河童の皿箱
2025-04-02 09:27:13
53202文字
Public 遊戯王:長め
 

その男は、能楽師であった。

あるグループがグループになる前、昔の話。
※捏造の濃度が高い。



 4畳半の部屋の片隅、決して多くはない荷物を、ひとつひとつ箱に詰め込んだ。運搬は業者に任せる。中抜きだけは恐ろしいから、受け継いだものは自力で運び出すことにした。古いPC等々は引っ越しついでだと処分した。風呂もない、ただ寝泊まりするだけの部屋。けれど。
 粗末なインターホンが鳴る。応え、業者を招き入れ、荷物を運び出したら、今度こそなけなしの生活感すら消え去った。忘れ物は無いかと、押し入れを開く。鍵もないそこは、歴史の一端を押し込め続けていた。でも、それももう終わる。とうとう、旅立つ時が来たのだから。
 大きな鞄を肩にかける。玄関で靴を履く。どうも、お世話になりました。能楽師は頭を下げ、一息。そして、コートを着込み、外へ出て、鍵を閉めた。



 ぶれぬ車窓の外の景色。光り輝く摩天楼の群れ。歓楽街近くの下町から、どんどんと遠ざかっていく。向かう先は、新たな家だ。次は、次はと流れるアナウンスを聞きながら、端末を操作する。あと10分ぐらいで着く、と。
 列車が止まり、目当ての駅で降りる。寂れ果てた小さな駅には、旧式の改札機がひとつだけ。恐らくここらでしか使われない切符を改札機に吸い込ませて、駅員すらいない駅舎を後にする。
 一歩外に出れば、都会に居れば見れないほどの山、山、山。ほんの15分列車に乗っただけで、こんな景色があると知った時は、それはそれは驚いたものだった。遠くに続いていく坂道が見える。ひび割れた舗装道路には、時折車がやって来ては、すぐに走り去っていく。さて、と荷物を背負いなおし、能楽師は歩く。
 ここにあるのは耕作放棄地ばかり。男の息は白く、身を刺す様な寒さばかりが満たされているというのに、伸びきった草花は強かに息づき、ぼうっとしているとこちらが葉に切られてしまいそうなほど。仕方がないので少しだけ車道に出て、前を見る。放棄地の中心に、その家が見えてきた。一軒家どころではない、大きな家。現代では珍しい、瓦屋根。鬼瓦が方々に睨みを利かせ、その軒下には縁側が広がる。さらに歩を早めれば、上へ上へとのびていく建築物に囲まれていた頃には想像もできない、横に大きな母屋と、小さな物置。3人で議論を重ねに重ねて、決めた家だ。

 おおーい。こっちじゃ。先に来ていた雅楽師が、手を振って向かえる。その傍らには、多数の鞄を携えた人形師も居た。じきに業者も来るだろう。けれど、まずは。3人は顔を見合わせて、一緒に家へ上がった。事前に掃除をしておいた居間に、各々が荷物を降ろし、取り換えて真新しい畳の上に腰を下ろした。今日から生活が始まるといえど、やはりしばらくは忙しくなる。一息つき、のんびりと羽を伸ばしていれば、程なくしてインターホンが鳴った。

 まずは、それぞれが使っていた家具を運び込んだ。能楽師は日々、外の施設にそれらを依存していたが故に、能楽師のものは収納や布団ぐらいなもので、ほとんどは雅楽師と人形師の生活であった。雅楽師は自炊をしていたらしく、厨房に調理器具や炊飯器等々の置き場を考え、人形師は仕事に使う器具や道具を物置へと運び出した。物置は、彼女の仕事場になる。それはそれとして、能楽師と雅楽師もまた、母屋の小部屋を仕事場として使うことに決めている。ただ、どれも寝具を置けるほどの空間はない。故に、寝室は居間で、つまりは雑魚寝である。
 慌ただしい1日目、陽が沈んで、そう言えば近くの飯屋はどこだろうと能楽師が呟けば、雅楽師は笑った。ここらに飯屋はないみたいだぞ、と。能楽師はうっかりしていたと額を押さえて転がったが、雅楽師はさらに笑う。けれどな、ちゃあんと対策してきたぞ。ほれ、こっち来てみろ。そうして台所まで来てみれば、大人3人暮らしに丁度いい大きな冷蔵庫がひとつ。それを開けば、中にはぎっしりと食料が詰まっていた。……お前、これ、いつの間に? 能楽師が問えば、雅楽師は答えた。いやぁ、宅配って便利じゃのう、と。そうして、能楽師と人形師が居間で寛ぐ間に、雅楽師はいくつかの手料理を作り上げた。あの狭い部屋から持ってきた小さなちゃぶ台に、3人分の食事が乗れば、手を合わせていただきます、と。その味は、ホッとするような、柔らかな味付けがされていた。口に合うか? そう問いかけると、能楽師と人形師は夢中になって舌鼓を打っては、うまい、おいしい、と。それから、風呂を沸かして、寝て。朝がやってきて、また片付け掃除と、物の配置や配線を経て。

 3人の生活の基盤を整える頃、3人は3人での生活に慣れていった。ひとりなりの自由はない。けれど、3人なりの自由がある。それが、どうにも居心地が良い。それぞれの場所で仕事をして、夕方には集まって公演に出て、帰りの列車に乗る前にどこかで食べて。そんな生活の繰り返しを、何日も。何日も。
 身を刺すような寒さも、より深まっていく。去年は暖冬だったが、今年は寒い冬になると、ニュースでも口酸っぱく言われている。けれど、なぜか、あたたかい。暖房器具のグレードを上げたから、何ていってしまえもするけどさ。能楽師が笑えば、こだまのように、雅楽師と人形師の笑い声がした。