零ミリ
2026-04-26 18:26:40
39322文字
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輝石と筆跡2026毎日ワンライ

がんばります

君が隣りにいるだけで、何もかもが輝いて

 カリカリ、と万年筆が原稿用紙の上を走る様を眺める。无諦の部屋で、无諦は執筆し、自分はそんな无諦を見つめている。人二人分離れていると、横からでは文章の正確なところまでは読み取れない。まだ読めないが、いずれは読めるだろうし、きっと素晴らしい文章だろう。万年筆の先を追っていると、无諦の手が止まった。肘をつき、目を閉じて思考に沈む。動きなく、思考を巡らすその横顔も見ていてまるで飽きない。
 无諦と出会って初めて、自分が何もしなくても相手が行動しているだけで楽しい、嬉しい、という感情を知った。もちろん、无諦が脚本を書き、自分がその脚本を演じ踊るということが最も楽しいのだが、その幕間に无諦が筆を滑らす横顔を眺めるのは大変心が踊る。
 次はどんな展開が待っているのだろう、自分にどのような試練が与えられるのだろう、无諦が紡ぐ脚本を夢想している間は、客観的事実として自分は何も行動していない。軍医を志してからというもの、一秒として無駄な時間が存在しないよう、生きてきた。誰かの脳内にある物語について夢想するなど、かつての自分にとっては無駄の極みであったが、无諦に出会ってからは砂糖菓子のような甘美な愉楽の時間であると知った。
(无諦はすごいなあ)
 君が隣にいるだけで、何もかもが輝く。凡人ならばただの時間の浪費になる空想の時間も、長大な喜劇の幕間のスパイスとなる。
「藍桐」
 无諦が僕の名前を呼ぶ。目は開いているが、視線は原稿用紙に向かいこちらは見ない。視線は寄越さずに、手招きする。无諦の隣に四つん這いで近寄り、彼の手の下へと頭を差し出す。わしゃわしゃとこちらを見ることもなく、无諦は僕の頭を撫で回す。
 无諦は執筆中、僕の頭を撫でることが好きらしい。手をにぎにぎと握ることもある。おそらく、鉛筆を回すことの亜種。愛玩でも、无諦の役に立てることは嬉しい。それに、恋人であれば触れ合うことを拒めようか!
 まるで犬ような姿勢で頭を差し出し続ける。しばらくすると、无諦の手が止まった。
「藍桐、散歩に出かけよう」
「うん!」
 いい続きが思い浮かばなかったのだろうか。まあ、そういうこともある。无諦の言う通り、外に出かける支度を始める。
 无諦の家を出て、近所を歩き始める。行き先は无諦の心のまま。道行く家の庭先には初夏らしく青々とした木々が並び、可愛らしい花も咲いている。花に誘われているのだろうか、蝶や鳥も羽ばたいている。薬を家業としていると、植物には自然と通じ、蝶や鳥など動物にもいくらか知識がつく。そんな知識を披露していると、无諦がくすっと笑う。艶やかであるけれど、どこか子供っぽいような愛おしい笑みだ。
「君は物知りだな」
「そんな! 无諦に比べれば僕なんて!」
「知っている領域の違いだな。君といると、自分一人では知り得なかった世界が拓ける。君が隣にいるだけで、世界が輝くようだ」
 无諦の言葉にふわっと多幸感に包まれる。僕が无諦の世界を輝かせているなんて! こんなに嬉しいことがあるだろうか!
「えへ、えへへへっ!」
「嬉しくて言葉もないようだな。ああ、新しい知識に触れていたら良い発想が浮かんできた。帰ろう。きっとすぐに君に見せてあげられるよ」
「やったあ! 応援してるよ、无諦!」
 踵を返し、无諦の家へと歩みを戻す。今日も世界は輝いている!