爆豪くんが目を覚まさないまま、一日目の面会は終了した。夕方過ぎ、迎えに来てくれた叔母の友人の車で叔母の家に帰宅する。夕食を済ませたあと、実家から持参していた勉強道具一式を机に広げてはみたけれど、結局ほとんど何も手につかず、時間ばかりがすぎていった。
翌日の午前中は叔母の家の手伝いをしながら、ニュースをチェックし続けていた。車で送っていくのは昼前になると言われている。送迎を頼んでいる手前、そのあたりは叔母に合わせるしかない。
気が急くのは相変わらずだったものの、物理的に爆豪くんのちかくにいられること、昨日半日以上爆豪くんのそばにいられたことで、初日よりはずいぶん心が落ち着いていた。
はやく目を覚ましてほしい。そう思う一方で、こんなひどい有様の日本に、今また目を覚ました爆豪くんがヒーロー科の生徒として飛び込んでいかなければならないことを思うと、気持ちがひどく塞ぐ。
日本のあちこちを、ダツゴクと呼ばれる凶悪敵たちが蹂躙している。ヒーローの手は足りておらず、自衛を喧伝する輩の声はエスカレートしていくばかりだ。すでに一部の業界では機能不全が始まっており、物不足や物流の停滞が深刻な問題になりつつある。
社会問題が拡大するなか、ニュースはエンデヴァーの不祥事ばかりを叩き続けている。テレビをつければどこの局も、エンデヴァーかホークスのスキャンダル、あるいは破壊されつくした蛇腔の惨状を報じている。ダツゴクによる事件もあちこちで起きているが、何せ数が多すぎる。報道が間に合っていない。
気が滅入るのに、見るのをやめられない。ニュースと距離をとることができなくなっているみたいだ。
「名前ちゃんがいてくれると助かる。高校卒業したら、こっち来て一緒に暮らしてもいんだよ」
出掛ける支度をしながら、叔母が笑って言う。古新聞を縛っていた私は、その手を止めないまま答えた。
「ありがたい申し出だけど、大学進学できる社会になったらちゃんと話そう、そういうこと」
「恋にうつつを抜かしてるかと思ったら、ちゃんと冷静なところ残ってるんだ」
「うつつ、抜かしてるかなぁ」
「抜かしてるでしょ。高校生だし、別に悪いとは思わないけど」
あんまりお母さんのこと心配させちゃだめだよ、と言われたそのとき、ソファーに置きっぱなしにしていた私の携帯が鳴った。ここ何日かはいつ誰から連絡が来てもすぐに気付くように、病院にいる時間以外は消音モードを切っている。
電話の主は光己さんだった。時計を見ると、まだ昼というには早い時刻だ。光己さんには今日は昼前に行くと伝えてある。
「はい、もしもし。名前です」
「名前ちゃん、勝己、目を覚ましたよ!」
開口一番に伝えられたそのニュースに、はっと息をのんだ。叔母がこちらに視線を向けている。私は両手で携帯を押さえるように持った。そうでもしないと力が抜けて、手から携帯がすっぽ抜けてしまいそうだった。
叔母がリモコンでテレビを切ってくれる。声をひそめることもなく、私は「よかった」と答えた。
「本当に、よかった……!」
「うん、よかった。よかったよ」
「それで、爆豪くんは」
「もう、目を覚ました瞬間から元気元気。このあと病院来るって言ってたけど、一応先に伝えておこうと思って」
「あ、ありがとうございます……!」
短いやりとりだけで電話は切れ、私は放心状態で携帯を耳から離した。
爆豪くんが目を覚ました。まずその事実に、ほっとする。
手術が成功した時点でじきに目が覚めると聞いてはいたけれど、それでもやはり、血の気が引いた顔色で横たわっている爆豪くんを見ていると、不安はどんどん大きくなった。
もしもこのまま目を覚まさなかったらどうしよう。そう考えたのは、きっと私だけではない。それだけ大きなケガだった。
「彼氏、目ぇ覚ましたって?」
「うん、そうみたい」
うなずいて、叔母のほうに向く。
「じゃあ、ちょっと急いで病院行こうか」
化粧を終えた叔母が、ウインクしながらぐっと親指を立てた。
★
慌ただしく病院に到着し、入館手続きを済ませた。爆豪くんのお父さんが出入口まで迎えに来てくれていて、私を手招きする。
昨日よりは少し落ち着いたように見える院内を進み、病棟のなかでも特に警戒レベルが高い、最上階の特別病棟へと上がった。
「勝己だけど、さっき目を覚ましたと思ったらもう病室の外に出て暴れて、本当、少しもおとなしくしてないんだよ……」
「それ大丈夫なんですか。おなかとか、ケガしたところ」
「大丈夫じゃないはずなんだけどね。出久くんや、ほかの入院してる人たちのことが気になったんだと思う」
その話を聞き、一拍遅れてようやく、私は気が付いた。
「あ、そうか、緑谷くんも入院してるんだ……」
今この瞬間までそのことに思い至らなかった自分の薄情さに、自分自身で驚いた。エンデヴァー事務所には爆豪くんだけでなく、緑谷くんと轟くんという子も一緒に行っていたのだ。爆豪くんが大けがを負っているということは、緑谷くんも同様であっても何らおかしなことはない。
よほど視野が狭くなっていたのだろう。爆豪くんのことしか考えられなくなっていた自分を、私はひどく恥じた。あとで少しだけ、お見舞いで顔を出せたら出そう。今はとにかく、爆豪くんの顔を見たい。
エレベーターをおりる。爆豪くんのお父さんがうなずいてくれたので、私は少しだけ小走りになって、昨日も半日過ごした病室へ向かう。
重たいドアを引いて、病室に飛び込んだ瞬間、仏頂面でベッドに横たわっている爆豪くんと目があった。
「苗字……」
「名前ちゃん!」
爆豪くんと光己さん、ふたりの声を聞きながら、私はゆっくりと爆豪くんのベッドに近づいた。病室には光己さんのほかに、爆豪くんの友達が何人か。すでに酸素マスクを外した爆豪くんは、本気で怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「本当に、起きてる」
「あ?」
「本当に……生きてる……」
よろよろとベッドに近寄る。すぐそばまで歩み寄ると、そこで私は膝を折りしゃがみこんだ。正しくは、足に力が入らなくなって、立っていられなくなっただけだった。
「おい! 大丈夫か!?」
爆豪くんの友達の誰かが、慌てた声をかけてくれる。私は顔をうつむけ、ベッドのふちにおでこをあてたまま、大丈夫、と答えた。大丈夫。ちょっと気が抜けただけだ。
自分でも気づかないうちに、息をつめていたようだった。大きく息を吸い込んで、今度は大きく吐き出す。
ばくごうくん、と彼の名を呼ぶ。「はきはき喋れや」と爆豪くんがぼやく。
「……つーか根暗、てめえ何しにきてんだよ」
「なにって、お見舞いだよ」
「ハァ? 暇人かよ」
「……うん、まあ、そんなとこ」
ベッドがきしんだ音。うなずいてから顔を上げると、爆豪くんがベッド上で身体を起こすところだった。慌てて手を貸そうとすると「いらねえ」と、その手を払いのけられる。
「ちょっと勝己、あんた名前ちゃんがせっかく、」
「根暗がいるなんざ聞いてねえ」
光己さんのお小言を遮って、爆豪くんがむすりと言う。ベッドを支えにして、私もゆっくり立ち上がった。爆豪くんは想像していたよりもずっと元気そうで、その姿に安堵する。もっと瀕死で儚い感じになっているとばかり思っていた。
病室にいるのは切島くんと、見知らぬ男子が三人。いずれも雄英の制服を着ている。こういう場合、挨拶をしたほうがいいんだろうか。ようやく少しだけ働くようになってきた頭で、そんなことを考えていると、爆豪くんがチッとひとつ、これみよがしに大きな舌打ちをした。
「おいババア、なんでこいつがここにいんだ。聞いてねえぞ」
「そりゃあだって、言ってないから。サプライズ」
「ケガ人相手にサプライズ仕掛けてんじゃねえ! 頭おかしンか!?」
「だいたい、話す暇なかったんだよ。あんた目が覚めるなり病室脱走するし」
「…………」
爆豪くんが口をへの字に曲げる。そして今度はこちらに視線を向けた。
「てめえも、こんくらいで来てんじゃねえ」
「うん」
「いちいちビビるほどのことじゃねえだろうが」
「うん」
そんなはずはなかったけれど、今はとにかくうなずいておいた。光己さんがもの言いたげに溜息を吐いている。と、病室の外から医師が光己さんを呼んだ。この後の話があるのだろう。ドアのそばに立っていた爆豪くんのお父さんと一緒に、光己さんは病室を後にする。
「じゃあそろそろ俺らも、轟たちのほう見てくんな」
「爆豪も無理すんなよ」
「マジだぜ、お前本当、暴れて退院延長とかなったら洒落になんねえから」
「じゃあな、名前ちゃん」
ぞろぞろと去っていく雄英生に、私はぺこんと頭を下げた。どうやら気を遣わせてしまったみたいだ。申し訳ない。けれど多少、ありがたくはあった。
病室には、爆豪くんと私のふたりきりになった。近くの椅子を引き寄せ、そこに腰掛ける。
昨日までベッドサイドにあった物々しい医療機器のたぐいは、今はほとんど撤去されていた。いきなり病室から脱走するような患者に、最先端の医療機器は必要ないということだろうか。爆豪くんのあまりの強靭さに、畏れすら感じる。
爆豪くんは何も言わない。ベッドに座り、むっつりと視線をそらしている。
私のほうから先に、口を開いた。
「テレビ見たよ。爆豪くん、エンデヴァーのちかくにいたの?」
尋ねてみるも、返事はなかった。口をかたく閉ざした爆豪くんに、私は溜息をひとつ吐いた。
「言えないか。そりゃそっか。そうだよね」
「……」
「でも、避難誘導だったとしても、大変なことだよね。テレビに映ってた蛇腔のさ、街ぜんぶ大変なことになってたもん。どの辺にいたのかは分かんないけど、でも爆豪くん、多分すごいところにいたんだよね」
私が言うと、爆豪くんは鼻を鳴らした。
「なんのために現場に出てると思っとんだ。どうせ戦うんなら断然、最前線」
「その発想わかんないんだよなぁ。爆豪くんらしいのかもしれないけど」
爆豪くんらしすぎる傲岸不遜な物言いに、思わず笑ってしまう。目尻に浮かんだ涙を指先で拭って、私は爆豪くんを見た。包帯やガーゼで隠れていないところにも、こまかな擦り傷がたくさん残っている。
「爆豪くん」
「なんだよ」
「抱きしめてもいいかな」
「は……、ハァ!?」
「ごめんね、でも本当、ちょっとだけでいいから」
顔をゆがめる爆豪くんに、私は頼み込んだ。どうしても今、爆豪くんにふれたかった。
爆豪くんが無事でよかったと、心の底から思う。無事でよかった。生きていてくれて、こうしてまた話をすることができて、本当によかった。
けれど目が覚めたからといって、ついさっきまで心を埋めつくしていた生々しい恐怖は、いきなりきれいに消えてはくれない。
目が覚めなかったら、二度と話ができなかったら。爆豪くんが、死んでしまったら。世界は壊れて、何ひとつ元通りになんかならなくて、爆豪くんにも二度と、手が届かなくなったら。
この二日間、最悪を考えてしまわないようにと、ただただ必死だった。考えたらその瞬間、思考に現実がのみこまれてしまいそうで怖かった。
爆豪くんに、二度と会えなくなりそうで怖かった。
「お願い。こうやって話してても、まだ、ちょっと……だから」
元気そうな爆豪くんを見て、安心した。それでもまだ、張り詰めた心はこわばったまま、少しもほぐれてはくれない。現実味がどこか遠くに消え去って、目の前の爆豪くんを信じるということが、私にはまだできない。
「抱きしめるのが無理なら、手を、握らせてもらえるだけでも」
譲歩して頼み込む。と、爆豪くんがひとつ大きく舌を打ち、そして言った。
「やんならさっさとやれ」
「……いいの?」
「てめえがやるっつったんだろうが。こっちゃ腹に穴ァあいてんだ。手短に済ませろ」
「……うん」
椅子から腰を上げ、一歩一歩、爆豪くんに近づく。そろりと手を伸ばすと、爆豪くんがぞんざいに私の腕を引いた。
爆豪くんの背に腕を回し、肩口に額を押し付ける。ケガをした腹部に障らないよう、体重をかけすぎないように。けれど爆豪くんをしっかりと抱きしめる。
病院の処置着の清潔なにおいと、うっすらと残る汗のにおいが混じり合う。もっと熱いかと思っていた肌は、思っていたより温度の低いぬくもりで、私をしっかり受け止めた。
怖いくらいに静けさが満ちた病室。窓の外に集った外野の声も、この病室のなかまでは届かない。心臓の音。爆豪くんが生きている音。
「よかった。……本当に、よかった」
「いい加減しつけえわ」
爆豪くんが私の首に片腕を回した。抱き寄せるようなそのしぐさは、優しさに満ちている。
撫でるでもない爆豪くんの指先は、ただそっと、私の背にあてがわれていた。
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