柚子子
2024-10-04 11:19:34
174956文字
Public ベリーベリー
 
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微原作沿 爆豪長編(4)

サイトに掲載している長編の第四章です。今回の話から最終話までのネタバレ(コミックス未収録回)を含みます。

 爆豪くんと別れて、エレベーターで一階におりる。帰る前に少しだけ覗いてみよう、もし緑谷くんがいなかったら大人しく帰ろうと思っていたら、ちょうどタイミングよく、緑谷くんがリハビリテーションルームから出てくるところだった。ドアの前で、思いがけず鉢合わせになる。
 いや、この場合はタイミングがいいのか悪いのか。爆豪くんの出久呼びの衝撃から抜け出せないまま、当の緑谷くん本人と会うことになってしまった。
「緑谷くん、久しぶり」
 ひとまず、挨拶することにした。そして思う。これが、あの爆豪くんに名前呼びをさせる男の子か……
 よくよく考えてみれば、爆豪くんから下の名前で呼ばれている人間など、この緑谷くんくらいしか思いつかない。中学時代の取り巻きについても「カツキも俺のことかりあげって呼ぶよ。名前知らねえんじゃねえ?」とかりあげくん本人に言われていた。それもあって、私も彼をかりあげくんと呼んでいたのだ。
 そう考えると、緑谷くんってものすごい人なのかもしれない。幼馴染だからって、爆豪くんに呼び方を改めさせるというのは、たとえそれが爆豪くんから自主的に改めたものであったとしても、結構なかなか、相当だと思う。
 そんな緑谷くんはといえば、千葉に私がいることにも、私から声をかけたことにも、驚いた様子ひとつ見せなかった。
苗字さん! 本当に久しぶり」
 ややアバンギャルドになった髪型で、明るく笑うその姿に、こちらまで心が晴れやかになってくるようだ。が、挨拶がわりに手を挙げかけたところで、私は言葉を詰まらせた。
 きちんと緑谷くんの姿を直視した途端、目に飛び込んでくる包帯でぐるぐる巻きになった四肢。爆豪くんに負けず劣らずの様相に、さすがにひるむ。
 とはいえ、病室ではなくリハ室でリハビリをやっている時点で、爆豪くんに比べて予後がいいともいえる。比較対象が満身創痍で死にかけた爆豪くんな時点で、そんな比較は無意味はないかもしれないけれど、それでもだ。
 配信を見ていたから、彼が世界を救ったことも、負ったケガが軽いものではないことも、当然私は知っている。それでも目の前の緑谷くんの笑顔を見ていると、大戦の英雄という印象よりも、中学時代からの知り合いの印象の方が勝るのが不思議だった。中学時代の知り合いがめちゃくちゃな大けがで包帯ぐるぐる巻きになっていたら、そりゃあひるむ。
 リハビリテーションルームの前の通路で、久しぶりの緑谷くんと相対する。最後に会ったのは、夏休みだっただろうか。あれからずいぶん、いろいろあった。
「緑谷くん、見たよ配信。すごかった。もう、時の人だね」
「いや、そんな……
「戦ってくれて、守ってくれてありがとう。緑谷くんたちのおかげで、今こうやって笑ってられる」
 緑谷くんにもしっかりお礼を伝えておく。緑谷くんのことだから、照れたりするのかなと思ったけれど、彼はしばし無言のまま、何かを考え込んでいた。それから何かをしっかり受け止めたように、「うん」とひとつ、うなずく。
 軽いところの一切ない、誠実な首肯だった。ああ、緑谷くんは緑谷くんなんだな、と当然のことをなぜか今また実感する。
 緑谷くんもまた、まったく同じ人間のままではいなかった人なのだ。根っこは変わらないけれど、目に見える部分は大きく変わった。緑谷くんを出久と呼ぶようになった、爆豪くんと同じく。
「この時間だったらここにいるって聞いたから、少しでも会えたらいいなと思ってきたんだ。会えてよかった」
「そうなんだ。聞いたって、かっちゃんから?」
「うん。爆豪くん、リハビリで緑谷くんに先行かれてるってイライラしてた」
「そう言われても、かっちゃんはケガがケガだし」
「だよねぇ。競うようなものじゃないのにね」
 緑谷くんはちょうどリハビリが終わり、部屋に戻るところだという。迎えの看護師がくるはずだというので、その迎えを待つあいだだけ、少し話をすることになった。近くに置かれたベンチに、隣同士で腰掛ける。
苗字さんはかっちゃんのお見舞いだよね」
「そうそう。やっと面会できるようになったから。って言っても、そうそうここまで来られないから、次にお見舞いに来られるのは爆豪くんが転院できたあとになるんだけど」
「蛇腔のときも来てたんだよね。僕は会えなかったけど、クラスのみんなから聞いたんだ」
「ね、あのときは緑谷くんが面会謝絶だったよね。病室も教えてもらえなかったんだよ」
「ご、ごめん!」
「いや、実際大変だったんだろうし。今こうやって話せてるから、よかったなと思うよ」
 あのときはまさか、緑谷くんが大戦の英雄の筆頭になるなんて思いもしなかった。爆豪くんのことで頭がいっぱいになっていたというのもあるけれど、それ以上に私は、緑谷くんの努力を知らなかったし、知ろうともしていなかった。
 中学時代に見聞きしていた印象が、私のなかにはずっと残っていたのだと思う。緑谷くんは爆豪くんには勝てないひとなのだと、心のどこかで思っていた。申し訳ないかぎりだ。爆豪くんはとっくに緑谷くんを認めていて、並び立つ存在として緑谷くんを見ていたのに。
「爆豪くんと、和解したんだね」
 私がいうと、緑谷くんが照れているのか困っているのか、その真ん中あたりの複雑な表情を浮かべた。
「さっき爆豪くんと話してたとき、緑谷くんのこと出久って呼んでたから、びっくりしちゃった」
「ああ、うん。それもね……、なんというか、和解というほどのことは……いや、でもかっちゃんの心情的にはどうなんだろう、うーん……
「和解じゃないの?」
「謝ってもらったから、一応、和解ってことになる、のかな……?」
 微妙にはっきりしない表現だった。とはいえ、当人同士にははっきりとこう、と言い切れない、絡まりあったものがあるのかもしれない。
「そもそも僕、かっちゃんと喧嘩してるとか許してないとか、そういう感覚がなかったから、和解って言われてもピンとこないんだ」
「ああ、そっか。緑谷くんの側から見ると、そうなんだ」
 そんな言われ方をしてしまうと、爆豪くんは形無しだと思うのだけれど、とはいえ爆豪くんの自業自得でもある。突っかかっていくにしても、緑谷くんでは相手が悪かった、としか言いようがない。
 緑谷くんとのことは爆豪くんにとって、きっとずっと心のなかで燻り、重荷になっていた過去だったはず。だから緑谷くんと今の関係にいたる過程にあったものは、爆豪くんにとっては和解であり、もしかしたら禊とでも呼べるような何かだったのかもしれない。
 ただそれは緑谷くんの側からいえば、そこまで大袈裟なものではきっとなかった。その感覚の差は個人の問題だろうから、当人同士でも埋めることは難しいのだろう。まして、外野の私からしてみれば、勝手にいろいろ想像することしかできない。
 いずれにせよ、爆豪くんにとっての緑谷くんは、十年以上にわたってわだかまりを抱かせ続けたうえに、最終的には謝罪まで引き出したたったひとりの相手ということになる。そのうえ、謝罪をもって関係が終了、ということにもなっていない。このふたりの幼馴染は、きっとこれからも幼馴染であり続ける。
 それは単純に、すごいと思った。良くも悪くも、私はそこまで濃密な人間関係を築いたことはない。
「なんか、いいね。爆豪くんと緑谷くんのそういうのって、男の子って感じ。爆豪くんに謝るってコマンド使わせたのって、同学年だと緑谷くんだけなんじゃない?」
「え、かっちゃん、苗字さんには謝らないの?」
「うん。なんかいつも『これをもって謝罪と代えとけアホが』みたいな対応されて終わりになってる気がする」
「かっちゃん……
「私はつねに謝れやと思ってるけどね」
 緑谷くんの呆れ笑いを見て、私まで少し笑ってしまった。
 こうして緑谷くんと話をしていると、だいたいいつも爆豪くんの話題になってしまう。今だって本当は、大戦の話をするほうがタイムリーかつ普通なのだろうけれど、どういうわけか、いつも通り爆豪くんの話になっている。
 だから緑谷くんと話していると、いつも思い知らされる。緑谷くんは私なんかよりずっと、深く、長く、爆豪くんのことを知っている。
 この一年の間だって、私は爆豪くんの恋人ではあったけれど、一緒にいた時間はクラスメイトで幼馴染の緑谷くんのほうが、ずっとずっと長かった。爆豪くんにおよぼした影響も、私じゃきっと、緑谷くんの足元にも及ばない。
「今日爆豪くんに会って、なんていうか……まるくなったなって思ったよ。でも、今こうやって緑谷くんと話しているうちに分かった。そういう変化も、緑谷くんのおかげだったんだね」
 私が言うと、緑谷くんはきょとんとした顔をした。それから、
苗字さんがそう思ったとしたら、それは僕ひとりが、かっちゃんをそうしたんじゃないと思うよ、きっと」
 緑谷くんが、そう嬉しそうに言う。
「ヒーロー科のみなさんのおかげ?」
「うん、それにかっちゃん自身がいろいろ考えて動いた結果でもあるし……。あとはやっぱり、苗字さんのおかげでもあると思う」
……だといいんだけどね」
 そのとき、看護師が「緑谷くん」と呼びながら、通路をやってくるのが見えた。緑谷くんがゆっくりと、身体に負担をかけないようにと腰を上げる。私もその場で立ち上がった。
「それじゃあ苗字さん、また」
「うん、またね。リハビリ頑張って。爆豪くんのこと、見張っててあげて」
「うーん、それは難しいかも」
「難しいんだ……
 簡単なあいさつを交わして、私は看護師とともに病室に戻る緑谷くんを見送った。全身を包帯まみれにしていた緑谷くんだったけれど、その笑顔はひどく晴れやかで、私の知る緑谷くんの面影そのままだった。

 その日の夜、静岡の実家に帰り着いた私はベッドの上で、この二日間のあいだにあったことを思い返していた。いや、この二日だけではない。年が明けてから出会った人たち、話した言葉、目の当たりにしたもののひとつひとつを、脈絡なく、とりとめもなく、思い出すまま頭の中で並べる。
 避難所で見た人たち。
 病院で見かけたヒーローたち。
 エンデヴァーのキーホルダーがついた杖。
 ミルコ、イレイザー・ヘッド。
 ミルコの無骨で機能美を追求した義手と義足。
 イレイザー・ヘッドの処置着の、揺れる裾。
 緑谷くんと、それに爆豪くん。
 ギプスで固定された腕。個性。
 そういうものがひとつひとつ組み合わさって、骨組みのように連なり、固着する。
 連合、死柄木弔とヒーローたちとの戦いが激化するのを離れたところで見守るなかで、私の胸のうちに生まれたささやかな興味のようなもの。それは経験という骨組みをもとにして、ふんわりと曖昧に、今その形をとりかけていた。
 これまでだってずっと、やれることはきちんとやってきたつもりだ。できることを、自分にできる範囲でやっていく。離れたところで、彼らの後ろで、自分のつとめを、与えられた義務をきちんとこなしていくことで、世の中に貢献する。ずっと、そうやって生きてきた。
 けれど今感じている興味の在り処は、それよりももっと深く、彼らに近い場所にある。
 もしもこの興味を止めることなく、望むまま勉強ができたなら。
 思うまま、やりたいことをやれたなら。
……いや、やめよう」
 けれど私は、そこで自分の思考を止めた。今の今まで頭のなかを占めていた思考を、意識的にそこから排除する。
「私に、そんなことできるわけないし」
 手が無意識に、右の耳元へと伸びていた。
 帰宅してからイヤーカフを外していたので、そこには今は何の飾りもついていない。けれどそこに触れているだけで、手が耳朶をなぞるだけで、たった今まで心を高ぶらせ熱していたものが、すっと静かに冷めていくようだった。