避難所での生活にもすっかり慣れたなと、カレンダーを見ながら考える。すでに四月も折り返し、避難所生活をはじめてから半月ほどが経過していた。
今のところ、状況は膠着状態。既存の報道機関やメディアはほとんど壊滅的で、私たち一般市民におりてくる情報など、たかが知れている。
敵連合の首魁である死柄木弔は姿をくらましたまま、ヒーローたちが日夜その捜索をおこなっている。たったそれだけの情報が、わずかに残った報道機関から細々と伝えられていた。
「カツキのやつ大丈夫かなぁ」
ある日の夕方、かりあげくんがふとこぼした。視線は空を向いている。ヒーローでもいるのだろうか、と私も空に向けて目をこらしてみたけれど、私の目では何も観測することはできなかった。
避難所では中学時代の友人と一緒に過ごすことが多いけれど、かりあげくんとも時々こうして話をする。たいていは向こうから声をかけてくるので、配給品のおやつを食べながらぼんやりしたり、そんな感じで過ごしていた。
「なんで急に爆豪くんのこと思い出したの?」
おやつのドーナツを食べながら、私はかりあげくんに尋ねる。避難所内のあいた場所に簡易的につくられた、プラスチックのベンチを並べただけの談話スペースには、今は私とかりあげくん、それに少し前にこの避難所にやってきた親子づれしかいなかった。
かりあげくんは、指についた粉砂糖をなめて言った。
「なんとなく。けど雄英生ってことはさ、次の戦いもやっぱ、カツキが最前線に出る可能性は高いよな?」
「どうだろうねぇ。一口に雄英生っていったって、個性にもよるだろうし」
「カツキの爆破は、どう考えても最前線だろ」
「分かんないよ。そもそもプロがそれなりにいるっていうのに、学生のちからをどの程度頼りにするかって問題もあるだろうし」
「プロ、めちゃくちゃ減ってるじゃねえか」
「それでも学生を最前線に出すまではいかないんじゃないかなぁ」
避難所に入って以来、かりあげくんとはよく、こうして爆豪くんの話をする。女子の友人とも話はするけれど、彼女たちはやはりまだ、爆豪くんへの苦手意識がぬぐえないのだ。その点、中学時代に爆豪くんとつるんでいたかりあげくん相手ならば、爆豪くんの話をしやすかった。
「むしろ後方支援に回されたところで、カツキは勝手に飛び出していく可能性ある」
「う、それはないとも言い切れ……いや、でも最近の爆豪くんは、そういうルールを無視したことしない気もするなぁ」
私が言うと、かりあげくんが怪訝そうに眉根を寄せる。
「えっ、カツキが? カツキだぞ?」
「うん。特に次の戦いは本当にシビアな戦いになるんだろうし。そういうところで、統率を乱す勝手なことは、多分しないと思うよ」
ドーナツの最後のひとくちを口に放り込んで、私も指先をぺろりと舐めた。「ハンカチくらい使えよ」と、かりあげくんが自分のことを棚上げして苦言を呈してくる。
爆豪くんの友達って、全体的に爆豪くんぽいな……。そんなことを考えつつ、かりあげくんの小言を無視して、私は続けた。
「多分だけど……雄英生だし、爆豪くんだし、やっぱり最前線にはいるんだろうな、とは思う」
「そうだろうな。あいつ優秀だもんなぁ」
「でも、できればそこにいてほしくない、とも思うよね。応援するしかない立場の人間として、本当はあんまりそういうこと、言っちゃいけないのかもしれないけど」
素直な本音を吐露すると、かりあげくんは黙り込んだ。多分だけれど、かりあげくんも私と同じ気持ちなのだろう。
かりあげくんだけではない。爆豪くんを知っている人たちはみな、彼のことをよく思っていない私の友人たちでさえ、誰しもが爆豪くんの無事を願っている。
知っている誰かに傷ついてほしい人間などいない。プロヒーローならば傷ついてもいい、というわけではないけれど、やはり見知った相手であれば安全を願う気持ちはいっそう強くなる。
最前線に出れば、きっと無傷ではいられない。無理だと分かっていても、それが爆豪くんにとっては不本意であろうとも、できることならば後詰めであってほしい。
「無傷で勝てたら、そりゃあかっこいいんだけどね。でも、きっと、そんなに甘くはないんだろうね」
「だな。死柄木だけでもやばそうなのに、荼毘とかさ、いろいろいるわけじゃん。あと脳無とか。その相手をして無傷でってのは、やっぱさ」
「信じるしかないんだろうけど、……信じ切るのって、難しいよね」
爆豪くんならば大丈夫、と思えるほど、私は爆豪くんのヒーロー科生徒としての実力を知らない。もちろん彼が規格外に優秀であること、クラスでもトップを争うほどの戦闘能力を有すること、あのエンデヴァー事務所にインターンに行くことが許されるほどの実力者なのだということは知っている。けれどそれはすべて、実態のわからない情報でしかない。
どれだけ優秀な肩書を持っていても、一度も爆豪くんの戦いを見たことがないのだ。不安はずっと、付きまといつづける。
右耳につけたイヤーカフを、指先でそっとなぞる。一度紛失し、ミルコに救けてもらって見つけて以降は、ことあるごとに耳にカフがついていることを確認している。もう二度となくさないように。
しばらく、沈黙が落ちた。かりあげくんはかりあげくんで、何か考え込むような瞳で、ぼんやりした顔をしている。やがて、
「今更なんだけど、苗字ってまじでカツキのこと好きなんだな」
ふいにかりあげくんが、ぼそりと呟くように言った。
「え、なに。いきなり」
「苗字ってカツキに脅されて付き合ってんのかなって、半分くらいは本気で思ってたから」
「かりあげくんのなかの爆豪くんって、どんなイメージなの」
「いつかヒーロー界を牛耳る男」
「すごい悪そう」
「表からも裏からも、掌握していくんだよ。あいつは」
「爆豪くんそういうのに興味なさそうだけどね」
くすくす笑っていると、かりあげくんも笑う。斜にかまえたようなニヒルな笑い方は、少しだけ私に爆豪くんを思い出させた。
しばらくして、かりあげくんは再び口を開いた。
「俺、中学ンときはカツキの友達ってより、取り巻きって感じだったけど、それでもまあ、カツキのことはまあまあ近くで見てたじゃん。で、思うんだけど、苗字ってたぶん、結構勝己の好きなタイプなんだよ」
「うそうそうそ、それはない」
「全否定するじゃん」
カツキに言ってやろ、とかりあげくんが言う。別に言っても構わないけれど、それを言ったら怒られるのは十中八九かりあげくんの方だと思う。
「で、カツキはたしかにヤンキーだけど、真面目なやつではあるだろ。緑谷とのことは……、まあ、あれはやりすぎだったけど。でも、緑谷への態度がそもそもカツキのイレギュラーだったっていうか。あいつ、根は真面目なんだよ。自分にも他人にも厳しい。三年になってからは特にそうだったな」
うん、と私はうなずく。かりあげくんの語る爆豪くんの姿は、私が知っている爆豪くんの姿とぴたりと重なる。
「それでいくと苗字も、タイプは少し違うけど、真面目で気も強くて、ちゃんとしていたいってタイプっぽいし。あれ、この話ちょっと前にもしたっけ」
「したね。優しくないって言われた」
「まあ、不良の俺から見ればね。それでも、カツキが好きになるのは分かるなと思ったよ」
「かりあげくん……」
うっかり、感極まってしまった。最近ちょっといろいろあったから、若干涙腺がゆるんでいる。泣きそうになる私を見て、かりあげくんは「待った」と慌てて言葉を付け足した。
「いや、勘違いしないでほしいんだけど、俺は全然、まったく苗字はタイプではない」
「は? そんなの分かるけど。ていうか、なんで急にふられたの、私」
「だってこの流れで俺も苗字のことが……みたいになっちゃったら、カツキにバレたときに俺の人生終わっちまうわ」
「たしかに『ふざけんな俺はあんな根暗のことなんざまったく好きじゃねンだよ、適当なデマを流してんじゃねえ』くらいは言われると思うけど」
「そういうのじゃなくて……、いや、まあ、いいんだけどさぁ」
かりあげくんが肩をすくめて笑う。つられて私も噴き出した。
今こんなふうに、爆豪くんの友達と私が笑いあっているところを見たら、爆豪くんはなんて言うだろう。そんなことを思い、ポケットに入った携帯に手を伸ばしかける。けれど結局、爆豪くんに連絡するのはやめておくことにした。
決戦を前に緊張感がいや増しているだろう爆豪くんに、こんなくだらない日常の話をできるはずがなかった。
★
避難所生活のただなかにあっても、学生の本分が勉強であることに変わりはない。避難所運営の手伝いをするかたわら、私は空いた時間で学校の勉強を続けていた。
電気の供給が不安定なので、勉強できるのは基本的には日暮れまで。とはいえ四月も半ばをすぎ、日がだいぶ長くなってきていた。学校が休校になっている今、日中だけでもあいている時間は腐るほどある。
勉強をしていると嫌なことを考えずに済むのは、避難所に入る前から変わらない。現状は未だ先行き不透明のままだ。
ついでに、避難所はもともとヒーロー科を設置した高校、すなわち教育施設だ。自分で持ち込んだ勉強道具だけでなく、避難所になっているこの学校の備品の教材も借りることもできたので、勉強をするのに困ることはあまりなかった。
「名前ちゃんすごいね、この状況で勉強しようとか、まったく思えないんだけど」
開放された図書室には、私以外にも時間を持て余した避難民が、ちょこちょこと顔を出している。私がひとりで勉強をしていると、たまたま図書室に立ち寄った友人のひとりが、ふらりと顔を見せた。友人は私の手元の教材を覗き込み、言う。
「勉強しようって、そもそも思わなくない? 親とかも、やれとも言わないし」
「でも、いつまでも避難所生活が続くわけじゃないでしょ」
私は参考書を閉じ、大きくのびをした。今日の勉強はこのあたりまでにしよう。ちょうど今、区切りがついたところだった。
勉強道具を片づけつつ、私はこたえた。
「そもそも、いつになるかは分からないけれど、そう遠くない未来にヒーローが敵連合を倒してくれるはずだし、私たちはそれを信じてるわけだよね。だったら、いざそうなった後のことを考えて勉強しておかないと、やっぱり困るじゃん」
楽観的なことを言っているという自覚はあった。それでも、そう思わなければやっていかれない。私が勉強を続けるのは、ヒーローたちが敵連合に勝つ未来を信じているから。ここで勉強を、未来の自分のための努力をやめるということは、ヒーローたちの勝利を信じないと言っているも同然だ。
目の前のすべきことはやっている。それならば、そのうえで、未来のためにすべきことをする。爆豪くんを信じ、信じていることを表明するために、私は私で勉強を続けている。
友人は、私の話を暗い顔で聞いている。能天気だと思われただろうか。そう思うと、少しだけ悲しくなった。
実際、私はだいぶ能天気なことを言っている。友人が悲観的になるのも仕方のないことだ。
友人だけではない。避難所にはときどき、悲観的で厭世的な空気が霧のようにたちこめ、いつのまにか蔓延しているときがある。
いつもそうというわけではない。みんな希望を捨ててはいないし、たとえそれが取り繕ったものであろうとも、なるべく笑顔を心掛けるようにしている。私だけでなく、ほかの避難民たちもそうだ。
けれどときどき、それはやってくる。虚飾を剥がし、悲観的な本音を隠せなくなる。そんな霧は音もなく現れては、ふっとすべてを覆いつくす。そして、私たちをどうしようもない絶望的な気分にさせていく。
「……ヒーロー、勝つのかな」
ぽつりと、友人がつぶやいた。
「だって、一度戦って、ほとんど負けみたいな状態に持ち込まれているわけじゃん。あれからヒーローの数だってずいぶん減っちゃったし、強いヒーローたちだってけがを負ってたりして……。状況だけ見たら、前回より次のほうが、確実に不利だよね」
「だけど、私たちが信じないと。勝てるって、勝ってくれって祈って、ヒーローたちのことを応援しないとさ……。私たちにできることって、多分そのくらいしかないんだし」
やれることをやるしかない。そして信じること、祈ること、応援することは、私たち銃後の人間にできる、数少ないやれることだ。
やれるからやる。できるから、やる。爆豪くんが、ミルコが、イレイザー・ヘッドが、それぞれにできることをしている。それならば私も、私にできることをしなくてはいけない。
「名前ちゃん、なんか変わったね」
友人が、ささやくような声音で言う。急に気恥ずかしくなって、私は友人から視線を逸らした。
「爆豪勝己と付き合ってるからかな。前よりもなんか、ヒーローに好意的になったよね」
「爆豪くんと付き合ってるかどうかは関係なく、ヒーローに肩入れはみんなするんじゃないの? 叩いたって、仕方ないじゃん……」
「でも、ヒーローに失望してる人たちだってたくさんいるじゃん。連合に勝ってほしいわけじゃなくてさ、ただ、ヒーローに希望を見いだせない人たち」
その言葉には、妙に実感がこもっていた。そのことが感じ取れ、私は息苦しいような気分になる。きっと今の言葉は、ほかでもない友人自身の本音だ。
信じたい気持ちも、応援したい気持ちももちろんみんな持っている。それでも、寄せた信頼は一度ならず裏切られた。ヒーローは私たちを助けてはくれないかもしれない。ヒーローは悪に打ち負かされるかもしれない。そんな思いを、少なからず抱えているひとはきっと大勢いる。
椅子から立ち上がる。暮れかけた夕日を窓ガラスの向こうに見ながら、帰り支度をととのえる。図書室には、私たち以外に誰もいなかった。私と友人もまた、連れだって図書室を出る。
居住棟に向け歩きながら、私は先ほどの友人の言葉に返す言葉を探した。果てしなく個人的な話だから、話したところでどこまで言いたいことが伝わるか分からない。けれどとにかく、話をしようと思った。
「爆豪くんのお見舞いにいった病院とか、避難所とか、いろんなところでさ」
唐突な話しはじめにも、友人はうん、とうなずいてくれる。その表情から、私もまた理解した。彼女も会話を、話をしたいのだ。心の中でひとりで不安を抱えているのは、とても怖いことだから。
「身体の一部を失ってもまだ、戦おうとしている人たちがいるのを見ちゃったんだよね。ものすごいケガして、自分の生活もたぶんままならないような状態になって、……でも、できることをしようって、できるからやろうっていうヒーローを見ちゃったから。そんなの、応援するしかないんだよ」
病院でも避難所でも、ヒーローたちはいつも、まっすぐ前を向いていた。後ろを向くいとますら与えられず、石礫を投げられて、それでもなお、腐ることもせず彼らは戦いに向かっていく。
「意思を捨てないでいてくれる人たちがいるのなら、せめて自分にできることは、したいと思うよ」
そのときだった。
言葉を口にしたその瞬間、私の胸に、何かひらめくものがあった。
一瞬のことだったから、はっきりとその感覚をつかまえられたわけではない。けれどたしかに、今私のなかで、何かが輝きを見せたのだ。
なんだったのだろう、今の一瞬の感覚は。
つかみ損ねたものを思い、私は戸惑う。けれどすぐ、隣に友人がいることを思い出した。今はひとまず、ひらめいて消えたもののことはわきに置いておく。友人に向け、私はぐっとガッツポーズをつくった。
「だから、勉強だよ。この戦いが終わったときのためにも、すべきことはしておかないと」
「ああ、結局そこに戻ってくるんだ。なんか、名前ちゃんって感じ……」
「というか日本がガタガタになっても、受験って多分毎年あるし」
「嫌なこと言うねぇ……」
顔をしかめる友人に笑いかける。そうして話をしながらも、私はまだ、先ほどつかみ損ねた感覚がなんだったのか、頭の片隅で考え続けていた。
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