河童の皿箱
2025-04-02 09:27:13
53202文字
Public 遊戯王:長め
 

その男は、能楽師であった。

あるグループがグループになる前、昔の話。
※捏造の濃度が高い。



 カンカン照りの昼下がり。帽子がないと頭が焼ける程の灼熱と、湿気で纏わり付いてくる不快感から必死に逃れて、駆けこんだのはカラオケボックス。平日故に空いていた大きめの個室をふたりで取り、ひとまず冷房をガンガンにつけ、水を飲み、忍ばせていた手拭いで汗を拭く。
 あれからというもの、ふたりは互いに能楽と雅楽の修練を重ね始めた。それぞれの難解さは持ち合わせていたものの、分野の近いところからひとつひとつ理解を重ね、ひとまず実演ができる程度にはなってきた……のだが、それだけでは足りねぇよな。能楽師は小さく呟いた。雅楽師もまた、口伝のみに頼らぬよう、書き出した楽譜を机の上に並べながら、頷く。あぁ、厳しい。なにかこう、もっと、こう。んー……新しい流れを取り入れたいところじゃのう。
 日に日に減っていく仕事と口座の残高、心の余裕。反比例して増えていく自由時間、即ち、ふたりで居る時間。部屋がほんのりと冷えてきた頃、雅楽師は篳篥を咥え、能楽師は構える。雅楽師の旋律に合わせ、能楽師は足を滑らかに、静かに舞う。笛より奏でられるのは、生きる人々の声。旋律に身を任せている間、能楽師は、ただそれだけに夢中になれた。

 演目をひとつ終える頃、雅楽師の顔がどうにも冴えない。どうかしたのか、と能楽師が問いかければ、いやぁ、わしの悪い癖なんじゃが……。口ごもる雅楽師に、能楽師は促す。言ってみろよ、と。雅楽師は頭を掻きながら、欲張りなのはわかっちょるが、音の厚みが物足りん、と。そりゃあそうだよな……。合奏する前提で作られた楽曲を、どこまで行っても独奏しなくてはならない。じゃあ、俺もその、楽器の練習してみるか? そう提案すれば、雅楽師は笑う。なはは、お前は能楽の道を行くと同時に、舞楽を一生懸命学んでいる。誰に教えるよりも真剣に聞いてくれるお前の姿は、それだけで嬉しいもんだ。だが、手一杯なのもよく分かっている。能楽師は図星をつかれ、苦笑する。が、次の瞬間、手を叩いては、備え付けのマイクと端末を手に取る。
 何をしてるんじゃ? 雅楽師がそっとそばまで寄ると、能楽師はマイクを自分の端末に接続させ、雅楽師にマイクを向けた。……あぁ、息抜きに歌うのか? いやいや違うって。録音すんだよ。前、楽器が壊れたらどうしようって言ってただろ? 解決法が無いか調べたら、録音して、旋律を作れる方法があったんだ。それをちょいと試してみようと思ってさ。いまいちピンと来ていない雅楽師に、まあ、まずは吹いてみてくれ、と。促されるまま、雅楽師は今吹いたばかりの旋律を、もう一度吹き始める。が、能楽師は、いやすまん、言い方が悪かった。ええと、下から……舌から丁までひとつずつ吹いてみてくれ。舌から……。雅楽師はけげんな顔をしながらも、今度はひとつずつ、音をあげていく。その傍ら、能楽師は端末を操作して、それぞれの音を区切り、画面上に記されたピアノの鍵盤に収めていく。
 程なくして、能楽師の作業が終わる。多分、コレでいけてると思うんだけど……。雅楽師に端末を差し出して、鍵盤、押してみてくれ、と。雅楽師は言われるがまま、仮想上の鍵盤に指をあてる。すると、今録音したばかりの音が、ぴぃと鳴りだした。雅楽師は目を瞠る。こんな簡単にできるもんなのか、と。そして食いつく。なあ、こりゃあどうやってやるんじゃ?
 それが、無料ソフトでこれぐらい楽にできるみたいでさ。能楽師はひとつひとつ、手解いていく。ふむ、ですくとっぷみゅーじっく、なぁ。機械で曲を作るってぇのは聞いたことあるが、なるほど、これが。まじまじと見るその姿に、能楽師はふとこぼす。まあ、手作業でやるこれも、相当古いやり方だけどな。今の時代、AIに理想を形にしてもらう方が主流だし……このソフトをこの端末で使えるようにしたのもAI任せだし。
 お前は、機械の扱いが上手いんじゃなぁ。わしはどうにも苦手で……。だが、お前の助けがあれば、きっと、この音色を保存する方法は上手くいく。この音で合奏を再現しようってぇことだろう? そしてそれは、わしがやらねばならんことだと思うんじゃ。どうか、使い方を教えてくれ。