【創作|馬軸】春雷 芽吹- 春の嵐

※支部からの移植版です。文面そのままです。第一話~第三話までのクラシック編。

Attention
・この作品は競走馬とそのジョッキーを中心に描いていますが、実在する団体とは何の関係もない創作作品です。
・実際の競馬に関してわからない部分は調べていますが、事実と異なる点やありえない点もあるかと思います。そこについては創作だと割り切ってお楽しみいただければ幸いです。
・実在する競走馬をモデルにした競走馬が登場します。名前がもじってある場合があります。




白綾后子が佐賀に立ってとんぼ返りとなる一週間前の話である。
二歳新馬戦は一着。がしかしそれ以降のレースはすべて二着か三着という、惜しい馬がいた。
真っ黒な漆の如き艶を持つ馬体に、紺色の瞳。父系に無敗の三冠馬が二頭、そして母馬は名牝系の血を引く桜花賞馬。所謂良血馬である。
こんな超良血馬が日高でのんびりとオーナーブリーダーをやっている男の所有馬であるだなんて誰が思うだろうか。良血馬と言えば誰もが今時は競走馬生産における巨大勢力__ノースファームなどを思い浮かべるだろう。

そんな馬もまたその「惜しい馬」というのがジンクス化しており(実際はレース中、騎手と折り合いが合わずに揉めて二着三着になってしまうのだ)目立った勝ち星が未だなかった。今は皐月賞の前哨戦である弥生賞の疲れを癒すべく、短期間ではあるが栗東トレセン近くの牧場に放牧されている。ちなみに彼の弥生賞の成績は二着である。
少し癖のある黒髪を後ろで団子状に束ね、無精ひげに白衣という何とも言えない胡散臭さを醸し出している獣医は、放牧地に設置された柵から少し離れてその馬を眺めた。目の下の不健康そうな隈がさらにマッドな医者感を増長している。

……走りそうだけどな」
「でしょ?まぁ君にそれを言ってもしょうがないんだけどね」

馬主兼牧場主の男性は、優雅な雰囲気を纏ってその獣医に話しかけた。にこにこしているが、その顔には困ったなぁという色が見て取れる。このままだとスタリオンステーションなんかには入れねえし、大手で種牡馬にはなれねえな、と獣医は頭の隅で思った。

「そーだな。俺は馬の医者って訳じゃねえし」
「でも競馬はやるでしょ?あ……そういえば白綾って苗字の女性騎手いたね」
「后子のことか?」
「そうそう。巷で全敗騎手とか言われてる。彼女、すごく丁寧な騎乗するのに勿体ないよね。もしかして親戚かい?」
……俺の娘だ」
「あら~~……

馬主はびっくりするほど似てないねえ、と笑って言う。それはそうだ。后子は母親に似たんだよ、と獣医は手を振って言い返した。
欧州系の后子の母親、その遺伝子を色濃く受け継いだ后子は金髪碧眼である。鼻筋も通っていて彫も深い。加えて高身長であった。

「うーん。瀬川くんはフジサワコネクトがいるし、もう乗ってくれないよね。はぁ…………后子騎手、進退がどうたらとか聞いたなぁ。国美君に連絡しちゃおう」
「ハァ!?」

獣医は一瞬固まってかなりの音量で叫んだ。木に留まっていた何かの鳥が驚いて一気に飛び去っていく。いつの間にか向こう側に行っていた競走馬もその声に驚いたのか、頭を持ち上げて獣医のほうを見る。じっと見ながらゆっくり歩き、馬主と獣医がいる柵のほうへ向かった。

「えっ聞いてなかったの?」
「知らねえよ!!なんだそれ!!!!要はあれだろ、クビって事だろ!!」
「まぁ落ち着いてよ先生。皐月賞、ロジェールマーニュに乗って出てもらうから」
「神代さん……マジで言ってんのか?」

スマートフォンを操作しながら馬主は言う。困惑が隠し切れないまま獣医は問うた。確かに娘である后子には勝ってほしい。しかしGⅠレースともなれば話は変わってくる。そんな適当で大丈夫なのか、とか聞きたいことはあった。后子はあまりにもレースで負けている「負け確の騎手」である。馬主界隈にもそのイメージは染みついているだろう。
だがこの馬主__神代信二朗はにこにこと、いつも通りの優しい笑みを浮かべたまま一言だけ言った。

……僕はね、信じてるんだ」
「信じるって、何を」
「__白綾后子騎手が、ロジェールマーニュの思いを完璧にくみ取れるってことを、だよ」

ロジェールマーニュがつまらなさそうに鼻を鳴らした。神代は面白そうに微笑んで、柵に近寄ってきたロジェールマーニュの顔を撫でてやる。大人しい馬だがどうにも食えない雰囲気を感じた獣医は眉根を寄せながら、「お前本当に后子の言う事聞くんだろうなぁ……」と言葉を漏らした。
馬はそんな獣医の心中など知ったことか、という風に草を食み始めた。