柚子子
2024-10-04 11:19:34
174956文字
Public ベリーベリー
 
774987

微原作沿 爆豪長編(4)

サイトに掲載している長編の第四章です。今回の話から最終話までのネタバレ(コミックス未収録回)を含みます。

 半年前、少しだけ親しくなった書店員に告白されたことがある。そのときから、私はずっと変わらない。
「好きなんだから、仕方ない」。
 仕方ないのだ。私は爆豪くんのことが好きだから。爆豪くんに別れを切り出されるまでは、好きだから頑張って、少しくらいの寂しさや苦しさは見て見ぬふりして、それでもどうにかやっていくしかない。本心から、私はそう思っていた。
 あのときから、今も私は変わらないままだ。今もまだ、好きなんだから仕方ないと思っている。
 それでも、今もしも私と爆豪くんが別れることになるとしたら、それはきっと私から別れを切り出した場合なのだろう。悲しいけれど、そんな想像ができてしまった。
 爆豪くんは、私のことを今も変わらず好きでいてくれている。少なくとも今のところ、爆豪くんには別れる理由がないはずだ。
 別れる理由があるのは、私のほう。
「言えない……。言えるわけない」
 呟いた言葉は、私しかいない部屋のなか、響くこともなかった。ただ口からこぼれて、落ちて消える。
 爆豪くんは何も悪くない。爆豪くんのことを嫌いになったわけでもない。それなのに別れようなんて、私に言い出す権利があるのだろうか。徹頭徹尾、私の問題でしかない、私の都合でしかないのに、爆豪くんに別れを切り出せるのか。
 そのとき、手のなかの携帯の画面がいきなり点灯した。驚き、思わず携帯を放り投げかけた。すんでのところで堪え、私は画面を見る。そしてふたたび、携帯を放り投げかけた。
 表示されているのは爆豪くんの名前。しかもメッセージではなく、今まさに着信を受けている。
 ど、どうしよう……
 ばくばくと鳴る心臓を押さえつけ、私は画面を凝視した。
 爆豪くんの勘の鋭さは異常だ。たとえ電話越しであろうとも、一言二言ことばを交わせば、私が悩んでいることなど一発で見抜かれてしまうかもしれない。
 そうなると、私のほうは劣勢に立たされる。なにせ私は爆豪くんを相手に、これまで嘘やごまかしを吐き通しきれたことが、本当に数えるほどしかない。
 けれど、出ないというわけにもいかない。もしかしたら私が付き添いにいかなかった今日のリハビリで、重大な何かがあったのかもしれない。そうでなくても、顔を出さなかった私を気遣って電話をかけてきてくれたのかもしれない。このところの爆豪くんには、そういうところがある。
 深呼吸を二回。まあいい、困ったことになったら最悪、電話を切ってしまえばいいんだし。呼吸を整え、心臓の鼓動をおさえつけながら、私は爆豪くんからの着信に応答した。
「もしもし爆豪くん?」
「出んのが遅ェ」
「ごめん、ちょっと立て込んでいて」
 嘘ではない。進路のことと爆豪くんのことで、実際に私の頭のなかは未だかつてなく、めちゃくちゃに立て込んでいる。
 携帯をハンズフリーにして、私はソファーの上で姿勢をただした。無言でいる爆豪くんに、声をかける。
「爆豪くん? どうかした?」
「おまえ、なんか俺に言いたいことねえのかよ」
「!?」
 唐突に切り返されたその返事に、ギャッと声が出そうになった。というかほとんど喉元まで悲鳴が上がってきていたと思う。
 どういうタイミングで、なんてことを言い出すんだ。今ので私が悲鳴をあげなかったのは、はっきり言って奇跡だ。
 言いたいことって、なんなんだ。爆豪くんに言いたくないこと、言わずに済めばいいのにと思うこと、言えないことならあるのだけれど。まさか超能力者でもあるまいし、そこまで爆豪くんにバレているとは思えない。
 思えば以前にも一度、爆豪くんから同じようなことを聞かれたことがあった。そのときもたしか、私は爆豪くんに隠し事をしていたはずだ。ちょうど、くだんの書店員とどうこうあった辺りだろうか。
 爆豪くんに言えないことを抱えているときに限って、爆豪くんから電話がかかってくる。そういうときに限って「言いたいことはないのか」と尋ねてくれる。
 前回のときは、どうにか爆豪くんへの隠し事を、最後まで隠し通すことができたけれど、今回はどうか分からない。
 しかしそれにしたって、この爆豪くんの鋭さはいったい何なのだろう。愛のなせる業、ではないと思う。どちらかといえば、猟犬の嗅覚か。
 ふたたび騒がしくなる心臓を、両手で胸の上から押さえつける。声だけはどうにか平静を装った。
……えーっと、なに? 藪から棒にどうしたの。もしかして、またなんかしたの?」
「なんで俺がなんかした前提なんだ!」
「だって、爆豪くんからそういうこと言ってくるの変だし……
 爆豪くんと話しているときって、いつもどんな感じだったっけ。必死で思い出しながら、私は爆豪くんに受け答えをする。下手に会話をしようとするとボロが出そうなので、ここは定型文の使い回しでどうにか逃げ切ろうという算段だ。
「別にもう謝ってほしいとは思わないけど、何をしたかだけは教えておいてほしいかな……
「だァから何もしてねンだよ!」
「ええ、本当に?」
「てめえまじでぶっ飛ばすぞ……
 このクソ根暗が、とぼやいているのが聞こえて、どうやらうまいこと返答できているようだと、内心ほくそ笑む。
 そんな感じでしばらく、爆豪くんの言葉を打ち返すロボットのような返答をし続けた。そうしているあいだに、私もだんだんと平静を取り戻す。
 何ということもない、この通話だって雑談のようなものなのだろう。今日のリハビリの調子を聞き、爆豪くんのクラスのみんなの話を聞く。
 私のほうからは特におもしろい話ができるわけでもないので、そろそろ浴衣とか見に行こうかな、とギリギリ爆豪くんに関連がある、けれど爆豪くんにとってはどうでもいいだろう話をする。
 さっきまで、ひとり爆豪くんと別れる可能性を検討していたというのに、いざ声を聞くと、そんな思考はすっかりどこかへ行ってしまった。そんな嫌な未来など忘れて、ずっとこうして、楽しく話していたくなる。
「花火大会の日、爆豪くんはどうするの? そのまま実家帰る?」
「決めてねえ。つっても、寮の門限間に合わねえだろうし、実家か」
「あ、そうか。爆豪くんも浴衣着るの?」
「着るわけねーだろ、面倒くせえ」
「光己さんが浴衣の用意あるから着るなら教えてって言ってたよ」
「ババアに逐一出掛ける報告すんなっつってんだろ」
「いや、さすがに人ごみに爆豪くんを連れ出すわけだから、そのくらいの根回しというか、情報共有はするよ」
 この話を光己さんにしたとき「左手だけであの子、何かあったとき名前ちゃんのこと守れんのかな」と真顔で言っていたことは黙っておく。そもそも人が大勢集まるところで、爆豪くんが個性を使用するようなことがあったら大ごとだ。
 やがて話題は一巡し、そろそろ通話も終わろうかという雰囲気になった頃、爆豪くんが言った。
「つーかおまえ、将来どうすんだよ」
 どくんと、三たび胸が騒がしくなった。世間話で落ち着いたと思ったらこれだ。緩急をつけるにもほどがある。
「え? な、なに。急に進路相談?」
「ちょっと前に大学どうするかは聞いたけど、そっから先聞いてなかっただろ」
「大学……
 爆豪くんの言葉を、私はうわごとのように繰り返した。
 そのどうするか決めた大学すら、今はまた白紙に戻っている。爆豪くんに話してあるのは、なんとなく決めた文学部というところまで。私が理転も視野に入れているなんて、爆豪くんは想像もしていないに違いない。
「将来、っていっても……
「んだよ」
「さすがにヒーロー科の人たちみたいに、バシッとなりたいものが決まってるわけじゃないし……
「ハァ? なりてえもんくらい、何かねえのかよ」
 何の気なしに発されたのだろう言葉だった。いつもの調子の、爆豪くんの声。
 けれどその瞬間、私の呼吸がはっと止まったような気がした。この場をしのぐためだけに並べようとしていた言葉は、爆豪くんの言葉を耳にした刹那、どこかへ雲散霧消する。
 頭から、冷水をかけられたような気分だった。
 なりたいものならある。やりたいこともある。
 覗いてみたい世界も、かかわってみたい人たちも、立ちたい場所も。飛び込んでみたい分野も。
 だけどそこを目指すためには、今の場所にあぐらをかいてはいられない。文字通り、死に物狂いにならなくては、そこにはきっとたどり着けない。
 爆豪くんと手をつないで、爆豪くんの腕を支えて、爆豪くんの肩に寄り添って。あたたかな場所で、望まれた姿で。そうしていたいと願っているうちは、そこにいたるための扉は永遠に、私の前で閉ざされたままだ。
 もしも爆豪くんならば、きっとすべてを手に入れるのだろう。欲しいものを獲りにいくことに、爆豪くんは躊躇がない。ためらったりせず、手を伸ばして飛び込んでいくことができる。そのうえで、きっと私を迎えに来る。私は爆豪くんを信じて、待っているだけでよかった。
 だけど、私はそんなふうにできない。
 私は爆豪くんじゃない。
「なりたいものなんて、そんなの、ぱっと思いつかないよ」
 乾いた声が、まるで滑り出てきたように、口から勝手にこぼれていた。電話の向こうの爆豪くんは黙っている。なにか、考えている。
 やめてほしかった。私の声から探るようなことも、私の言葉の裏側を見透かそうとするのも、全部ぜんぶやめてほしかった。
 精一杯ごまかしているのに、取り繕った嘘すら剥がそうとしないで。言えない、言いたくない、言わせないでほしい本音を引きずりだすようなまねは、しないで。
「まあ、爆豪くんの足引っ張るようなことはしないから、安心しておいてよ」
「ハァ?」
「大丈夫だよ。自分のことは自分で、ちゃんと考えてるから。ごめん、お風呂わいたからそろそろ切るね」
 早口にそれだけ言って、爆豪くんの返事も待たずに通話を切る。これ以上話していたら、嫌なことばかり言ってしまいそうだった。
 通話が着れるなり、私は携帯をソファーに伏せて置いた。
「ううう……
 おなかのあたりが気持ち悪くて、ソファーの上でうずくまる。
 言えない、言いたくない、言わせないでほしい。
 爆豪くんのことがこんなに好きなのに。今、爆豪くんの手を離すなんて薄情なこと、絶対にすべきじゃないのに。