しばらくそうして、爆豪くんのことを抱きしめていた。はたから見ればきっと、しがみついているといったほうが正しいような、みっともない抱きしめ方だったはずだ。
体重をかけないように、負担にならないように、バランスを崩さないように。傷に障ってしまわないように。
爆豪くんがそこにいてくれることを、ちゃんと確かめられるように。
「根暗おまえ、学校は。今日平日だろうが」
「春休みだよ。爆豪くんまだ寝ぼけてる」
「寝ぼけてねえ。つーかそろそろ離れろ」
「……うん」
「……おい」
「わかったわかった」
「……離れろや」
「わかった、ちょっと待って」
「口だけ返事がよぉ……!」
うめくように爆豪くんが言う。けれど、それでも爆豪くんは、無理やり私のことを剥がそうとはしなかった。もちろん傷が痛むせいで、私を剥がすための力を入れられないだけかもしれない。あるいは面倒くさいだけという可能性もある。
どうすべきか。私は思案のすえ、せっかくなので、ここぞとばかりにしがみついておくことにした。恥ずかしいことをしている自覚はある。それでも一度くっついてしまえば、後はなるようになれの精神だ。
本当は少しだけ、久し振りに爆豪くんを抱きしめるのがこんな状況であることに、悔しさを覚えてもいる。はじめてこうして抱きしめたのは、たしか爆豪くんが連合に拉致されたあと。いつもいつも、怖い思いを払拭するような形でしか、私たちはお互いを抱きしめられない。
それでも、今こうして爆豪くんを抱きしめているというのが、ここまで爆豪くんと付き合ってきた結果なのだろう。これが爆豪くんと私の、進めかたの形。
つい数時間前までは、爆豪くんが目を覚まさないかもしれないことに、どうしようもなく怯えていた。
けれど今、爆豪くんはここにいて、文句を言いつつも私の抱擁を受け止めてくれている。私の背に手のひらをあてがって、さするでも撫でるでもなく、ただ静かに受け入れてくれている。私をふところに入れてくれている。
ゆるゆると互いの温度が交換されていくうちに、私はようやく、それだけの事実を現実のものと認めることができた。
やがて爆豪くんも、文句を言うのは諦めたらしい。
「だいたいてめえ、なんでここにいんだよ」
私に抱きつかれたまま、爆豪くんが言った。
「関係者以外立ち入り制限してんじゃねえのか」
その声に少しだけ疲労が滲んでいるような気がして、私はゆっくりと身体を離した。爆豪くんの威勢が異常にいいので、ついつい忘れてしまいそうになるけれど、彼は大けがを負って搬送、手術を受けて入院中の身だ。いつまでも無理をさせるわけにはいかない。
ふたたび椅子に腰かけてから、私は爆豪くんの問いに答えた。
「光己さんたちが口添えしてくれたおかげで、私も入れてもらえてるんだよ。ここにいないときは、千葉にいる親戚の家にお邪魔してる」
「ババアたちと泊まってるわけじゃねンだな」
「うん。それはもちろん」
そうかよ、と呟いて、爆豪くんが気だるげに息を吐きだした。疲れているようなら少し休んだほうがいい。そう思ったけれど、口に出すのはやめておいた。私からそんなことを言えば、爆豪くんはきっと、かえって平気そうに振る舞うに決まっているからだ。
「とにかく、そういうことだから、私のことは心配しなくて大丈夫。無茶なことはひとつもしてないよ」
「んな心配は端からしてねえが、親は」
「ん?」
「てめえの親ァ許可してんのかよ。外、ふらふらほっつき歩けるような状況じゃねンだろ」
爆豪くんの言葉に、私はああ、とこぼして窓の外に視線を向けた。
外に集まっているマスコミは、ほとんどがエンデヴァーのスキャンダルについて取材しようとする報道陣だ。雄英生でもない、ヒーローに関係などあるはずもない私には、マスコミは特に関係ない。
ときどきマイクを向けられることはあるものの、見るからに高校生の私からなにか情報が得られるなどとは、マスコミも思っていないはず。そういう意味では、身の危険を感じたことはほとんどない。
だから爆豪くんが言っているのは、ダツゴクのほうだろう。目を覚ますまでに起きた出来事や世間の状況については、すでにあらかた聞かされているらしい。
「昨日千葉に来たときは、お母さんも一緒だったよ。光己さんたちに挨拶だけして、お母さんは日帰りで家に帰ってる」
「てめえはいつ帰んだよ」
「私は一応、明日くらいまでかな。こっちでお世話になってる叔母は、あとしばらくは大丈夫だよって言ってくれてるけど」
もっとも、母からは三日で帰って来いと言われているから、期日として決まっているのは明日までだった。私もそれでいい、それで区切りにしようと思っていた。
けれどいざ爆豪くんがこうして目を覚ますと、まだそばにいたいと思ってしまう。このまま離れたらまた、爆豪くんが私の知らない場所でひどいことになってしまいそうで、それが怖かった。
そろそろ春休みも終わろうとしている。新年度の方針について学校から連絡がきたと、昨日の晩に母が保護者あてのメールを転送してくれた。
そこには、二年生に進級はできるが授業は当面開始を見送ることを始め、今後の学校生活についてと学校運営方針についての記述が、ひどく曖昧な表現で記されていた。
授業が開始されないのであれば、このまま千葉にとどまることも、状況としては可能だった。母さえ説得できれば、後のことはだいたいどうにかなる。
けれどそのとき、まるで私の考えを読んだように、
「俺もどうせすぐ退院する。おまえも明日には帰れ」
ぼそりと、爆豪くんが平坦な声で私に告げた。
「退院できるの? その状態で?」
「できるかどうかじゃねえ、すんだよ」
ごほり、と爆豪くんが咳き込む。私は慌てて腰を上げて、爆豪くんの顔を覗き込んだ。顔色は悪くない。ただ、やはり疲れた顔をしている。
肩で息をする爆豪くんに、私は手を伸ばしかけ、やめる。呼吸を整えながら、爆豪くんは言った。
「てめえんとこも新学期始まんだろ」
「始まらないって、昨日連絡きたよ。こんなときだし、このまま休校になるんじゃないかな」
私の言葉に、爆豪くんがひどく不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「それでもいつまでもこんなとこいたら、てめえんとこの親泣くぞ」
「でも、」
「俺ァ寝る。寝顔見たら殺す」
そう言って爆豪くんは、私の返事を聞く前に目をつむってしまった。本当に寝ているとは思えないけれど、寝るといっている爆豪くんを起こすわけにもいかない。爆豪くんに休息が必要なことは誰の目にも明らかだ。
仕方なく、私は椅子から立ち上がった。医療用のモニター類をはずされているということは、爆豪くんのそばに誰かがついていなければならないような状況は、すでに脱しているはず。そっとドアを開け、私は病室を後にした。
廊下を進んでいった先にある休憩スペースに向かうと、光己さんがひとり、紙コップのコーヒーを飲んでいた。私の姿に気付き、ひらひらと手を振ってくれる。
同じ病棟にプロヒーローや雄英生が入院しているためか、行きかう人のなかには、明らかにヒーロー関係者とおぼしき人や、雄英高校の制服をまとった学生がちらほら混じっている。私が爆豪くんと付き合っていることを知っている人もいるのだろうけれど、挨拶など気を遣わせるのもわずらわしく、できるだけ俯いて視線をそらす。
自販機で自分のぶんのコーヒーを買ってから、光己さんのテーブルに近寄っていった。椅子を引いて座ったとたん、どっと疲れを感じた。病室にいるあいだ、これでもかなり緊張していたらしい。
「名前ちゃん、勝己どうしてる?」
「寝るそうです」
「追い出されたんだ」
あはは、と光己さんは笑う。この状況でこの元気さ、さすが爆豪くんのお母さんだな、と感心してしまう。タフさが常人とは違う。
「でもまあ、本当によかったよ。目を覚ましてくれて。生きててさえくれれば大丈夫」
「すごい。構え方がどっしりしてますよね」
「あの子の母親を十六年もやってたらね」
そう言って、光己さんは何か考えるように、じっと私の顔を見つめた。見ていることを隠そうともしないまっすぐな視線に、私はややたじろぐ。
「名前ちゃんも……」
ぽつりと、光己さんは独り言のように小さく呟く。けれど短い沈黙をはさんだのち、続く言葉を彼女は飲み込む。
「いや、なんでもない。それより勝己のやつ、なんか言ってた?」
「さっさと帰れって言ってました」
熱いコーヒーをふうふう冷ましながら答える。光己さんはハァ? と爆豪くんみたいな声を出し、それから大きく溜息を吐いた。
「あの子は本当……。はあ、ごめんね。かっこつけたいだけなんだから」
「いえ、でも、爆豪くんの言ってることが正しいとは思うので」
ずず、とコーヒーを少しすする。舌をやけどしそうなほど熱い。
「爆豪くんが目を覚まして、ひとまずは元気そうで……。そしたらもう、私がここにいる理由はないので。予定通り、明日には静岡に帰ろうと思います。二日間、いろいろとありがとうございました。ご無理を言ってしまってすみませんでした」
「そんなこと言わなくていいんだよ。こっちこそ、名前ちゃんが来てくれてよかった。それは間違いなく、勝己も思ってるはずだから」
光己さんに言われ、私は浅くうなずいた。視界の隅で、雄英生とプロヒーローが何か話をしているのが見える。あんなふうに、いざというとき、誰かの力になれるだけの訓練を重ねていれば、私はまだ爆豪くんと一緒にいられたのだろうか。
考えても仕方がないことが、よりによって今、頭の中をぐるぐると回り始める。こんな思考は爆豪くんにも、ほかの雄英生にも失礼だというのに、分かっているのに。
カップのなかのコーヒーに視線を落とす。黒々とした液体が、天井の照明の光をぼんやりと反射していた。
翌日、予定通り私は静岡に帰ることにした。お見舞いのさいに、荷物ごと叔母さんに病院に送ってもらう。ちょうど光己さんが一度静岡に車で帰るというので、私もそこに同乗させてもらうことにした。
爆豪くんの付き添いはお父さんに任せるらしい。もっとも、爆豪くん本人から聞いたとおり退院がちかいので、その付き添いも半分くらいは無茶をしないよう監視するため、とのことだった。
正直にいって、送ってもらえるのはかなり助かる。一応まだ電車も新幹線も動いてはいるけれど、いつ運行を停止するか分からないような状況だ。無事に動いていたとして、そこで何か事件が起きないとも限らない。
爆豪くんの病室に顔を出すためエレベーターホールに向け歩き始めた矢先、通路わきのベンチの横に、大仰な医療機器をとりつけた車いすがとまっているのに気が付いた。
見える範囲に介助者の姿はない。背もたれにくったりと寄りかかるように座る姿は、とてもではないけれど、病室からひとりで出てこられるような状態の患者には見えなかった。
検査前か何かなのだろうか。もしも困っていることがあれば、誰か看護師を呼んだ方がいいかもしれない。
おそるおそる、私は車いすに近寄る。と、目をつむり顔を伏せていたその人が、私の気配に気づいてなのか、おもむろに顔を上げた。
顔の半分を包帯で覆ってはいるけれど、その顔には見覚えがあった。
「イレイザー・ヘッド……!」
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