ノックをして病室に入ると、爆豪くんはなぜか病室のなかを、ひとりですたすた歩き回っていた。点滴がついたスタンドを犬の散歩みたいに引き回して歩いているその姿に、私は思わず悲鳴をあげた。
「うわっ、ちょっ、何してるの」
「見りゃ分かんだろが、リハビリだわ」
「いや、リハビリって。そういうのは、ちゃんと人がついて一緒にやるんじゃないの?」
「早期離床しろってうるせえのは医者のほうだ」
「多分だけど、ひとりで縦横無尽に歩き回れって意味で言ったんじゃないと思うよ、それ……」
本人の元気が有り余っているのはいいことだけれど、これでぶっ倒れでもしたら元も子もない。私ははらはらしながら、爆豪くんのそばに駆け寄った。いざとなったら身を呈して、ぶっ倒れた爆豪くんの下敷きになる覚悟をする。
「てめえ、なめとんのか」
「なめてるとかではなく、自分の安静度を考えてほしい」
ついこの間まで面会謝絶だった人間が、いきなりひとりで立って歩いていいはずがない。私にできることは、ナースコールで爆豪くんの暴挙を告げ口するか、我が身を犠牲にするかのいずれかくらいだ。
そんな私の覚悟を知ってか知らずか、爆豪くんは舌打ちをひとつ打つ。そして、
「病室からは出てねえ」
と、言い訳なのか何なのかよく分からないことを口にした。それは単に、病室から出ているところがバレたら怒られるだけでは、と思ったけれど、今日のところは言わずにおく。
ともあれ、私の必死の説得の甲斐あってか、爆豪くんは自主自立の精神に溢れすぎているリハビリを、一時中断してくれることに決めたらしい。
ごろごろと点滴スタンドを引いた爆豪くんは、まるで怪我などしていないとでもいうような力強い歩調で、ベッドまで歩いていく。そしてそのまま、すとんとベッドに腰をおろした。そこまで見届けてようやく、私は安堵の息をもらす。ひとまず、座ってくれたことにほっとした。本当に、心臓に悪すぎる。
「立って歩くにしても、せめて光己さんか誰か、そばに人がいるときにすればいいのに」
「ババアがいたところで役に立ちゃしねえわ」
「口が悪いよ爆豪くん」
ハン、と爆豪くんが鼻を鳴らす。今日はうちの母がいないので、口の悪さを隠そうともしない通常営業だ。
とはいえ、爆豪くんがリハビリを急ぐ気持ちも、まったく分からないではなかった。
私のような小市民と違って、爆豪くんは未来を嘱望される雄英高校ヒーロー科の生徒だ。そしてこれだけの大けがを負ってもまだ、彼はヒーローになる夢を諦めていない。本人に直接聞いてはいないけれど、爆豪くんのことだから、絶対そうに決まっている。
静岡県内の学校は、どこもまだ授業再開の目途が立っていない。それはもちろん雄英高校も同じ。だから爆豪くんがここで療養しているあいだに、ほかのクラスメイトに差をつけられるなんてことは、きっとないのだと思う。
それでも爆豪くんは、一秒でも早く日常に戻りたいのだろう。ヒーローになるための訓練に明け暮れる、爆豪くんにとっての日常に。
「爆豪くんは義肢にしようって、少しも思わなかった?」
ふと思い、私は尋ねた。ベッド上で身体の動きを確認していた爆豪くんは「あ?」と一瞬不審げに目を細めてこちらを見たあと、すぐに視線を手元に戻した。そのまま手を休めることなく、私の質問に答える。
「思うわけねえ。義肢にするっつーのは要するに、片腕個性が使えなくなんのと同じだろ」
「ああ、そっか。爆豪くんもそうだ」
ミルコの話を思い出し、私は頷いた。もちろん私とミルコのやりとりを知らない爆豪くんは「もって何だ、もって」と眉を寄せていたけれど、意外にも深くは突っ込んでこなかった。
「メカメカしてんのは嫌いじゃねえ。他人の手足についてんの見りゃ、イカすなと思うこともある。つーか実際、やられてたのが足だったら、俺も考えてたかもしんねえ」
「なるほどね」
爆豪くんの話を聞きながら、私はふんふんとうなずいた。
それにしても、今日の爆豪くんはすごい。思いのほか、すらすらと話をしてくれる。義肢の話にしても、てっきり「関係ねえだろ」とか言われるかと思ったのに、真面目に回答してくれた。
前回の入院時に静かに私をいさめたのとも、少し違う。大人びたというのか、まるくなったというのか。いずれにしても、今日だけの気まぐれではないのならば、いい変化であることには変わりない。
中学時代の爆豪くんと比べれば、一年と少しですっかり見違えた。それでも多分、根っこにあるものが変わったわけではない。
私にはうまく言えないけれど、あれだけの大きな戦いと、そのためのさまざまな苦難を乗り越えてきたのだ。まったく同じ人間でい続けるほうが、難しいことなのかもしれない。
そんなことをつらつら考えていると、床頭台に果物籠が置かれていることに気がついた。そういえば今回、お見舞いの品と呼べるようなものは何も持ってきていない。母から光己さんになにか渡しているとは思うのだけれど、私個人では何も用意しなかったことに、今更ながらに気がついた。
「爆豪くんってまだ、飲食に制限あるんだっけ」
「ここで出されたもん以外食うなと」
「そっか。はやく何でも食べられるようになるといいね」
「なんでだよ」
「いや、特に理由はないけど。そういえばお見舞いにくるのに、何も手土産みたいなもの用意してこなかったなと思って」
私がそう言うと、爆豪くんはなぜか半笑いになる。
「おまえ、常に食いもん持参してんな」
「それは爆豪くんが私のことをたびたび呼びつけたりするからで……。爆豪くんだって私の家に呼ばれたら、お土産くらい持ってくるでしょ」
「知らねえ」
「とか言いつつ、吟味に吟味を重ねた美味しいものを持ってくるタイプなんだよね、爆豪くんは」
「無闇にハードル上げてんじゃねえ……」
「私の家はみんな果物系が好きだよ」
「聞いてねンだよ」
「いつかそういう時が来たら、参考にしてね」
「しねえ!」
「折中のちかくにある洋菓子店のゼリーとか、フルーツのタルトとか、そういうのが我が家はみんな好きだよ」
「だァから参考にしねえっつってんだろうが!」
中学といえば。
「というか、そういえば緑谷くんもここ入院してるんだよね? 今回こそお見舞い行けるかなぁ」
思い出したことをそのまま口にすると、爆豪くんがぴくりと眉を動かした。
「あァ? なんで根暗があいつの見舞い行くんだ」
「いや、なんでっていうか、知り合いだし……同じ病院にいるなら顔くらい出したいんだけど……。あ、でも迷惑かなぁ……」
爆豪くんならば緑谷くんの容態も知っているだろう。そう思い聞いてみると、爆豪くんはひどく不服そうな顔をする。
緑谷くんとのあいだにあった確執のようなものが、いまだに少しは残っているのだろうか。徐々に和解に近づいているとは聞いているけれど、それでもこの幼馴染ふたりのあいだには、根深いものを感じる。
けれど私の懸念とはうらはらに、爆豪くんは不服そうにしながらも、溜息まじりに言った。
「迷惑つーか……。いいんじゃねえの」
語尾が微妙にやわらかい。無理をしているわけではなく、本心から「いいんじゃねえの」と言っているのだろうと、そう思える調子だった。
「……いいんだ?」
「俺がどうこう言うことじゃねえだろ」
「それはそうなんだけど」
爆豪くんのことだから、私が緑谷くんのお見舞いに行くのも、もっと嫌がるかと思った。私の交友関係にモノ申すわけではなく、単純に緑谷くんの名前が出ること自体を、いつもの爆豪くんならば嫌がるはずだった。
大戦をともに戦い抜いたあとだけあって、心境の変化があったのだろうか。怪訝に思いつつ、私はかばんに手を伸ばした。
「そっか。じゃあ、連絡してみようかな」
さいわい、緑谷くんの連絡先なら知っている。病室では携帯の使用を禁止していないから、気付いたら返信をくれるだろう。
そう思い、かばんから携帯を取り出そうとすると、
「この時間なら下のリハ室に行きゃいんだろ。出久の野郎、俺よりリハビリのペースが早ェんだよ、クッソ……」
「傷の具合も違うだろうし、そこに関しては人それぞれだとは思う、けど……」
と、返事をしている途中で、はたと気付く。
「ていうか爆豪くん、緑谷くんのこと下の名前で呼んでるの?」
出久というのは、緑谷くんの下の名前だったはず。
「…………」
私の問いに、爆豪くんが黙り込んだ。
その様子を見るに、どうやらさっきの出久呼びは、私の聞き間違いではないらしい。
「な、なんで? いや、なんでっていうのは変か……。それで、いつのまに?」
「……根暗にゃ関係ねえだろ」
「関係はないだろうけども……」
苦虫をかみつぶしたように言う爆豪くんを、私はまじまじと見つめた。爆豪くんは頑として私と視線を合わせようとしない。
病室内に、しばし沈黙が流れる。
今のは、結構な衝撃だった。大戦の前あたりからあらゆる衝撃に襲われており、もうだいたいの衝撃は味わいつくしたのでは、とすら思い始めている私だったけれど、それでもこれは、数多の衝撃の中でもかなり上位に入る衝撃、衝撃中の衝撃だった。
え、うそ、いつのまに。いつのまにそんな、本来の幼馴染らしい距離感に。
唐突に見せつけられた爆豪くんの改心を、事実として受け入れるためには、それなりの時間を要した。当然だ。緑谷くんへの爆豪くんの当たりの強さ……より正確な表現をすれば悪質ないじめ行為は、正直今でも思い出すだけで眉を顰めたくなるようなものだったから。
どれだけ爆豪くんのことを好きだと思っても、許容できないことはある。そしてそれは、緑谷くん本人が爆豪くんへの怒りを表明していなかったこと、中三のある時期をさかいに爆豪くんが緑谷くんにちょっかいをかけなくなったこと、私に対する爆豪くんのカス対応がギリギリ常識の範疇におさまっていたことで、これまではうやむやになっていた部分でもある。
やっぱり爆豪くんは変わった。私の知らないところで、きっと今も、どんどん変わりつつある。
言葉を失っている私を無視して、爆豪くんはベッドに横になった。
「つーか根暗、おまえそろそろ母ちゃん来る時間だろ」
言われて慌てて時計を見る。
「え、もうそんな時間?」
「もう出ねえと出久の見舞い行く時間ねえぞ」
「うわ、本当だ」
それほど長居したつもりもなかったけれど、今日はびっくりの連続だったからか、思っていたよりずいぶん時間が経っていた。急いで帰り支度を始める私を見て、爆豪くんが悪態をつく。
「だいたい来んのが遅ェんだわ。どこほっつき歩いとったんだ」
「いや、ここに来るまでにいろいろあって」
「どうでもいいけど、出久のリハビリ邪魔すんなよ」
「それはもちろん気をつける」
なんだかあっという間のお見舞いになってしまった。本当に顔を見にきただけというか、慌ただしいことこの上ない。
「次に会うのは転院できてからかな」
「ん」
「光己さんたちにもよろしくお伝えしておいてね」
「するかバーカ。さっさと行け」
またしばらく会えなくなるというのに、爆豪くんの別れの挨拶はそっけなくて簡素、というか本当に口が悪い。
もしかして、私に出久呼びについて触れられたことが気恥ずかしかったのだろうか。いや、でも、触れないわけにはいかない。そのくらいインパクトのある事件だった。
いまだ衝撃を引きずりながら、私は爆豪くんの病室をあとにした。
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