χχχ-medµme アンシーリーコート:探偵不在の事件録【CASE.01】

【CASE.01】探偵不在の密室
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【あらすじ】
舞台は暗転し、明かす者は既に無く、彼らはただ取り残される。
これより語るは、探偵亡き世の物語。
彼の者の凋落よりおよそ120年。喪に服し続ける嘗ての右腕が、ひとりの馬子に出会うとき、静止した時は氷解する。
嘗ての友の旅路を辿り、その真実を秘匿せよ。そして拭い去れない夜を覆う──この世界の謎を解け。

ベイカー・ストリート221Bに拠点を構える小説家、エマ=ジェームズ・ワトソンのもとに奇妙な事件の話が持ち込まれる。それは嘗てロンドンを賑わせた探偵小説──シャーロック・ホームズの始まりの物語、「緋色の研究」で綴られた状況に酷似していた。密室で殺害された男。壁にかかれた『RACHE』という血文字。しかしそれらが示すのは、この世ならざる幻想の気配。そしてワトソンがひとりの馬子に出会うとき、黒よりも黒に彩られた真実が示すものは?
〈χχχ-medµme〉第一部、全ての始まりはこの場所に。

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 その馬子は大英博物館の中にある、一般人は立ち入れない図書館で人を待っていた。本の木々に囲まれ、静かな空気と穏やかな照明が彼の黒髪と尾を撫でている。
 この場では何も関係がない。本と、それを読む者。二人きりの孤独なのだ。故にここは立場を捨てて会話ができる。黒い馬子はそんな柄にもない事を考えながらページを繰っているのか、本の文字列に視線が縫い留められている。
 彼は日本ではご大層な有名馬子らしい。私は馬子よりも原種の馬が走る競馬の方が好きだったので、その馬子がそんな活躍をしていた事は薄らとしか知らない。
 手の中にある文庫本の表紙には『A study in scarlet』とある。緋色の研究、即ち諮問探偵シャーロック・ホームズとジョン・ワトソン博士が出逢い、初めてこの二人で事件を解決する最初の物語である。

 ──それは、私の運命を決定づけた物語。

「貴方の事は、何と呼べば」
「普通にシャルルマーニュ、とかシャル、って呼べば?よくそう呼ばれるし」
 牡馬は伸びやかな声を上げた。よく通る、はっきりとした声だった。
 ────よく似ている。嫌になるぐらいに。
「初めまして、アンシーリーコート。改めて自己紹介させてくれよ」
 彼は立ち上がる。高い位置で結わえている黒髪は相当な長さがあるらしかった。ふわりと尾が揺れる。頭に突き出た馬の耳がくるりと動いてこちらへ向いた。
「俺の名はシャルルマーニュ。シャルルマーニュ・ハイドノーブルだ」
……エマ=ジェームズ・ワトソンだ」
「知ってるぜ。生きた化石に出逢えるなんて光栄の極み」
 ばちこんと音を立てそうな風にシャルルマーニュは片目を閉じてウインクした。
 嘘くさ、という言葉は飲み込んだ。ついでに露骨な嫌そうな顔を作ってみせる。巻き込むなというやんわりした抗議だったが、シャルルマーニュはそれをあっさり受け流した。
……トーマス・ハリッツの殺害の件。貴方たちが手引きしたわけ?」
「まさか。ハイドノーブルが動いていたならば、もっと上手くやるだろ。どう考えても、あんなやり方はしない」
 シャルルマーニュの瞳から光が一瞬だけ消えた。だがそれもすぐに戻る。少し深い、青みがかった灰色。意図せず似ていると感じた。
「そりゃあ、世界を揺るがすような機密情報とか持って逃げ出したら死んでもらうんだろうけどさぁ。でもそういうのってどこの諜報機関も一緒だろ?」
「いちいち物騒ね。兎に角、ハリッツは……
「おかしいんだよな。この事件。そも、馬子は幻想を最初に捨てた存在のはずだ」
「殺害に魔術が用いられている事も把握済みなのね。それもかなり高度なもの」
「そう、それだ」
 シャルルマーニュは椅子に擬音が出そうな勢いで腰掛け、両手の指を突き合わせた。
「ハイドノーブルは馬子の集団。魔術を使えないし、それに手を下すなら外の者は使わないだろ。つまりハリッツを物理的な方法で殺す事はできても、魔術的な方法で死に追いやる事はできない。じゃあ誰がハリッツを殺したのかは明白ってわけだ」
「ハイドノーブル以外の第三者」
 私はシャルルマーニュを見据えて言い切った。
「まさしく。神秘管理局はハイドノーブルがやったと思っているようだが……ジェームズ、ハリッツが死んだその瞬間を見たんだろ?」
「見た、って言ってもその瞬間に現場に居たわけじゃない。現場に残された魔力の残滓を視認して、どういう状況で死んだか確認しただけ」
 私はメガネをかけ直して続きを話す。
……知り合いの刑事の話によると、先日の宝石強盗たち。ハリッツが死んだ現場の箱の中身、ピンポイントに指輪を狙っていたそうよ」
 私はシャルルマーニュを睨みつけた。
……あの指輪は一体何?私を巻き込む気なら全部教えてもらうわ」
「もちろん。俺が知っている範囲で話すぜ」
 シャルルマーニュはそう言って私に椅子を勧めた。こいつは本気で私を巻き込む気らしい。
 ──最悪だ。やっぱりこうなる。碌なもんじゃない。
「あまり知られてないんだが、人間のなりで中身が馬子、っていうタイプの馬子がいるんだ。ハリッツもそうだった」
……確かそれ、擬態とはまた違う先天的なものよね」
 私は大人しく椅子に腰掛けた。
「そうそう。つまりびっくり人間。半馬子とも少し違う。中身……肉体的な強度が馬子と同じで、成長速度とか代謝現象とかも馬子側。つまり老いない。半馬子はほぼ人間だよ。俺も血筋的には人間の血が混ざっているから半馬子だが、なりが『これ』だと話はまた変わってくる」
 そう言ってシャルルマーニュは自分の耳を引っ張った。ふわふわとした毛に覆われた馬の耳が頭から飛び出ている。
「まあ今は置いといて、兎に角ハリッツは人間の姿をした馬子だったんだよ。だからあの錬金術は成立可能だった」
 シャルルマーニュはふたたび指を突き合わせる。
「犯人はハリッツを操って誘導したんだ。そして人体錬成の材料にして殺害した」
……そうか、ハリッツが馬子なら材料は揃う。でも『内臓を抜いた若い馬子の体』、でしょう」
「ああ、あれね。抜く内臓って心臓だけなんだと。そしてここにヤードから盗んできた鑑識の記録がある。遺体に外傷はないのに心臓がなかった、って書いてあるよ。現場に残されていた大量の血液は、被害者が吐いたものでは、ともね。だけど実際のところ、その血液は第三者のものだったようだが……興味深いよな」
 そう言ってひょいとスマホを掲げる。
 盗んだ。ハッキングで情報を抜いた、という事らしい。
……待って。仮にハリッツが何者かに殺害され、傀儡魔術によって行動を誘導されていたとしても、空間を切って繋げるような魔術なら遠隔地での発動は無理よ。ましてや人体錬成もそう。高度な魔術ほど術者と契約妖精の繋がりが必要なの」
「だがその条件をひっくり返せるチートアイテムを誰かさんが持っていたら話は別だろ?」
 シャルルマーニュは意味ありげに私へ視線を投げた。
……指輪」
「さすが助手を自負するだけあるねえ。その通りだ、ジェームズ。あれはただの指輪じゃない。あれは呪いそのものだよ」
……呪い?どういうことよ。何、魔術が使えないくせにハイドノーブルってそんなオカルトに気触れた家だった訳」
「あれはそれこそ、俺らの始祖が生きていた時代からのものだってさ。そりゃ神秘に傾いているだろ。あれはまあ、一種の血の呪いというか、ハイドノーブルであることを担保するもの、というか……家の中でも評価が真っ二つに割れるいわくつきの家宝みたいなもんらしい。本来脚の指につけるものだ。あれは幻想を引き寄せる。だから知識がない者には渡さない決まりになってるみたいなんだが」
「ハリッツは勝手に持ち出したのね?そしてあろう事かそれを何者かの手に売り渡そうとしていた、と」
 シャルルマーニュは頷いた。私は考える。目の前に当初の想定とは全く異なる問題が転がっていた。
 幻想を引きつける指輪。なぜそんなものを『幻想を捨てた存在』が持っているのか皆目見当もつかない。その昔、私よりも古い幻想時代において、彼らは幻想の内側にいたはずだ。だがある日彼らが三大始祖と呼ぶ存在の出現を契機に彼らは幻想を見放したはず。
「これの存在を知っているのは当主代理だけのはずだった。持っている者を知っているのも。そのうちの一人がこの間死んだモントベル卿だ」
……心臓を貫かれ、呪いまでかけられて……純血の馬子が無抵抗で殺されるなんておかしい。まさか彼女は」
「うん。多分その推理は正しい。俺も同じ答えに辿り着いた。アリシア・モントベルは執事役だった神秘秘匿執行官に殺害された。そしてハリッツもそれに一枚噛んでいた。が、途中で邪魔になったから始末された。消すついでに指輪の力を試されたのかもな」
 証拠品の指輪はスコットランドヤードに保管されているはず。あの倉庫は虫一匹入れないほど厳重だ。だが、魔術には脆弱にならざるを得ない。
 もしこの仮説が正しければ、既に指輪が殺人犯らの手に渡っている可能性が高い。私はマナーを無視してスマホを取り出しすぐにコールした。
「何も聞かずに答えなさい。押収した指輪はどうした」
「え?ワトソン先生どうしたんですか?」
 電話越しのホークアイは戸惑っている。私は舌打ちして「いいから早く!」と急かす。
「指輪ならまだ倉庫ですよ。件の宝石強盗ってか、容疑は切り替わっていますけど、やつらの裁判が終わるまでは保管されます。彼らは魔術師じゃないですから」
「まだ倉庫にあるか確認したの?」
「いえ、それは鑑識が」
 ホークアイが言い終わるのを待たずに私は叫ぶ。
「──今すぐ見てきて。大至急」

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