torino_y
2025-07-01 21:55:45
41225文字
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文披き2025

2025年7月に参加した企画「文披き」で書いた『九宝のせかい』短編のまとめです


Day3:鏡


 聖樹せいじゅの森にあるローランドの屋敷はかなり広い。外観からして大きいのだが、中に入ると見た目以上に広く、外から見たときは突き当たりだったはずの廊下の先に部屋が続いていたりする。家主のローランドが言うには、魔法を使って物理的には存在しない空間を作り、屋敷に連結しているらしい。ウィリアムにとっては分かるような分からないような説明だったが、ウィリアムが持っているウエストポーチも明らかに入るはずのない質量を保存できる魔法のポーチなので、九宝の手にかかればまあそういうこともあるのだろうと深く考えないようにしている。
 その広い屋敷を初めて訪れたとき、ウィリアムはローランドから「屋敷の物に不用意に触らない方がいい」と忠告された。
「え、もしかして結構高価な調度品を使ってるのか?」
「値段のことは知らないけど、危ないから」
 その件に関してローランドからそれ以上の説明はなかった。ウィリアムは疑問符を浮かべつつも特に逆らう理由はなく、屋敷を訪れたときは必要な物以外には極力触らないようにしていた。
 ところが先日、ひょんなことから屋敷にある鏡に触れてしまって、危ないという言葉の真意を知ることになった。
 その日はローランドの弟であるエドワードに付き合って、一晩屋敷に泊まることになっていた。あてがわれた客室で夜中にふと目が覚めたウィリアムは、何かが自分を呼んでいるような感覚がして一人ベッドから抜け出した。不気味には思ったが、だからこそ確かめずに寝直すこともできず、ウィリアムはその感覚に従って静寂に包まれた屋敷の廊下を歩いていった。
 そうして辿り着いた部屋には姿見が一つ置かれていた。表面が白く曇っていて写りの悪い、いかにも古そうな鏡だ。その鏡の目の前に立って確信する。自分を呼んでいたのはこれだ。
 何をすればいいのかは自然と分かっていた。ウィリアムは部屋を見回して手頃な布切れを見つけると、それを拾って再び姿見の前に立った。布を鏡の表面に当ててゆっくり拭って——そこで横から現れた手に腕を掴まれて、ウィリアムは意識が急激にクリアになったのを自覚した。なぜ自分は夜中にわざわざ起き出して他人の家の鏡なんて掃除しようとしてるんだ。
 ウィリアムの腕を掴んでいるのはローランドだった。新月の夜の暗闇の中で、深い水を思わせる青色の瞳が月明かりに照らされたように光を放っている。
「何してるの」
「あ……えっと、俺もよく分からないんだが……
……これ、見て」
 そう言ってローランドは姿見の方へ顔を向けた。ウィリアムもつられてそちらに目を向けて、さっきまで手にしていた布が半分ほど鏡に飲み込まれているのを見つけて言葉を失った。鏡の表面はまるで水面のように、布を飲み込んだところを中心に波紋を生じていた。
「君が直接鏡に触っていたら、君は今ここにいなかっただろうね」
……
「命拾いしたね」
……触ると危ないって、そういうことかよ」
 そのあと、ウィリアムを元の部屋まで送り届けたローランドがあの姿見をどうしたのか、ウィリアムは知らない。だがそれ以来、ウィリアムはあの姿見を屋敷の中で一度も見かけていない。姿見があった部屋までの道順も覚えていないし、同じ部屋に辿り着けていないだけなのかもしれない。もしあの姿見に直接触れていたら——鏡の向こう側に飲み込まれていたらどうなっていたのか、命拾いしたとはどういう意味なのか、ウィリアムはその問いの答えをローランドに確かめる勇気を持てずにいる。

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