χχχ-medµme アンシーリーコート:探偵不在の事件録【CASE.01】

【CASE.01】探偵不在の密室
※改行が少ないため縦書きリーダー表示で読むことをお勧めします。

【あらすじ】
舞台は暗転し、明かす者は既に無く、彼らはただ取り残される。
これより語るは、探偵亡き世の物語。
彼の者の凋落よりおよそ120年。喪に服し続ける嘗ての右腕が、ひとりの馬子に出会うとき、静止した時は氷解する。
嘗ての友の旅路を辿り、その真実を秘匿せよ。そして拭い去れない夜を覆う──この世界の謎を解け。

ベイカー・ストリート221Bに拠点を構える小説家、エマ=ジェームズ・ワトソンのもとに奇妙な事件の話が持ち込まれる。それは嘗てロンドンを賑わせた探偵小説──シャーロック・ホームズの始まりの物語、「緋色の研究」で綴られた状況に酷似していた。密室で殺害された男。壁にかかれた『RACHE』という血文字。しかしそれらが示すのは、この世ならざる幻想の気配。そしてワトソンがひとりの馬子に出会うとき、黒よりも黒に彩られた真実が示すものは?
〈χχχ-medµme〉第一部、全ての始まりはこの場所に。

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 二日後──ベイカー・ストリート221B


「は────……
 眼精疲労で悲鳴を上げる目頭を押しこむ。私は何とか徹夜して書き終わったその小説『薔薇の庭の殺人』の原稿を担当編集──アイゼン・ロマネスコのメールアドレスへ送った。
 ネタが尽きた時は過去に書き溜めたホームズとの解決済み事件記録を漁るのだが、あまりにもこれをやりすぎると読者から遠回しに面白くない、或いは焼き直しの作品だと言われるのが癪である。
 私は手帳に挟んだままにしていた写真を視界に入れた。しかし今は何もする気になれない。最近購入したばかりの椅子、その柔らかい背もたれに体をめりこませ、エッグプラントの猛攻を右から左へ受け流す。
 肩も腰も痛い。とかく人間の体というのは関節が多く柔軟性に欠けた構造をしている。嗚呼、今すぐにバスタブへ飛び込んでこの脚を一つに、尾鰭に戻して泥のように眠りたい。
 私はそんなことを思いながら目を閉じた──
 ぶー、と玄関ブザーが音を立てた。漸く精神が休まるかと思えば同じタイミングでスマートフォンが震えはじめる。
 来客か、電話か、どちらを優先すべきか考えるまでもない。電話は後、来客が先だ。私は鉛のように重たい体を動かして玄関の扉を開けた。
「おはようございます!レディ・ワトソン!」
「帰れ」
 扉の向こうには喧しい鳥がいた。私は勢いよくドアを閉めて鍵をかける。窓際の仕事机に戻ってスマートフォンを手に取り、電話を折り返す。案の定これは担当編集からだった──形式的な挨拶は抜きにして話を始める。今回の書き下ろし『薔薇の庭の殺人』はアガサ・クリスティー賞へ出す予定だった。
 しかし背後から「ワトソンせんせ~!!」と声がする。空耳か?空耳だ。どうやら私は自分が思っている以上に疲れているらしい。
「まだ何も言ってないじゃないですか!!」
 ガチャリ、と音を立てて唐突にその男は部屋へ押し入った。不法侵入甚だしい──私は流石に慌てて、
「ちょっと待ちなさい。どうやって入ってきた」
「えっ。あ~……鍵穴をですね、こう、ちょちょいと」
 男──バレル・ホークアイは鍵を捻るような動作をした。
「堂々とピッキングするな。警察のすることか」
「だってワトソン先生が締め出すから」
「締め出すわよ普通!私は!たった今!原稿修羅場を潜り抜けたところなの!あんたに付き合ってる暇はない、寝る!帰れ!」
 流石に元特殊部隊所属のスナイパー、体幹が強いホークアイは押してもびくともしない。
 現在の私の姿は小柄な青年というか、小柄な女性の姿なので出力も落ちている。追い出したいがこいつ相手に魔力を使うのは惜しい。
 この場合の最適解は歓迎することなのは目に見えていたが、この鷹を歓迎したら最後、私は間違いなく何らかの事件に巻き込まれて「碌なもんじゃない!」と悪態をつく羽目になるのだ──。
……紅茶……
「お安い御用ですよ。あ、朝食はとりましたか?」
 ホークアイはそう言って長袖シャツの袖を捲った。私はソファにひっくり返って「はぁ?」と気のない返事をする。
「アイゼンに言われたんですよ。『ワトソン先生がネズミ以下の生活をしてる可能性があるから、見てきて』って」
「凄まじい暴言ね。……あながち否定できないけれど」
 アイゼン・ロマネスコはホークアイの恋人であり、私の担当編集だ。ちなみにロマネスコは人間に擬態して生活している幻想種である。
 原稿修羅場の間は水と自宅で栽培している葉野菜だけしか接種しないことはざらにある。私は人間ではないのでそれでも死にはしないが、人間なら普通に死ぬのでお勧めはできない。
「どうぞ。その辺にあった茶葉勝手に使いましたけど、いいですよね」
「ええ」
 私は黒いマグカップを受け取る。最近は専らコーヒーしか飲まないという割には美味しい紅茶を淹れるものだ。
……あんたがここに来るときは私を事件に巻き込みたいときだけだと思ってたわ」
「嫌だなー。そんなこと……そんなことはありません」
「あるんじゃない」
「ないですよ!」
 食い気味にホークアイは否定した。
「いや、まあ、レストレード警部がいつも……、いつも俺をポンコツだと言うので、鼻をあかしてやりたくて……
「自力で頑張らないあたり一生あんたはレストレードに敵わないわね」
「うぐうう……で、でも俺はちゃんと刑事としての実力はありますから。ただ若干、こう、ひねくれた事件が苦手なだけで」
 私は冷めた視線をくれてやる。ホークアイは私の視線に危機感を覚えたか「この間も強盗の現行犯を捕まえました!」と如何にも自慢げな顔で言った。まあ、それは凄いかもしれないけれど。
(ホークアイは何も知らなさそうね……知らないままでいたほうがいいでしょう)
 私は少し紅茶を口に含む。薔薇の柔らかい香りと甘み、僅かに後を引く酸味が美味しい。心の内を知られないよう目を伏せると、ホークアイは不思議そうにエッグプラントと見つめ合っていた。

「おはよ~、ジェームズ」
……は?」
 私は愉快な柄のセーターを着た馬子を視界に入れた。長い黒髪を高い位置で束ね、寝ぼけまなこを少し擦っている。手には朝刊が握られ、察するに階下から上がってきたのだろうが、私と言えば今の今までこの牡馬の存在を完全に忘れ去っていた。
 シャルルマーニュ・ハイドノーブル。そうだ──今まさに私はとある事件に巻き込まれている最中だ。先日発生したアリシア・モントベル卿、トーマス・ハリッツ殺害事件。そして時を同じくして起きた宝石店での銃乱射、それに便乗した強盗。後者の強盗事件は解決したが、前者の殺人事件は未だ解決してはいない。
 影の貴族、ハイドノーブルに関わる事件である。モントベル卿、ハリッツの両名はハイドノーブルの構成員だった。その二名が消されたことから、最初はハイドノーブル配下の構成員が消したのではないかと推理されたが、馬子──シャルルマーニュ・ハイドノーブルが独自に捜査をしているという情報が入った。
 私はシャルルマーニュに接触し一つの結論に至る。この事件は終わっていない、寧ろ始まりだと。
 怒涛のように押し寄せる記憶に、徹夜明けでぼやけていた思考が急速に回転し始める。全身の魔力が泉のように溢れ、徐々に己の姿が変わる。
「えっ、わ、ワトソン先生!?大丈夫ですか!?何か凄い光ってますけど──……
…………シャルルマーニュ……、お前……
 完全に男の姿に変わった私をホークアイは食い入るように見つめている。パクパクと酸素を求める金魚のように口を動かして、シャルルマーニュと私を交互に眺め、
「えっ……えっ?えっ?!」
「朝ごはん食った?っていうかこの好青年、どちら様?」
「お、俺は……バレル・ホークアイと申します……
……この莫迦はスコットランドヤードの窓際刑事だ」
「窓際じゃありませんよ!?適当なこと言わないでください。ついに家賃収入の見込みが立ったんですか!?」
「俺はシャルルマーニュ。シャルって呼んでくれ」
……追い出したい住人ナンバーワンだ」
 私は丁寧な注釈を加えてやった。
「ひどくない!?なんでそんなこと言うんだよ~」
 私は短く答えて紅茶を一口飲んだ。俺の分もない?などと寝惚けたことを言っているシャルルマーニュは無視して、奴がローテーブルに置いた朝刊に目を通す。
 ロンドンは随分平和なのか、株価の暴落や市政のニュースが並ぶ。国際欄にこそ物騒な単語がならんではいるものの、件の事件の手掛かりとなりそうな情報はない。それどころかそのような事件が起きているということさえ載っていないのだ。
……神秘管理局は正しく仕事をしているようだが……
 私は息を吐く。仮にこのまま何の手掛かりも得られなければ事件は真の意味で迷宮入りしてしまう。
 本来であれば解決などしなくてもいいのだろう。
『黒の一族』ハイドノーブル家の問題に首を突っ込むなど、自分から火の粉を浴びに行くようなものだ。だがここまで深く自称を知っておいて、途中で投げ出すのは性に合わない。私はささくれ立つ心を必死に落ち着かせ、残っていた紅茶を胃に流し込む。
……ホークアイ。少し調べて分かったことがある。この一件、ヤードの手には負えない。手を引け」
「そうも言っていられません。証拠品が盗まれるなんて一大事ですよ!しかもこれ、ゴシップ紙でかなり騒がれてますから──警察の威信がかかっています」
……魔術結社がこの一件に介入しているかもしれない。明らかにお前たちの手には余る。それとも魔女教に何もかも明け渡してやるつもりか?」
「それは──」
 ホークアイは声を詰まらせたが、流石に魔女教の事を持ち出されると恐怖を覚えるのか押し黙った。
……それに竜鱗の事もある。ロマネスコがどうなってもいいのか」
「ッ、ワトソン先生!それは狡いですよ!もちろんアイゼンの事は大事です。だからこそ猶更この件を放置できません。それにまた人が死ぬかもしれない。警察官としては黙って見ていられません」
「俺もジェームズと同意見だ」
 いつになく真面目な顔でシャルルマーニュは言った。私は黒い牡馬を見上げる。
「魔術なんて何でもありだ──いくら警察でお前が強かろうと、魔術は基本なんでもありだろ?今は俺たちに任せた方がいい」
「そうは言っても、……あの。シャルさん。ワトソン先生、聞いてください。実はダヴェントリー・ストリートに設置された監視カメラ映像をもう一度洗っていたんですが、死亡推定時刻付近に一瞬だけ現れる不審な女がいて──」
 ホークアイは高画質化された写真を私に見せた。そこに映っていたのは金の長い髪をたなびかせる女だ。彼女は地面から少し浮いており、足元が燃えているように見える。
 だが監視カメラのほうを爬虫類のような瞳が射貫いており、その髪の内側には黒い髪があった。私は手帳に挟んでいた件の写真を思い浮かべる。
 何故今になってこの証拠が出てきた?私は疑心暗鬼になりながら口を開く。
……その女が事件に関わっていたとして、どうする。捕まえられる気でいるのか?相手は幻想の者だぞ。俗世の常識なんて通じない」
「それは……そうかも、しれませんが……どうする気ですか。目下すべきは指輪を取り戻して、全ての事件に関わった黒幕を捕まえることでしょう。譬えそれが幻想の住人であっても、ここで引くわけにはいきませんよ。それに、ワトソン先生は……その、今まで散々頼ってきましたが、探偵ではないわけですし……
……確かに私は探偵ではない。だがこの一連の事件は俗世の人間の手には余る。私たちに任せろ」
「え──」
 予想外だったのか、ホークアイは目を見開いて僅かに動揺を滲ませ、そしてシャルルマーニュの方に一度視線を向ける。私と其に誰かの影を見ているのか、それとも記憶の残響がそうさせるのか?
 私はホークアイの影を追う。
 私にとってバレル・ホークアイは、記憶の幻影にも近しい。だがこの男の性格から考えれば、私たちに丸投げして逃げる──というのは絶対にありえない話であった。
「まあ、なんだ……この一件はかなり厄介だ。一旦俺らに任せてくれねえか。それにワルツの事も心配だしよ」
……お前、シャルロッテワルツを全く疑っていないのか」
「そりゃそうだろ。ワルツが人殺しする理由なんざどこにもねえもん」
……まあいい。……結局のところ、有り得ない可能性を全部消して、最後に残ったものが何であっても真実だ」
 私の言葉に二人は黙る。シャルルマーニュは一度何か言おうと唇を動かしたように見えたが、か細い息が零れるだけで何も口にはしなかった。
「なあ、ジェームズ。お前もしかしてワルツを疑ってるのか?」
……以前から言っているはずだが、全員疑っている。勿論お前も」
「うっ……、つうかパスポート返してくれよ。俺が身分証明できなくて強制送還なんてことになっちまったら──」
……素敵だな。悪くないと思うぞ。少なくとも私にとっては」
「お前なあ!も~~、何でだよ。何でそんな俺を追い出そうとすんの?」
 シャルルマーニュは唇を尖らせた。私は奴を横目に見る。
 窓の外から視線を感じる。視界共有でこちらを見られている。あの時アパートで背を撫でた感覚と同じものだ。つまりアルブレヒトもまた、シャルルマーニュを容疑者の一人と考えているのだろう。
 ならばどうする?私は考える。ふと視線が天球儀に留まる。それは友人と言って差し支えない間柄の魔術師に貰った品だった。
 星の記憶を閲覧する。少々強引な方法だが、あの天球儀を使えば──なぜ今になって新たな映像証拠が出てきたのかが分かるはずだ。
 私が知覚していない魔術さえ読み取れるあの天球ならば。

✤