河童の皿箱
2025-04-02 09:27:13
53202文字
Public 遊戯王:長め
 

その男は、能楽師であった。

あるグループがグループになる前、昔の話。
※捏造の濃度が高い。



  なあ、聞いとくれ。わしは重大なことに気づいちまったかもしれん。

 ビルの山に埋もれた木々の葉が赤らみはじめ、徐々に暑さの和らぎ出す頃。ふたりはいつものように能楽師の部屋で勉強会を開いては、ふと雅楽師はそんなことを言い出した。どうしたんだよ、と能楽師が尋ねると、雅楽師は少しばかりもったいぶって笑った。わしはお前に教えてもらって、色々と機械をいじれるようになってきた。そん中で音楽の生成AIなるものを知ってな。わしも試してみたんじゃ。だが、何度スクリプトをいじっても、雅楽は生成できんかった。一番それっぽいのは、どう聞いても春の海だった。……お前にも意見を聞きたくてのう。これ、なんでじゃろうか?
 能楽師は鉛筆を置いて考える。雅楽が生成できないって、どういうレベルで? 尋ねれば、雅楽師は答えた。和楽器を使った楽曲は生成してくれるんだが、なぜか毎回三味線が混じる。雅楽の時代にゃあまだ三味線はない……それはそれでいいんだが、一方で、和琴や笙の音色は何回やっても全く出てこんのじゃなぁ、これが。それと、やはり機械的な処理、か、西洋の理論が土台になっているからじゃろうか、特有の緩急がどうしても出せん。
 そこまで聞いて、能楽師は端末を使って検索を始めた。おお、何を調べるんじゃ? いや、ちょいとばかり心当たりがあるからさ。ネットワークの海を滑り始めてほんの数分。AI生成が一般的になった頃から生成物を学習していった結果、生成される作品の先鋭化が始まった……それに、1回インターネットのデータが殆ど吹き飛んじまったってのも原因にありそうだな。雅楽師は頭をひねる。うーんと、つまりどういうことじゃ?
 能楽師はひとつひとつ、説明する。まず、作品の先鋭化。AIが生成した作品を、人が評価して、それをまたAIが学習する。その繰り返しで人にとって心地よいものを学習して、クオリティが上がるんだ。そうなると、ジャンルの人口そのものがクオリティに直結しやすくなる。生成される速さ、人が評価する速さ、そういうのに雲泥の差が出る。あー、例えば……生成AIの黎明期、絵の生成に関して、綺麗な女は苦労せずとも生成されたが、男の生成は下手だった、って話がある。これを端的に言えば、女を描く人、女を見たい人が多かったからだ、とされている。特定の理論を基に、完全に理解したとするAIも開発されてはいるが、結局は学習元のデータが充実しているかどうかが、生成のクオリティの鍵であることに変わりはない。
 次に、インターネットのデータが吹き飛んだっつーのは……まあそのまんまだ。俺たちが産まれる前、世界規模のサイバーテロが起きた。何者かが撒いたウィルスは瞬く間に感染を拡大させて、国や企業や生活、全ての機能を停止させた。数多くの死亡事故も発生――酷い有様だったみたいだぜ。んで、データをあちこちのIT企業や個人がサルベージ――あー、使えるものをひとつずつ拾って、ウィルスを除去して、新しいインターネットの構築を急いだ。だが、企業全部が協力したわけじゃない。いくつかの乱立したインターネットの競争に勝利し、今覇権を握ってるあそこがサルベージしたデータ以外は、テロや他企業の倒産と共にそのまま消えちまったのさ。
 雅楽師は頷く。なるほど。つまり、本当に、本当に、わしらが受け継いだ歴史は、伝統は、わしが思っていた以上に消えているんじゃな。能楽師は頷く。そうだな。あんましっかり考えたことなかったが……そういう認識で間違いないと思うぜ。すると、雅楽師は何かを検索し始めた。ん、まだなにかあんのか? 能楽師がのぞき込めば、そこには今では珍しい、作曲用の音源の販売サイトが開かれていた。
 見とくれ! 和楽器の音源、残っているのは三味線と筝と尺八と篠笛、あとは宮太鼓だ! 見事に雅楽の、いや能楽のも抜けておる! なるほど、なるほど。これじゃあ生成できるわけがない。誰の目にも留まるわけがない。だって、なくなっちまったんだから! 雅楽師は興奮気味にまくし立てては、大口を開けて笑った。だが、能楽師の胸には不安がよぎった。まさか、ここまできて投げ出してしまうんじゃないか、と。だが、それは杞憂に終わる。いいじゃないか、燃えてきた! 雅楽師は能楽師の手を取った。

 いやはややはり、知るとは楽しいもんだ! おかげですっきりした! ……わしはな、ずっとずっと苦しかったんじゃ。こんなにも頑張っているのに、どうして誰の目にも留まらないのかと。理由は思っていた以上に簡単じゃった。悲しいことに、わしらが受け継いだ伝統は、世間としては滅んでいたからだ! お前に教えてもらって、機械と接してよう分かった。調べたい言葉を知らなければ、どこにも辿り着けん。そして人々をわしらに導いてくれる言葉が消えちまったのは、決してわしらの頑張りが足りないからじゃない。わしらが産まれる前の偶然が生み出した、不可抗力だった! 強いて言うなら、歴史をぜーんぶ消さなきゃならん事態を招いた、どっかの大馬鹿者のせいだ! 雅楽師は興奮のあまりに立ち上がり、大きな身振り手振りを見せて、一生懸命、その心の渦を口から吐きだし続ける。
 わしは知らず知らず、なくなった都に期待しておったみたいだ。それは幻に過ぎなかったが、都はまだ滅んじゃいない、終わっちゃいない。消えちまった音を、舞を、歌を、わしらは受け継いでいる。だが、ここを、ここを勘違いしとった。わしらの継いだものは世間としては昔のものじゃなく、全く触れたことが無い、新しいものなんじゃ! わしらは伝統を重んじるあまり、古さばかりに目を向けていた。でも、わしらが表現したそれらは、世間では一体何を表しているのかの知識が滅んでいて、全く通じておらんかった。悔しいが、それじゃあ眠られるのも無理はない。世間としてはわしらのやっていることは、すーーーっごく、ゆーーーっくりとやってる、よくわからないもの以外の何ものでもなかったんじゃ! だから、だから……。グルグルと同じことを述べては、とうとう、ぜえぜえと息を切らして、座り込む雅楽師。ふと、能楽師もまた、笑った。
 俺たちに必要なのは、日々これ精進と芸を磨くことだけじゃなく、古き言葉を今でも通じるよう翻訳することだった。能楽師が口にすれば、雅楽師は身を乗り出して食いつく。そう、それじゃ! それが言いたかった! それが必要な事だと思ったんじゃ! わしはいうなれば、浮世離れした場所で育った。だがここに来て、お前と共に歩んで、分かった。そこで通じていた言葉が、ここでも通じると勘違いしとったんだ! だから……だから……。ついにヘロヘロとへたり込んでしまった雅楽師。能楽師はまた、笑う。お前がそんなに舞い上がるのは初めて見た。でも……あのさ、ちょっと胸、触ってみてくれよ。そう言って、能楽師は雅楽師の手を取って、自分の胸に押し当てた。
 雅楽師の手を伝う、心臓の鼓動。それは、平時のそれよりもずっと早く、ずっと力強く、脈打っていた。能楽師はその身をそのまま預け、囁く。わかるか、聞こえるか。俺も、すごく興奮しているんだ。お前の言っていることは、きっと正しい。お前の気付きは、俺にも気付きを与えてくれた。これから歩む道が、見えたんだ。……ありがとう。
 ……なんじゃ、改まると、こそばゆいのう。ふふふ。雅楽師は能楽師の背に腕を回してはグッと抱き寄せ、力いっぱい抱きしめてはその身を離し、背を力強くバンと叩いた。さあ、そうこうしちゃあいられない! 早速……取り掛かりたいが、ちょいと腹が減っちまった。コンビニ行ってつまみでも買ってくるかのう。いや、今は動かないと落ち着けん! すぐ戻る!

 飛び出していく雅楽師の背を、能楽師は見送って。自らの胸に手を当て、また呟いた。……俺たちは、全く新しいもの。必要なのは、翻訳。そうだ、それなら、きっと。
 鼓動は、体のどこへも血を運んでいく。そっと目を閉じれば、指先に、足先に、頭の先に、驚くほど力が入る。ぐっと力を込め、一気に緩め。まるで火が点ったかのような熱さは、けれど夏の灼熱のようなものではなく。

 そうだ、新しい道なんだ。