Day1:まっさら
「陛下の側近にスカウトされた当初は何の知識もなくまっさらな状態でしたから、それはもう大変でございました」
目の前でマンマルブタのステーキを切り分けながら、カイルは懐かしそうに目を細め、己の過去を振り返っていた。カイルは
竜の
国の国王であるルシウスの側近になってから、もうすぐ十年になるベテランだ。いつ誰に対しても礼儀正しく、仕事ぶりも文句の付け所がない。どれだけ忙しい状況でも涼しい顔を崩さず、何でもそつなくこなす有能な人物、というのがウィリアムの中のカイルの姿だった。
だからカイルの向かいに座ったウィリアムはその思いもよらない発言に、大好物のマンマルブタを切り分ける手を思わず止めてしまった。
「
……カイルさんでも苦労することがあるんですね」
「陛下の脱走癖にはいつも苦労しておりますよ」
「あーまあそうでしょうけど
……そういうのじゃなくて。俺がカイルさんと最初に出会ったときはすでに完璧でしたし、苦労してるところとか想像できなくて。たとえばどんなことが大変でした?」
「そうですね
……」
カイルは考えるように、天井から吊り下げられた丸い装飾を見つめていた。その間にウィリアムは目の前にあるステーキの存在を思い出し、大きめに切った肉を口に入れた。ジュワジュワな肉汁が口いっぱいに広がって美味い。ウィリアムが好物を堪能しているうちに、答えを見つけたカイルが再び口を開く。
「特に大変だったのは、言葉遣いと所作でしょうか」
「本当ですか? 元々そうだったくらい自然にやってるように見えますけど」
「恐れ入ります。しかし私は漁師の家に生まれ、ここに来る前は
竜騎士でしたので、きちんとした言葉遣いも所作も、身につける機会はございませんでした」
言い終えたカイルは優雅な仕草でステーキを口に運んだ。その動作はどこをとっても寸分の隙もなく、幼少より良い家柄に生まれ育ったと言われても何の疑いもしないだろう。ウィリアムも数年ほど
竜騎士団にいたことがあるが、少なくとも自分の知る
竜騎士たちの中にここまで見事な所作で食事をする者は一人もいない。元々身についていたものではないのなら、ここまで自然に振る舞えるほど身体に沁み込ませるには相当な訓練が必要だろう。
「じゃあ、どうやって身につけたんですか?」
「
竜王に長年仕えていらっしゃる使用人の方にご指導をいただきました。それはもう大変厳しくて
……あ」
突然カイルが顔色を変え、口を隠すように片手で押さえた。キョロキョロとあたりを見回して誰かを探しているような素振りを見せている。しかし、唐突なその挙動に困惑しているウィリアムの表情に素早く気づいたカイルは一度固まった後、仕切り直すように咳払いをしてから話を再開した。
「申し訳ございません。この店は
竜王城からも近いので、誰か知り合いに聞かれたかもと思ってつい
……」
「いえ、ちょっと驚きましたけど
……聞かれたらマズいんですか」
「マズいと申しますか
……当時あの方にご指導をいただいていたときの記憶が蘇りまして
……」
声を潜めて周囲を伺うようなカイルの様子から、ウィリアムはなんとなく事情を察した。当時、まっさらな状態のカイルを指導してくれたその使用人は相当スパルタだったのだろう。その甲斐あって短期間で見事に国王側近としての立ち居振る舞いを身に着けたカイルだったが、代償としてその使用人にはすっかり頭が上がらなくなったといったところか。国王が相手でも全力で追いかけまわすというカイルにそんな相手がいるというのは、なんとも意外な話だ。
「なんか面白そうなので、今度その使用人の人に会わせてくださいよ」
「ちょっと、からかうのはやめてください」
ウィリアムの悪戯っぽい発言に、カイルは普段より軽い口調で困ったように笑って返した。
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