目の前の隻眼の男性が、私のひとりごとに視線を険しくした。その反応に、私まではっとする。声に出していたつもりはなかったけれど、思考がそのまま駄々洩れになっていたらしい。疲れているのか、いろんな部分の制御ができなくなっている。
「きみは……」
かすれてか細い小さな声で、イレイザー・ヘッドがゆっくりと言葉をつむいだ。背もたれにすべらせるようにして、少しずつ身体を起こしている。話すのもしんどいのだろうか。私はさらに近づき、慌てて頭を下げた。
「い、いきなり声をかけてしまってすみません。その、あの……、苗字といいます。雄英のちかくの女子高に通っています。ここにはその、知り合いのお見舞いで……」
しどろもどろになりながら、どうにか自己紹介らしきことをした。イレイザー・ヘッドの視線を受けていると、なぜだか妙にどきどきして、きちんと全部話さなければという気分になってくる。
「俺のこと知ってるのか」
「はい。ええと……以前にニュースで、記者会見を見、いえ、拝見したことがあって、それで」
ああ、とほとんど吐息のような声を、イレイザー・ヘッドが洩らした。
ヒーローのことをほとんど知らない私が彼を知っているのは、彼がただ一度だけ顔を出した記者会見を、私がテレビで見ていたからだ。
昨夏、爆豪くんが敵連合に拉致された事件のとき、イレイザー・ヘッドはカメラの前で深く頭を下げていた。担任としての己の至らなさを謝罪し、そのうえで、爆豪くんという自分の受け持つ生徒への信頼を、はっきりと聴衆の前に示した。
その姿が、ひどく印象に残っている。だから、知っていたのだ。ヒーローとしての彼ではない。爆豪くんの担任としての彼を。
このセントラル病院には現在、プロヒーローも多数入院している。そのことはたしかに聞いていたけれど、まさかイレイザー・ヘッドが入院しているとは思わなかった。それも、見るからに大けがを負ったと思しき風体をしている。
彼もまた、あの日の蛇腔にいたのだろうか。そんなことを思いながら何気なく視線を動かし、ぎょっとした。
顔の半分を覆った包帯にばかり気を取られていたけれど、車いすに座ったイレイザー・ヘッドの、ズボンにおおわれた右足は、裾から先がそこに存在していなかった。ズボンの布地が車いすのフットステップの上で、ふらふらと揺れている。スリッパを左足に履いている一足のみだ。
ヒーロー音痴の私だけれど、イレイザー・ヘッドのことだけは多少詳しく知っている。もっとも、すべてはネット上で拾った知識にすぎず、またイレイザー・ヘッドについてネットに出ている情報は、驚くほどに薄っぺらだった。
ネットで知りえたのは彼の個性と、基本的な戦闘スタイル、ヒーローとして参加した敵退治の経歴の一部など。そのとき調べた情報のなかには、手足に不自由があるという記述はなかったはずだ。私が見落としただけかもしれないけれど、書いてあればきっと気付いたに違いない。
元からではない、と思う。
「……俺に何か?」
低く問われ、私は言葉に詰まった。別にイレイザー・ヘッドに用事があるわけではない。ただ偶然、この場に居合わせてしまっただけだ。彼だってひとりでここまで来たわけではないだろうし、病室から付き添ってきたひとが、きっと近くにいるはず。
初対面のけが人を相手に、話さなければならない話題など、私はひとつも持っていない。
それなのに、気付いたときにはなぜか、私は彼に話しかけていた。
「けが……、大丈夫、では、ないですよね……すみません」
言いかけた言葉を、自分自身で否定した。どこからどう見ても大丈夫ではないひとに、私は一体なにを言っているのだろう。
イレイザー・ヘッドは、じっと私を見上げている。車いすに座っているから、視線の高さは私の方が高い。気づまりな沈黙ののち、彼はそっと口を開いた。
「今の医療技術は進んでいるから、どうにかこうして生きていられる」
そして戸惑う私に向けて、
「もっとも、この右目だけはどうにもならんが」
ぼやくように言う。
「あ、そうか……。目って、個性が、」
イレイザー・ヘッドが、長くまばたきをしてから、じろりと私を見た。その詰め寄るような視線に、どきりと嫌な緊張を強いられる。なぜ個性を知っているのかと思われたのだろうか。隻眼にもかかわらず、いや隻眼だからこそなのか、イレイザー・ヘッドの視線はひどく強く、重たい圧を持っている。
「……そうだな。困ったもんだ」
そう言って、イレイザー・ヘッドは溜息を吐く。
「右足も義足になることだし、ゆくゆくは義眼なりなんなり、考えることもあるのかもしれない。ただまあ、今はとりあえずそれどころではないんでね」
義眼。なるほどたしかに、隻眼では何かと不便もあるだろうと思う。日常生活はもちろん、ヒーローとしての活動を継続することにおいても。
しかし、とそこで私は思い至る。たとえ義眼を用いたところで、視力が戻るわけではない。まして、イレイザー・ヘッドの場合はそこに、個性の使用の可否も絡んでくる。眼球ともなると、腕や足のような運動器官を義肢に置き換えるのとは訳が違う。
「あの……、ぶしつけなことを聞いて申し訳ないんですけど、その、でも、義眼では個性は」
「使えない」
短く言い切られ、私は自分から聞いたことにもかかわらず、情けなくもひるんでしまった。
やはり、という気持ち以上に、イレイザー・ヘッドがたった一言発した「使えない」という言葉の裏側にある、とてつもない大きさの覚悟の片鱗を垣間見たような気がして、はからずも気圧される。
やはり、そうなのだ。左目が残っているとはいえ、右目を失ってしまえばイレイザー・ヘッドのヒーロー活動が大幅に制限されることに変わりはない。個性があったところで、それを発現させる器官がなければ、個性がないのとまったく変わりはない。
足を失えば義足をつければいい。今の医療技術では、ほとんどの器官は代替を用意することができる。尻尾や鱗といった本来の人間──ベーシックな人間に存在しない器官すら、現代医療では代替可能になっていると聞いたことがある。
そう、代替可能なのだ。いずれは視力を持った義眼すら、開発されることになるのだろう。それは福音だ。ただ一点、代替された器官を用いて個性を使用できないという、ヒーローにとって死活問題ともいえる問題さえのぞけば。
「きみは医療職を志しているのかな」
ふいに、イレイザー・ヘッドに問われる。いつのまにか、自分のなかに発生した思索に没頭していたらしい。はっと我に返って、慌てて私は返事をした。
「え? いえ、そういうわけではないんですけど」
「そのわりに、さっきからいやに熱心に考え込んでる」
「すみません、失礼でしたよね」
頭を下げて謝る。イレイザー・ヘッドはいいとも悪いともいわず、野菜の品定めでもするような冷えた視線で、私のことをただ眺めていた。
爆豪くんのことを受け持っている担任は、なるほどこういう人なのだ。彼の冷ややかな視線にさらされながら、私は思い知った。私の知る教員という人種とは、まとう雰囲気がまったく違っている。
それでも、イレイザー・ヘッドからは、怖さのようなものを、不思議と少しも感じなかった。それは多分、彼の印象がいちばん最初の記者会見のときに、ある程度固定されているからだろう。私が彼に抱くイメージのうち、もっとも強いのは「生徒思いの先生」なのだ。
周囲をぐるりと見回してみる。イレイザー・ヘッドの付き添いらしき人影は、まだどこにも見当たらない。重傷の相手をあまり疲れさせるのもよくないかとも思ったけれど、イレイザー・ヘッドは意外にも私との会話を厭うような素振りは見せない。それどころか、むしろ積極的に話すように促されているとすら感じた。
逡巡ののち、私は口を開いた。
「じつは最近、身近な人が大きなけがをしたので……、その、ついついそういうことをいろいろ、考えてしまうというか。すみません、こんな興味本位な感情で、ケガをしているのに話に付き合わせてしまって」
「まあ、近しい人間がケガをおったなら、動揺するのは当然のことだ。きみはまだ子どもだしな、ショックを受けても仕方ない」
「はは……、そう言っていただけると、少し落ち着きます」
それでも、これ以上イレイザー・ヘッドにまとまらない思考をぶつけるのは、さすがによくないだろうと感じた。今でさえ、すでに無理に付き合ってもらっているようなものだ。これ以上は本当に、イレイザー・ヘッドの身体の負担になりかねない。
「話に付き合っていただいて、ありがとうございました。あの、お大事にしてください」
「うん」
少し離れたところから、金髪の男性が足早にこちらに向かってくるのが見えた。きっとイレイザー・ヘッドの付き添いのひとだろう。私は話を切り上げた。
金髪の人と入れ替わるように、私は頭を下げる。
「そうだ、えっと……、頑張ってください。応援してます」
最後にそれだけ伝えると、私は爆豪くんの病室に向かうため、急いでエレベーターホールへと向かった。
★
「悪ィな。電話、校長からだった」
戻ってきたマイクが、俺に一声かけてから車いすのハンドグリップを握る。検査のために病棟を移動する途中、マイクに緊急の連絡が入ったので、しばらくひとりで待っていたところだった。まさかその待ち時間のあいだに、俺が女子高生相手に世間話をしているとは思わなかったのだろう。俺だって、多少驚いているくらいだ。まさか、こういう展開になろうとは。
去っていった苗字という女子の後ろ姿に視線を送りながら、マイクは車いすをゆっくりと押した。すべるように車いすを進めながら、俺に問いかけてくる。
「さっきのガール、ありゃ知り合いか? おまえのファン……ってこたないよな、おまえに限っては。生徒の誰かの姉妹かなんかか?」
「爆豪の彼女だ」
「ハ!? 今のが!?」
車いすが急停車して、身体がすこし揺れた。マイクが背後を振り返り「まじかよ」と呟くのが聞こえる。もうその姿は見えないのだろうが、まあ、そう言いたくなる気持ちは分かる。
爆豪の彼女は静岡在住。この世間の混乱した状態で、よくもまあ千葉まで見舞いにきているものだ。そもそも、家族でも関係者でもないのに病院に入館することが許されているということは、爆豪の家族の口利きがあったのだろう。高校生の恋愛どうこうで、まさかそこまで深い付き合いをしているとは思わなかった。
「こんなとこまで、よくもまあ、わざわざ来たもんだぜ」
呆れているのか感心しているのかよく分からない声で、マイクがやけにしみじみ言う。さっきの様子からして、今はじめて病院に到着した、という感じではなかった。となると、通っているということになるのだろうが、女子高生が連日新幹線で見舞いに来られるとも思えない。こちらに定宿でもあるのか。
「世間はまだ春休みだからな」
「そういう問題かよ……?」
今度は本当に呆れた声音のマイクを無視して、俺は視線を通路の先に向けた。痛み止めで鈍麻した思考のなかで、先ほど聞いた「頑張ってください」という言葉がリフレインする。自分の生徒と、それから壊理ちゃん以外の子どもにそういう言葉を掛けられたのは、ずいぶん久しぶりのことだった。
「……最後まで、爆豪の彼女とは名乗らなかったな」
子どもはもっと、子どもらしくしていればいいものを。そう考えたところで、右目の奥が鈍く痛んだ。
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