河童の皿箱
2025-04-02 09:27:13
53202文字
Public 遊戯王:長め
 

その男は、能楽師であった。

あるグループがグループになる前、昔の話。
※捏造の濃度が高い。



 やぁ、まぁたあいつはすげぇことをやっとるのう。往来が埋まるもうひとつの現実の中、雅楽師と人形師はアバターを介してその場にいた。完全自作アバターアイテムコンテスト。あまりにも参加者が増えすぎたために急遽形態を変更し、投票制の予選が行われている。故、票を集めるためにデザイナーとモデルが連れ立って歩く道を、気のなるものから追いかける人々。その往来は極めて激しいが、圧迫感もなくすり抜けていく様に、電子のありがたみを感じる。
 さて、そんな往来から少し離れた場所を陣取る雅楽師と人形師の視線の先には、デザイナーたる能楽師のアバターと、その隣には少女の姿があった。ぱっと見、洋物のアイテムが人気であったが、ふたりが纏う和物に目を引かれた人々が立ち止まる。だがまあ、無骨な男に視線が集まることはあまりなく、人々の目は少女に集中していた。少女は大衆の目に怯まずニコニコ笑顔で胸を張り、まずは無地の忍び装束から愛らしい顔を覗かせ、くるり飜ると僧の姿に早変わり。雅楽師が作り上げた音源から鳴る尺八の音と少女の楽しげな表情が、さらに人を集めた。さあ人だかりがさらに大きくなってきた頃、少女はまたくるりと身を翻し、今度は商人の姿に変わった。さあさ、よってらっしゃいみてらっしゃい! これなるは遥か昔の意匠を掘る傾奇者が、手ずから作った珍品名品! さあさあ、話をつけるなら今のうち! いま捕まえなかったら、どんどん有名になってもう捕まりませんよー! その声にもまた、人が集まる。
 少女が身を翻して、忍者の、僧侶の、商人の、町人の、そして猿楽師と七変化をするたびに、ただならぬ和物へのこだわりと、近代的なデザインを取り入れたそれらに何かを感じ取った人だかりは大きくなり、それとともに注目されていなかったデザイナーにもその意匠を尋ねる人が増え、ぼうっと立っているわけにいかなくなった。多忙そうなその様子を、会場の離れた場所から、雅楽師と人形師は眺めていた。

 人形師を仲間に迎えておよそ半年。かれこれ彼女もすっかり慣れて、お互いに敬語が抜けた仲となり。けれど、人形師は能楽師がいつなん時も止まらず、何かを作り、学び、そして自分たちへ教え続けているその姿に驚愕していた。いつから、あれほど? 人形師が問えば、雅楽師は答える。うむ、明確に意識し始めたのは、去年の秋頃からかのう。それからはずっとあれじゃ。
 雅楽師は続ける。時折、あいつのあの姿を見ているとな。いつかぶっ倒れるんじゃあないかとヒヤヒヤしちまう。人形師は黙って頷く。けどなぁ。あいつと出会った頃はもっと酷い顔をしておった。今の方が楽しそうに見えるのも事実なんじゃなぁ。人形師は視線を送り、話の続きを促す。いつ頃、出会った? と。
 雅楽師は思い返す。ありゃあ、わしがこの街にやってきてすぐのことじゃった。契約した借家に向かおうとして、道に迷って、歓楽街の特段治安の悪いところに入っちまった。不気味な様子や異臭に恐ろしくなって表の道に出ようとしたが、そこでチンピラに絡まれてのう。楽器がいくつも盗まれそうになった時、わしを助けてくれたのがあいつじゃった。腕っぷしの強さで追い払ってくれたが、あいつは泥酔しておってな。うわ言をぶつぶつ呟いては、まっすぐ歩けもしない。顔も真っ赤でふらふらのあいつを駅まで抱えて、そこでようやく少し話せるようになって、お礼をしたいからとわしが無理言って連絡先を交換したんじゃ。
 人形師は呟く。泥酔していた? 雅楽師は頷く。今は飲むにしてもそこまで飲まんし、意外じゃろ? 思えば、あいつは自棄になってたんじゃないかと。実際、わしの誘いに律儀に来たあいつの顔は、そりゃあそりゃあ酷いもんじゃった。わしが雅楽師、あいつが能楽師だと互いに知った時は、伝統を継ぐ人に出会えた喜びに舞い上がったが、対してあいつは押し黙ってなぁ。なんじゃ、暗いやつじゃのうと思っとったが、あいつが経験してきた厳しい現実が、あいつを暗い奴にしとったんだと思う。だがまあ、お互いにこの縁を手離すには惜しかったんじゃろう。わしが誘うたび、あいつは約束を破らず来てくれた。あいつは無理してでも笑って、わしの愚痴や困り事に耳を傾けて、手を貸してくれた。あいつなりにわしを慮っておったのは、よーく伝わってきた。仕事しても碌に客も増えなかったあの頃を乗り越えられたのは、あいつがいてくれたからだ。……んで、和琴の弦が切れたのは、それからしばらく経ってからじゃな。
 和琴の弦。人形師は思い返す。それがきっかけで。雅楽師は言葉の区切りを待ち、頷いた。あぁ、今のわしらの始まりはそれじゃ。そっからは、おまえさんも知るところ。残念ながら、まだ弦の調達の見込みも立っておらんがの、と苦笑いこぼすが、でも、と。わしは、今いるこの道が気に入っておる。何をしていても楽しいし、新しいことも知れるし。あいつが思い切り腕を振るえる舞台の土台が整い始めたとわかるし、もちろん、わしらにここまで高度な技術をもたらしてくれたおまえさんにも、返し切れるかわからない恩義でいっぱいじゃ。……唯一気がかりなのが、あいつの無理が祟って倒れてちまわないか。攻め時なのはわかるが……ううむ、籍に入りゃあ落ち着くかのう?
 人形師は笑う。どうなんだろう、もっと止まらなくなる気もするけど。でも、ちょっと見てみたい。彼のお嫁さん。そんな言葉に、雅楽師もまた笑った。なあっはっは! あいつの嫁か、確かに見てみたいのう! あんだけ勤勉でええ男じゃ、放っておくにはあまりに惜しい。それと、嫁というなら、子も見たい。全く想像がつかんからな!

 予選が終わるまで雅楽師と人形師は、能楽師の嫁と子の話で盛り上がり、ついつい夢中になっていた。予選の終了が告げられると、投票の時間が待っている。男と少女が予選を通過できたかが判明するのは、また数日後だ。
 用事が済んだ人々から散開していく。それでも、能楽師は人に捕まったままであった。