【創作|馬軸】春雷 芽吹- 春の嵐

※支部からの移植版です。文面そのままです。第一話~第三話までのクラシック編。

Attention
・この作品は競走馬とそのジョッキーを中心に描いていますが、実在する団体とは何の関係もない創作作品です。
・実際の競馬に関してわからない部分は調べていますが、事実と異なる点やありえない点もあるかと思います。そこについては創作だと割り切ってお楽しみいただければ幸いです。
・実在する競走馬をモデルにした競走馬が登場します。名前がもじってある場合があります。



2


「あか~~~~~~ん!!!!」


おそら、きれい。雲一つない澄み切った青空が、私の視界を埋め尽くす。
ダービーから四日後、安田記念が迫った週末は木曜日。即ち追い切り計測日だが。

私は馬にぶん投げられていた。

その真っ白な馬からかなり綺麗な弧を描いて放り出され、ウッドチップの上に受け身を取って何とか体を起こした。私を一瞬見つめて、その真っ白な馬__スノーホワイトは「フッ……俺を捕まえてみな……」みたいな顔をして去って行く。おい置いてくな。拾ってけアホ。

無事顔の怪我は治療済みで、現在は黒いポリエステルの医療用の糸で縫われている。その上からベージュ色の絆創膏を貼っているので、遠目からは目立たない。顔にはくっきり右頬に一本傷跡が残るだろう。
まあ私の顔に刺さった蹄鉄の破片はずいぶんと深くぶっ刺さっていたようで、手術してくれたお医者さんも「あれ。抜けんな……え、深……うん、一回切開しよ……」とかぶつぶつ言うてたししゃあない。

せやけどスノーホワイト。とんでもない猫被りやないかい。騎手思いっきり振り落としよったぞ。
あれまてよ。そういやNHKマイルカップ終わってゴール後に内ラチに騎手叩きつけてへんかったっけ?

「待ってやスノーホワイト!! 別に私はスノーホワイトのこと取って食ったりせえへん!!」
「ひひーん」
「返事するなら逃げんなやアホォオオオオ!!!!」

その様子を見て鹿毛の馬の上で大爆笑する先輩騎手を横目に、私は向こう側まで自由気ままに走っていくスノーホワイトを全力で走って追いかける。つか人間が馬の速さに追いつけるわけがあれへんやん。私はぜえぜえと息を上げて外ラチに手をかけとりあえず一息つく。満足したのかスノーホワイトは向こうから自分で勝手に戻ってきて舌をべろべろさせながら私の前で止まった。

「なんやねん……ほんまぁ…………このアホ……人間が追いつけるわけないやん……
「ぶるるるる」
……なんかなぁ。気分屋、なんよなぁ。知らんけど」

スノーは撫でろと頭をずんと差し出した。私はとりあえず撫でてやり、ずれていた黒い頭絡の位置を正せば、満足したらしく大人しくしていた。私は行けるかな、とスノーの横に移動し鐙を長くして足がかりを作り、左足を鐙に引っかけて強く踏んで一気に体を上に持ち上げて背中に跨る。ちょっと待ってな、と言いつつ鐙を短くして合図を出し誘導してコースのスタート地点へ戻らせた。
スノーホワイトはロジェールマーニュと異なり、ピッチ走法で素早く足を回転させて走る。また瞬間的な加速力がすさまじく、じわじわ前に進出するというよりかはロケットみたく点火!発射!みたいな感じで、とにかく瞬発力で前へ一気に進み加速し続ける。そのためぐん、と来るスピード乗りとか風圧が凄くて気を抜くとそれで落とされかける。

「けど勝てるポテンシャルはあるんよなぁ、ほんまに……。何でやる気が出えへんの?」
……
「あ、それは無反応なんやね。なんやろ。マイルカップの時は後方一気やったやん。
あんときはあれなん? 『うっひょ~~!! ごぼう抜き気持ちい~~!!』みたいな感じやったん? なんか本来は馬郡中団から抑えめで走るのが得意らしいやんか。でも好きなのは殿からの追い込み走法なんやな。……

兎にも角にも、安田記念まであと僅か。追い切ってタイムを出さなければ。私はスノーホワイトと坂路へ向かいながら一抹の不安を感じていた。……追い切り中に振り落とされたらどないしょう。

「よお后子ちゃん! 今日も美人だな!」
「武内さんも安田記念出られるんですね」

パカパカと音を立てて馬が近づいてくる。昨年の安田記念の覇者に跨っているのは、いろいろと助けてもらっている先輩の武内秀吉だった。お祭り男と呼ばれているが、実際はとんでもねえレジェンドなのでそんな弄りは正直恐れ多い。

「まあ、乗り替わりでだけどな。いやー、こんな名牝に乗せてもらえるとは有り難い。けどスノーホワイトも実力あるし、勝てる要素はあると思うよ」
「そうですかね? さっきも落っことされたばっかりですけど。……アプローズは間違いなく一番人気でしょうね」
「そうねえ。桜花賞に安田記念に香港マイル。今年はいきなり初戦が安田だろ? 陣営の期待の表れだな。俺的には、后子ちゃんに大穴ブチ開けてほしいけど」
「はぁ。何でまた……物好きなこと言わはりますね」
「また藤澤の鼻あかしてほしいから♡ あいつ皐月賞でロジェールマーニュに負けてガチで凹んでてさぁ。超面白かったんだよね~」

忘れかけていたが、フジサワコネクトとアプローズ。この名牝二頭は同じ馬主__藤澤レーシングの牝馬だ。ここの馬は牝馬の強さに定評がある。
武内さんは藤澤レーシング新代表とめちゃくちゃ仲が悪い。なお二人は幼馴染である。もうなんかこの段階で察するんやけど。

「いやいや、そうは言うても……
「大丈夫大丈夫。流石にレースで手を抜くことは無い。正直今回の安田記念は、有力者乱立状態だしねえ。ほら、香港からも来るじゃん」
……十連勝の怪物ですね。しかも鞍上は瀬川」
「そう。やばいよな。バケモンとバケモンよ。あいつらに全員まとめて蹴散らされたりしてね」

武内さんはそう言って視線を動かした。その先には黒鹿毛の馬体に、顔に一筋の流星を流した大柄な馬がいる。私はその馬の上で涼やかに笑う瀬川をじっと見ながら、ダービーの事を思い出していた。
追い込み脚が掛かって逃げていたにも関わらず、フジサワコネクトを躱しきれなかったダービー。私がロジェを不自由にしてしまったダービー。馬の能力を引き出し、極限まで無駄を無くして心地よく走らせるのが騎手の仕事のはずだ。私はダービーでそれを忘れた。

ひとつの勝ちに慢心し、高慢になり、まるで自分が名手だと勘違いした。
だがそれも、勝つには必要な素養だと私は知った。

「大丈夫です。連勝はここで止まりますよ」
「おっ? 大穴ブチ開けられそう?」
「いやぁ、そんな大層なことは考えてません。だって武内さんいてはるのに……簡単に勝ちを譲ってやるわけないやないですか」
「それはそうね。ま、気楽に行こうや。日本馬が勝つよ」

武内さんはそう不敵に笑って、アプローズの腹を軽く押して歩かせた。坂路コースへ誘導して緩やかに走らせていく。スノーがちょっと飽きてきたのか、右前脚で地面の砂を引っ掻きはじめた。