零ミリ
2026-04-26 18:26:40
39322文字
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輝石と筆跡2026毎日ワンライ

がんばります

たとえば、彼女の隣に座ること
 冷めた珈琲をすすりながら、仕切りの向こうの隣席の会話に耳をそばだてる。男性の大きな声とたまに聞こえる女性の鈴を転がすような笑い声。健全な男女交際の見本のように清々しいやり取りが聞こえる。
 談笑が途切れ、椅子から立ち上がる物音が聞こえる。そして隣席の男女がこちらの席の横を通っていく。洋装をして西洋風に髪をなでつけた男性に上等な着物を来た長身の女性。男性より女性の方が上背がある。男性は西洋の紳士がするように女性を先導する。出口に向かい、店の出入り口の扉についた鈴が店内に響き渡る。
 しばらくすると、出て行ったはずの男性が戻ってきて、自分の向かいのソファに座る。
「どうだった!?」
「今更だが、藍桐。人に出歯亀をさせるな」
「だって、二人きりの時のナツメさんの様子を見てほしかったんだよ!」
 何故、喫茶店で出歯亀をしていたのか。藍桐から、婚約者の四阿ナツメとの会話の様子を見てほしい、という依頼だったからだ。ナツメ嬢とは一度紹介にあずかっている。おしゃべりではないが、明るく、藍桐に似合いの女性だと思った。
 藍桐の話を聞くかぎり、良好な関係を築けているようだった。しかし、決して珍しいことではないのだが藍桐は女性経験がない。だから、自分が男として認められているか不安なようで、出かけている様子を自分に見てほしい、と依頼してきた。
「で、どうだい!?」
「ほとんど君の声しか聞こえなかったが。たまに聞こえる笑い声は演技をしているようには聞こえなかった。最後にすれ違った時も無理をして笑っているようには見えなかった」
「そう!? ホント!?」
「私の見る限り、だがな」
「无諦が言うなら大丈夫だろう!」
 藍桐は安心したようにソファの背もたれに背を預ける。
「大丈夫だ。四阿の家とも上手くやれているだろう。じきに良き日を迎えられる」
 私の言葉に藍桐は心底安心したようにふにゃとした笑顔を見せる。
「良かった! 宇津木の因子を継ぐ子を産んでもらう相手だからね! この良縁は絶対にものにしなければ!」
 我々の計画を始めた際に、至高天の先を目指す旅路の指針とは別に、それぞれ子を成し原田と宇津木の因子を継がせることを決めていた。そして、その子を産むのに相応しい女性を娶ることも。藍桐にとって見つけたのが、四阿ナツメということだ。なので、いずれくる藍桐の結婚は自分の計画の一つでもある。
(だが、いざ近づいてみると)
 少しの寂しさもある。たとえば、彼女の隣に座ること。それは、自分の横には座らないことだ。今まで、ずっと占めていた彼の隣が自分以外の人間のものになる。自分は男で、彼も男だから、配偶者を娶るということは必然的にそうなる。
「无諦、気が早いんだけど、僕の子供の名前を考えてくれないかい? しかるべき因子を孕んだ宇津木の家の子の名前を!」
「ああ、いいな。これから私の家に行って考えるか?」
「それはいい!」
 藍桐は顔の横でぱちんと手を打ち鳴らす。今にも歩き出したい、というように腰を浮かす。
(いずれ彼の隣で骨を埋めるのが私だけでなくても。今、彼が隣にいたいのは私なのだから、それでいい)
 藍桐を隣における時間をもう少しだけでも増やすため、喫茶店を後にした。