河童の皿箱
2025-04-02 09:27:13
53202文字
Public 遊戯王:長め
 

その男は、能楽師であった。

あるグループがグループになる前、昔の話。
※捏造の濃度が高い。



 雅楽師をモニターの前に座らせて、その頭にヘッドマウントディスプレイを被せる。今はひとつしか持ってねぇから、とキーボードやマウスで多少の操作をする間、一体何なんだと雅楽師は僅かに緊張していた。
 それじゃ、始めるぞ。その一声で突如、雅楽師の視界は真っ暗闇から不可思議な世界で一杯になる。物理法則を無視したオブジェクト、そのうえに立つ可愛らしいアバター。な、なんじゃこれは! 思わず声をあげた雅楽師に、能楽師は笑う。ははは、こういうのも初めてか。ここはヴァーチャルの世界。有志の手によってインターネット上に作られた、もうひとつの現実ってやつだな。雅楽師はほうほうと声をあげながら、直感で手に持ったスティックを操作する。その通りに動く視界と、着物を着た自分の姿が街並みのガラスに映る。もしかして、これがお前か? 雅楽師が問えば、能楽師は答える。あぁ、俺のアバター……っつっても、適当にストアをバーッと見て無料配布されてるパーツで作った奴だから、そんな凝ったもんじゃねぇよ。凝ろうと思えば、いくらでも凝れる、時間を溶かせるやつだ。
 はは、それをやっとる暇はないじゃろうなぁ。雅楽師が笑うと、その背後から突然、少女の声がした。こんばんは! ログインしてたので、様子を見に来ました! と。ふとそちらに振り向くと、そこに居たのは忍装束のような衣装に身を包んだ少女、サヨであった。
 ……ところで。サヨは男に詰め寄る。どうしたんですか? さっきからふらふらふらふら。いつもより当てがない感じしてますよ? 雅楽師は言葉に詰まった。あぁ、えーと……。モニターで見ていた能楽師は、ふっと小さくため息を吐いた。悪い、変わってくれ。フレンドだ。すると、サヨはぽんと手の上に拳をついて、なるほど! と。もしかして、お友達さんですか! 今日はひとりじゃないんですか! 何でもかんでも聞き出そうとする少女に、男は戸惑う様子を見せたが、すぐに頭を抱えた。
 サヨ。……でもまあ、丁度良かった。どのみちそのうちには遭遇するんだし。そう言って、能楽師は友である雅楽師をサヨへ、そしてフレンドであるサヨを雅楽師へと紹介した。俺は寝る前、ここで絵を描いて過ごしている。サヨはそれに度々付き合って貰って……るっつうか、勝手に来るっつうか。んでサヨ。こいつは俺のリアルの友達だ。日中は大体こいつと過ごしてる。すると、互いに紹介されたふたりはマイク越しにほうほうと頷いて、サヨは頭を下げた。よろしくお願いします、お友達さん! モニターに映るサヨの姿に、雅楽師は笑う。ふふ、快活で気持ちのえぇ子じゃのう。こちらこそ、よろしく頼む。

 んでだ、サヨ。ついでに渡すもんがある。能楽師はインベントリを開いて、アバターアイテムを手に持ち、サヨに見せた。口元まで隠せるほどのボリュームのある、巨大なマフラーである。サヨがじっくりと目を凝らすと、マフラーの色は漆黒よりもだいぶ明るい紺色で、そのうえには白い、きめ細やかな石目柄が、市松模様状に端から端まで、びっしりと刺繍されている。目を移せば移すほど、その模様の濃淡は変わり、どこも同じ場所はない。サヨは目を丸くした。描くとか、デザインまではすぐできたんだが、モデリングや物理演算に時間がかかってさ。だいぶ経っちまったけど、一応。サヨは声を震わせた。ま、まさかあのじょ……げふん。約束、覚えててくれたんですか……? 能楽師は頷いた。覚えてなかったらここにこれはないだろ、と。
 サヨは恐る恐るマフラーを受け取り、すぐにアバターのカスタマイズに入る。程なくして忍びの首元には麗しいマフラーがモフっと参上し、ひらりとたおやかに揺れる演算を、何度も体を揺らして確認した。……これ、ふっつーにウン万のお金取れますよ? あの、本当に貰っちゃっても、良かったんですか? 能楽師はため息をつく。良いって言ってるだろ。その為に作ったんだ。それに、俺も勉強になった。モデリングってぇのも、楽しいもんだな。
 サヨの戦々恐々とした佇まいは直らず、かちこちと身を固めていたが、ふと、サヨはビュンと跳び上がり、近くの建物の屋根に飛び乗った。バサッと美しく翻るマフラーを、通行人たちはついつい見上げた。そ、そろそろ寝ないといけない時間なので、この辺りで失礼します! このお礼は、必ずや、必ずやしますからねー! そう走り去っていく背中が途中で粒子に包まれ消えるまで見送ると、男はその場に座り込んだ。

 はー……。どこか疲れた様子の能楽師の肩を、雅楽師はぽんぽんと叩いた。お前には元気が良すぎるかのう? 能楽師は頷く。悪い奴だとは思わねぇけど、あのテンションについていくのはまだ慣れねぇんだ。でも、勉強になったのは確かだし、恩義はある。ふと、雅楽師は訊ねた。お前、まさか自分の芸を磨きつつ、わしからも習いつつ、もでりんぐなるものをやりつつ、あれこれ契約とか申請とか、全部してたってぇのか? 能楽師は頷いた。あぁ、まあ。忙しいけど、忙しい方が……俺には合ってるし。そう言って、能楽師は仮想世界からログアウトして、現実世界へと目を向けた。さあ、明日っからもあの公園使えるしさ。次の家決めるにも安定した収入は得ないといけないし。今日はもう寝ようぜ。
 お、おう。特に変わった返事も出来ないまま、敷きっぱなしの布団の上で雑魚寝をする。ひとつ終わらせた日はよく眠れそうだ、お前も居るしな。そんなことをぼそりと言って明かりを消し、おやすみと言い合えば、能楽師はすぐに寝息を立てた。隙間風に乗ってやってきた月明りをぼうっと見つめながら、雅楽師はひとり空想を遊ばせ、明日の姿を思い描いていた。