【創作|馬軸】春雷 芽吹- 春の嵐

※支部からの移植版です。文面そのままです。第一話~第三話までのクラシック編。

Attention
・この作品は競走馬とそのジョッキーを中心に描いていますが、実在する団体とは何の関係もない創作作品です。
・実際の競馬に関してわからない部分は調べていますが、事実と異なる点やありえない点もあるかと思います。そこについては創作だと割り切ってお楽しみいただければ幸いです。
・実在する競走馬をモデルにした競走馬が登場します。名前がもじってある場合があります。




佐賀滞在時間、二分。
栗東トレーニングセンターへとんぼ返りである。私はついこの間まで住んでいた独身寮の部屋に荷物を置いて、とりあえずシャワーを浴びジャージに着替える。競馬学校時代に購入したもので、だいぶくたびれてはいるものの着られないことはなかったので着ているものだ。
気を紛らわせたかったので走り込みに行くことにした。足を動かして地面を蹴り飛ばす。体が熱を帯び始める。呼吸が乱れるのも厭わず私はさらに加速した。
電話口で言われたことを走りながら反芻する。曰く__神代信二郎さんという馬主の牡馬、ロジェールマーニュの主戦騎手になってもらうということ。次回出走予定のレースがGⅠ皐月賞であること。皐月賞の成績次第ではこのまま主戦続投、二桁着順であれば。


「いや……なんやと思てんねん!!!!」

叫びながら私は思う。ほんまになんなん。私なんでこんなんばっかやねん。
しかも明後日から調教入ってもらいますってどういうこっちゃ。確かに皐月賞までもう一か月ちょっとしかないし時間無いからはよ乗ってもろて慣れなあかんのはわかるんやけど。あの、それはもうわかるんやけど。

私やぞ。運負けの騎手の、白綾后子やぞ。


……なんで馬主さん、私を指名したんやろ。……私じゃ、馬を思うように走らせてやれんのに……私が乗って、馬の可能性を潰したらどないすんねん……成績ずっと二着三着なら距離適性とか……いや馬場か?私が乗るよりも……瀬川が乗ったほうが____)

そんな考えさえよぎる。瀬川にだけは負けたくなかったはずやった。

瀬川迅一。すべてを持っている騎手。望まれた騎手。親子三代で騎手のあいつ。
カリスマ性も、騎乗能力も、運も。私が持ってへんもんを持ってて、自分が勝つことは当たり前みたいな顔しとる。死ぬほどむかつくけどあいつの騎手としての能力は私より遥かに上で、あんなん見たら誰だって天才騎手だと認める。
私だって「負けたくない」とは思えど、あいつが「天才やない」と否定することは出来ない。

私のほうがあいつより上やと、信じたこともあった。そう思うことで敗北の屈辱を緩和して、必死に己を絞った。それでも勝てん。天才はおる。私はそんな風にはなれん。


「(皐月賞……確か瀬川……フジサワコネクトに乗るて言うてたな……無敗の牝馬、やったよな……紅一点で皐月賞に挑むとか……どんだけ自信満々やねん……

~~~~……なんで……なんで私やねん!! ぁあ~~~~~~!!」


馬も私も人生がかかっている。特に競走馬は、競争成績の善し悪しでセカンドキャリアが決まるのだから。私の腕に全てがかかっている__そう言っても過言ではない。過言かもしれへんけど。
グルグルとめぐる嫌な考えは拭い去れないまま、一日の休養を挟んで翌日の早朝四時。私は顔を洗って適当に髪を整え、プロテクターを着て上からジャージを着る。

私のせいで馬の可能性を潰すかもしれへん。その思いは常に目の前にちらついた。だがそれでも任された仕事を投げ出すほど落ちぶれたつもりはない。なけなしのプライドを拾い上げてブーツのファスナーを上げ、金具で脱げないように固定した。
ヘルメットと鞭を持って指定された厩舎へ向かえばそこには若い男女がいた。短髪の黒髪に、金メッシュを入れた男性と、化粧っ気のないポニーテールの溌剌とした女性である。

「は、白綾后子騎手!!」
「えっあっはい……そ、そうですけど……

ポニーテールの女性がキラキラした顔で私のほうへずいずいと顔を寄せた。若干ひきつった顔で応対しながら考える。いやいやいやいや、何でこの子めっちゃアイドルに出会ったみたいな顔してんの?私まだ寝ぼけてんのかな、とか思うが手を掴まれた感覚で夢でないとしっかり知覚してしまう。

「っ……あの! 世間ではいろいろ、言われてると思うんですけど……! 私、白綾騎手がデビューした時からずっとファンで! その、えっと……、一緒のチームになれて嬉しいです!」
「あ……お、おおきに……?」

ぎこちない返事を返せば、手を握られたままぶんぶんと上下に振られてさらに困惑する。騎手をやってきて周辺から得た反応と言えばバッシングか無反応か、はたまた嘲笑か__その三択だった。
正直に言ってファンです、なんて言われた経験はこの方ない。いや……一度だけ、あるか。忘れるとかあの子に失礼千万やわ。

「おい、その辺にしとけ。……その、今日はとりあえずロジェールマーニュに慣れてもらう方向でメニュー組んでます。軽く追ってください。今日はお互いの慣らしメインですね。余裕があれば強めに追ってください」

こっちのヤンキーみたいな見た目の人調教師やったんや、と若干驚きつつ私は返事をする。既に馬装の済んだ牡馬、ロジェールマーニュは存外に大人しく待っていた。事前の情報では結構暴れるとか気性難とか聞いとったんやけどな、と思いつつ、私はそっとロジェールマーニュに触れてみる。優しく数度頭を撫でれば目を細めて手に擦り寄るように頭を動かした。

新馬戦以降勝ちの無い馬。七戦一勝、皐月賞に出たとしても私が乗るなら人気は下の下のはず。仮に人気が出ても六番以降となるだろう。だがそこに疑問が浮上する。私はロジェールマーニュの顔を撫でながら考えた。


(何でこの子……勝てんのやろ。体凄い仕上がっとるし……負ける要因がないやん。筋肉のバランスも、重心もちゃんと真ん中に落ちてていい感じ……足もしっかりしとる。筋肉も柔くて、皮膚が薄い。負ける要素が、無い)

勝てる要素しか見当たらない、ポテンシャルの高い馬だと思う。恐らく私が乗ってきた馬の中で一番勝ちに近い場所にいる馬。でも私が乗ったせいで、負けてしまうかもしれん。馬の能力値を下げる呪いにでもかかってるんかな。お祓い行ったがええんとちゃう。

しかし気性難__気性難。
もしかして、と一つだけ思い当たる節があった。もしそうならば、というある種の博打。


「なぁ、コース行ったら……好きに走ってみてや。私が合わすから」

手綱を握って厩舎の外へ導きながら言う。一瞬耳をこちらに向けて驚いたように体を震わせたロジェールマーニュは、その言葉を理解したのか一度頭を下に向けてお辞儀をするような動作をした。頭いいって聞いていたけど、やっぱ相当頭はええんやろな。

サラブレッドにしては大きいロジェールマーニュは、私の身長にかなりぴったりな馬だった。平均してサラブレッドという生き物は体高が大体一六五センチ程度ぐらいなのだが、ロジェールマーニュはそれに+五センチ、一七〇センチあるという。どうやら足が長いらしい。
歩かせて芝のDコースへ向かえば、桜花賞に向けての調整を行うのか世間から脚光を浴びる牝馬たちがいる。青毛のロジェールマーニュは栗毛や鹿毛、芦毛が多い中でかなり目立った。

ゆっくりと日が向こうから登り、サラブレッドたちの体を照らす。艶のある馬体が神々しいとさえ思えて、やはりこの光景を見るたびに__騎手を辞められへん、と思う。

他の馬は芝ではなく、その横のウッドチップコースを走るらしかった。私は芝のほうへロジェールマーニュを誘導しながら考える。ロジェールマーニュには祖父馬にあのシャルルがおる。シャルルも青毛の大きい馬で、脚質は先行というよりかは逃げ一択やった。

最初っからかっ飛ばしてハナを進み、ぐんぐん加速して後続を恐ろしい速度で引き離していったシャルル。最初から最後まで先頭の景色を譲らず、どんなに荒れた馬場であろうが関係ない。重だろうが稍重だろうが、不良と言われた馬場だろうがシャルルの前では関係なかった。
そんなバケモンみたいなパワーとスタミナ、そして桁外れのスピードを持っていたシャルル。

私が憧れたあのシャルル。宝塚記念の大逃げ大差勝ち。
私は今、その憧れの遺した馬の背にいる。


……映像でも見る限り、騎手は先行策をやりたがっとったけど、ロジェールマーニュは前に行きたがっとる印象やった。
掛かっとる、というよりかは____スピードを落とさざるを得ないことが不服みたいな、そういう感じ……まだ早く走れるとか、体力が余っとるみたいな……

負け確の私でも、ひとつだけ誇れる特技がある。
馬の気持ちを汲み取ることにおいては、私が瀬川迅一よりも、他のベテランよりも上を行っとる自信がある。やから。

「遠慮はいらんで。ロジェールマーニュ……ん~~……長いんよな、ロジェールマーニュて。ロジェ……ロジェ、て呼んでもええ?」

鼻を鳴らす音が帰ってくる。「好きにすればいい」みたいな意図だと思った私は「ならそう呼ぶなぁ」と再び言葉をかけた。ロジェは左前脚を軽く動かして芝を数度踏む。準備運動は万端らしい。
 
「ロジェ。合わすさかい、好きに走ってや。おもっきし飛ばすのもええし、ゆるゆる走るのでもええ。どんな走りでも私は合わすし、否定せんと乗ってるで____」
 
そう言い終わった直後ロジェは爆発的な脚で飛び出して加速し走り始めた。
思わず一瞬振り落とされそうになったが私はすぐに姿勢を直して態勢を低く、風の抵抗を減らすように全身を折りたたむ。

速い。いくらなんでも速すぎる。経験したことのない、信じがたい速さに困惑しながら私は前を見て考えた。体が大きいロジェールマーニュはストライドも当然大きくなる。もともと足も速いのだろうが、一度に進む幅がデカいうえにパワー・スタミナの両方が有り余っていたのだ。今まで前目に着ける先行策で抑えて走っていたこの馬の本来の持ち味は__祖父を遥かに凌ぐ〝大逃げ〟なのだと一瞬で理解する。

多分私が生まれるより少し前か、「異次元の逃亡者」と呼ばれた馬がいた。映像も見たことはあるが、その馬は確かに恐ろしい速さで逃げて逃げて逃げて__逃げて、勝つ。
シャルルも逃げ馬だったがその馬は違うのだ、もともと八馬身近く開いている差をさらに広げていく。徐々に差を広げて逃げるのではなく。まさにその異名は、その馬の姿を現した完璧な異名だった。
 
ロジェールマーニュは、きっとそういう馬になる。
 
加速は止まるところを知らない。異様なスピードで走るロジェを見る者は皆呆然として、己の馬の調教なんざ忘れてロジェの走りに見入った。視線が刺さるようで嫌だとは思わなかった。ロジェールマーニュという素晴らしい馬の走りを、トレセンではなく今度は競馬場で見てくれと、心の底から思っている自分自身に驚いた。


(すごい……


こんなポテンシャルを秘めた馬がいたのか。すさまじい加速で、今までに感じたことのない風圧が顔にかかっているのがわかる。私は鐙をしっかり踏んで手綱をもう一度握り直した。


(ロジェ、ほんまにすごい馬や……


コースを一周して直線へ入る。何も指示は出さない。約束したから何もせず黙って様子を見ていた。コーナーを曲がった瞬間に再びロジェは加速し始める。まだ余力があったんかと絶句する。信じられん。こんなすごい馬がおるんか。


「は、はは……!!」


思わず笑みが零れた。私のあこがれ、シャルルの孫__ロジェールマーニュ。
想像を絶するポテンシャルと、爆発的なエネルギーを秘めた強い青毛の牡馬。

ゴールラインを駆け抜ける。そこを抜けた瞬間に足を緩めて減速していく。本当に頭のいい馬だ。どこでどうするべきか、しっかり自分の頭で考えてわかっている。
なんてすごい馬____こんなすごい馬が私を主戦に迎えて皐月賞へ挑むというのか。
アホか、私は運がいい。私が負けていなければロジェとは出逢えてない。

ふと思った。ロジェールマーニュ、この青毛の牡馬が私の終生の相棒になるかもしれん、と。


……何だ、この時計。いくら何でも速過ぎる。嘘だろ」

呆然と他馬の乗り役が呟いた。異様にその静かな声が響く。一九〇〇メートルのレコードタイムを一秒以上超える時計を叩き出したロジェは、「それぐらい当然」とでも言うように嘶いた。周囲を奇妙な沈黙が覆う。おいやめれや。なんか喋らんかい。その沈黙は私に刺さるねん。私は耐え切れなくなって思わずロジェをほめちぎる体制に入った。

……すごいやん。すごいやん、ロジェ!! なぁ皐月賞でも大逃げしようや、絶対楽しいで! ぶっちぎりで逃げてぶっちぎりで勝つねん、ロジェならできんで!!」

横からロジェールマーニュの調教師である国美道長が助け舟を出した。無言でポンポンとロジェールマーニュの首筋を叩き、撫でまわしてほめちぎる。多分彼もこの時計に唖然とした一人で、首からぶら下げられたストップウォッチに表示された数字がいかにその場にいたものたちへ衝撃を与えたのかを物語っていた。

私はロジェを撫でまわしながら一瞬だけ考えた。
もし、「全敗の騎手」と嘲笑された私がこの子とクラシック三冠獲ったらどうなるんやろか。
もし__この子と世界の頂点へ至ったらみんなどう思うんやろか。

競馬にたらればは禁物だが、それでもこの黒い馬に夢を見ずにはいられない。私はロジェールマーニュの頭を撫でながら、頭に浮かんだ「栄光」の二文字を鮮明に捉えていた。