χχχ-medµme アンシーリーコート:探偵不在の事件録【CASE.01】

【CASE.01】探偵不在の密室
※改行が少ないため縦書きリーダー表示で読むことをお勧めします。

【あらすじ】
舞台は暗転し、明かす者は既に無く、彼らはただ取り残される。
これより語るは、探偵亡き世の物語。
彼の者の凋落よりおよそ120年。喪に服し続ける嘗ての右腕が、ひとりの馬子に出会うとき、静止した時は氷解する。
嘗ての友の旅路を辿り、その真実を秘匿せよ。そして拭い去れない夜を覆う──この世界の謎を解け。

ベイカー・ストリート221Bに拠点を構える小説家、エマ=ジェームズ・ワトソンのもとに奇妙な事件の話が持ち込まれる。それは嘗てロンドンを賑わせた探偵小説──シャーロック・ホームズの始まりの物語、「緋色の研究」で綴られた状況に酷似していた。密室で殺害された男。壁にかかれた『RACHE』という血文字。しかしそれらが示すのは、この世ならざる幻想の気配。そしてワトソンがひとりの馬子に出会うとき、黒よりも黒に彩られた真実が示すものは?
〈χχχ-medµme〉第一部、全ての始まりはこの場所に。

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前篇 探偵亡き世の密室殺人


 玄関ブザーの音が耳に刺さるようで喧しい。気持ちよくまどろんでいたのに目が覚めた。
 エッグプラント(※小型の幻想種。背中に植物を生やした竜種)は私の顔面に短い前足の肉球をめり込ませ、何かを必死に訴えている。鳴き声とほぼ交互に玄関の呼び鈴が鳴っていることに気付いた私は、素早く寝癖を整えて脱ぎ捨てていた靴を履き、玄関へ走った。
 ドアチェーンを外して鍵を開け、白い玄関ドアを勢いよく開け放つ。「うわ!?」と玄関先に立っていた身長の高い青年は、男性にしては少し高めの声で驚いた声を上げる。鳥の羽毛のようにもこもことしたくせ毛の酷いポニーテールに、琥珀色の瞳。
 こげ茶色の髪の毛はやはり、鳥というか鷹の羽を連想させる。顔立ちはあまり欧州系ではなく、アジア系の血が混じっているような印象を受ける男だ。スコットランドヤードの刑事──バレル・ホークアイである。
「何しに来たの」
「名探偵、事件です」
「だから私は名探偵じゃない。何なら探偵ですらない。毎度言っている気がしなくもないけど小説家なの。他を当たって。御機嫌よう、さようなら」
「いや待って!待って玄関閉めようとしないでくださいレディ!お願いします、貴女の力が必要なんです!」
 ドアを閉めようとしたら器用にドアの隙間に左足を挟み込んで、ホークアイは無理矢理開けようとドアを両手でつかんだ。
 私は「帰れ!警察呼ぶわよ!」と叫びながら必死になってドアを閉めようと隙間に挟まっている足を蹴る。起きだしたエッグプラントが不思議そうにホークアイの顔を眺めていた。
「警察呼ぶわよって……俺警察なんですけど!」
……ぁあ、そういやそうだったわね!でも刑事だろうが何だろうが、家主が帰れっつってんのに帰らないのは不退去罪で立派な犯罪なのよ!」
「残念ながら刑事には公務執行妨害違反で逮捕する権限があります、レディ!貴女が協力を拒むなら今ここで逮捕して署に担ぎ込んでもいいんですよ!」
……刑事が脅迫に手を出すなんて世も末すぎる!」
「おっと失礼!」
 ホークアイは一瞬の隙をついてドアをこじ開け、私の家の玄関へ侵入した。勢い余ってしりもちをついた私に驚いたエッグプラントが情けない声で鳴きながら奥へ引っ込んだ。
 バレル・ホークアイというこの刑事は諸事情あって特殊部隊から刑事課に異動したらしく、狙撃が得意だったりする。加えて動物的な勘が鋭く、さすが半馬子と言うべきか、凶悪な犯罪を起こした犯人を見つけ捕らえる──まさしく鷹が空から獲物を狩る様に犯人を捕まえるのだ。
 私は正直この男があまり得意ではない。しかし彼はかなり素直なので適当なことでもあっさり信じてしまう一面もあるのだが。
 こいつのせいで私は半年前珍妙な事件に巻き込まれ、それ以降から探偵まがいの事をさせられていた。「私はただの小説家だ」、と言った回数は数知れず、毎度このように追い返そうと躍起になっても結局最後はドアをこじ開けられるか蹴破られるのだった。
 もう無駄だからさっさと諦めたほうがいいということは私だってわかっている。
 けれど、私の本業は小説家であって探偵ではない。普通の生活がしたいだけなのに、何故危険な事件に巻き込まれなければならないのか、とか──そういう問題でもないのだが。

 私は探偵ではない。
 仮に探偵がいたとしても、私はその探偵にヒントを与える「助手」でいたい。名探偵になるのは御免だ。
「いやぁ毎度毎度申し訳ないです、ワトソン先生。あ、お水で大丈夫ですよ」
「あっそう。じゃ、蛇口からひねって飲んでよね。うちのは安全だから安心しなさい」
「腹を壊せと仰せですか?」
……チッ。冷蔵庫」
 ホークアイはありがとうございます、と笑いながら私がそれを言うより早く、勝手に冷蔵庫に入っていたグレープフルーツジュースを開封して飲み始めた。
 いけ好かないやつ。狭心症の薬でも混ぜてやろうかと一瞬思ったが、殺人犯になるのは御免被る。
「それで今回は何よ。殺し?盗み?それとも暇だから来た、とか言うんじゃないでしょうね?」
「暇なだけで来るわけないでしょう。休みがあれば恋人とデートに行きます」
……いちいちムカつくわね。要件を早く言いなさい。私も暇じゃない」
 苛立ちを隠すことなく続きを促す。ホークアイを追い出すのはベランダに巣を作った鳩を追い出すよりも困難である、ということは経験則でよく知っていた。
「殺しです。ここからすぐですよ。……ダヴェントリー・ストリートにあるアパートの、103号室。そこでトーマス・ハリッツという男の遺体が発見されました。目立った外傷や争った形跡は特になかったんですが……室内に大量の血液が残されていました」
「遺体に外傷はなかったのよね?」
 私は違和感を覚えてホークアイに問うた。ホークアイはうなずいて話を続ける。
「鑑識の結果ですが、残されていた血液は第三者のものでした。
 それに、わからないことが山積みで……。どうやって犯人が侵入したのかも、殺害方法もわからない。唯一の手掛かりは壁に残された『RACHE』という血文字」
 ホークアイはそう言って、いくつか現場の写真を机の上に並べた。
 確かに彼が言う通り、遺体に目立った外傷はなくきれいなものである。写真の中の被害者は眠る様に死んでいた。しかし部屋中にある夥しい量の血液は、どう見ても人間が失って良い血液量ではない。
 室内の白い壁には、真っ赤な血液で確かに『RACHE』という血文字が書かれている。Eの横にうっすらと──かすれた何かが見えるが、IなのかLなのかを読み取ることは出来なかった。だが私はこの文字列に強烈な記憶を持っている。それが“始まりの事件”で、私という人物の往く道を決定づけたのだから。
 聞こえないように口の中だけでそのセンテンスを呟く。
 しかし僅かな異変さえ見逃してはくれないホークアイは、「……?どうかしましたか、レディ」と私に声を掛けた。
……今一番気になるのはどうやって犯人が被害者を殺したのか、ね」
「どうやって犯人が室内に入ったのかも重要ですよ。ハリッツの遺体を発見した時、見つけた巡査は窓の外からそれを見つけて、慌ててドアを蹴破った。要は、殺害現場は密室だったんです」
 ホークアイの口調はどこか冒険に心躍らせる少年のようであった。不謹慎な、と言おうか迷って口を噤む。
……密室殺人、ね。現実にそんなのがホイホイ起こるわけないでしょ。大体どこかの鍵が開いていて犯人はうまく逃げているわ。心理的な効果でそこが密室だと錯覚しているに過ぎないのよ」
「それはそうかもしれませんけど……
 彼は口を少しとがらせて私に反論しようとしたが、言葉が見つからなかったようで口を噤んだ。私は足元をうろつくエッグプラントを膝にのせてやり、ホークアイの話を待つ。
「以前から思ってたんですが、その背中に草が生えたトカゲ……なんなんです?イグアナ?」
「エッグプラント。……小型の幻想種よ。触る?」
「マジか」
 驚きと半信半疑と、昂揚が入り混じったような複雑な表情でホークアイはふにふにとエッグプラントの頬に触れた。嬉しそうに目を瞬かせるエッグプラントは、突如首を上にあげる。何かに反応しているようだったので、私はエッグプラントを抱えあげてホークアイの膝に乗せた。
 ぐいぐいとエッグプラントはホークアイの着ているジャケットを噛んで引っ張る。一瞬裏地に何か、キラキラと輝く粉のようなものが付着しているのが私に目にも見えた。ホークアイは慌てながらエッグプラントをひょいと抱え、テーブルの上に置く。
「ねえ」
「はい?」
「ちょっと……脱いでくれる?」
「何で!?貞操の危機!?」
「誰がお前の貞操になんか!ジャケットよ、ジャケット!」
 私はキレながらホークアイの着ている上着を剥ぎ取る。ブラウスにベスト姿になったホークアイは、テーブルの上に出していた現場の証拠写真を片付け、ジャケットを細かく確認している私の方へ目を遣った。
……で、何なんですか?あ、もしかして俺が麻薬やってるって思ってます?やってないですからね。そこんところ」
「冗談。……何でこんなもん付けてんの、あんた」
「へ?待ってください。先生、まさか本当に麻薬とか言いませんよね」
 ホークアイは表情を引き攣らせながら私に問いかけた。私は焦りながらジップロックの中にその粉を少しずつ移し替えていく。
「ええ、コカイン、ヘロインなんか屁でもない。魔術的素養の無い人間が扱えば、一発で廃人になる代物よ、これ。……
「なんですか?それ」
……現場に行けばわかるかもしれないわよ。私の気が変わらないうちに案内しなさい」
 私は顎でホークアイにハリッツが死んでいた現場へ案内するように言いつけた。戦々恐々とした表情のホークアイはついてくる私を気にする素振りを見せながら、表に停めていた紺色のアストンマーチンへ案内した。

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