柚子子
2024-10-04 11:19:34
174956文字
Public ベリーベリー
 
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微原作沿 爆豪長編(4)

サイトに掲載している長編の第四章です。今回の話から最終話までのネタバレ(コミックス未収録回)を含みます。

 光己さんの運転で、指定された病院に向かった。ハンドルを握る光己さんにかわって、車載テレビで臨時ニュースを流しつつ、助手席の私が携帯で情報収集する。親への連絡はすでに済ませた。仕事中だからか、まだ既読はついていない。
 モールのテレビでも見たとおり、今まさに事件が起きているのは、京都府、それから和歌山県。エンデヴァーが交戦しているのが京都の蛇腔と報道されていたので、てっきり関西方面に向かうのかと思ったけれど、指定されたのは千葉県にあるセントラル病院だった。そちらに搬送される手筈になっているらしい。
「近くの医療機関ではなく、わざわざ関東まで搬送するってことは、そこまでの重症ではないってこと、なんでしょうか」
「どうだろう」
 希望的観測を口にした私に、返事をする光己さんの声も表情も固い。
 爆豪くんのお父さんにもすでに連絡はついていて、病院で合流することになっていた。公共交通機関は、いちおう関東方面はまだ動いているものの、今後どうなるか分からない。ひとまずは車でセントラル病院まで向かう、とのことだった。
 高速道路に乗ってほどなく、車が減速し、やがてほとんど止まった。
「チッ、クソ渋滞が……
 光己さんが前方を睨み、ぼやく。舌打ちに、爆豪くんみたいな口調。気が急いているのだろう。当然だ。できるだけ急いで、と言われている。
 ニュースを見るかぎり、ひとまずの戦闘行為は停止したようだった。荼毘が出張ってきている以上、相手が敵連合であったことはもはや疑う余地もない。その連合が、おそらくは撤退したのだろう。すべて推論にしかならないのは、報道機関でもまだ正確な状況把握ができておらず、曖昧な実況中継が続いているからだ。
「関西から、ヘリか何か使って搬送してくるのかな……
「かもね。この状況で陸路は無理だろうし」
 あるいは輸送に適した個性の持ち主が控えているか。いずれにせよ、長距離の搬送になるのは同じだ。
 今この瞬間、爆豪くんは病院に搬送されようとしているのだろうか。そう考えただけでじりじりした気分になり、落ち着いていられなくなる。
 むろん光己さんが受けた電話は、万が一の状況にそなえてという趣旨だったのだろうとは思う。
 雄英の校長といえば、人間以上の知能を誇る生命体。後方で現場の状況を受け取って、あらゆる未来を想定したうえでの対応をとっているのだろうから、必ずしも爆豪くんが搬送が必要なケガをおっているとは限らない。
 あくまでも、想定される数ある展開、数ある対策のうちのひとつ。ふつうに考えれば、最前線にインターン生が配置されるなどありえないことだ。
「爆豪くん……
 けれど、そんな希望にすがりながらも、頭のすみではどうしても、考えずにはいられない。
 目の前に強大な敵がいたとして、はたしてあの爆豪くんが、おとなしく後方に下がっていられるだろうか。周囲のプロヒーローたちは、プロ顔負けの戦闘能力を保有する爆豪くんを、あの惨状でなお後方にとどめておけるのだろうか。
 まして相手は敵連合。昨夏に爆豪くんに煮え湯を飲ませた仇だ。爆豪くんの性格を考えれば、状況に応じて前線に出てきてもおかしくはない。
 砂塵でけぶる視界の向こう、交戦のただなかに、爆豪くんはいたのではないか。報道はされていなくても、そこに爆豪くんがいた可能性はゼロじゃない。
「大丈夫だよ、勝己は」
 光己さんの声に、我に返る。いつのまにか俯けていた顔を、運転席の光己さんへと向ける。
 爆豪くんとそっくりの燃えるように赤い瞳が、まっすぐに前を向いていた。
「大丈夫。名前ちゃんも信じて」
……はい」
 うなずき、ふたたび携帯でリアルタイムの情報収集を始める。のろのろとしか動けない渋滞がもどかしく、気ばかりどんどん急いていた。

 千葉のセントラル病院に到着したのは、夕方をすぎた頃だった。すでに日は沈んでいる。厳重な入館の手続きを経て、私たちは病院のなかへと通された。
 受付を済ませてすぐ、深刻な顔をした医師が、光己さんを呼ぶ。
「行ってくる。名前ちゃんは待合室にいて」
 家族ではない私は、この先にはついていけない。待合室で待機することになった。
 ひとりになった途端、一瞬、気が遠のいた。なんだか悪い夢を見ているみたいだ。頭がふらふらして、全身の感覚が乏しくなった。皮膚が丸ごと、溶けてなくなったみたいだ。
 光己さんだけが呼ばれたということは、爆豪くんはやはり何かしら大きなけがを負ったのだろう。そうでなければ、さっさと本人と対面できるか、あるいは処置室なり病室なりに通されている。
 煌々とあかりが灯った待合室を、白衣の医療職者たちが慌ただしくかけていく。爆豪くん以外にも、多くの負傷者が運び込まれているのだろう。ここまでの道中で調べたところ、このセントラル病院は国内でも最先端の医療技術をもつ、特定機能病院だという。
 ふらつく身体を椅子に沈め、私は周囲を見回した。医療者以外にも、連絡を受けて駆け付けたとおぼしき家族の姿が、そこかしこにある。みな憔悴して、沈鬱な表情をうかべている。
 身内にヒーローがいるって、こういうことなんだ。こういう覚悟を、強いられるということなんだ。
 ぼんやりと考える。そのうちふと気が付いた。
 今まさにヒーローが担ぎ込まている真っただ中の病院だというのに、ヒーローのコスチュームを身に着けている人間は、この場にひとりもいない。ここにいるのはみな、取るものも取り敢えず来たというような、一般市民にしか見えない人ばかり。
 しばし私は考える。そして思い至った。
「そっか、動けるヒーローはまだ、仕事してるから……
 たとえ仲間が病院に運ばれていたとしても、駆け付けることすら許されていないのだ。蛇腔も、それに大型敵の進路となってしまった街にも、今なお救けを求める人びとがいる。その人たちを放り出して、病院に向かうなんてことはヒーローには許されない。
 なんて因果な商売なのだろう。
 仲間が遠くの病院に搬送されても、顔も知らない市民のため、現場を離れることすらできないなんて。
 待っている時間が、途方もなく長く感じられた。何度か携帯をチェックする。仕事が終わったらしい母からの連絡があった。病院にいることを伝えてあったからか、電話ではなくメッセージで届いている。
 待合室には、どんどん人が増えていた。いったいどれだけのヒーローが、ここに搬送されてきたのだろう。今回の事件での死傷者数は、ここ十数年の日本で起きたテロ事件でも群を抜いている。無辜の市民もヒーローも、等しく傷ついている。
 しばらくして、ようやく光己さんが待合室に戻ってきた。腰を上げようとして、けれど身体は重たく椅子に沈んだままだ。光己さんは蒼褪めた顔で、すとんと私の隣の椅子に腰をおろした。
「光己さん、爆豪くんは、」
「腹部に損傷がひどくて、今、手術中だって」
「そっ、」
 腹部の損傷。ふつうに避難誘導や救助活動をしていて、あの爆豪くんがそんなケガをするとは思えなかった。爆豪くんが個性を使用して立ちまわっているところを、私は体育祭の決勝と、お手柄高校生のニュースでしか知らない。それでも分かる。爆豪くんのケガは、ほぼ間違いなく戦闘の結果負ったものだ。
「かなりひどい状態みたいだけど、その場にいあわせたヒーローたちのおかげで、応急処置が迅速だったって。手術自体は今のところ問題なくて……、でも予断を許さない状況は続いている、ってことらしい」
……っ」
 座って話をしていてよかったと思った。こんな話を聞いては、きっと立っていられなかっただろう。
 足元の地面が、がらがらと音を立てて崩れていく感覚。日常が崩壊していく音。それは奇しくも、先ほど車内で嫌というほど見た蛇腔のニュースの映像を彷彿とさせた。
名前ちゃん、大丈夫?」
 よほどひどい顔をしていたのだろう。光己さんが、遠慮がちに聞いてくる。
 私は表情を引き締めた。私よりも光己さんのほうがずっと、心配で仕方がないはずだ。ここで余計な心配をさせてはいけない。
 光己さんのほうに向き直り、「大丈夫です」と応じた。表情はこわばっていただろうけれど、それでも声は震えなかった。笑顔をつくるまでは、今はできそうにない。
「爆豪くんはヒーロー科で、仮免も取得して、インターンに行くって聞いてて……。聞いてたけど、でも、まさかいきなりこんなことになるとは思わなかった、ので」
「そんなの誰だってそうだよ。こんなこと、誰にも予想できない」
 光己さんの言葉に、私は黙って視線を伏せる。
 そうだ、こんなこと誰にも予想なんてできるはずがなかった。今回連合と事を構えるため配置されたヒーローの誰一人さえ、きっとここまでの事態は想定していなかったはずだ。
 そうじゃなければ、爆豪くんが今、こんな場所にいるはずがない。
 光己さんが言う。
「私はこのままお父さんのこと待つけど、名前ちゃんは」
「帰ります。母からも、帰ってきなさいって言われているので」
「そうだね。それがいいと思う」
 光己さんを待つあいだ、母とは状況確認もかねて何度かやりとりしていた。ここに来るまでのことはメッセージで逐一伝えてあったので、母からはただ「終電があるうちに帰ってきなさい」とだけ言われた。「帰ってから、詳しく聞くから」とも。
 ここにいても、私にできることはない。それどころか、かえって光己さんに気を遣わせてしまう。さいわい、帰宅するのに必要なだけの手持ちはあった。さっき確認したら、電車はまだ動いていた。携帯の充電も、どうにかもちそうだ。セントラル病院は駅と地下で直通になっているので、ひとりでも問題なく帰れる。
 光己さんは隣に座る私の手に、ゆっくりと自分の手を伸ばす。細くて冷たい指先で、力強く私の手を握った。
「おうちについたら、必ず連絡して。こっちからも、何かあったらまた連絡するからさ」
 光己さんに言われ、はい、と返事をする。それからしばらく考えて、悩んだ末に私は聞いた。
「あの、また明日お見舞いにきても大丈夫ですか?」
 光己さんが驚いた顔をする。揺れる瞳を、私はまっすぐ見つめ返した。
「それはもちろんいいけど……、でも名前ちゃん」
「学校は春休みなので大丈夫です。ここにいても、私に何ができるわけじゃないけど……でも、家にいたって……
 それ以上、言葉が続かなかった。なんと言ったらいいのか、なんと言えば光己さんを傷つけずに済むのか、なんと言えば自分が泣かずに済むのか。その判断が、咄嗟にできなかった。
 家からこのセントラル病院までは、けして簡単に通える距離ではない。お見舞いに通うのだって並みの労力ではない。それに今後、世間がどう変化していくのかもまだ分からない。爆豪くんの容態だって。今この瞬間にも、どうなるか分からない。なにひとつ、確かなことなどない。
 それでも、家に引きこもって連絡を待っているだけなんて、そんな状況に耐えられるとは思えなかった。夏休みに爆豪くんが連合に拉致されたときですら、恐ろしさでどうかなってしまいそうだったのだ。今はあのときの比ではない。爆豪くんの身の安全は保障されていても、全身を襲う恐ろしさは今の方が、あのときよりずっと強い。
 黙り込んだ私に、光己さんはまっすぐ視線を投げかける。決断することを悩んでいるようにも見えた。
 やがて光己さんはひとつ息を吐いて、私に言った。
「わかった。でも今日はひとまず帰りなさい。それから、今日か明日に一度、あたしから名前ちゃんの親御さんに電話さしあげてもいいかな」
「親、ですか」
「だって、こんな家から近くもない病院に、名前ちゃんを連れ出してるわけだから。最初はあたしも余裕がなかったけど、こういうことは一度きちんと親御さんにお伝えしないと。勝己と付き合ってるとかは関係なく、これは大人の義務として話してる」
 淡々と言われ、私はうなずく。光己さんの言うことは正論だ。否やのあるはずもない。
名前ちゃんのお母さんには、年末にうちのお父さんからご挨拶したけど、改めてね」
 私はその場で母にメッセージを打った。今から帰ること、それから爆豪くんのお母さんが、うちの母と一度電話で話したいと言ってくれている旨を伝える。
 母からの返信はすぐにあった。
「あの、いつでも大丈夫だそうです。母の電話番号、送ります」
「ありがと。じゃあこの後、お電話差し上げますのでって伝えてもらえる?」
「分かりました。あの、よろしくお願いします」
「うん。名前ちゃんも気を付けて帰ってね。絶対に寄り道しないように。って、名前ちゃんなら大丈夫だと思うけどさ」
 光己さんに見送られ、私は頭を一度下げてから駅への連絡通路へと向かった。地下の通路は騒々しい。ここでもまた、悲壮な顔で電話をかけている人や、急いで病院に向かう人の姿が目立った。
 途中、前方からやってきた女性とすれ違う。目を潤ませ、歯を食いしばって走る姿に、あの人も誰かヒーローの身内なのだろうかと考えて、胸がひどく苦しくなった。