幸せの森のお話集

10年以上前に一年間ほど書き続けた、ハッピーツリーフレンズの二次創作集


 
 
 こどものひあそびの話
 
 ドーナッツショップ(この店は味も美味しく値段も手ごろで、こんな時にはいつもここに入ることにしている)の隅っこでミルクを多めに入れたカフェラテを啜りながら、トゥーシーは思う。
バカだなぁ。
誰がって、目の前の二人が。
二人とは、テーブルをはさんで向かいに座った二人。
えぐえぐと変な声でしゃくり上げるギグルスと、それをおろおろとしながら本気で励ますカドルス。
「でね、でね、モールさんがね、わたしとはやっぱり一緒にいるわけにはいかないって……
「泣かないで、ギグルス!それでもモールさんは別にギグルスが嫌いだって言ったんじゃないんだよね?じゃあきっと、次は大丈夫だよ!」
「でもでもでも!これで4度目だし……
ああそうか。これで4度目なんだ、このやり取り。
溜息をつくのすら飽き飽きして、トゥーシーはナッツをまぶしたドーナッツを少しかじった。

この街では死ぬことなんて当り前で、その後に何事もなかったように生き返る。
大抵は死ぬまでと生き返ってからは連続していて、それこそ一瞬気を失っていたぐらいの感覚だ。
だから、あれをやったら死ぬんだろうとかこのタイミングでそれに会ったらまずいだろうとかの、俗に『死亡フラグ』と呼ばれるものだって分かっている(分かっていても避けられないから死ぬ訳だけれど)(更に言うと、結局生き返るんだから殺されたって怖くはあるけど後に引く様な恨みっこはなしだ)。
でも寝ている間に夢を見る人と全く見ない人がいるように死んでから生き返るシステムにも個人差があって、死んだら前の生の記憶が曖昧になって生き返ってくる人とかも稀にいる。
で、今話題のモールなんかがその例だ。
しばらく無事に生きれば前の記憶もはっきりしてくるそうだけれど。
ギグルスは大体いつも年上の男に憧れているけれど、その中でも特にモールにはご執心らしい。
モールは死亡フラグ四天王(あと三人は言わずもがなの彼らだ)に数えられているけど、死ぬ回数だって結構なものだ。
死ぬたびに記憶が曖昧になって、そこにギグルスは何かのチャンスを見出すらしい。
まあつまりざっくり言うと、少々ボーっとしている彼の世話を甲斐甲斐しく焼いてみたりして押し掛け女房となるのだ。
そしてこれはさらに毎度のことなのだけれど、記憶がはっきりしてくるとモールはギグルスに別れを告げる。
別れの言葉は嫌いだからとかそういうものではなく、なにやら住む世界の違いだとか危険性だとかが問題らしい(それについてはさすがは謎の男!とトゥーシーは少しばかり憧れていたりする)。
フラれて傷心のギグルスは一人で大泣きして、ここでようやくカドルスとトゥーシーの登場となる。
ちなみにトゥーシー自身は自分はカドルスのおまけだと思ってる(だって、別になぐさめとか励ましとかしないし)。

今回はあんまり甘えすぎないようにしたし、ちゃんとモールさんが嫌がるところは全部直すように気をつけたのに!と愚図り続けるギグルスを、カドルスは本当に真剣に慰める。
一緒に悲しんで、悩んで、時々少しの冗談で励まし続けるカドルスの努力の甲斐あってか、ギグルスも徐々にいつもの元気さを(いや、元気といえば今の状態も十分元気というだろう)取り戻していく。
そんな二人のやり取りをトゥーシーは冷静に観察する。
そして、飽きる(というか、オレ、帰っていいんじゃないの?とまで思う)。
馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
カドルスがギグルスを好きだってことはトゥーシーもよく知るところで、好きな女の子の失恋を慰めるなんでのは過度の健気さか馬鹿正直以外の何物でもないけれど、この場合は違う。
だってこれ、結局ふたりがいちゃついてるだけじゃないか!
大体最初っから大人であるモールが14才のギグルスと付き合ってくれるはずがないし、そもそも4度目。
いくら子供の自分達でもいい加減に学習する。
つまりはフラれることが大前提。子供の遊び。
最終的にカドルスとギグルスが仲良しで手に手を取り合って幸せなのだから、二人の幼馴染であるトゥーシーとしても別にいいんだけど。
モールさんも、結局は二人がいちゃつくダシなんじゃん。
(大人の彼は、きっとそこまでお見通しなんだろうけど)
(だから、『前』を思い出したらギグルスとは『お別れ』するんです)