河童の皿箱
2025-04-02 09:27:13
53202文字
Public 遊戯王:長め
 

その男は、能楽師であった。

あるグループがグループになる前、昔の話。
※捏造の濃度が高い。



 ささやかな酒の席を立ち、ふたりの男はほろ酔いのまま、駅のコインロッカーに大荷物を預け、眠らぬ歓楽街へとくり出していた。すっかり日が落ちているのにも関わらず、太陽よりもずっと近くで照り続けるネオンの色味が混ざり合い、その強烈さに雅楽師は圧倒され、思わず立ち止まった。能楽師はその背をポンと叩いて、ほら、歩かないと碌な目に遭わねぇぞ、と。雅楽師はハッと気を取り直して、能楽師の背を追いかける。
 天を擦るように高く、乱立するビル街。その隙間で、芋を洗うかのようにごった返す人々。チラリと看板を見れば、絢爛豪華な料理は、どれもこれも観光地価格。いやぁ、美味そうではあるが、これを食うのは厳しいな。呟けば、能楽師は答える。ここは昔っからそういうところだからな。単に飯を食いたいなら、適当にチェーン店を見繕ったほうがいい。……でも。能楽師は口ごもる。そのまま黙り込み、どうかしたのかと雅楽師が問えば、いや、なんでもない、と。その顔はまた、そっぽを向いている。

 それからしばらく歩き続け、どの店に入るでもなく、大通りを抜けた。ふと入った抜け道だが、それでも人、人、人。能楽師は雅楽師を連れて、ふらりふらりと、ギラギラ光るどの店に入るでもなく、歩いていく。一体どこへ向かうのだろう。まさか、酒が入りすぎて何も考えられないのでは、と不安を覚えたのもつかの間。木の生い茂る、古ぼけた神社に辿り着いた。
 境内に頭を下げて入り、玉石を踏んでまた歩くこと数秒。能楽師は、朽ちかけたベンチに腰を掛け、ずんと肩を落とし、下を向いた。隣に雅楽師が座る。どうにも様子がおかしい。なあ、と声をかけたが、返事がなく。しばらくして、能楽師はおもむろに口を開いた。
 今歩いた所はな、全部、景観保護の対象だったんだ。今は、違うけどな。能楽師は顔を伏せたまま、ぼやき続ける。分かっちゃあいるんだ。あれだけ広い土地があれば、より生産性の高い施設だって作れる。俺たちが産まれるずっと昔に、国は、街は、それを選んだ。負債がヤバかったらしいしな。取り留めもなく、続ける。ここに来たばかりの時は、そりゃあ胸が躍ったさ。整備された寺や神社、たくさんの人に、最先端技術の集う場所。でも今は何見ても……なんつーか、虚しくて堪らないんだ。ビルや電車に人がたっぷり詰まってるのを見てさ。俺、何やってるんだろうって。
 雅楽師は戸惑う。何と声を掛けたらいいか。けれど、その気持ちは痛いほどよくわかった。本の中で見たかつての街の姿とは似つかぬビルの群れ。街の入り口で立ち止まってしまったのは、感動からではない。あれは、怯みだ。そして巨大な建造物たちの下には、かつて人々が守り続けてきた伝統や暮らしがあったはず。そんな街で見向きもされぬまま、必死に能楽を、雅楽を細々と続けて。けれど、続けなければ、もう後がない。自分たちが最後と言っても、決して過言ではない。この道を捨ててしまえば……
 ごめんな、愚痴言って。能楽師はようやく、顔をあげた。その胸で渦巻くありとあらゆるものを殺して、無を作ろうとしている……酷い顔だ。けれど、雅楽師は否定するでもなく、けれど、肯定するでもなく。そういうこともあるじゃろうて、なあ。背をポンと叩いた。

 でも、だからこそ。能楽師はまた顔を伏せ、そして食いしばっては、顔をあげ、雅楽師を真っ直ぐ見据えた。このままじゃいけない。なんとか、策を練らないと。雅楽師は頷く。あぁ、そうだな。このままでは、いずれ首も回らなくなる。……いや、実はな。雅楽師はふと、立ちあがった。とうとう和琴の弦が切れちまった。替えはもうない。まだ琵琶も琴も、打ち物も無事だが、それでも使えない楽器がひとつ増えたのは確かだし、それがいずれどうなる事か。お前さんの言う通り、このままじゃいけない。動かないといけない時が来たんだと、そう思ったんじゃ。
 能楽師は苦く、笑う。嫌だな、こういうの。雅楽師もまた、苦く笑う。あぁ、嫌になる。けど、まあ、上手くいけば歴史に名を残せる時期なんじゃあないか。例えば……ほら、三方楽書みたいに? 能楽師はつい、噴き出した。なんか違う気がすんぜ。でも、まあ……今はそう思っておくか、と。能楽師は続ける。なあ、お前……俺の家に遊びに来ないか。3人も居ねぇけど、寄らば文殊の知恵って言うだろ? 明日1日、俺たちが何をするべきかじっくり考えて……ええと、研究? してみねぇか。雅楽師は、その提案に目を丸くするも、笑って頷く。あぁ、ええぞ。1人で出来んことも、2人なら出来るかもしれんでな。

 年若い男ふたり、また街にくり出す。今度は、足取りも、行先も、はっきりと。相変わらずの大混雑を、何とかなんとか掻き分けていく。果て無い世の荒波に、小舟がひとつ、漕ぎ出した。