χχχ-medµme アンシーリーコート:探偵不在の事件録【CASE.01】

【CASE.01】探偵不在の密室
※改行が少ないため縦書きリーダー表示で読むことをお勧めします。

【あらすじ】
舞台は暗転し、明かす者は既に無く、彼らはただ取り残される。
これより語るは、探偵亡き世の物語。
彼の者の凋落よりおよそ120年。喪に服し続ける嘗ての右腕が、ひとりの馬子に出会うとき、静止した時は氷解する。
嘗ての友の旅路を辿り、その真実を秘匿せよ。そして拭い去れない夜を覆う──この世界の謎を解け。

ベイカー・ストリート221Bに拠点を構える小説家、エマ=ジェームズ・ワトソンのもとに奇妙な事件の話が持ち込まれる。それは嘗てロンドンを賑わせた探偵小説──シャーロック・ホームズの始まりの物語、「緋色の研究」で綴られた状況に酷似していた。密室で殺害された男。壁にかかれた『RACHE』という血文字。しかしそれらが示すのは、この世ならざる幻想の気配。そしてワトソンがひとりの馬子に出会うとき、黒よりも黒に彩られた真実が示すものは?
〈χχχ-medµme〉第一部、全ての始まりはこの場所に。

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 獣は激しい唸り声をあげ、私の魔術拘束から逃れようと暴れていた。ついに軋みをあげて拘束は外れ、馬は馬子の姿へと形を変える。明らかに食人鬼と呼ばれた方が納得するような容貌だった──長い赤毛を振り乱した女の顔は半分骨と肉が露出し、一部の肉は腐りおちている。
 馬子はすぐに馬の姿へ戻った。理性無き獣はひた走る。背後でホークアイが拳銃の撃鉄を挙げた音が聞こえた。私は地を蹴って後退し、呼吸と同時に水を圧縮して短槍をいくつか生成した。
「──行け!」
 ただそれに命じる。槍は複雑な軌道を描いて馬子を追ったが、再び原種の姿へ変じたそれは私の鼻先寸前へ迫る。後ろ足の蹄が私の顔に一筋の切り傷を作り、そして間一髪のところで奴は私の魔術を破壊した。
 一度己の心臓を妖精に固定化したことで、妖精を介さずとも魔術を行使できるのか、と歯噛みする。しかもよりにもよって空間魔術と虚数魔術を使ってくるとなれば、こちらもなりふり構ってはいられない。
……下がっていろ、ホークアイ」
「どうする気です?」
「アルブレヒトと私で殺す。お前はできるだけ私から──ッッ!?」
 強烈な前蹴りを喰らって私は吹き飛ばされる。どれほど飛ばされた?数十メートルは遠ざけられ、骨が軋むような感覚を覚えた。アルブレヒトは上手く立ち回るだろうが、私は体を起こして口に滲んだ血液を吐き出して霞む視界で向こうを見た。
「クソッ!……ッ!」
 私は魔力をもう一度練る。妖精に頼っている場合ではないと地面に手を叩きつけ、直接龍脈に接続する。星が私の声に応え、獣に向かって地から生えた無数の槍が迸る。槍は獣を容赦なく貫いたが、其は数度前脚で槍を踏みつけて叩き壊す。
 やはり何らかの幻想から力を得ているのか?魔術の過程で回帰者となったのか?私の意識が僅かに逸れたのを気取ったか、獣は数十メートルほどの空間を跳躍した。顎に蹄が直撃する。世界が白黒に点滅し、平衡感覚が完全に失われて立ち上がる事すらできず、獣の追撃をそのまま受ける。
「ワトソン先生!」
 ホークアイが鋭い声で私を呼んだ。サイレンサー付きの拳銃から吐き出された弾丸は獣の頸部へ命中したが、屍者に銃火器は意味を成さない。
 一瞬獣が怯んだ隙を突いてアルブレヒトが地面を蹴って其に肉薄する。だがそれは見切っていたと言わんばかりに獣が脚を振り上げた。剣戟の音が響く──ついに銀の剣、細い刀身が折れて地面へ突き刺さった。私は木を支えにして立ち上がりペナンローヤーを構え、水球をいくつか生み出す──
 血の獣は、何かを執拗に踏みつけている。踏まれているものが何である事を認識するのに数秒を要した。
……ッ、アルブレヒト!」
 私は一気に魔力を解放する。星が私に呼応する。
『!?』
 獣が驚愕のままにこちらを見た。私は眼を開く。
 眼前の獣は陸のもの。海に堕ちれば溺れる他にない。私は巨大な水球を生み出し、イースト・ヒル墓地全体をドーム状に覆う。逃げ場も、退路も絶つ。この獣は絶対にここで殺さなければ──という意識が私を突き動かした。

「──……〈海の聲、海の涙、漂うのみの無力な泡よ。この身は棺、この身は船。万物は須らく海へ還る。歎きは祈り。荒れ狂う嵐を抜けて、真なる楽園へ其を導く〉」

 囂々と音を立てて周囲の妖精が騒ぎ立てる。龍脈から吸い上げた魔力は全てこの奇跡につぎ込む。青白い光が螺旋状の槍を形作る。槍は獣の心臓を捉えた。私は左手を掲げたまま、その言葉を紡ぐ。


「────〈疑似海戟、抜錨〉」


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