χχχ-medµme アンシーリーコート:探偵不在の事件録【CASE.01】

【CASE.01】探偵不在の密室
※改行が少ないため縦書きリーダー表示で読むことをお勧めします。

【あらすじ】
舞台は暗転し、明かす者は既に無く、彼らはただ取り残される。
これより語るは、探偵亡き世の物語。
彼の者の凋落よりおよそ120年。喪に服し続ける嘗ての右腕が、ひとりの馬子に出会うとき、静止した時は氷解する。
嘗ての友の旅路を辿り、その真実を秘匿せよ。そして拭い去れない夜を覆う──この世界の謎を解け。

ベイカー・ストリート221Bに拠点を構える小説家、エマ=ジェームズ・ワトソンのもとに奇妙な事件の話が持ち込まれる。それは嘗てロンドンを賑わせた探偵小説──シャーロック・ホームズの始まりの物語、「緋色の研究」で綴られた状況に酷似していた。密室で殺害された男。壁にかかれた『RACHE』という血文字。しかしそれらが示すのは、この世ならざる幻想の気配。そしてワトソンがひとりの馬子に出会うとき、黒よりも黒に彩られた真実が示すものは?
〈χχχ-medµme〉第一部、全ての始まりはこの場所に。

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 数刻後──ハイドノーブル家別邸


 地下鉄とロンドンタクシーを乗り継いで辿り着いた先は、ノッティング・ヒルに座す英国国教会の傍にある古い石積みの邸宅だった。
 壁には蔦植物が這いまわり、どう見ても廃屋ではないかと思われる。しかし表通りに面している方向へ回ると、美しい白壁の一戸建てが見えた。妙な風合いだと思えば、増改築を繰り返した結果このような──奇怪な雰囲気になったのか、と納得した。
 シャルルマーニュが私を手招きして呼ぶ。鉄門を押し込めば内側へ簡単に開いた。防犯面がおざなりになっているわけではないらしいが、監視カメラ一つ程度で満足しているあたり貴族としての自覚が随分足りていると見えた。
 庭に置いてある噴水の水は枯れている。花壇の手入れは怠っているのか、所々枯れた薔薇が痛々しい。少なくともこれらを世話する使用人がいないことは明白な事実と思われた。
 玄関へ続く石畳も雑草に覆われ、小さなトカゲが一匹私の靴音に驚いて走り去っていった。放置されたままのガーデンライトはひび割れている。
 本当にここがハイドノーブル家の当主代理という立場を預かる者の家なのか?私の思い描く貴族像とあまりにもかけ離れた家の姿に、率直に言って動揺が隠せなかった。
「誰だ?」
 玄関の扉を乱暴に開け放ち、明るい栗毛の柔らかい髪の毛を生やした馬子が現れる。左足を引きずっており、ステッキで己の体を支えていた。紺色のドレッシングガウンを着こみ、その下には白いブラウスと黒いスラックス。寛いでいる紳士の装いである。袖口から覗く白い手には結婚指輪が光っていた。
 容姿はシャルルマーニュとは全く似ていない。ターコイズブルーの瞳は宝石のように輝いている──それが魔眼の類であるということは一度見れば理解できた。恐らく私が何であるのかを知覚する程度のものだろうが、ぎょっとしたその表情の向けられた先が私であるので、恐らくは。
「ば、莫迦、な……
……突然の訪問をお許しください。その……神秘管理局からの使いで」
「そんな訳の分からない嘘をつくな!原生神秘を使いに寄越すわけがあるか!」
「あ、あ~……、シャルロッテワルツ。ごめん、あの~~……、俺が連れてきたんだ。聞きたいことがあってさ」
「早く上がれ。こんなところで立ち話など」
……お言葉に甘えます」
 室内は黒と深い緑というどこか陰鬱な色調でまとめられ、家具はヴィクトリアン様式で統一されていた。シャルロッテワルツの明るい栗毛だけが異様に浮いて見える。彼は少し疲れた様子で一人掛けソファに腰かけた。
「──先程の無礼、大変失礼いたしました。私はシャルロッテワルツ。シャルロッテワルツ・ハイドノーブル。ハイドノーブル家の当主代理であり、このシャルルマーニュの叔父です」
「俺が日本にいた頃から色々気にかけてくれてんだ。つかその足どうしたんだよ?大丈夫か?」
「ハア……それで、シャル。聞きたいことがある──と言ったな。わざわざこんなところまで来るとは、何か問題でも起きたのか?」
「あ~、質問があるのは俺じゃなくてジェームズのほうだ」
 その言葉の後、二人の牡馬からの視線が私へ集中した。私は来客用の椅子の上で足を組み替え、少しシャルロッテワルツを観察する。
 彼は杖をついているが、その石突はあまり減っていない。外を出歩くことが少ないのだろう──それは彼の白い肌からも伺える。青白く、健康的な肌色とはお世辞にも言い難い。
……先日発生したトーマス・ハリッツ、アリシア・モントベル卿両名の殺人事件に関して、幾つかお伺いしたい事があります」
「それに関しては既に神秘秘匿執行官が動いているのでは?部下から報告は受けています」
……それはそうなのですが、幾つか不可解な点もありますので」
「まあ、いいでしょう。どれ程お役に立てるかは分かりませんが、私で良ければ」
 シャルロッテワルツは少し訝しむ様子で言った。私は続ける。
……私が気にしているのは、何故この一件をシャルルマーニュが詳しく知っているのかということです。卿が詳細をお教えになったのですか?」
「ええ。その通りです。元は巻き込む気はなかったのですが、シャルの息子であるロジェ……ロジェールマーニュの件もありましたから」
……渡英後、消息を絶ったそうですね。当主代理である貴方でさえその行方を追えないのですか」
「ミスター。残念ながら私は当主代理と言っても、全く名ばかりなのです。私は……私はこのハイドノーブル家を統べる『黒き高貴』──即ち我らの女王の傀儡のひとつにすぎず、しかも当主代理は私だけではない。我らはチェス盤の上で、彼女の好き好きで動かされるのみですから」
……黒き高貴」
 私はその響きに強い嫌悪を覚えた。
 真の意味でハイドノーブル家を統べる者。それを『黒き高貴』──ヴィヴィアン・ノーブルと呼ぶ。
 そしてそれは幻想を見放したはずの存在でありながら、幻想の内側へ戻った者──回帰者である。
 私は脳裏で漆黒のバッスルドレスを身に纏い、その瞳で子孫たちの背骨を氷漬けにし、絶望の霧でその眼を覆い隠すあの牝馬を思い浮かべていた。とっくに個人の名を捨ててしまったあの牝馬。
 ──■■■■■・ハイドノーブル。
 あの牝馬が実質的に未だ『黒の一族』を統べていて、当主や当主代理にさえ何の意味もないただの称号に過ぎないのであれば、シャルロッテワルツが使用人の一人すら持たずこのような家にいる理由も理解できるような気がした。
 シャルロッテワルツと視線が交わる。エメラルドグリーンの光が瞳で揺らめいて、その中に僅かな恐れの色が浮かぶ。
「お力になれず申し訳ありません」
……シャルルマーニュにハリッツ殺害の件を調査させたのですか?」
「シャルを呼びつけたのは渡英してきてすぐです。調査は何も命じていません。甥の完全な独断です」
……お前、よく土地勘もないのに動けたな」
 私は半ば呆れながらシャルルマーニュを半目で見た。奴は「てへ♡」と年齢に全くそぐわないきゅるきゅるとした顔を作る。私はいよいよ深い溜息をついた。
「日本へ戻るように説得するためでしたが、逆に私が言い負かされましてね。甥を少々見くびっていました。そんな時にハリッツの一件が降って湧いたのです」
 シャルロッテワルツは頭を振った。彼は僅かに表情を歪めた──ほんの僅かではあったが、唇の端に嫌悪が──恐らく私の気のせいであろうが、少なくとも彼の瞳の奥に宿る感情を読み取ることは難しい。
 彼は徹底的に本心を覆い隠しているように見える。美しい金色の裏側に何を隠している?私は目に魔力を通す。魔眼の作用で彼の性質を視ることができれば──そう思ったが、彼の周囲を黒い靄が覆っている。
 これは何だ?何らかの呪いか?
 ふと思い返す。この黒い靄は確かあの指輪の魔術式を読もうとした際にも視たものだ。
「ミスター、どうかなさいましたか?」
……何でもありません。……、シャルロッテワルツ卿。わかる範囲で構わないのですが、ハイドノーブル家の家宝について教えて頂けませんか」
「そうですね……私も多くを知っているわけではありませんが、素晴らしい祝福を宿したようなものではないことは確かです。『呪い』と呼ぶ方が正しいでしょう」
……シャルルマーニュ。お前もその話をしていたな。……あの指輪は曰く付きの呪いであると」
「ああ」
 何処でそれを知り得たのかと問うが、牡馬はウインクをするだけでそれより何も答えはしなかった。
「指輪は幻想を引き寄せるもので、我々の始祖が生み出したものだと聞いています。指輪は全てで十三あり、いくつかはダミーのはずですが……直系子孫はそれを黒き高貴から譲り受けているはずです。ああ、そうだ。シャル──」
「それは、いや、俺は……悪い、ジェームズ。これ見てくれ」
 シャルルマーニュは右のウイングチップを脱ぎ、やたらと陽気なフラミンゴが躍っている靴下を剥ぎ取って素足を見せた。その脚の指には金の輪が嵌っている。よく見ればそれは、ハリッツが死亡した現場で発見したものと全く同じ意匠が彫りこまれているのがわかった。目を凝らせば、
『黒より出でて黒よりも黒くあれ。汝は拭い去れぬ夜の王。我らは其方の影の軍馬』
 という文字が浮かび上がって見える。
 これは魔術式の類ではない。魔術というよりも──。
……奇跡を刻印している……?いや、これは……シャルルマーニュ。いつからこれを身に着けている?」
「成人した時からだ。つっても、俺の意志とは無関係。勝手にくっついた」
 シャルルマーニュは無作法に足を持ち上げ、それを足の指から引き抜こうと金の輪を引っ張った。しかし全くそこから動かず、まるで根を張っているかのようだった。
「これはお前の父親も?」
「いや、見たことねえ。つか全然知らねえ。親父は俺が六歳の時に死んだし、俺は殆ど親父と関わったことがないんだよ」
……何故だ?」
 私は口にしてから失言だったことに気付く。だがシャルルマーニュはからからと笑って、
「いや~、おふくろと親父の間には愛情とか微塵もなかったわけ。それにおふくろは俺が親父と関わることを嫌って隔離してた。多分ハイドノーブル家の仔細を知ってたからだろうとは、思うんだが……
……この指輪はハリッツの現場で発見したものとは違うな。『黒より出でて黒よりも黒く』──、何らかの祝福の類にも見えるが、これは……予言か……?」
「予言ですか?」
 シャルロッテワルツが少し身を乗り出して私へ問いかけた。先程よりも瞳が好奇に煌いているのが手に取るように理解できる。
……これは恐らく、妖精言語です。……妖精言語を直接刻印している……信じ難いことではありますが、明らかにヒトの成せる魔術の範疇を超えています」
「妖精言語──確かそれは、魔術に用いる……
……ええ。契約妖精を介し、紡いだ言葉を魔術としてこの世に再臨させる……そのための言葉です」
 私は右足の踵で床を二度ノックした。ずるり、と黒い影が足元から這い出し、徐々に四足動物を形作る。
 狼によく似た、大型犬ほどのサイズの妖精だ。
 ブラックドッグ。或いはバーゲストとも呼ばれた黒犬の妖精である。犬は首を軽く振った。緋色の瞳は真っ直ぐに馬子たちを見ていたが、少し苛立つように犬歯を剥き出して唸り耳を背後へ軽く伏せた。
「ミスター。一つお伝えしておきましょう。……此度の事件では、我々の指輪が狙われていますが──以前から家中で妙な動きがあります」
……魔術師を引き入れた派閥がある、ですか?」
「流石ですね。その通りです。……しかもよりによってウェルズの森の魔女ですよ」
「何だと?」
 私は思わず敬語を忘れた。彼がローテーブルへ転がした写真を手に取る。
 長い金髪の女だ。髪の毛の内側が黒く染められ、狂気に彩られた瞳は青、赤と遊色で偏光しているように見える。奥で爬虫類のように細まった瞳孔の周辺は緋色に彩られ、明らかに魔性であることが伺えた。
 写真の裏側には、その女の名前がある。
 ──忘れ得ぬファミリーネームだ。
 決して、何があろうと絶対に忘れ去ることなど、できるはずがない。
…………アルナイル、モリアーティ……
 ウェルズの森の魔女──それは魔女教と深くつながっている組織だ。女性の魔術師、或いは魔女の血縁者、そして魔女で構成される魔術結社のひとつだが、その悪辣さは魔女教にも引けを取らない。
 私は内心歯噛みする。其らは死をも恐れない狂信者の集まりだ。ホークアイを追って指輪を奪おうとしたあの宝石強盗と、そしてそこにいたという魔女教徒の魔術師──それらは指輪を狙うハイドノーブル家の者が、ウェルズの森の魔女を通じ用意したのだとすれば。
 相手にするには分が悪すぎる。
「ですからどうか、あまり深追いはなさらない方が良いでしょう。いくら原生神秘といえど、相手が悪い。私もこの脚にされました」
「ワルツ、それって──」
 シャルルマーニュが言い終わる前に、シャルロッテワルツは軽くスラックスをたくし上げ、私たちに不自由な脚を見せた。
 それはまるで黒く焼け焦げた枯れ木のようだ。動かす事すら危ういその足は見るからに魔術によって破壊されたことがわかる。
 彼もまたこの一件を解決しようと奔走していたのだろう。
 しかし失敗し、彼は盤面から降ろされた。
 私は鈍く痛む蟀谷には気づかないふりをしながら、その写真を手帳へ挟み込んだ。

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