もちろん、簡単にはかなわないことは分かっている。そもそも、イレイザー・ヘッドのほうが私なんかよりずっと、そうした技術の発展を望んでいることだろう。
プロヒーローたちの多くが望んでいて、しかしいまだ実現していない夢の技術。だからこれは、高校生の夢見がちな空想なのだ。一笑に付されても仕方ないような、現実味のない妄想。
けれどイレイザー・ヘッドは少しも笑いはしなかった。
「そう思うなら、自分で研究してみればいいんじゃないか」
「え?」
「興味があるなら、自分でやればいい。夢咲女子ってことは、そういうことを視野に入れられるだけの地の学力はあるんじゃないのか」
当然のように言われ、私はぽかんとイレイザー・ヘッドを見つめた。
自分で研究をする。そんなこと、まったく考えてもみなかった──そう思い、しかしそうではない、それは違うとすぐに気付く。
ほんの一瞬だけ、以前そんな未来を思い描きかけたことがあった。まったく具体性のない、あいまいな、それこそ妄想のような思考だ。けれどたしかに一度、私は今言われたのと同じことを想像した。
そして、すぐに諦めたのだ。どうせできないと、思考に蓋をした。以来、意識的に考えまいと努めてきた。
「俺もこういう身体になるにあたって、多少調べたという程度の知識しかないが……。国外には、今きみが言っていたような分野で注目されているラボもあるらしい。熱意さえあれば、国内でも国外でも、やりたいことをやれる場所には行けるだろう。特にきみの言うような研究は、今後まだまだ伸びていく分野だ」
イレイザー・ヘッドの言葉に、にわかに胸が高鳴った。私がひとりで妄想していただけの夢に、思いがけず実現性を見出されたような、そんな気分になってくる。
けれど、そんな高揚した気持ちも、長く続きはしなかった。私はすぐに現実を思い出す。
「……でも、私は」
これまで一度も、研究職に就くなんて進路を考えたことはなかった。研究職に就くとなれば、理系科目は当然必須になってくる。
私は根っからの文系の人間。もしもそんな進路を考えるなら、勉強をまるきりやり直す必要がある。そうでなければイレイザー・ヘッドの言う国外のラボなんて、到底考えられはしない。
今でさえ、成績をキープしながら爆豪くんと付き合うのに四苦八苦している。昨秋以降、成績は上向いていて、このままいけば志望学部は問題なく受かるだろうと言われているけれど、それはあくまで勉強に専念した場合。爆豪くんの都合に今後も合わせ続けるのなら、慢心している余裕など少しもありはしない。
これ以上自分の勉強のほうの負荷を重くすれば、早晩、爆豪くんに合わせることは不可能になる。けれど今の爆豪くんに、私に合わせる余力などあるはずがない。
私が爆豪くんに合わせなければ。「爆豪くんの彼女」に求められる要件を考えれば、それは前提条件だ。
私にはふたつのことを両立する器用さも、才能も、ありはしないのだ。どちらか手放さなければならないなら、私は。
「そんなこと、できない……」
我知らず、右耳のイヤーカフに手を伸ばした。爆豪くんにもらったカフが、私に冷静さを取り戻させる。
「だって、そんなことしたら、」
爆豪くんのそばにいられなくなってしまう。
爆豪くんのリハビリは多分、一年二年でどうにかなるものじゃない。爆豪くんの彼女なら、今の大変な爆豪くんのそばを離れて、自分のしたいことだけするなんて、そんなこと許されない。許されるわけがない。
爆豪くんと一緒にいることよりも、自分の欲を優先させるなんて、爆豪くんの彼女として、そんなのは絶対に正しくない。
私が口をつぐんだことで、その場に重たい沈黙が落ちた。リハビリに励む患者の声と、サポートする療法士の声だけが、背景音のように聞こえつづけている。
しばらくして、イレイザー・ヘッドが溜息を吐いた。そして、
「……まあ、きみの進路だから、きみが好きなように選べばいいが」
俯きがちに視線を下げた私に、励ますでもなく諭すでもなく、あくまで淡々とした調子で彼は言った。
「進路選択において『できない』なんてこと、よほどのことがない限りないよ。それが本当に一握りの『できない』ことなのか、それとも『しない』の言い訳をしているだけなのか、まだ時間はあるだろうから考えてみるといい」
そう言って、イレイザー・ヘッドはもう一度息を吐いた。困惑する私に「じゃあ」と一言告げて、彼はその場を立ち去る。リハビリ中の爆豪くんのほうへと寄っていくと、爆豪くんと理学療法士と何か言葉をかわしたのち、イレイザー・ヘッドはリハビリ室を出ていった。
あとに残された私は、イレイザー・ヘッドの言葉の意味をぐるぐるひとりで考え続ける。
多分、イレイザー・ヘッドの言っている言葉は正しい。彼の提示した進路は魅力的だったし、実際、死ぬ気で勉強に励めば『できない』ことではないのだと思う。たとえ時間がかかっても、到達できない目標ではないはずだ。
でもそれは、正しい選択肢ではないのだ。その道を選び取ることは、どう考えても正しくない。私に求められた役割ではない、選んじゃいけない選択肢。
けれど、それじゃあ正しくないって、誰にとって正しくないことなのだろう。何と照らし合わせたときに、正しくないと思うのだろう。
考えているうちに気分が悪くなってきて、私は頭を横に振る。右耳のカフが妙に重い。まるで耳朶にきつく絡みついているように感じられ、私はぎゅっと目をつむった。
「俺がリハビリやってるあいだ、何喋っとったんだ」
向かい合って夕食を食べているとき、爆豪くんがふいに私に尋ねた。
リハビリを終え、病院近くのファミレスでオムライスを食べている最中のことだ。脈絡なく繰り出された質問は、まるで意図的に不意打ちを狙ったかのようだった。
「え?」
「え? じゃねえ。さっき、うちの担任と喋っとっただろうが」
「ああ、そうだね。イレイザー・ヘッドとね」
そこまで言われてようやく、爆豪くんの言っている意味を理解した。彼の言葉が足りていないのもあるけれど、私の頭も今はあまりうまく回っていない。それこそ病院でイレイザー・ヘッドと話してからというもの、私の頭のなかは一切整頓されないまま、ずっとぐちゃぐちゃになっていた。
この状態で、うまく爆豪くんに説明できるとは思えない。もとより、あまり爆豪くんに話したい内容でもない。どうにか核心をぼかしつつ、私はごまかそうと試みることにした。
「担任の先生って、リハビリで何やってるかとか、そんなことまで気に掛けてくれるんだね。雄英だからなのか、イレイザー・ヘッドだからなのか分かんないけど、すごいよね。うちの学校の先生も親身ではあるけど多分あそこまでじゃ、」
「わざと俺の質問無視してんなら殺す」
試みは、あっさり失敗に終わった。まあ、そうだろう。私ごときが爆豪くんの目と耳をごまかすなど、一万年あってもできる気がしない。これまでにも何度か爆豪くんに隠し事をしようとしたことはあったけれど、そのうちうまくいったことなんて、せいぜい一回か二回くらいじゃないだろうか。
爆豪くんの射るような視線が痛い。爆豪くんが本気で私を問い詰めようとしたら、多分私は本当に、ひとつ残らずすべて白状してしまうのだろう。そんなことを思いながら、私はしぶしぶ降参した。
「や、なんか……突発で進路相談みたいな話、してたかな……」
「ハァ? なんでうちの担任が他校生の、それも普通科のてめえと進路の話なんかすんだ」
「いやぁ、なんでだろうね。世間話の流れっていうのかなぁ……、なんか気付いたらそんな感じになってて」
「訳わからん」
「だよね。私も今になって、なんであんな話になったんだろうって思ってる」
苦笑しながら言うと、爆豪くんはまだ疑り深げな目で、私を探るように睨めつけた。その視線を受け止めながら、私はオムライスを口に運ぶ。
イレイザー・ヘッドとのやりとりは、けして爆豪くんに隠さなければならないような、秘すべき内容ではなかったはずだ。本当に進路相談に乗ってもらっていただけなのだし、どのみちその道を選ぶことはないということも分かっている。ふつうにさらっと話して、それで終わりにしてしまえばいい話題だった。
それなのに、どうしてか爆豪くんには言えなかった。言いたくなかった。その理由が自分でもよく分からないまま、私はオムライスにスプーンを差し入れた。
★
敷地内の見回りのために教員寮から外に出ると、視線の先に制服姿の爆豪の姿が見えた。向こうも俺に気付いたのか、目が合うとこちらへ歩いてくる。
ずいぶん日が長くなったとはいえ、すでに辺りは真っ暗だ。リハビリが終わった後、さては彼女と飯でも食ってきたらしい。そのまま週末は実家に戻ればいいものを、土曜の補習のために寮に戻ってきているのだから、つくづく真面目なやつだ。
歩いてきた爆豪は、俺のすこし前で立ち止まると、じっと俺の顔を見上げた。まだあどけなさを感じる顔に、ひとつ残った傷跡が痛々しい。本人は「勲章」と平気な顔をしているが、生徒が傷ついて心穏やかでいられる教師のほうが少ない。たとえそれがヒーロー科であったとしても。
「先生」
「なんだ、帰ったか。門限間に合ったな」
「ん」
短く小さな返事をして、爆豪は自由に動くほうの左手で、そわそわとシャツのそでをさわる。こいつにしては珍しい態度だ、と思いながら無言でその様子を見ていると、しばらくしてから爆豪が、言いだしにくそうに切り出した。
「苗字と何の話した?」
ああ、なるほど。それで今の態度か。合点がいくのと同時に、爆豪の十七歳らしい面を見たようで、なんとなく微笑ましい気分になった。
連合や死柄木、AFOとの戦いを経て、爆豪はずいぶん成長した。だが、子どもらしさを失ってほしいとまでは思っていない。そしてそれは爆豪相手にかぎった話ではない。
自分の教え子ではないながらも、悩める子どもが視界に入り込めば、嫌でも気になってしまう。教師という職業の業だなと、自分で自分にきまり悪さを感じる。
「本人から聞いたんじゃないのか。一緒に飯食って帰ってきたんだろ」
「あいつは……進路相談みてえなことっつっとった」
「進路相談……。たしかにそうかもな」
爆豪の彼女がどういう人間なのかは、二度話しただけではあるものの、だいたい想像がつく。爆豪と付き合っている時点で、それなりに頭のいい学生なのだろうとは思っていた。彼女の通っている高校の偏差値を考えても、学力の高さは明らかだ。
しかし今日話した彼女からは、その賢さがよくない方向に働いているのを感じた。小さくまとまっている、とでもいうのだろうか。いや、あえて小さくまとまろうとしている、か。
爆豪の打ち立てた功績と、そのあとのたゆまぬ努力。大人でも目を瞠るような爆豪の在り方に、悪い意味で引っ張られている。そんな感じがした。
しかし、それを爆豪に話すべきかどうか。ここに大人が絡むのは、当人同士にとって良くない気もする……。つーかぶっちゃけよく分らん、高校生の恋愛なんざ俺の専門範囲外だ。
面倒くさいことになったな……。正直な感想はそれだった。
どうしたものかと答えあぐねていると、煮え切らない俺にじれたのか、爆豪のほうが先に口を開いた。
「別に、何から何まで会話の内容教えてくれなんて、んなだせえこと言わねえ。……俺が知っといた方がいい話があったかだけ、教えてほしい」
そう言った爆豪の声は、真剣さや深刻さを、わざと隠そうとしているようだった。視線をそらした爆豪の姿を見て、気付く。多分こいつはすでに、彼女があまりよくない方向に傾いていることを、うすうす察している。
ただ、完全にはその意味を理解していないし、引き戻す方法もわかっていないのだろう。十七の子どもにそこまで望むのは、土台高望みというものだ。
どうすべきか分からなくなって、それでこうして俺のところに来た。それは高校生の在り方として、多分正しい。
溜息をひとつ吐き出す。風が吹いて、木々の葉がざわめく音がする。
「進路で悩んでたってのは本当だ。普通科の二年なんだから当然、いろいろと悩むことはあるんだろうが」
そこで一度言葉を切り、それとなく爆豪の様子をうかがった。納得した顔はしていない。けれど、食い下がろうとするほどのしつこさも、今はまだなさそうだった。
「まあ、なんだ。おまえが戦うのを見ていて、いろいろと思うところがあったんじゃないか。気になるなら、あとは俺じゃなく本人に聞け。付き合ってるんだろ」
「……わーった」
爆豪は目を伏せ、一応形だけ頭を下げるようなポーズをとった。こいつ、こういうところで礼儀正しさを見せようとするから、可愛げがあるんだよな……。それを言うならうちのクラスのやつらは全員、可愛げがあるやつらばかりだが。
爆豪との話も終わったところで、今度こそ見回りに出ることにする。手に持った懐中電灯の動作確認をかちかちやっていると、さっき頭を下げた爆豪が「先生」とふたたび俺を呼んだ。
「なんだ、どうした?」
爆豪は暗闇のなか佇んで、じっと自分の右腕を見ている。
しばらくの沈黙ののち、爆豪は言った。
「んや、やっぱなんでもねえ」
「……そうか。さっさと寝ろよ。夜更かし組にもそう言っとけ」
「おー」
学生寮のほうへと歩いていく爆豪の後ろ姿を、俺は黙って眺める。学生の恋愛に口出しなんかすべきじゃない。まして肩入れなど絶対にすべきじゃなかった。そう思ったところで、すでに後の祭りだった。
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