河童の皿箱
2025-04-02 09:27:13
53202文字
Public 遊戯王:長め
 

その男は、能楽師であった。

あるグループがグループになる前、昔の話。
※捏造の濃度が高い。



 桜の花が先陣を切って咲き誇っては、わずかな間に人を楽しませ、ひゅうと吹く風に花が落ち、けれどそれを名残惜しいと思った人々が、電飾でまた花を咲かす。
 傾く日の下、芝生の前にて舞う能楽師と、奏でる雅楽師と。小さな人だかりの後ろでカメラを構えている人形師と。パチパチとまばらな拍手が、次の演目を促す。視線だけで通り過ぎていく人もいるけれど、人形師以外にも常連ができた。……交流を深める時間はなかなかないけれど、3人は常連の顔はしっかりと覚えていた。
 人形師はまだ、出演したことはない。浄瑠璃のための人形はあれど、演目も曲も失われてしまったからだ。故に裏方としてその日の様子を録画しながら、人形師は能楽師の仕草をつぶさに観察していた。能面も人形も、表情は変わらない。けれど、上を向けば顔に日がさして不思議と喜ばしく見え、下を向けば影がさしてはなぜか悲しそうに見える。視線を観客へとスッと向けたり、男を演じる時の怒肩や勢い、女を演じる時の淑やかさや品の良さ。それはきっと、浄瑠璃の表現にも通じるところがあるはずだ。

 次の週末、3人は公園近くのカラオケボックスにやってきていた。能楽師は知り合ったばかりの異性を自分の家に上げる気が起きなかったし、何より人形師との距離感をまだ掴めていなかった。防音設備、音響設備も完備していて広く、なんだかんだで必要な機能がしっかり揃っていて、なおかつ安い。毎回スタジオを借りる金もないのだから、ここが1番使い勝手が良かった。
 さて。ドリンクバーの飲み物をテーブルに置いた3人は、持ち寄った本や楽器や人形、衣装を準備する。人形師は自分が資格勉強に使った分厚いテキストを能楽師に渡し、能楽師はなんとか自力で勉強したノートを人形師に渡し、主に用語に関する丸付けをする。それから、このぐらいのレベルの資格から挑戦してみたらいかがですか、と、人形師はいくつかの資格を能楽師に伝えた。その後ろで、一休みを終えた雅楽師は、琵琶の調律を始めた。何度か音を鳴らして調律を終える頃、能楽師と人形師が向き合った。
 浄瑠璃は三味線を使っておったと聞いておる……んじゃが、わしは三味線を持っとらんのでのう。すまんが琵琶で代用させとくれ。雅楽師がそう言えば、人形師は頷いた。人形も、本来は3人で遣うものなんです。でも、人形師はもう、私ひとりしかいませんから。どうしても変えないといけない部分もあるはずです、と。それを聞いて、能楽師は小さく微笑んだ。はは、俺たちと同じ壁にぶつかってる。わかるぜ、と。
 人形師もまた、笑う。ふふ、能楽も雅楽ももっと遅かったはずなのに、どうしてこんなに速いんだろうって思っていました。でも、今ならわかります。元の形ではできなかったから、もありますよね。その答えに、雅楽師は頷く。そうじゃそうじゃ。それに、わしも……楽器と楽譜以外はほとんど消失しちまったからなぁ。舞楽の様々も消失しとる。能楽師もまた、頷く。俺たちは、いわば歯抜けの状態であれこれやってる。時間ができたら、元の形のも人にわかりやすいように書き残したいな。それこそ、CGで再現するとかさ。
 ところで、と。雅楽師が衣装を被る中、能楽師は訊ねた。お前、さっき楽器と楽譜以外はほぼ消失したって言ってたけど、その衣装はどこから来たんだよ、と。雅楽師は答える。こりゃあ本に残っとった絵を見て自分で縫ったんじゃって。……お前、和裁できたのかよ。おう、できるぞ。自己流で不格好じゃけどなぁ。ほれ、こことか。……あえ、言ってなかったかのう?
 首を傾げる雅楽師に、能楽師は額を抑えた。初耳だぜ、と。なはは、お前と出会ってから毎日毎日忙しくての。すっかり言ったつもりになっとった。まあ、お前が絵を描けるのもわしはちょっと前に知ったから、お互い様じゃ。雅楽師が豪快に笑うと、人形師もまたつられて笑った。和裁なら、私もできますよ。人間用でなく、人形用ですけれど。それを聞いた雅楽師は、見てもええかと許可を取り、人形衣装をちらりと裏返した。ほうほう。いやぁ、こりゃあ上手いこと縫っておる。なあ、よければわしにも綺麗な繕い方を教えてくれんか? えぇ、もちろん! その代わり、人の大きさの繕い方も教えてくださいね。

 3人はそれほど長い時間を過ごしたわけではなかったが、それなりに和気藹々と意気投合しては、互いの持つ技術や知識を交わしていた。それから少し時間を経た後、能楽師が音頭を取り、今日の本題。浄瑠璃の復刻に必要なことについて会議を開いた。
 残っているのは人形と絡繰の製法。消失したのは遣い方と曲。遣い方は能楽師の仕草を参考に、曲は雅楽師の感覚で作る、と決まった。だがこれは、ふたりにとっては大きな挑戦を伴っていた。今までやってきたような、合奏の一部分を独奏で再現できるように変更するでも、演目を加速させるでもない、いわば新作の制作。ふたりはまだ、それをやったことがなかった。
 3人は案を持ち寄り、練り上げていく。例えば、能楽師と人形師が向き合って、互いに相手役をやるのはどうだろうか。それならば、能楽の延長線上ではできそうだが。新しい曲を作るにしても、楽器は何を使おうか。合奏のようなものを想定するなら、どのような機材や工程が必要になるか。そも、どのような物語を基に浄瑠璃用の台本を作るのか。
 ううむ……。なかなか次の一歩が出ない。最終目標を立てなければ進めないが、高すぎる目標を設定してしまうと、途中で技術不足で断念する恐れがある。それが、どうにも口を閉ざしてしまっていた。ふと、能楽師は言った。例えば、そうだな。最も出来に自信がある人形はどれなんだ? 人形師はしばらく悩み、答える。あの日、公園で見せた花魁の人形です、と。
 なるほど、花魁。……確かに、あの人形はいろんな人に見てもらいたいな。それから、能楽師は謡本をめくった。なにか、参考にできそうなものは……

 その末に、雅楽師と人形師に、ひとつの演目を見せた。その大筋を確認しては、3人は頷く。いわば勧善懲悪だ、話の構成もわかりやすい。これなら曲も作りやすいじゃろうな。えぇ、これなら……あの人形の特性も存分に生かせると思います。……ひとまず、この方向性で行ってみようぜ。