通話を不自然にブチ切ってしまったあと、爆豪くんからは地獄の鬼のように電話がかかってきた。いっそ電話をとったら私の生命が終わる、という恐怖心すら感じるほどの執拗さに、追い詰められた私は携帯の電源を切るという最終手段をとるしかなかった。言うまでもなく、その晩は震えて眠った。
翌朝、おそるおそる携帯の電源を入れると、爆豪くんからは「殺す。しばらく連絡してくんな。殺す」という殺すサンドイッチ構文のメッセージが送られてきており、それを最後に連絡は途絶えた。
「ぶ、物騒すぎる……」
あまりにも直接的な殺害予告に、私は恐れおののいた。これでヒーロー科とか嘘なのでは、と思いつつ、ひとまず爆豪くんのメッセージに既読だけつける。スタンプくらい送ってもいいかなとも思ったけれど、そこでまた地獄の着信が復活したら困るのでやめた。
来週から夏休みが始まるけれど、爆豪くんは夏休み期間のほとんどを寮で過ごすことになるらしい。私は私で、塾と学校の両方で夏期講習がある。
どのみち一か月もすれば花火大会の約束があるのだ。爆豪くんの「連絡すんな」がいつまで続くかは分からないけれど、さすがに花火大会の約束まで反故になることはないだろう。
それならば、一か月は距離を置いてみるのもひとつの案ではある。正直にいえば、今の心情のまま爆豪くんと頻繁に顔を合わせるのはきつい。さいわい、爆豪くんと会えない日々の過ごし方ならば、昨年でしっかり身に着けていた。
街で耳郎さんに会ったのは、夏休みが始まって一週間経ったある日のことだった。夏期講習の午前の授業を終え、ちかくのコンビニで昼食を選んでいたところ、たまたまばったり鉢合わせした。
私の通う塾は夢咲女子の近隣にあるので、自然と雄英生の行動圏とも重なる。耳郎さんは見た目にも涼しげ、かつパンクでロックな夏のよそおいで、私と視線が合うなり「あ、爆豪の!」と目を丸くした。
店内にいた、同じ夏期講習をとっているだろう何人かが、耳郎さんの声に反応してちらちらとこちらを盗み見る。私と耳郎さんは慌てて、人の少ない雑誌コーナーのほうへと移動した。
ほかの客の死角に隠れたところで、ほっと一息吐く。雑誌のラックの向こう、ガラスの外側には、炎天下の夏が広がっている。
前に耳郎さんと会ったときには、たしか芦戸さんが間に入ってくれたのだった。そういえば、ちゃんと自己紹介をしなかったかもしれない。
「久しぶり、あの、苗字です」
私のざっくりとした自己紹介に、耳郎さんは眉尻をさげて笑う。可愛い。
「覚えてる。苗字で呼んだほうがいいタイプ? 上鳴とか、名前で呼んでるよね?」
「あ、いや、それはどっちでも大丈夫。呼びやすいほうで呼んでくれたら。下の名前は名前っていうんだけど」
「知ってる。かわいい名前だよね」
さらりと言われ、心がときめいた。耳郎さんのほうがずっと可愛い。
「ちなみに爆豪はなんて呼んでるの?」
「爆豪くんは、あんまりそもそも名前で呼ばないかな……」
「それってなんか愛称ってこと?」
「根暗とか、ガリ勉とか、そういう」
「悪口じゃん!」
「そ、そうだよね……!? よかった、やっぱり悪口だったんだ。ごめんね、ちょっと最近感覚がマヒしてて」
「うわぁ、毒されてる……」
爆豪くんのろくでもないエピソードのおかげで、場がややあたたまった感じがした。こういうとき、爆豪くんの存在は話のネタとしてかなり有用性が高い。私が爆豪くんと付き合っていることを知っている相手の場合、だいたいは爆豪くんのろくでなしエピソードで即席の共感を得ることができる。
なお、当の爆豪くんとは、すでに二週間音信不通になっている。連絡を寄越すなと要求されて言われたとおりにしていたら、いつの間にか二週間が経っていた。依然として私の頭の整理はついていないけれど、そろそろ連絡をしたほうがいいものかと、悩んでいるところだ。さすがにこれだけ付き合って自然消滅ということはないだろうけれど。
手に持ったままの財布のファスナーを指先でもてあそびつつ、そんなことを考えていると、
「そういえばさ」
ふいに耳郎さんが声をひそめた。耳郎さんは、索敵でもしているような険しい視線で周囲をぐるりと見回すと、私との距離を一歩分ちぢめて言った。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど……。名前ちゃんって今、爆豪と喧嘩してる?」
「え? いや、喧嘩というかなんというか……、どうして?」
「いやー、ここんとこ、爆豪ピリピリしてるからさぁ……。不機嫌ってわけじゃないんだけど、なんていうの? 雰囲気が、こうね」
「ごめんね……」
想像がついてしまい、私は謝った。わかる。爆豪くんにはイライラしているのとは少し違う、ピリピリしているときというのがあるのだ。
話しかけても怒られたりはしないものの、そういうときの爆豪くんはそこに存在するだけで、周りをやや委縮させるような空気を発している。中学時代にも何度かそういうことがあって、席が近いときには気づまりに感じたものだった。
それでも、中学時代の私は授業中に気をもんだ程度だったけれど、耳郎さんをはじめ同じクラスの子たちは、文字通りひとつ屋根の下で爆豪くんと暮らしている。無闇やたらとピリピリされたら、それはたまったものじゃないだろう。
「喧嘩っていうか、連絡をちょっととってない、って感じなんだけど……」
けれど、それが爆豪くんがピリピリしている理由かと言われると、そうとも言い切れないような気がした。そもそも爆豪くんはこれまでだって、一週間くらいろくに連絡を寄越さないことなら、ざらにあったのだ。今になって急に、連絡が途絶えたくらいでピリつくものだろうか。
私がそう説明すると、耳郎さんは目を閉じて「あー、うーん」と唸った。
「まあ、名前ちゃんが謝ることでもないんだろうけどさ……、ちょっと気になって。なんかウチ、余計なこと言ったかも。ごめんね、忘れて大丈夫だから」
そう言って、耳郎さんは右耳の耳朶から伸びたイヤホンジャックを、手癖なのか指にくるくる巻きつけた。
そのしぐさを、私は無意識にじっと見つめていた。イヤホンジャックが伸びた右耳。そして、途中で線がふつりと途切れている左耳。文化祭の映像で見たときには、たしか両耳とも先端が、イヤホンジャックになっていたはずだ。
私の視線に気付き、耳郎さんが指を動かすのをやめた。
「ん? どうかした?」
「や、耳郎さんの耳……」
耳? と繰り返したあと、耳郎さんは私の視線が彼女の左耳に向いていることを察したらしい。
「あー、左耳? こっちは春の戦いのときに、ちょっとやられちゃって」
「えっ、そ、それは大丈夫なの?」
「まあ、右耳は残ってるし。それに、片側使えなくなったからって、戦えなくなるわけでもないしね」
あっけらかんと言う耳郎さんは、そう言ってなぜか照れたように笑った。その笑顔はなんとも可憐で可愛らしい。それでも耳郎さんの言葉のすべては、ヒーロー科の生徒として、あの大戦を戦い抜いた矜持に満ち満ちている。
すごい、と純粋にそう思った。彼女もまた戦いの中で個性の一部を失って、それでもまだ、戦う意思を失くしていない人なのだ。
爆豪くんがそうであるように。ミルコがそうであるように。
「爆豪くんもそうだけど、ヒーロー科のひとたちって、みんなすごいなと思う。あんなに大けがしたり、耳郎さんみたいに力を削がれるようなことになっても、ヒーローになりたいって気持ちはなくならないんだね」
「なんか、そんなふうに言葉にされると照れるんだけど……」
本当に顔を赤くして、耳郎さんが困ったように笑った。
「でも、憧れちゃったからさ。そしたらもう、頑張るしかないっていうか」
気負いすぎない、さりげない言葉。空虚ではない、地に足の着いた言葉は、誰かの受け売りなんかではなくて、間違いなく耳郎さんのなかから出てきた言葉だった。
コンビニのなかの冷たい空気に晒されながら、それでも私の胸がじんわりと熱くなる。
この二週間、爆豪くんとの連絡を絶った状態で、必死で封じ込めようとしていたもの。それはけれど、こんなにもあっけなく、私のなかから溢れてきてしまう。
「私も、そんなふうになりたかったな」
気が付けば、ごくごく自然に私の口から、そんな言葉がこぼれ出ていた。耳郎さんが驚いた声を出す。
「え、名前ちゃんってヒーロー志望だったの?」
「あ、いや、まったくそういうわけじゃないけど!」
私は慌てて両手を胸の前で振った。
「そういうわけじゃなくて。ただ、耳郎さんみたいな、ひとつの目標や夢に向かって頑張るしかないって言えるの、かっこいいと思ったっていうか……。そういう生き方って、私はしてみたいけど、なんかこう……できなくて」
「そんなかっこいいもんかなぁ……?」
首をひねる耳郎さん。本人には、そんなつもりはないのかもしれない。けれど今の私からしてみれば、耳郎さんだってじゅうぶん眩しい存在だ。
耳郎さんはしばらく、悩むように眉根を寄せて考え込んでいた。やがて、
「名前ちゃんが言ってんのって、えーと、爆豪とか緑谷とか切島、……みたいな、ヒーローになることだけ考えて、ヒーローになることだけ目指して、憧れに向けて脇目も振らず……ってこと?」
「多分、そんな感じかな?」
「だったらウチはそんな感じじゃないよ」
さらりと言って、耳郎さんは右のイヤホンジャックで首をこする。恥ずかしげなしぐさをしながら、あー、うーん、とふたたび唸る。
「名前ちゃんって、文化祭の演奏、映像で見てくれたんだよね?」
私はこくりと頷いた。見た、なんてものじゃない。それこそ何回も、何十回も、飽きることなく見続けた。練習の映像から数えれば、爆豪くんたち本人よりもよほど、彼らの演奏を聴いているのではないかとすら思う。
頷く私に、耳郎さんは続けた。
「実はウチ、雄英受けるかは結構ギリギリまで悩んでて……」
「え、そうなんだ」
そうなの、と耳郎さん。唐突に始まった耳郎さんの言葉に、私は耳を傾ける。
「ちっちゃいときからさ、ずっと音楽が好きだったから。家族も音楽関係の人間だし、なんとなくそっちのが現実的な進路っていうか、夢? みたいな感じで。向いてると思ってたし、ぶっちゃけ音楽以外の道はあんま、考えたことなかったんだよね」
「それでも、雄英に合格してるんだ……」
「や、それはまじでめっちゃ頑張ったから!」
ぶんぶんと手を振る耳郎さんに、私は尊敬の眼差しを向けた。
もちろん雄英は「めっちゃ頑張った」で入れるような学校ではない。だから耳郎さんにヒーローとしての素養があったことは、疑いようもない事実だ。
「と、とにかく」
照れ隠しなのか咳払いをして、耳郎さんは話を戻した。
「頑張って勉強して、ありがたいことに合格して……。それでもさ、今でもたまーに、雄英じゃなくて音楽のほう行ってたらどうなってたかなって思うよ。だから全然、ウチは爆豪たちみたいな、その道一本のヒーロー志望じゃないんだよね」
そこで言葉を切って、耳郎さんは俯きがちに私を見た。俯けた顔で、上目遣いにこちらの様子をうかがう耳郎さんに、私は尋ねる。
「耳郎さんは進路で悩んだとき、どうやって選んだの? どうして選べたの?」
「どうしてって……」
「耳郎さんにとって音楽って、あんなに上手で、好きで、自分でも望んでて、たぶん周りからも望まれてた道、なんだよね。それなのに……あ、」
話している途中で、自分で気が付いた。その答えならば、すでに耳郎さんからさっき、聞いているではないか。
憧れてしまったから。夢見てしまったから。
だから耳郎さんは、選び取ったのだ。
望まれて、楽しくて、文句もなかっただろう安全な道ではなく、自分が進みたい、しるべのない道を。
言葉をなくした私に、耳郎さんは笑いかける。その笑顔は、やはり眩しかった。
「ま、でも結果的にはよかったと思ってるよ。音楽は本業にはならなかったけど、今でもずっと趣味でつづけてるし。ウチ的には、後悔はないかな。まだプロにもなってない学生が、なに言ってんだって感じではあるんだろうけど」
耳郎さんの言葉に、どっちつかずで曇り切っていた頭のなかが、少しだけクリアになった気がした。最後に決めるのは自分自身なのだから、もちろんまだまだ考える必要があるけれど、方向性だけは多少見えてきたような気がする。
もっとちゃんと、考えなければ。そして考えるためには、ひとりで思い悩めるだけの時間が必要だ。
爆豪くんには、まだ連絡はしない。そもそも連絡するなと言われている。今は爆豪くんの言葉に、妙な形ではあるけれど、すなおに甘えることにした。そのかわり、
「耳郎さん、ちょっとだけお願いがあるんだけどいい?」
「ん? ウチで聞けることなら大丈夫だけど……」
戸惑う耳郎さんと一緒に、私はコンビニのお菓子コーナーに移動した。
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