【創作|馬軸】春雷 芽吹- 春の嵐

※支部からの移植版です。文面そのままです。第一話~第三話までのクラシック編。

Attention
・この作品は競走馬とそのジョッキーを中心に描いていますが、実在する団体とは何の関係もない創作作品です。
・実際の競馬に関してわからない部分は調べていますが、事実と異なる点やありえない点もあるかと思います。そこについては創作だと割り切ってお楽しみいただければ幸いです。
・実在する競走馬をモデルにした競走馬が登場します。名前がもじってある場合があります。




黒の紳士がスタート直後、爆発的な脚で馬郡を突き抜け、ハナを奪う。
その展開は皐月賞と同じ、二度目だ。大きく遅れをとってしまった日本ダービーとは異なり、ロジェールマーニュという競走馬が持つ本来の戦法で、この「最も強い馬が勝つ」菊花賞に挑む。
馬券を握りしめる一人の男はスタンドの最前列で瞬きさえ忘れて、馬郡を突き抜け後続を引き離して走り続けるロジェールマーニュを凝視していた。

単勝人気三・六倍、一番人気。
紳士の名に相応しい優雅な勝利を、ロジェールマーニュの二冠達成を、女性騎手初の菊花賞制覇を、皆が待ち望む。そのプレッシャーをものともせずに、まるで何の問題もない、これが芝の上での紳士の流儀とでも言うように悠々とハナを駆けている。

ロジェールマーニュは強い馬だ。
そして何度もそのロジェールマーニュとぶつかる、フジサワコネクトも同様に強い馬だとスタンドにいる者たちは思う。どちらが勝ってもおかしくない、どちらが負けてもドラマになる。
皐月賞をレコードで逃げ切ったロジェールマーニュも、史上最強の紅一点__ダービー馬として挑み続けるフジサワコネクトも、このクラシックロードの終着点にいる馬たちには皆__その馬体に、その心に唯一無二のドラマを刻んでいる。

勝負の世界は残酷だ。ただ一頭のみの勝者の下には敗者の残骸が転がっており、また勝者を目指すものには剣山の如き試練が与えられる。強い馬がレースの出走を回避すれば逃げたと罵られ、負ければ馬以外にも騎手へその批判は向かう。
白綾后子が、そうであったように。

向こう正面から一周目のホームストレッチ、その先陣を切ったロジェールマーニュは一分を切る時計を出した。ハナを進むロジェールマーニュのスピードがいかに化け物じみているかを教える数字である。

この京都競馬場・Aコースのコースレコードは三分丁度だが、恐らくこのままのペースでレースが進み続ければ確実にロジェールマーニュはコースレコードと菊花賞のレコードを更新してしまう。
すでに後続の馬郡からは六馬身ほどの差をつけて走り抜けるロジェールマーニュは、全く周辺の馬など気にも留めず、ひたすらに己の心地よいスピードに身を委ねているように思えた。


(信じられねえ。……后子__あいつ、本当に…………

騎手がいないのでは、と錯覚するほどに自由に走るロジェールマーニュは、あまりにも優雅だった。優雅で自由だが、走ることにおいて一切の無駄がない。
恐ろしいのはそれだけではない。ロジェールマーニュは__全くスピードが落ちない。落ちるどころか、レース中盤からさらに加速している。二周目へ入り内回りコースへ差し掛かるが、スピードは衰えを知らない。

コーナーリングにも一切の無駄がなく、ひたすらにスピードを追い求めて走り抜けていく。
芝を蹴り飛ばす黒い脚は先ほどよりも強く____強く、速く、駆ける。

馬は最高時速が七〇キロメートルまで到達することもある生き物だが、ロジェールマーニュは確実に七〇キロどころか八〇キロ近い速度で走っているはずだ。そのロジェールマーニュに体を沿わせ、微動だにしない。姿勢が一切変わらない。鞭を取り出すときぐらいしか、鞍上の白綾后子は動かない。
正確には、〝動いているように見えない〟のだが。最小限の動きで最大限に無駄をなくして馬を導いているのだ。

馬たちは内コーナーを回って直線コースへ向かってくる。先頭は相変わらずロジェールマーニュのまま。このまま逃げ切るのか。

皆がそう思った。
菊花賞で戴冠するのはロジェールマーニュで決まりだと、誰もが思った。


だが。____その馬は、来る。

背後から土を踏みつける剛烈な足音。ロジェールマーニュの耳は正確にその音を拾う。銀色の馬体が、いつの間にか真横にいる。鉄骨娘の襲来。

いつ? いつ、追いついた? ターフビジョンには映っていなかった。全くカメラが追えていなかった。だが気づいた時には、フジサワコネクトはロジェールマーニュに追いつき真横にピタリとつけている。最終コーナーを駆け抜け直線へ入る馬たちの先頭を引っ張るのはロジェールマーニュとフジサワコネクトの二頭。見合ったままどちらも一歩も譲らない。

四〇四メートルの直線コース。数秒で決着のつく最後の戦い。
先に前へ出たのは____


『____フジサワコネクトがロジェールマーニュの前へ!! このまま一気にちぎるか!? フジサワコネクト菊花賞Ⅴなるか、それともここからロジェールマーニュが差し返すのか!? 後続の馬たちも迫るが二頭の圧倒的な速度に追いつけない!! 追いすがる三番手はナヴィアヴェラ、四番手にはミナミノテイオー!! いずれも二頭からは三馬身近く離されている!!
前二頭の鍔迫り合いは続いている!! ロジェールマーニュの二冠となるか、鉄骨娘が七〇年ぶりに牝馬Vとなるか!? 一歩も譲らない熾烈な叩きあいだ!!』


(勝ちたい。勝ちたい。勝ちたい!! ロジェールマーニュに勝ちたい!! わたしが一番強い馬だって、証明したい!! 迅一のほうが__迅一のほうが、強い!!)

強い意志の宿る銀の脚が、芝を蹴り飛ばす。残り二〇〇メートル。
フジサワコネクトは半馬身ほどロジェールマーニュにリードをとっていた。大歓声がハナを進む二頭に、後続の馬たちに浴びせられる。

だがロジェールマーニュはフジサワコネクトを見ることは無かった。
ただ前を見ている。
迫るゴール板。残り僅かの直線コース。その中で、ただひたすらに前だけを見据える。もうあと数秒で決着がつくというのに、白綾は鞭の手を緩めた。まさか諦めた? 観客はその選択に驚きを隠せずその人馬を凝視する。


「ロジェ」
(わかってるよ、后子)


誰もが____
フジサワコネクトに軍配が上がるのだと、その瞬間まではそう思った。

しかし残り一五〇メートル、青毛の馬体が、前へ躍り出る。当然のようにフジサワコネクトを抜き去って行く。半馬身、一馬身____二馬身。フジサワコネクトの銀色を抜き去って、黒い閃光がゴール板を最初に駆け抜けた。


『____ロジェールマーニュ、差し返してゴォオオオオォオオル!! ____今、今ここに!! 競馬史に名を刻む、無敵の紳士が駆け抜けた____!! 激戦を制し〝無敵の紳士〟が、勝ちました……!!
差されてもなお差し返し一気に突き放して駆け抜ける強さ!! 正しく最も強い馬が勝つという菊花賞に相応しい勝利です!!
____最早、もはや……言葉はいらない……ッッ!!』


ターフビジョンに表示される時計には、コースレコードを三秒近く更新する化け物じみた数字が刻まれている。
決着は二馬身差。一度かの紳士の影を踏んだフジサワコネクトでさえ、彼を超えることは叶わない圧倒的な強さを見せつけての勝利となった。

新たな菊花賞馬の誕生に沸き立つスタンドで、男は馬券を握りしめたまま一人涙をぬぐう。不格好な馬の刺繡がある、古びたハンカチが彼の涙を吸い込んでいった。