χχχ-medµme アンシーリーコート:探偵不在の事件録【CASE.01】

【CASE.01】探偵不在の密室
※改行が少ないため縦書きリーダー表示で読むことをお勧めします。

【あらすじ】
舞台は暗転し、明かす者は既に無く、彼らはただ取り残される。
これより語るは、探偵亡き世の物語。
彼の者の凋落よりおよそ120年。喪に服し続ける嘗ての右腕が、ひとりの馬子に出会うとき、静止した時は氷解する。
嘗ての友の旅路を辿り、その真実を秘匿せよ。そして拭い去れない夜を覆う──この世界の謎を解け。

ベイカー・ストリート221Bに拠点を構える小説家、エマ=ジェームズ・ワトソンのもとに奇妙な事件の話が持ち込まれる。それは嘗てロンドンを賑わせた探偵小説──シャーロック・ホームズの始まりの物語、「緋色の研究」で綴られた状況に酷似していた。密室で殺害された男。壁にかかれた『RACHE』という血文字。しかしそれらが示すのは、この世ならざる幻想の気配。そしてワトソンがひとりの馬子に出会うとき、黒よりも黒に彩られた真実が示すものは?
〈χχχ-medµme〉第一部、全ての始まりはこの場所に。

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 少なくともツェペシを殺害した──ツェペシは殺しても死なないのだが、一度はその命に指をかけたのだから、殺害したというのは正しい表現だろう──犯人は、恐らく神秘管理局の介入を嫌っている。
 シャルロッテワルツの家を出た私とシャルルマーニュ、そしてツェペシは表でタクシーを拾った。吸血鬼はドレッシングガウンに似たデザインの上着を着こむ。しかしそれには血液がべっとりと付着していた──ツェペシは一度指を振って汚れを落とす。こんな事のために魔術を使うなんて僕くらいのものだよねえ、とにやにや笑っていたが、その完全に他人事な雰囲気に私は軽い頭痛を覚えて蟀谷を押さえる。
 魔術師は己の目的のためであれば、手段は選ばない。だが此度は少し違う。アルナイルはトーマス・ハリッツの一件において、壁に残された『RACHE』という血文字を『RACHEL』と言った。つまるところ人名だが、レイチェルとは一体誰だ?
 魔女は生き物としての性質上己を偽れない。そのためアルナイルは嘘の証言をすることはできない。それを考えれば彼女の言葉を信じ、あの血文字はドイツ語で復讐を意味するその言葉ではなく、レイチェルという人名であると断じるべきなのだろう。
 だが私の深い所に根を張ったものが、モリアーティの言葉を信じるなと叫んでいる。
 あの瀑布で死んだ親友が、蜘蛛糸の謀略に惑わされるなと静かに諭す。
「ジェームズ、電話鳴ってんぞ」
……ッ、あ、ああ」
 私は動揺しながらポケットの中に放り込んでいたiPhoneを手に取る。表示されていた発信者の名はバレル・ホークアイ。私の脳内で警報が激しく鳴り響き、私は震える指で応答ボタンを押し、電話を耳に当てた。
……ホークアイ、どうした?」
「ワトソン先生、今どこにいますか!?」
……ノッティング・ヒルだ。何かあったのか?」
「墓荒らしですよ!イースト・ヒル墓地の、」
 その言葉は最後で聞けなかった。「失礼します」と生真面目な声が聞こえ電話口の声が交代する。ジョン・アルブレヒトの声である。私は二人が共に行動していることに少し驚きながら、
……何かあったのか?」
「先日イースト・ヒル墓地で悪妖精化したトーマス・ハリッツの契約妖精を討伐しました。その後一体遺体が消失しています。見るからに第三者が掘り起こしたような形跡とは異なっているので、確認いただきたいのですが」
……その墓に埋葬されていた人物の名前は分かるか」
「レイチェル・アーカーシャという女性です。蹄鉄が一緒に収められていますので、おそらく馬子かと」
……レイチェル、だと?」
 私はアルナイルの言葉を反芻する。何故レイチェル・アーカーシャの墓が空になった?人体錬成陣で発動された魔術が人体錬成でないのなら、ハリッツの妖精はなぜ悪妖精化した?いや──そもそも本当に悪妖精化したのか。その前提を疑う必要性がある。私の脳裏に駆け巡ったのは最悪の可能性だった。
「停めてくれ」
「ええ?お客さん、いいのかい」
……すまない、急用を思い出した。この二人の事はベイカー・ストリート221Bまで送り届けてやってくれ」
「おいジェームズ!?どこ行くんだよ、俺も連れてけよ!」
……足手まといだ。代金は此処に置いておく。すまないが足りなければ、ツェペシ」
「構わないよ。いってらっしゃい」
 私は路肩に停めてもらったタクシーの後部座席から降りてドアを閉める。タクシーが走り去ったのを確認して空間魔術を起動し、一気にイースト・ヒル墓地まで飛ぶ。
 陰鬱な空気が漂う古臭い墓地だ。重苦しい鈍色の分厚い曇天のおかげでいっそう澱んだ空気が肺を圧し潰すような感覚にさせられる。閑静な住宅街の中にあり、常であれば静謐に満ちているのだろうが──カラスの声が反響し、その度に空気が震える。足元で音を立てる落葉の音が妙に大きく聞こえ、私はその先にいる二人の男の姿を認めた。
 私の姿に気づいた小鳥は律義に右手を上げる。ワトソン先生、とこちらを呼ぶ声にはいつもの明るさは無く、その表情は思い詰めたように暗い。アルブレヒトはいつものように私の方を見て一度ぺこりと頭を下げた。
「ここです。レイチェル・アーカーシャは自力で墓の下から這い出し、どこかへ向かったと思われます」
……アルブレヒト。悪妖精を討伐したと言っていたが、それについて詳しく聞かせてくれ」
「承知しました。発端はトーマス・ハリッツの殺人事件です。契約妖精が、」
「いや聞いてくださいよ!この人本当に人使いが荒いんです!俺が宝石強盗一味を相手にして大変な目に遭った直後にここに連れてこられて、それでゴーストバスターさせられたんですよ!」
「ミスター・ホークアイ。ですからゴーストではありません。フェアリーです」
「いやそれは死ぬほどどうでもいいんだけど。こいつのせいで三回ぐらい死にかけたんですよ!本ッ当に大変だったんですから!」
……あ、ああ……そうか」
「少し黙っていてください。……申し訳ありません、我が師」
 私は案外この二人の相性がいいのではないかと思い始めていた。
 むくれているホークアイは放置して墓石と墓穴を調べる。アルブレヒトの言う通り墓穴の内側から何かが這い出したような形跡がある。巨大なモグラが土を掻き出したような印象を受けるが、仮にレイチェル・アーカーシャがここから這い出してどこかへ向かったというなら、足跡の一つでも残っていなければおかしい。しかしこの周辺に女性の足跡と思われるものはなく、あるのは落葉と陰鬱な墓場の冷たい気配だけだ。
 しかしわざわざ馬用の蹄鉄を一緒に入れているとなれば、それは一つの意味を象る。レイチェルは原種変態能力者──即ち馬の姿に変身できる馬子であったということだ。
 馬子も人によっては靴に蹄鉄を嵌める者がいる。シャルルマーニュがそうであるように。だがその場合は人の足の形に沿うように蹄鉄を作るため、三角形のような形状をとることが多い。
……レイチェルは馬の姿で逃走している可能性があるな」
「周辺住民に不審なものを見ていないか聞き込みましたが、誰も見ていないとの事でした」
 ホークアイは困った様子で目尻を下げた。
「レイチェル・アーカーシャの墓が掘り起こされたのは夜中です。今朝管理人がこの状況を発見しています。夜中に馬の姿となって走り去ったならば、目撃者証言が得られないのは致し方無いのでは」
「それはそうかもしれませんけど、馬が道路走ってたら明らかに目立つでしょ。誰も見てないは無理がありますよ。SNSとかに動画が上がっててもおかしくないのにそういうのも無いし……
……死後に吸血鬼化する事例はすでにツェペシという前例がある。もしもレイチェルがそうなっていて、尚且つ馬の姿で吸血衝動に身を委ねていたら相当不味い。理性なき血の獣を野に解き放っているのと同じだ」
「そうですね。……仮にこのままレイチェルを発見できなければ、無関係の人間が大勢死ぬ可能性もあります。事態は最悪を常に想定しなければ」
 アルブレヒトは静かに答えた。ホークアイは居心地悪そうに黙ったまま墓穴を見つめている。
 指輪を付け狙っていた魔女教。ヤードの証拠品保管室から盗まれた指輪。足を負傷させられたシャルロッテワルツ。一度殺害されたツェペシ。その殺害に使用されたのは竜鱗と退魔礼装だった。ああも容易くツェペシを殺せるとすればアルブレヒトぐらいなものだが、この男がツェペシを殺すとは思い難い。
 そして今新たに浮上したレイチェル・アーカーシャという人物。私は必死に思考を巡らせる。
……悪妖精化した契約妖精は、こんな場所で何をしようとしていたんだ?」
「仔細は不明です。言語能力を持ち合わせておらず、完全に理性を失っていましたので」
……そうか」
「本当に厄介極まりないですよ!だってあれ明らかにクマとかより凶暴でした。あんなんと対峙するとか命何個あっても足りませんから」
……クマより凶暴?」
 私は鸚鵡返しに問いかける。ホークアイは「そうですよ!」と食い気味に頷いた。
「でかい犬っていうか狼って感じだったんですけど、二足歩行で立ち上がって、爪とかヤバくて!体長2メートルぐらいありませんでした?」
「ふむ。言われてみれば確かにそうですね。普段からあまりしっかりと認識しないよう自分に暗示をかけているせいで気付きませんでした」
「え……もしかして俺、目撃証言させるためだけに連れてこられて死に目に遭わされた……?」
「ミスター・ワトソン。ホークアイさんの証言の通り、確かにあの悪妖精は妙でした。討伐しても暫くの間肉体が崩れず、原型を留めていたのです」
……受肉していたのか?」
「単なる受肉というよりも、何らかの肉体情報の一部を保有していたという印象です。数刻ほど待てば消えましたので」
……自分の契約妖精に何かを固定化したのか……?」
「しかし、ハリッツの部屋で発動されたのは人体錬成のはずでは」
 私は思い返す。ハリッツの体からは心臓が失われていた事を。そしてアルナイルは言った。陣と起動された魔術が異なる、と。
 そして悪妖精化した契約妖精が、何らかの肉体情報の一部を持っていた可能性が示された。つまり──。
……妖精を使って錬成したものを固定化したのだとしたら、錬成したのは人体ではなく魂の方だ。ハリッツはそもそも人体錬成を目的にしてはいなかったのかもしれない」
「は!?魂!?いや、魂って……
「奴の体からは心臓が失われていたのだろう?」
「それはそうですけど……
 ホークアイは言い淀む。
「いやでも魂って錬成できるものなんですか。俺からしてみれば人体錬成もだいぶ信じ難いんですけど」
……魔術において魂は仮想の質量を持つ物体であると考えられている。或いは仮想の臓器とも言われるが、それは心臓と密接に関わりを持つ。……問題はハリッツが誰の魂を錬成したのか、だが……最初から仮想の臓器なのだから、『あるようでないもの』を生み出すことなど不可能に等しい。だが魔術ならばその『あるようでないもの』を具象化させられる」
 私の言葉にホークアイとアルブレヒトは少しピンと来ていないのか、二人で顔を一度見合わせた。私は墓石から二人へ視線を動かして続ける。
「ハリッツは虚数魔術と置換魔術を併用して、契約妖精に己の心臓を植え付けた。そして神秘秘匿執行官に殺害される事も想定していた。だから心臓を移し替えるための、次の肉体をこの場所に求めた。まだ終わらぬ復讐のために」
「復讐──復讐って一体何のために?誰に対してそんな事をしようっていうんですか?」
 ホークアイが悲壮な声を上げた。私は一つの気配を悟る。ペナンローヤーを呼び出し、携える足元の影が狼犬の形に変わり、そこから私に忠実な契約者が姿を見せた。
……レイチェル・アーカーシャの肉体でなければならない理由は一つだけだ」
「──!」
 アルブレヒトが其方へ視線を向ける。その先にいたのは明るい鹿毛の馬だった。だが明らかに様子は尋常では無い。
 鬣の間から覗く瞳は赤黒く、口の周りには血液が付着している。叫び声を上げる間も無く誰かを襲って殺害したことは明白だった。
『く、黒の、血族は、どうした』
 血の獣が歪んだ声を唇の隙間から絞り出した。私は其を睨みつける。
……原種に戻れる馬子の肉体。己は人の外見で生まれ、中身が馬子であろうとも永久に得る事の出来ないそれを求めた。──哀れだ」
 私は獣へ視線を固定したままその言葉を吐き捨てた。屍者は吼える。その憐れみを唾棄するように。
 けれど本心では理解しているように見えた。この行為には一切の意味がないということを。
「黒い髪、黒い馬の尾、黒い馬の耳。そして紺色の瞳。お前の求めたものはそれだろう?その肉体が使えなくなれば次に求めるのはハイドノーブル家の馬子の肉体だ」
『黙れ!私は、私は復讐する……あの裏切り者どもに!』
「残念ながら、お前が最も殺したかった者はここにはいないぞ」
『裏切り者ども!この、高貴を、貶め──、我らの血を、人間どもの血で汚した恥晒し!』
「今はどちらが黒の一族の品位を落としているのだろうな」
 私は獣に問う。獣──ハリッツは狂った様に叫び声を上げ、猛然と私へ迫る。
「──〈波間に惑え。憂世に消えよ〉」
 獣は叫びながらもその動きを強張らせる。全身が何かの強制力で無理やりその空間へとどめられているかのように。私は一歩、其に近づく。腐食した肉体は一部の肉と骨が露出していた。
 最早これはトーマス・ハリッツという個人の意識を留めてはいない。奴はハイドノーブル家に復讐を望んだ、その強烈な願いを何者かに利用されたのだ。指輪の力を試す実験体にされたという意識は、恐らく彼には無いだろう。
 何故なら彼は今この時、この結果を疑ってはいないのだから。

✤