図書館
次に私たちが入ったのは図書室だった。
木製の扉を開けるなり、むせ返るような本の匂いに包まれる。天井までうずたかく積み上げられた知識の山と、棚に収まりきらない啓蒙の大波に、私は改めて圧倒された。
どこから手をつけたらいいだろう?私はこの中で一番頼もしい改瀬さんを見遣った。
「み、皆さん、私はもうダメです。私を置いて先に進んでください
……!」
改瀬さんは、12巻のシリーズ物の1冊目に震える手を伸ばしていた。1冊1冊が鈍器のような厚さだ。絶対に幾夜も帰ってこない。
清忌さんはゲームが好きで
……
「改瀬さんは本が好きなんだね?」
本という本を集めた大図書館の威厳をまえにして、何のためらいもなく、子供のように無邪気でいられるのはある種の才能だ。
無垢な手で一冊掴みとった改瀬さんは、顔を上げると、喜びを隠しきれない声で返した。
「はい!だってだって、ヤバヤバのスゴスゴじゃないですか!」
「ヤバヤバの
…スゴスゴ。」
異常に興奮した改瀬さんの言葉を、小栄くんが繰り返した。
「本は永遠のオーパーツですよ。作者の思想が、登場人物の言葉が、時代と国境と次元を跨いで伝達されるんです。インクと紙だけでできたタイムトラベルマシンかつテレポーテーション装置。しかも読まれる度に蘇るんですよ?本は不死鳥でもあるんです。マジでヤバすぎます」
彼女は本を胸に抱きしめると、瞳に知の喜びをたたえて、金糸で織られた二本の三つ編みを揺らしながら、くるりくるりとワルツみたく回ってみせた。深緑のプリーツスカートが美しい波を作りだし、白い膝が躍る。
好きなものに夢中な瞳はこんなにも綺麗なんだ。好きなものを語る頬はこんなにもふっくりとして温かく微笑むんだ。改瀬さんを見てそう思った。
「ふふ、確かに。ワクワクするね。」
私はつい微笑み返した。
「逆に皆さんは本読まない派ですか?」
私が答えを躊躇う間に、清忌さんが即答した。
「I don’t. 超高校級にそんな時間はない」
「私も
…たま〜に読むくらいかなぁ
…」
「ええ!もったいない。ワタシは最早書きたいくらい好きですよ」
すると小栄くんがどうにか話を続けようと気を遣って、本棚に目を走らせると、足元に咄嗟に何かを見つけて「あっ、あった!」と飛びついた。
「俺、これ!」小栄くんは本を高く掲げる。
「『オペラ座の怪人』?」改瀬さんが題名を読む。
「
……の、映画は唯一知っとる」
「映画ですかぁ!」
改瀬さんが嬉しいとも惜しいともつかない声を出した。
「音楽の先生の家にお泊まりしてて、そんとき見してもらって
…全部凄くて
……泣きすぎて吐きそうになったもん。これはホント。」
「それちゃんと観れたんですか
……?」
両親と一緒に舞台を観に行ったのが懐かしい。小さなころだから内容はほとんど記憶に残らなかったけれど
……シャンデリアと音楽だけは覚えている。それにしても超高校級の音楽家らしいチョイスだ。
好きなものを共有して打ち解けたところで、私たちは広大な図書館の探索に取りかかった。
結果として、脱出の手がかりは見つからなかった。
強いて私たちにできたことといえば、床が僅かばかり片付いたことだけ。
この図書館は棚の上のスペースまで本がぎっちり置かれているけれど、そこに唯一違う棚があった。一つの棚だけ例外的に、上が空っぽだったのだ。なので、私と小栄くんで協力して、床に余っていた大量の本を棚の上に並べて整理整頓してしまったのだ。
そうそう、その棚の足下の床には、重く硬いものを引きずったみたいな跡が残されていた。まるで一輪車をコンパス様に回したみたいだ。本を整理するときか、棚を動かしたときについた傷かもしれない。
何の成果もなかった。
けれど、コロシアイのことを考えずにいられた。
忘れてしまえるくらい、みんな良い子たちだから。
改瀬さんは、明るくて真面目で頼もしい。その情熱的な声を聞くと、私も頑張らなきゃって勇気づけられる。
清忌さんは、ちょっとミステリアスだけどとても素敵な子。こんな混乱しきった状況で、第二言語でしかコミュニケーションが取れないなんてきっと苦しい。それでも彼女はずっと私たちとの会話に積極的だ。尊敬できる凄い人だと思う。
小栄くんは、賑やかで優しい人。彼のコミカルな振る舞いのおかげで場が盛りあがり、自然と心地よい空気が流れだす。私たちがずっと良い雰囲気を保てているのは、彼の助けもあるはず。
この三人の中に、人を殺しそうな人なんていない。
もちろん、私も。
みんなのように立派ではないものの、この子たちを殺そうなんて考えられない。
多分、私たちは、私たちなら、良い子のままでいられると思う。ちょうど神様が正しさに報いるように、状況が改善され、何かとびきりの良い方法が見つかり、私たちは奇跡の脱出を遂げるんだと思う。そうなるはずだと漠然と信じている。悪いことなど起こらないと考えている。
体育館への帰り、清忌さんは分厚くて重たそうな本を抱えていた。
「その本、どうしたの?」
私が声をかけると、彼女は相変わらず独特のイントネーションでたどたどしく答えた。
「日本語の辞書。一緒の生活のために、わたしは日本語を勉強しないと。コミュニケーション、大事でしょう」
そんな健気な返答を聞いた小栄くんが、親しみの笑顔を浮かべて励ます。
「さっすがレナちゃん!意識高いね。でも、無理して勉強しなくても、レナちゃんはちゃ~んと俺らの仲間だから。」
ここまで共に探索してきた私にはなんとなく理解できていた。彼が清忌さんの前となるとわざわざ関西弁を使わないようにして、しかもゆっくり発話するのは、外国人の清忌さんのためなんだ。
「そーですそーです!困ったときはワタシがアナタを助けますからね!」
超高校級の通訳士の改瀬さんがドンと胸を叩いた。その表情は自信に満ちあふれている。
「ありがとう」と清忌さんは微笑んだ。
その笑顔は、ゆるりと下がった目尻は、マスク越しでも柔らかく優しい印象を与えた。
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