χχχ-medµme アンシーリーコート:探偵不在の事件録【CASE.01】

【CASE.01】探偵不在の密室
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【あらすじ】
舞台は暗転し、明かす者は既に無く、彼らはただ取り残される。
これより語るは、探偵亡き世の物語。
彼の者の凋落よりおよそ120年。喪に服し続ける嘗ての右腕が、ひとりの馬子に出会うとき、静止した時は氷解する。
嘗ての友の旅路を辿り、その真実を秘匿せよ。そして拭い去れない夜を覆う──この世界の謎を解け。

ベイカー・ストリート221Bに拠点を構える小説家、エマ=ジェームズ・ワトソンのもとに奇妙な事件の話が持ち込まれる。それは嘗てロンドンを賑わせた探偵小説──シャーロック・ホームズの始まりの物語、「緋色の研究」で綴られた状況に酷似していた。密室で殺害された男。壁にかかれた『RACHE』という血文字。しかしそれらが示すのは、この世ならざる幻想の気配。そしてワトソンがひとりの馬子に出会うとき、黒よりも黒に彩られた真実が示すものは?
〈χχχ-medµme〉第一部、全ての始まりはこの場所に。

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 少し時間を遡る。ワトソンが竜鱗をエッグプラントに吸わせ、自宅をジャングルの如く植物まみれにしていたころ。
 刑事──バレル・ホークアイは一旦ロンドン警視庁舎に戻り、結婚指輪の持ち主を探していた。とりあえずロンドン警視庁の広報用SNSに書きこみ、写真付きで載せたものの反応は芳しくない。拡散はされているもののこれといった電話は掛かってきていないようだった。
 少し見え見えすぎる釣り餌だったか、それともこの指輪の持ち主も、とホークアイは思いジャケットの右ポケットに指輪を放り込んだ。
(そもそもこれ、本当に結婚指輪なのか?なんか妙な馬彫ってあるし……
 ホークアイはロンドン警視庁の正面玄関を出て、このロンドンでも有数の歴史を持つジュエリーショップまでアストンマーチンを飛ばした。
 テムズ川に沿って走らせた後町の内部を通る道路に入り、トラファルガー広場の前を通過して道なりに進む。そしてセント・ジェームズ・スクエアガーデンの前を通り抜けて右に曲がった。近場の道路にある駐車場に車を止め、車を降りて徒歩でそのジュエリーショップに入る。
 糊のきいた黒いスーツを身に纏う、紳士という形容詞が相応しい店員がホークアイを視界に入れ恭しくお辞儀をした。一瞬だけ視線の中に「この店に相応しくはない」というモノローグが混じったような気がして、ホークアイはすぐに店員に警察手帳を見せる。
 店員はその警察手帳を見遣り、VIP客が利用するような奥の客間へ案内した。
 客間は落ち着いた雰囲気のある内装だった。ショウケースが並ぶ場所とは違い、ゆっくり寛いで宝石を吟味できるように配慮されている。
 天井からぶら下がるスズランのような照明が柔らかい光で部屋を照らした。ホークアイは落ち着かない様子でスキニージーンズのポケットに手を突っ込み、とりあえず猫脚の一人掛けの椅子に座った。一人だけしかいないので、妙に空間から浮いているような気がする。
 確かにホークアイがカッターシャツの上に着ているジャケットはくたびれているし、ところどころ糸がほつれている。この超高級店にはいささか似つかわしくない服装だが、警察の月給で奮発してアストンマーチンを購入したのだ──服装が若干くたびれているのは仕方がない。
「お待たせいたしました。支配人のスミスと申します」
 白い髭を蓄えた男性が、ステッキをつきながら部屋に入って来る。脚が悪いのか左足を軽く引きずっていた。かなり年を召した男性である。
「スコットランドヤードのホークアイです。わざわざ時間を取らせて申し訳ない」
「いえ。警察が来たというので驚きましたが、何か私共で力になれるのであれば何なりと仰ってください」
 そういって営業職の完璧な微笑を浮かべた支配人のスミスは、右斜め向かいの椅子に腰を下ろした。
 ホークアイもそれに倣って着席し「早速ですが」と切り出す。ポケットから件の指輪を取り出して、ガラスの天板が載っているテーブルの上に置いた。
「この指輪は今捜査中の事件現場で発見されたもので……持ち主を探しています。こういう馬やアルファベットが組み合わさった、シンボルの入った指輪に見覚えはありませんか」
……いいえ。お客様の希望で書体を変えることはありますが、このような特殊な意匠は……見ませんね。指輪の形こそエンゲージリングですが、何か特殊な……見たことのない加工が施されています」
 スミスは指輪を手に持ち、もう片方の手でルーペを持って指輪を観察した。
 長い間こういうものに関わってきたはずの人間が知らないとなると、やはりただの指輪などではないのかもしれない、とホークアイは思う。
「しかしこちらはどこで……?」
「捜査機密ですのでお答えしかねます」
 ホークアイはそう言ってスミスから視線を逸らした。スミスは手の中にある指輪をじっと見つめて、はっと何かを思い出したように目を見開いた。
「少し思い出したことがあります。以前懇意にしてくださっていたお客様に、ツェペシ・バートリー卿という方がいらっしゃいました。もう五十年以上前の事ですが……これとよく似た指輪を身に着けていらっしゃった気がします」
「──ツェペシ・バートリー!?」
 ホークアイは驚いて大声を上げ、椅子から腰を浮かせた。慌てて手帳にスミスが話したことを書き留めていく。
「は、はい。『バートリー卿』と呼ばれていましたので、爵位をお持ちだったはずです。ハンガリーのほうの……ですがもう随分前の話ですので……
「待ってください。もう一つ。トーマス・ハリッツという名前に聞き覚えは?この男は事件の被害者ですが、死ぬ前にツェペシ・バートリーに手紙を出そうと──」
「バートリー卿に手紙……!?それこそあり得ません。彼はもうとっくに亡くなっているはずです」
「トーマス・ハリッツは?この男は知りませんか?」
 少し焦ったような口調でホークアイは問う。スミスはホークアイが出した写真を手に取り、じっと眺めて首を横に振った。

 瞬間──窓ガラスが悲鳴を上げて割れる。
 ホークアイは「伏せろ!!」と鋭く叫び、ジャケットの内側に着こんだホルスターに入っていた拳銃を右手に持った。当然高速で吐き出される銃弾の嵐の隙をつくことなど不可能で、ホークアイはなすすべなく床に寝そべったまま嵐に耐える。
 降り注ぐガラス片と喧しい音、そして壁を穴だらけにしていく実弾が客間の静寂を奪い去る。乱射される銃弾のせいで部屋全体が振動しているようだった。
 花瓶に直撃した数発の弾丸は花瓶を容易く割り、床に水と生花がぶちまけられる。凶器は玉切れを起こす気配が未だなく、ホークアイはスミスをソファの下に押し込んで動かないように言いつける。辛うじて這ってドアの前まで移動し、思い切りドアを殴って退路を作った。
 一瞬だけ弾丸の嵐がおさまったのを見計らいホークアイは立ち上がってショウケースが並ぶ売り場の方へ逃げた。そこには黒いローブを身に纏った、妙に色素の薄い男がいる。顔には返り血が飛んでおり、ホークアイが入店した際に顔を合わせた店員が首から血を流して床に突っ伏していた。
……お前は……
 ホークアイの眼前に立つ男はそんなことを言う。手に持っている血染めのサバイバルナイフが、男のしたことを物語っていた。ホークアイは奥歯が割れるほど強く歯噛みした。
「動くな。拳銃を捨てろ」
 真後ろから南部訛りのある声を聞いた。先ほど窓の外から銃を乱射した連中か、三人の屈強そうな男が立っている。
 雇われた破落戸か、とホークアイは思いとりあえず拳銃を捨ててローブの男の前に転がした。
「両手を上げて膝をつけ。言うこと聞かねえと脳天ぶち抜くぞ」
 座る、と見せかけてホークアイは手刀で思い切り目の前にやって来た頑丈そうな男の頸動脈をぶっ叩く。瞬間的に血流が遮断され、ふらついたのをいいことに思い切り今度は流れるように頭と顎を掴んで捻り右ストレートを叩き込む。壁際まで飛ばされた男の姿に唖然としているほかの破落戸は何が起こったのか瞬時に理解できず動けない。
 ホークアイは真後ろにいた男を回し蹴りして昏倒させ、ついでにもう一人のみぞおちに膝蹴りを叩き込んだ。しかし一瞬の隙をついて男は大振りの左ストレートを叩き込んでくる──これを捌いて顎下から思い切り上向きに殴り破落戸はふらふらと後退し、気絶して床に力なく倒れ込んだ。
……あとはお前か。独房にブチ込んでやるから覚悟しろ」
「流石ですね。やはり半馬子の貴方にただの人間では歯が立たない。狙撃だけではなく近接も相当なものです」
「何が目的だ」
「言わずともお分かりでは?その指輪さえ渡していただければ我々は貴方に干渉しません」
 ローブの男は指先でサバイバルナイフを弄びながら言う。ホークアイは少し脱力したままローブの男へ話しかける。
「話ならロンドン警視庁でゆっくり聞いてやる。武器を捨てて大人しくしろ」
 ホークアイは腰にぶら下げていた警棒のホックを外し、右手に持って少し下に構えた。
「残念です。……あなたは聡明だと思っていたのですが、勘違いだったようだ」
 ホークアイは冷や水を浴びせられたような気分にさせられた。
 男の左手の甲に刻まれた紋章を視線が認める──如何に弾丸飛び交う危険極まりない部屋にいようが、屈強な男に囲まれて暴行されかけようが感じなかった本能的な嫌悪感がホークアイの全身を撫でまわしていた。
 手が小刻みに震えているのがわかる。背中を伝う冷汗が、今すぐに胃の中身を吐き出したい衝動に駆られる。
(地元のカルトじゃないのかよ、何でロンドンに信者が……!!)
 ずるり、とホークアイの影の中から何かが這い出る。足元に何かが這いまわっている感覚がしてホークアイは足元を見た。無数の茨のようなものが這いまわっており地面を埋め尽くしている。
 茨はホークアイの脚に絡みつき、棘を思い切り食い込ませていく。細く鋭い棘が刺さり激痛が駆け抜けるが、必死に耐えて拳銃を取り返そうと上体を屈めて腕を伸ばした。しかし絡まる場所を見つけた茨は腕に──脚から体に絡みつき、体の自由を奪っていく。
……黒魔術……!一体だれを……生贄に……!」
「名前ぐらいは知っているのでは?アリシア・モントベルという混血貴族です。幻想種に近いほうが、生贄にしたとき効果を発揮しやすい……よくご存じのはずでは?」
「────!」
 ホークアイは目を見開く。アリシア・モントベルは、トーマス・ハリッツが死ぬ前に手紙を出そうとしていた相手だった。
 純血の馬子であることは知っていたが、ならばなおさらそんな簡単に殺されるなどあり得ない、とホークアイは反論しようとする。しかし首に絡みつき締め上げる茨のせいで頭に酸素が回らず、今にも窒息死しそうだった。
 くらくらする意識を必死につなぎとめ、ホークアイは辛うじて前を見ているような状態だった。さらに体全体を締め上げる茨は容赦なく棘を食い込ませ体から血を搾り取っていく。
 アイアンメイデンのようだ、と遠ざかる意識で思う。ホークアイは鉛のように重たい瞼を閉じ──
「失敬。そこに居られると大変邪魔です」
 何か金属が空を切る音と共に茨が消えた。ごろり、と音を立ててローブの男の首が落ちる。真っ赤な血液が白い天井に到達し、床に流れ落ちる。ホークアイは突然明瞭になった視界と自由になった肉体に違和感を覚え、ふらふらとショウケースに背中を預けて床に座り込んだ。
 目の前にはまるで、教会の神父のような装いの男がいた。
 ──エクソシスト?いや。そもそも、本当に神父か?
 ホークアイは驚きながら彼を見上げる。青空のように澄んだ色合いの瞳には、何の感情も宿っていない。
「バレル・ホークアイさんですね。私は神秘秘匿執行官のジョン・アルブレヒト。以後お見知りおきを」
 その神父風の男はホークアイの前に片膝をついた。部屋の惨状を気に掛けることもなく、転がった死体がすぐそばにあるにも関わらず、涼し気な表情でホークアイを見ている。
 あまりにも冷静なアルブレヒトに若干引きつつ、ホークアイは曖昧な返事をした。
「時間がないので一般人にはあまり推奨されませんがこちらの霊薬を使わせて頂きます。運転は私がしますので、あなたは助手席に。今からダートフォードのイースト・ヒル墓地まで向かいますので」
「それ……暗に俺の車貸しやがれって言ってます?」
 ホークアイはかなり嫌そうな表情でアルブレヒトに問いかけた。真顔でアルブレヒトはじっとホークアイの顔を見たあと一言だけ言う。
「言っています」
「けどなんで……イースト・ヒルに?」
「トーマス・ハリッツを殺害した妖精が悪妖精化しました。奴が今イースト・ヒルにいます。妖精に飲まれる被害者が出ないようにそれを我々で仕留めます」
「えっと……要するに俺に、ゴーストバスターをしろと……?今失血死しかけていた俺に?」
「その通りです。それと、ゴーストではありません。フェアリーです」
「いやあの、それは確かにそうなんだけど。つか武器は?」
「あなたのアストンマーチンの後部座席に狙撃銃を積んでおきました。うまく使ってください」
 有無を言わさぬ口調でアルブレヒトは告げる。それと同時にホークアイは、信頼はできる、と直感的に理解した。妙に力強い光が宿る瞳にホークアイは一瞬たじろいだが、さあ、と差し出された手を握り返す。少し冷たいが──確かにそこには正義を往く人間の体温があって、ホークアイは薄く微笑んだ。

✤