵化寸前、そんな言葉が過った。睨み合っていたベリアルとアブディエル達も固唾を飲み、それを見上げている。ついにそれは大きな裂け目になり、そこから金色の双眸がのぞいていた。
 それが瞬きをして身を乗り出してきたと認識した瞬間、息苦しさに襲われる。
……っ、……!」
 思わずザドギエルとハニエルがよろめく。
「あ……、うう……!」
「いい、もう見るな、ハニエル!」
 ハニエルが呻き、ザドギエルがそれを支える。アブディエル達も見えない何かに押さえつけられるような重い感覚に襲われたが辛うじて保っていた。
「どけ!」
 先に動いたのはベリアルだった。手にした刀でアブディエルに斬りかかれば一瞬反応が遅れたアブディエルも、それを短剣で受け止め、もう一本の武器でベリアルを切り裂こうと振り払った。
「ちっ」
「ザドギエル、ハニエル! 大聖堂へ行け! 裏切り者は俺が殺す」
「俺にも知る権利はある! あの夜貴方に問い詰められたんだ、それなら――
「お前は使徒だろう、ザドギエル!」
 アブディエルが叫ぶ。その声にザドギエルの目が見開かれる。紫水晶の眼が、若い使徒をじっと見据えた。
「サンダルフォンの元に行ってやれ」
「っ……、行こう。ハニエル」
「え、あ……はい……っ」
 深く青い眼差しがちらりと裏切り者と呼ばれた三人を見つめた後、ザドギエルがハニエルを助け起こし、走り去る。
 その姿を見届け、アブディエルとオファニムは短剣の切っ先をベリアル達に向けた。
「貴様らは絶対に許さん。教会を裏切り、悪魔と手を組み……尚も教皇へと刃を向けるとは……
「てめえは何言っても無駄だろうな」
……やるのか、ベリアル」
「逃げたほうがいいんじゃない?」
 ぼそりと呟くカスピエルをちらりとトパーズの瞳が睨み、刀を構える。
「こいつらが逃がしてくれると思うか?」
 そう言うと同時、アブディエルの影がぶれる。気がついた時にはベリアルの目の前に迫り、短剣を振り抜いていた。刃が交わされる音が荒れた町中に響く。
 ベリアルの刀がアブディエルの喉元を狙い、それは短剣によって躱される。もう片方の短剣が空を切り裂き、ベリアルの焼け爛れたヴェールを掠めた。一進一退の剣戟が続き、それは永遠に続くように思えた。
 しかし、ベリアルが一歩後退し、叫ぶ。
「っ、クザファン!」
「ああ!」
 クザファンの炎が爆ぜる。閃光が視界を白ませ、思わずアブディエルが目を庇う。徐々に輪郭が戻ってきた目の前には既に、影一つない。
「ち……っ」
 舌打ちをして、短剣を鞘に戻す。オファニムが能力で三人を探すが、探索範囲から脱しているようだった。
「逃げ足がはやいな」
「フン……所詮地を這う鼠どもだ……今はあいつらを追う暇が惜しい」
 空を見上げる。徐々に空気が重苦しくなっているのを肌で感じる。
「ラグエルは」
「分からない」
「そうか」
 短剣を鞘に戻す。黒衣の使徒達も大聖堂に向けて走り出した。
 

 鴉が啼いている。都市の片隅、古びた時計塔には夥しい鴉の群れが飛び交っていた。
「ふひ……太陽のない世界って……居心地がいいね……
 そのてっぺんに、一匹の悪魔が佇んでいた。鴉たちを率いて、都市を襲う悪魔達と使徒の戦いを眺めている。黒ずくめの道化師然とした衣装に、闇を吸い込んだかのような二対の羽根。外套のようなそれの下には赤い右腕を持っていたが、もう片方の腕は羽根そのものだった。どこか幼い顔立ち、片方の瞳を前髪で隠している。
「このままずっと暗いままでいたら……僕たちが住みやすくなる……でも、ラプラスの悪魔くんはどうしてあんなものを?」
 露わになっている赤い瞳を都市上空のそれに向け、訝しげに見つめる。あれは所謂、卵であり、産道だ。自然に発生するものではなく、誰かがここに召喚したと断言してもよい。今、あれから生まれつつある悪魔はこの都市を壊滅させるのに造作も無いだろう。剥離した殻のように都市に降る悪魔は所詮、副産物に過ぎない。
「いやあ、だって彼の頼みだからねえ」
 悪魔の背後から聞こえる飄々とした声にちらりと振り向けばそこにはメドウグリーンの長い髪を丁寧に整えた白衣の男が立っていた。
 医者の出で立ちであるがその腰には竜の如き羽根が六対備わり、眼鏡の奥の魔のもの特有の赤は残酷にこの状況を嗤っている。
「ラプラスの悪魔くん……ふひ、いたんだ……
「もちろんさ、今日という日ほど見所のある催し事はないでしょ、ダーククロウ」
 ラプラスの悪魔と呼ばれた悪魔がふわり、とダーククロウと呼ぶ悪魔の隣の宙に腰掛け、指を鳴らす。二人の間に瞬く間にティーカップとティーポットが現れて、まるでそこにテーブルがあるかのように着地した。
「ひとつ誤解しているようだから言うけど、あれは俺が呼んだものじゃないよ。……いや、手助けはしたけどもね」
「ふうん……どうでもいいや、どっちにしろもうすぐここは僕達の餌場になるんでしょ、ひひ……楽しみだなぁ……
 あの悪魔が完全に生まれ堕ちなくとも、顔を出して一息でもこの都市に吐息を吹きかけるだけでここ一帯は瘴気に覆われ、ほぼ全ての人間が死ぬだろう。後はその屍をたっぷりと食らうことが出来る。そう考えて思わず舌なめずりするダーククロウに、ラプラスの悪魔は肩を竦めた。
「いいや、どうだろうね?」
「?」
 口角を上げたラプラスの悪魔にどういう意味と視線を投げかける。
 人差し指をたてて、ラプラスの悪魔は眼を細めた。
「俺のご主人様の目的は、あの悪魔をここに顕現させることじゃないよ」
……そうなの?」
「ああ、俺の契約者はもっと先を見ている。……悪魔が恐ろしがるほどにね」
 まあ見てみなよ、とティーカップを傾け紅茶を味わうラプラスの悪魔を訝しげな顔で眺め、ダーククロウが悪魔の卵に視線を向ける。殻が、ばきりと割れる音と共に、悪魔の鼻面が出てきた。恐らく、もう一刻としないうちにあれは顔を出すだろう。

「なんとおぞましい……!」
「何故復活祭の日に悪魔が! しかもあのような……太陽が無くなるとは……!」
 司教達が狼狽えるのを見やり、キザキ神父が小さく息を吐く。大聖堂の礼拝所は式典に来ていた民衆が避難し、不安げに外の様子を窺い、神へ祈っている。一方、ミカエルと司教達は上階の一室から、悪魔が次々と都市に降り注ぐ様子を為す術もなく見ていた。
 ――いや、正確に言えば為す術がないのは司教どもだ。
……あれは、悪魔だね」
 ただ一人バルコニーに出ていたミカエルがぽつりと呟く。畏れることなくそれをじっと見つめている。
「ミカエル様、中にお入りください」
 傍で侍っていたカマエルが声をかけるが、ミカエルがゆっくりと首を振り、拒む。
「大丈夫、ここは守られる。神の御力によってね」
……ミカエル様?」
 大司教が訝しげに彼を見る。この異常事態でもなお、穏やかな微笑みを絶やさない彼がどこかそら恐ろしい。いや、彼が教皇に就任した時もそうだった。いつの間にか神に似たる者として周囲から持ち上げられた若き教皇。出自も、素性も何もかもがその法衣のヴェールに包まれている。
「しかし――やはり裏切り者がいたようだ」
 ミカエルの金色の眼が細められる。
 司教の一人が呻き声を漏らしたのに大司教が慌ててそちらを見れば、黒衣を纏った金髪の男が彼を後ろ手に拘束し、微笑んでいた。
「やあ、ラグエル」
「見つけたよ、証拠。こいつが悪魔と契約した裏切り者ってわけ……あとこれはおまけ。君の暗殺計画だってさ」
 どこか愉悦を孕んだ声で答え、ラグエルが手にしていた手紙の束をばさりと床に放る。
「偽りだ! お前達が仕組んだのか……! 悪魔め! 教皇ミカエル、お前こそが真の悪魔だ!」
「教皇猊下に向かって、なんという事を……やはり悪魔と通じておられたのか!」
「私は知っているぞ! この使徒という奴らが何をしているのか、お前があの時、何をしたのか……ッ」
 使徒の喉元から血が噴き出す。ラグエルの短剣が彼の喉を引き裂いたのだ。支える力を無くした司教の身体が崩れ落ち、その血が大理石を汚せば他の司教達と大司教は慄いた声をあげる。たった今出来た亡骸に憐憫の眼差しを注ぎ、ミカエルが首を振る。そしてすっと顔を上げ、どこか困ったような笑みを彼らに向けた。
「君たちはどうかな」
 その言葉にラグエルが笑い、血が付いた短剣をくるくると手元で弄ぶ。間髪入れずに司教達は跪き、主たる教皇に頭を垂れた。
「わ、我々は……神に誓って潔白です……!」
「神に似たる方、ミカエル教皇猊下、どうか、どうか御慈悲を……!」
「気付かない事は罪では無い、あなた達を俺は許そう」
 司教達に背を向け、ミカエルが都市を一望する。
 顔を上げ、その背中を見つめながら大司教が恐る恐る口を開いた。
「ミカエル教皇猊下、あの悪魔達は……あの太陽を隠す穴はいったいなんなのですか」
「この地は終わりなのですか、お教えください、無知蒙昧な我々をお導きください」
「大丈夫、畏れることはない」
 白い法衣を翻し、教皇ミカエルが微笑み、その赤い手套に包まれた手を差し出す。
「迷うならば俺が手を差し伸べよう。君たちの手を取り、導こう。案ずることは無い、俺の使徒が剣を振るい、君たちの生きるべき道を拓くから」
 柔らかな声でミカエルが告げる。
 慈悲深い方、神に似たる方、司教達の祝福の言葉が室内に響く。ひれ伏す迷える者を、キザキ神父は冷ややかな眼で見下ろす。やがて顔を背けミカエルに歩み寄る。バルコニーから眼下を睥睨し、切り出した。
「いかがされますか」
「ふふ、ほら見て。あそこ」
 赤い手套に包まれた指が大聖堂前をさす。
 そこには白い隊服に身を包んだ若い使徒がいた。
 
 居住区だろうか、遠くで黒煙がいくつか上がっているのを見ながらサンダルフォンが血についた剣を払えば磨き上げられた地面に血痕が散った。どれほどの悪魔を斬り伏せただろうか、式典の場は夥しい血の痕と悪魔の亡骸が転がっている。
 ――いや、悪魔だけではない。
……
 ゆっくりと息を吐き、そして空を見上げる。太陽をそのまま切り取ったかのような深淵から巨大な何かが身を乗り出そうとしていた。あれが何であるのか、サンダルフォンには分からない。ただ、悪魔の仕業であることは理解できた。そして、何か既視感のような感覚を若い使徒は抱いていた。たった一つ、明確なことは。
 あれが堕ちてくれば、この都市はただでは済まないだろう。
――皆は無事だろうか――
 ばらばらと黒い破片のいくつかが落ちてくる。すぐにそれは悪魔に変わり、サンダルフォンを囲んだ。倒し慣れた下級悪魔だけではない。蜘蛛の姿をしたもの、獅子の頭を持つもの、それぞれが主の僕を殺すべく動き出す。他の使徒は見当たらない。剣も二本失い、残るはもう二対。この数の悪魔を一人で倒しきれるかどうか。
「っく……
 しかしここを破られれば、悪魔達の行く先は大聖堂の中だろう。それは絶対に阻止しなければならない。剣を握り直す。蜘蛛の脚を持ち上げ、手にした斧を掲げ、悪魔達が一人の使徒に襲いかかるべく雄叫びをあげた。
「はあああぁ!」
「でやあぁ!」
 乱入してきたザドギエルとサマエルが、それぞれの悪魔に斬りかかる。
 跳躍したザドギエルが獅子のうなじに血を装填した剣を突き刺し、蜘蛛の懐に飛び込んだサマエルが剣を一閃、その脚を全て切り落とした。
「サンダルフォン!」
「サンダルフォンさん!」
 ラジエルとハニエルがサンダルフォンに駆け寄る。皆ずっと戦っていたのか、その姿は血と汚れにまみれてぼろぼろだった。
「皆!」
「よかった、無事だった……!」
「ひでえな……どうする、リーダー?」
「おい、あれは一体なんだ?」
「さあね、碌でもないものなのは確かさ」
 五人が揃った。既に満身創痍だったが先ほどまでよりはずっと心強い。
……分からない……でも、ここを守らなければ終わってしまう……!」
 サンダルフォンの言葉に四人が頷き走り出す。続々と舞い降りてくる悪魔にそれぞれが立ち向かい、剣を振るう。
 悪魔の亡骸が積み重なる。蜘蛛の脚が飛び、獅子の首が落ちる。しかし、徐々に押されていくのをサンダルフォンは感じていた。
「あれをどうにかしないと……!」
 空を見上げれば深淵で胎動していたあの悪魔が、更に顔を出してきた。金色の双眸がぎらぎらと輝く。その瞬間、再び重い圧が、周囲にのしかかった。
「あぐっ……!」
「うわっ!」
 見えない圧に押しつけられる感覚にハニエルとラジエルが耐えきれずにへたり込む。サマエルもザドギエルも膝をついて、悔しげに顔を歪ませている。
「皆っ……
 加護の力で四人よりは保っていたサンダルフォンもよろめき、呻く。
――ここまでなのか……? ――
 重い身体で顔をあげ、太陽のある筈の空を見上げる。金色の眼と視線が合う。ぞくりと言い逃れが出来ない恐怖が、身体から沸き起こった。地響きが起こり、背後の大聖堂の壁が剥がれる音が耳に入る。
――また壊されるのか、思い出の場所を――
 ひゅ、と息が漏れる。吹きすさぶ熱気がヴェールと頬を撫で、否が応でもあの日を思い出した。故郷が燃えた日、あの時と同じ無力感が、サンダルフォンを襲う。
――奪われるのか……仲間も、全部? ――
 空から目を逸らし、仲間を見やる。
「くそっ!」
「動けェ……!」
 ザドギエルが苦し紛れに取り出したカートリッジも、装填されることなく割れ、赤く彼の手を汚す。サマエルが引き摺るように身を起こそうとするが、重圧が妨げている。
 終わりが近いと直感した。辛うじて柄を握っていた指の力が緩み、二対の剣は音を立てて落ちる。そうすれば楽になれると優しく囁かれた気がしたのだ。――それでも。
――……いや、まだだ」
 まだやれることはある。優しい声をかき消すように、胸の奥底で己が叫んでいる。
 お前は守るべきものがあるだろう。そう叫んでいるのを、見て見ぬ振りなど出来ない。
「ああ、そうとも……!」
 守る、そう決めた。
 もう迫り来る業火に怯え、何も出来ないでいる子どもではいられない。全てを焼き尽くすもの、全てを凍えさせるもの、全てを押し流すもの、全てを喰らい尽くすものよ。
「来るがいい」
 唇が聖なる言葉を紡ぐ。手を胸の前で組めば全身に熱が迸り、加護の力が大きくなるのを感じ、一歩踏み出す。
「〝恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる〟」
 風が巻き起こり、光が爆ぜる。
「っ、サンダルフォン!」
 異変に気付いたラジエルが顔をあげ、サンダルフォンを見やる。そこには祈るように手を組み、瞑目したサンダルフォンが立っていた。その周囲に、白い羽根が舞っている。やがてサンダルフォンの頭上に両翼が現れれば悪魔の全てを消し去り、都市を抱き守るように包み込んだ。重圧も失せ、身体が軽くなる。
「これ……サンダルフォンの……
 白く光り輝く羽根だ。柔らかく、しかし宝石のような羽根が都市を守っている。
 それを生み出したのはサンダルフォンであるとラジエルが悟り、息を飲む。
 羽根越しに悪魔が見える。それは突如現れた羽根に一瞬怯んだが、それを排除しようと腕を伸ばし、引き裂こうと爪を振るう。しかし小さな白い羽根たちを散らすばかりでびくともしない。悪魔は怒り狂ったように吠え立て、腕を増やしがむしゃらに羽をむしろうとそれをしならせ、打ち据えた。
「く……!」
 ぴし、と羽根の一部分にひびが入り、そこから黒い気配が漏れ出すのを感じてサンダルフォンが食いしばり、更に加護の祈りを込めるが酷い頭痛が襲う。限界に近い。
――まだだ! 守る! 絶対に、ここを、皆を壊させはしない! ――
 燃えるように熱い身体が崩れ落ちないように、全身全霊を込める。しかし加護にはいった亀裂は徐々に大きくなる一方だ。その緩んだ防御から、無数の黒い手が侵入してくるのが遠目に見えた。
――駄目、なのか……もう、……――
 視界が霞む。既に気力は無いに等しく、一瞬、よろめいた。無力感と悔しさに胸が締め付けられしかし諦めることも出来ず、ただ主よ無力な我らをお守りくださいと祈る。
 いよいよ守りが破られる刹那、肩に手を置かれ、朦朧としていた意識が引き戻された。
「もういい」
 自分を呼んだ者を見ようとそちらを見た瞬間、傍らを白い影が二つ、駆け抜ける。
 炎。燃えさかる両翼を大きく羽ばたかせながら人影が空へと飛び立つ。
 その後ろ姿を見た瞬間、サンダルフォンの身体の力がふっと抜け、同時に羽根の加護も崩れていく。反撃の時と悪魔が咆哮し、一斉に数多の腕を大聖堂へと殺到させた。
 しかし、悪魔の手が大聖堂に触れることは叶わなかった。その全てがひとまとめに、地上から放たれた赤い鞭のようなもので縛り上げられ、炎の翼によって燃やし尽くされる。燃えさかる腕を伝い、あの空の深淵へと炎が駆け上っていった。
 苦痛に満ちた雄叫びをあげながら、悪魔が残る腕をがむしゃらに振るうが、街の建物に触れる前にそれすらも灰燼と化す。やがて炎はあの深淵へと達し、一瞬にしてそれは燃えさかる球となり、焼き尽くされ、炎の柱となって空へと昇っていく。
 一気に空気が熱を帯び、また別の息苦しさを感じつつザドギエルがサンダルフォンに駆け寄る。他の三人も駆け寄ったが呆然と立ち尽くすサンダルフォンは今にも倒れそうで、慌ててサマエルと支えた。
「なんだ、あれ……鳥?」
「燃えさかる…………まるでお伽噺の不死鳥みたいです……!」
 ラジエルとハニエルが空を見上げ、ぽつりと零す。
…………――
 サンダルフォンの唇が微かに何かを呟いた。あの炎の鳥を見ていると、胸の中がかき乱される。今にも途切れそうな意識をつなぎ止めて、両翼を広げ燃えさかるそれを、見つめた。地から見る不死鳥の如き使徒。その姿、面影はまごうことなく彼であった。
「どうして」
 名をひとつ、声にならないまま呟く。そしてそのままサンダルフォンの意識はふつりと堕ちた。