河童の皿箱
2025-04-02 09:27:13
53202文字
Public 遊戯王:長め
 

その男は、能楽師であった。

あるグループがグループになる前、昔の話。
※捏造の濃度が高い。



 雅楽師の帰路を見送って、能楽師もまた、帰路につく。相変わらずの狭い部屋。陽が沈んで暗い部屋。だが、妙に広く感じるそこにもまた、虚無は潜んでいた。広げたままの謡本を片付け、押し入れに仕舞い、息をつく間もなく、静寂に男の胸の内が酷く空虚で満たされていく。男はゾッとした。どうしてだ。あいつと一緒に色々やって、少しずつではあるが公演の準備は整っている。なのにどうして、この感覚は抜けないんだ。
 逃れるようにすぐにPCの電源を付け、これもまた旧式のヘッドマウントディスプレイを頭に掛ける。起動したソフトウェアは、いわばもうひとつの現実世界への入り口だった。行き交う美少女や獣人や。プレイヤーの好みのままカスタマイズされた人々の往来を、能楽師のアバターもまた、歩いていく。古い着物を着た男のアバターだ。特段何を考えたでもなく、とりあえず目についた適当なパーツを組み合わせて作った、こだわりのないアバター。コントローラーの操作通りにサーバーをいくつか乗り継いで、辿り着いたのは賑やかな通り。現実と同じ夜の街は、けれど遊ぶ人々がたくさんいて、その笑い声が聞こえる。
 男はその片隅に座り込んだ。そして、もうひとつ連動させたコントローラーを、ペンタブレットを起動して、人々の往来を眺めながら筆を走らせる。

 男はもっぱら、夜はこうして過ごしていた。静寂が呼ぶ孤独が、空虚が頭を、胸を埋め尽くし、棘が刺さったかのように痛む。男にとってはそれが耐え難かった。こうしていれば、いつしか意識が途絶えて、眠っているから。朝はアラームが起こしてくれる。それまでの時間を、誰かと誰かの無礼講に身を任せていた。
 今日はいつ、眠れるだろうか。男はもくもくと、往来する人の姿を手元に写す。ある程度の輪郭を取れたら、すぐに別のキャンバスを開く。凝ったアバターも通る。初期パーツのままのアバターも通る。そして、極めて数少ない知り合いも。
 男の前に、少女がひとり、立ち止まった。まるで忍のような恰好をしたその少女は、むふんと胸を張って、男の顔を覗き込んだ。こんばんは! ログインしてるみたいだから、来ちゃいました! ディスプレイを通して、若干活舌の悪い、幼い子供の声が聞こえた。まあ多分、ボイスチェンジャーを使っているのだろう。アバターの身振り手振りも、元気が良い少女のそれ。いっそここまで清々しくなり切れること自体に、男は感心していた。男は頷いて、隣に座るよう促した。
 少女の名はサヨと云う。男が無意識にぶらつく場所の周期を覚えて追いかけてきては、街の片隅でぼうっと絵を描き続ける男にずぅっと話しかけ続け、とうとう男が折れてフレンドになった、奇妙なプレイヤーである。とはいえ、ログイン時間はそう長くはなく、夜の早い時間だけだ。男は自分の事情をそこまで多く話さなかったが、あまりにも人に興味を持ちすぎるサヨの押しに負け、眠れない事と、こうしていればそのうち眠れるからこうしている、という事だけは伝えていた。だから、その内寝落ちするぞ、と。サヨはそれを了承して、今日もまたここに来たようだった。
 あのですね、今日は親戚から良いもの譲ってもらったんですよ! そういって自慢気に見せてきたのは、男が使っている物よりは新式のペンタブレットだった。これでわたしも隣でお絵かきできます! と。そうか。男がぶっきらぼうな返しをしようが、少女はお構いなし。男がやっているように、少女もまた筆を走らせ始めた。
 だが、男の筆の速さには到底追い付かず、その線もまだまだへにゃへにゃ。何かの輪郭をとっているとは到底思えないそれに、少女はうえーんと唸り続ける。なんでそんなに上手に描けるんですかぁ! なんでそんなに早く描けるんですかぁ! 少女が喚く隣で、男は呟いた。これはかれこれ5年続けてるし、絵自体はもっと昔から描いてる。続ければこうなる、と。少女は驚いた。5年!? わたしの年齢より上じゃないですか! 男は少し驚き、手を止めたが、また手を動かす。……そういうことにしておこう。
 そういえば、ずうっと絵を描いてますけど、アバターアイテムの自作とかしないんですか? やってる人たち、結構楽しそうですし。少女が問えば、男は答える。AIで作った方が速いぞ、それ専用のソフトもピンキリだ、と。ピンキリ? 良し悪し含めて色々あるってこと。あ、そっかぁ。ええと、それは、そうなんですけど。せっかく上手なのに、完成した絵を見たことが無いですし……なんだかもったいないなぁって。少女の言葉に、男は僅かに手を止めた。……競合が強すぎるからな。今の時代、何かを作っても金にはならねぇよ。これは俺が落ち着くために続けてる、ただの趣味だ。
 すると、むすっとした少女は、ぶんぶんと腕を振った。もー! はじめっから諦めてちゃ何にもならないって、朝のアニメでも言ってましたよ! じゃあじゃあ、サヨのアバターアイテムを作ってくださいよう! わたしはあなたが何かを作るのを見てみたいし……お金は……その、何とか用意しますからぁ!
 わかった、わかったから、一旦落ち着け。男はとうとう根負けした。いつもそうだ。えっ、じゃあ作ってくれるんですか! 少女は目を輝かせる。ここまで精密にキャプチャしてるのか。わかったと言ってしまった以上、男も引き下がるわけにはいかなかった。金のやり取りは面倒だ、タダで作ってやる。ただし、昼は忙しいし、夜はこれをやりたい。いつできるかは保証できねぇ。……作り方も、初めてだから調べないと。そう伝えれば、少女は笑った。それじゃあそれじゃあ、わたしは作ってもらうので、お金の代わりに、作り方はわたしが調べます! なんてったって、調べるのは得意ですから!
 男は頷いた。……じゃあ、それで。それだけ言って、また手を動かす。キャンバスの数は、100になろうとしていた。

 もうひとつの現実の中で、まだまだ続く無礼講。その中で、もくもくと写し続けるふたり。ふと、男のアバターが俯く。からりと落ちるペンの音に、少女が振り向き見上げると、そのアバターは目を閉じていた。ツン、と突いてもすり抜けるだけ。それでも確かに聞こえる寝息に、少女はほっと胸をなでおろした。
 今日は、いっぱいお話しできましたね。もう届かなくなってしまった言葉、どうせログにも残らず消える。でも、少女がログアウトするよりも先に男が眠った時、これだけは欠かさず、文字で送っていた。

 おやすみなさい。