柚子子
2024-10-04 11:19:34
174956文字
Public ベリーベリー
 
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微原作沿 爆豪長編(4)

サイトに掲載している長編の第四章です。今回の話から最終話までのネタバレ(コミックス未収録回)を含みます。

 ★

 苗字を家まで送り届けたあと、実家に戻るまでの道を歩きながら、ぼんやりと苗字のことを考え続けていた。
 あのアホ根暗が、俺の女じゃなくなった。今更のように、その実感がやってくる。
 今日、別れ話をされるかもしれないというのは、なんとなく勘のようなもので分かっていた。確信があったわけではないし、そうでなければいいとも思っていた。
 しかし待ち合せの時間、改札の前で俺を待つ苗字の顔を見た瞬間に、覚悟を決めたのはたしかだった。
 むろん俺だって、苗字の言い分に完全に納得したわけではない。そもそも俺は、苗字に何一つ強いていない。献身的であれと命じた覚えもない。自己犠牲? そんなもんはクソくらえだ。
 どちらかといえばむしろ、俺は根暗には奔放に生きていけ、クソ生意気女のてっぺんとってけ、くらいに思っていたはずだ。健気になよなよされたところで、かえってこっちの気が散るだけ。
 俺がいなくても平気で生きている、俺のことなんか二の次にしか考えていないような苗字だから好きだった。そういう苗字だから、ときどき俺のことで頭がいっぱいになっているのが小気味よかった。
 苗字は能力が低い人間ではない。アホで根暗でしょうもなくはあるが、バカではない。
 もしかしたら俺は、だからどこかで慢心していたのかもしれない。
 あいつなら全部、なんとなくうまいことやるだろうと。俺が自分のことに専心していても、あいつはあいつでいいようにやるだろうと。そう思い込んでいたのかもしれない。
「バカがよ……
 誰にともなくつぶやく。誰がバカなのかなんて、わざわざ考えるまでもない。
 思い返せば、予兆はたしかにあったのだ。
 あいつの聞き分けがよくなったこと。本当は俺だって気付いていた。だんだんとあいつがおとなしくなって、むかつく生意気なことも言わなくなっていたこと。
 俺に期待することが減っていたこと。手をつなぎたいなんて幼稚園児レベルの要求すら、こちらから状況を整えなければ言い出せなかったこと。
 いつも言葉を呑み込んでいたこと。口が減らないように見えていたのだって、そういう態度を俺が無意識に求めていたからかもしれない。
 いつもいつも、苗字の希望をないがしろにしてきたこと。何度も何度も、期待させては失望させたこと。
 あのクソ生意気で我の強い苗字が、ずっと俺の都合を優先させて、俺の事情に付き合って、折れて、従って、うなずくばかりになっていたこと。
 一度目の死柄木戦のあと、たった一度感情を優先させようとした苗字を、理詰めで納得させて折れさせたのは俺だ。意識を失っている俺の面会のため、親を説得して千葉までやってきたあいつに、目を覚ました俺はなんと言っただろうか。
 状況がそうさせた、という言い訳くらいはできる。感情を優先させている場合じゃなかった。大多数の安全のため、引っ込めなくちゃならない個人の感情なんか、苗字だけに限らず、そこら中にいくつでもあった。
 しかし、その結果がこれだ。ツケが回ってきたとしか言いようがない。
 苗字が自分を怠慢というのなら、俺だってフォローを怠った。自分のことでいっぱいいっぱいで、苗字のことまで考える余裕なんかなかった。
 やりたいことよりも、やれることを優先させた。
 挑戦するよりも、安牌を選ばせた。
 あいつの先にある数多の未来から、無理やり目を逸らした。
 気づいていて、気づかないふりをした。
 目の前のことをこなしていくのに精一杯で、出久の背中に食らいつくだけでぎりぎりで、打ち倒さなけりゃならないやつがいて、強くならなくちゃいけなくて──そういうことにかまけている場合じゃなくて。
 それが終わったら今度は、自分のリハビリが始まって、新しい生活に、新しい立場にいやでも慣れていかなきゃいけなくて。
 だから、考えようともしなかった。俺はいつでも、あいつを後回しにしていた。
 いや、考えなかっただけじゃない。俺は心のどこかで、それを都合がいいとすら思っていた。
 右手がきかなくなって、心臓が、全身が、元通りには程遠い状態になって。びびらなかったといえば嘘になる。心細さがまるでなかったはずがない。
 そういうとき、苗字がいてくれるのがありがたかった。根暗が付き添ってくれているのが、心強かった。
 家族でもない、ダチでもない。俺が自分で選んで、俺を自分で選んだ女がまだ、俺のそばにいてくれることが。
 クソみたいな身勝手だった。だからせめて、よかったと思う。苗字がつぶれてしまう前に、あいつの手を離してやることができたから。
「クッソ……
 あんな根暗のために泣きたくなんかないのに、勝手に出てくるものはどうしようもなかった。

 ★

 短かった夏休みもあと数日で終わる。「俺ァ寝る」と共同スペースからかっちゃんが立ち去ったあと、残ったみんなのあいだには、なんとなく微妙な空気が漂っていた。
 実家帰省から帰ってきたかっちゃんに、彼女と花火大会どうだった? と聞いたのは上鳴くんだったと思う。かっちゃんはA組で唯一の彼女もちだから、これまでも何かにつけて、こうして恋愛の話をふられる機会が多かった。
 苗字さんとのことを聞かれるたび「うるせえ」「関係ねえだろ」「殺す」の三つで対応していたかっちゃんだったけれど、今回は様子が違った。怒りだすことも暴言を吐くこともなく、静かに呼吸をしたかと思えば、「別れた」「俺がフった」と何でもないことのように言った。
 以降、かっちゃんに苗字さんの話を振れる猛者はあらわれず、A組ではこの話から数日経った今でも、微妙にそわついた空気が尾を引いている。
 今、共同スペースに残っているのは僕と切島くん、芦戸さん、それに上鳴くん。かっちゃんが寝に行くのと入れ替わりで僕がおりてきたことで、なんとなく僕までこの微妙な空気の一員のようになっている。
「やっぱなー、なんかこう、納得できねー」
 やおら言い出したのは、ソファーにごろりと転がった上鳴くんだった。テレビを見ていた切島くんと芦戸さんが、そろって上鳴くんに視線を向ける。お茶を飲みに来た僕も、つられて上鳴くんを見た。
「納得って、なにが?」
「爆豪が彼女と別れてんのだよ! 俺は全然、まじで全然納得できねーのっ。だってあいつ、フッたなんてぜってー嘘じゃん!」
「あー……
 切島くんが苦笑いを浮かべた。上鳴くんの言い分は、みんなが薄々感じていたことでもあった。
「なんであんなにすげーやつがさぁ……だってあんな、爆豪なんて緑谷に次ぐ功労者だろ! なんでそんなことになっちまうんだよー!」
 ぼくは別に……、と言おうとするも、上鳴くんは僕の言葉など聞いておらず、ソファーの上で駄々をこねるように転がる。
「やっぱ右腕きかんくなったからなのか? 腕が使えねえ爆豪は重たいみたいな……そういうことか!?」
「おい、上鳴……
「言いたかねーけどさぁ、それはちょっと、さすがに薄情なんじゃねーの!?」
 上鳴くんの言葉を最後に、しんと共同スペースに沈黙が落ちた。テレビのバラエティ番組の笑い声だけが、やけにしらじらしく空白の時間をうめていく。
 薄情というその言葉が、頭のなかで苗字さんの姿に重なり、離れていった。
 たしかに苗字さんは情にあついというタイプではないし、どちらかといえば淡泊な雰囲気を持っている。ヒーロー科にはいないタイプのひとだ。
 けれど多分、薄情というわけではない。少なくとも、かっちゃんに対する苗字さんは、けして薄情なんかじゃなかった。
 僕がそう思ったのとほとんど同時に、芦戸さんが「そういうんじゃないんじゃないかな」と言った。続けて切島くんも「ん、俺もそう思う」とうなずく。最後に僕も「僕も……」とひかえめに加わった。 
「俺は爆豪のことしか分かんねー、ていうか名前ちゃんのことそんな知らねーけどさ。そういう右腕きかんくなって、こっからしんどいだろう爆豪のこと、それを理由にフれるような子だったら、そもそも爆豪があんなに大事にしてねーと思うんだよな。上鳴も見ただろ、わざわざ千葉まで来て、病院通ってる名前ちゃん」
「と、その名前ちゃんを見てる爆豪ね」
 切島くんと芦戸さんに言われ、上鳴くんはむっと口をとがらせた。
 苗字さんがお見舞いに来ている姿は、あの当時クラスのみんなが目撃している。僕はそのすぐ後からみんなと別行動をしていたから、リアルタイムの空気は分からない。とはいえ僕が雄英に戻ってからも「ああいうの、俺もやってほしい。お見舞いに来てくれる彼女が欲しい」みたいな話が、ちらほら聞こえたりはしていた。
「結局、私らって根っからヒーロー科だしねーぇ」
 切島くんの言葉を、芦戸さんが引き継ぐ。
「麗日じゃないけど、前線で戦うヒーローとしては、ちゃんと支えてもらえるってゆーの、やっぱ心強いよね。でも、そうやって支えるのだって、しんどいことはたくさんあったんじゃないかなっていうのは、最近いろいろ考えるよ」
「まして、相手は爆豪だしな。並の胆力じゃ支えらんねーわ」
「そもそも支える方にだって、自分の生活もあるわけじゃん? 支える方にのめりこむと、共倒れーってことも有り得るよー」
 切島くんと芦戸さんに立て続けに諭され、上鳴くんがうめく。
「けど、だからって今じゃなくていいだろ……。別れるにしてもさ、せめてもうちょっと、爆豪のこと考えたらさぁ……
「今だから、じゃないかな」
 なおも納得できなさそうな上鳴くんに、僕はそっと口をはさんだ。上鳴くんのうるんだ目が僕を見る。
 こういうことに詳しくはない僕でも、かっちゃんと苗字さんのことなら多分この場でいちばんよく知っている。
 それに、もう一点、おそらくだけどこの場で僕だけが持つ、別の視点があった。
「かっちゃんにとっても大変な時期だけど、苗字さんにとっても多分、今は大事な時期なんだよ」
 ヒーローじゃない進路を一度でも真剣に考えたことがあるのは、この場で僕ひとりだろう。就職にせよ進学にせよ、この先のことが何一つ定まっていない高校二年生という意味では、僕はこの場で唯一、苗字さんと同じ立場の人間だといえた。
「個性のこと、残り火のこと……、いろいろあって、僕はこのところ進路のことを考えることが増えたんだけど……
 開いた手のひらを、ぼんやりと見つめる。
「僕らヒーロー科は、卒業したらまず間違いなくヒーローになるよね。だから忘れがちだけど、ふつうの高校生にとって高校二年の夏は、受験や就職のこと考える、大事な時期なんだと思う」
 三人が、僕にかける言葉を見つけあぐねている、そんな空気を感じる。けれど僕はべつに、慰めてほしいわけでも、励ましてほしいわけでもなかった。事実は事実として、もうちゃんと受け入れている。
「だから僕は、……かっちゃんが苗字さんをフったっていうの、あながち嘘じゃないと思う」
 かっちゃんはきっと、分かってしまったんだろう。大事な時期の苗字さんを、いつまでも自分に付き合わせてはいられないということ。けれどふたりが恋人である限り、苗字さんはかっちゃんを放り出せない。
苗字さんも結構真面目……というか、頑固なひとだから……
「まあ、あの爆豪と付き合えんだもんね」
「うん、そうなんだ」
 芦戸さんの合いの手に、僕は頷いた。本当にそのとおりだと思う。
「上鳴くんがさっき言ってた薄情っていうのも、今のかっちゃんと別れるって聞いたら、多分みんな少なからず同じことが頭をよぎる気がするんだ。それは苗字さんも同じというか」
「まあ実際、名前ちゃんの場合は外堀も埋まってるしね。ここで別れるってなったら、風当たり強いよね」
「みんな名前ちゃんのこと、爆豪の彼女として当然これからも支えていってくれるもんだと思ってたしな」
 そういう圧が、きっと苗字さんにはかかっていた。言葉にしなくても、かっちゃんだって望んでいただろう。そうじゃなければ、あんなふうに公然と、苗字さんを恋人扱いはしない。
「別れるなんて言い出したら、薄情だって思われるかもしれない。周りからもかっちゃんからも、詰られるかもしれない。そう思ったら、苗字さんから別れようとは」
「言えないよね……
「うん……。かっちゃんが頑張ってたのを、やっぱり苗字さんも見てるし、実際ここまでかっちゃんのこと支えてきてるんだよ」
「自分の気持ち呑み込んで丸く収まるなら、てなるわな」
「だから、苗字さんが握った手を離せなくなってたから、かっちゃんが外してあげた……って感じなのかな、と僕は思うんだけど……
 そこで僕は上鳴くんを見た。芦戸さんと切島くんも、やはり同じように上鳴くんを見る。
 三人分の視線に見つめられた上鳴くんは、しばらくぶるぶる震えてから、うわぁーっと叫んでソファーに顔を押し付けた。
「だとしたら、余計にやりきれねーよぉ!」
 上鳴くんの言葉はまったくその通りだった。けれど僕らにできることは一つもない。今はただ、かっちゃんと苗字さんがそれぞれ、本人にとってのいい方に進むことを祈るしかなかった。