χχχ-medµme アンシーリーコート:探偵不在の事件録【CASE.01】

【CASE.01】探偵不在の密室
※改行が少ないため縦書きリーダー表示で読むことをお勧めします。

【あらすじ】
舞台は暗転し、明かす者は既に無く、彼らはただ取り残される。
これより語るは、探偵亡き世の物語。
彼の者の凋落よりおよそ120年。喪に服し続ける嘗ての右腕が、ひとりの馬子に出会うとき、静止した時は氷解する。
嘗ての友の旅路を辿り、その真実を秘匿せよ。そして拭い去れない夜を覆う──この世界の謎を解け。

ベイカー・ストリート221Bに拠点を構える小説家、エマ=ジェームズ・ワトソンのもとに奇妙な事件の話が持ち込まれる。それは嘗てロンドンを賑わせた探偵小説──シャーロック・ホームズの始まりの物語、「緋色の研究」で綴られた状況に酷似していた。密室で殺害された男。壁にかかれた『RACHE』という血文字。しかしそれらが示すのは、この世ならざる幻想の気配。そしてワトソンがひとりの馬子に出会うとき、黒よりも黒に彩られた真実が示すものは?
〈χχχ-medµme〉第一部、全ての始まりはこの場所に。

X - https://x.com/asunashoko
Wavebox - https://wavebox.me/wave/b064pup7uhwd9l39/



 後日──ベイカー・ストリート


「はい、全て確認できました。これで全部です」
「持ってこさせて悪いわね」
「いえ、それは問題ないのですが……。あの……ワトソン先生。大丈夫ですか?」
 今月から新たに私の担当編集者となったこの男──アイゼン・ロマネスコは、人のよさそうな顔で目を左右に泳がせ言った。
 ベイカー・ストリートに居を構えるカフェにて、私はつい最近提出した小説の誤植を修正していた。目の前に置かれているアフタヌーンティーセットに手を伸ばし、私は口へあっさりとした味わいのサンドウィッチを放り込む。一口で吸い込んだのを見たロマネスコは驚いたように目を瞬かせた。
 短めの赤毛に深紅の瞳という見た目の男である。身長はホークアイと同じぐらいだが、ロマネスコの方が少しだけ大きいような気がした。だがどこからどう見ても、気配も人間である。深紅の瞳は基本的に幻想種の印だが、存外に赤目の人間というのもいるのかもしれない。
 ──いや、それはあり得ない。私はその希望的観測を除外した。
……久々に、水泳したから。全身バキバキなの。それで機嫌が悪いだけ」
 大嘘だ。自分の身に降りかかった災難をどうやって払いのけようかと考えていて胃痛に苦しんでいるのだ。
 この事件は終わらない。終わらないどころか、何もかもが始まったばかりだ。
「お大事になさってくださいね。次回作はサイン本も書いていただく予定なので、予定空けといてくださいよ」
……わかっているわ。執筆計画、もう少し余裕作って」
「わかりました」
 手帳を繰りながら独り言つ。温かい紅茶を飲み、私は頭をひねった。ロマネスコは「必要があればいつでも言ってください。資料とか持ってきますんで」と笑う。
 私は礼を述べてスマートフォンを手に取った。──当事者からの連絡はまだ、否。
「あれ?アイゼン?なんでワトソン先生と一緒にいんの?」
 良く知った声が空間に響いた。横に目を遣れば、何やらパンとカフェオレをテイクアウトしたらしいホークアイがいる。
 頭に包帯を巻き左腕は吊っている。骨が折れているらしかった。件の宝石強盗の事はツェペシ経由で聞いていた。その過程でホークアイが死にかけた、とも。どう見てもピンピンしているのだが。
「バレル。病院もう終わったのか?」
……あんたたち、知り合いだったのね」
 ホークアイはそそくさとロマネスコの横に座り実に楽し気に笑った。照れたらしいロマネスコがホークアイの頬をつねった。私は冷めた顔をしてティーポットからカップへ紅茶を流し込む。もうすでに紅茶はだいぶぬるくなっていた。
「あ、そうだ、レディ。ニュース見てますよね。宝石強盗は全員無事検挙されました。今頃独房です」
「ええ、そう。良かったわね、手柄はあんたのもんでしょ?」
「いやぁ、手柄は全部警部殿のものですよ。俺は下っ端なので精々『努力賞』みたいなもんです」
「それだけじゃない気もしなくはないけど」
「ま、まあそんな感じですね。……しかし連中は宝石ではなく例の指輪を狙っていました。その辺がまだ分かっていないんで、一度休んで全貌を明かすまで捜査は続行ですね。またお知恵を貸してください」
 ホークアイは誤魔化すように早口で言う。
「私はもう行くわ。……、あとその肩のアスパラガス、引っこ抜いといた方がいいわよ」
 ムーミン谷のニョロニョロにそっくりな見た目のアスパラガスの妖精が、私に指摘されて驚いたように顔を出した。目玉が零れ落ちそうになっている。
 それと目が合ったホークアイはこの世の終わりのような声を上げて叫び、肩からそれを引っこ抜いた。ホークアイの手の中で食われるのではと震えている妖精が哀れだったので私は付け加えるように言う。
……野良妖精よ。そういうやつを一時的に使役して、その魔力を追うことで対象を尾行するの。あんたも目を付けられているみたいね。突っ込む気はないけど、それと別に……個人的にもう一個気になることがある。このトーマス・ハリッツ殺害事件をあんたが私のところに持ってきたとき、あんたはジャケットの裏地に竜鱗の粉末をつけていたわね。詳しく調べた結果、あれは竜の鱗粉と鱗の混合物だとわかったわ」
 ロマネスコは露骨に視線を逸らした。
「鱗粉をばらまく竜は少ない。古龍種と呼ばれる奴でもほんの一握りしかいない。そんな中で、現代でも見られる竜がいる。そいつは人間に擬態出来て、尚且つ人間と交配するわ。……中には人間のふりして暮らしている個体もいるかもね。
 その竜、『ロマネコンティ・アフロディテ』っていう名なんだけど。好きな相手や相手の持ち物に鱗粉をつけて好意をアピールする習性があるの」
「えっ!?」
 ホークアイは嬉しそうに──驚いたようにロマネスコの方を見た。ロマネスコは黙ったままレモンを直に口に含んだような顔をして小刻みに震えている。
「擬態した人間の特徴は二つ。ワイン色のような深い赤の髪の毛に、緋色の瞳。目の前のロマネスコはその特徴にびっくりするほど合致するし……何よりも時計の下から薄い桃色の鱗が少し見えているわ」
 私はロマネスコの左腕にある時計を指さし、ふっと笑って言った。こういうことはホームズの方が得意だろうが、これぐらいはやる。私は一応ホームズの助手だったのだから。
 照れたような、困ったような様々な感情が入り混じった表情で、ロマネスコは私の方を見返した。
「最初、ワトソン先生にお会いした時……人でないことはすぐにわかりました。どんなに擬態が巧みな幻想種でも瞳の色は誤魔化せませんから。ですが、何の幻想種なのかまではわからなかった。驚くほどに……人間でした。けれど竜種はどうしてもどこかで鱗を持て余す。脱皮するからです」
「知っているわ。どうこう言う気はないけど、気を付けなさいよね……ホークアイが言ったように、最近やたら竜鱗が裏社会に流れている。別の竜種がそういうやつらに狙われてもおかしくないから」
「肝に銘じます。……あの、でも一個だけいいですか?」
 ロマネスコはクラッカーをつまんで口へ運び、残っていた紅茶を流し込んで全てを飲み込んでから口を開いた。
「俺の正体を勝手に暴いて、先生は何も明かさないのフェアじゃないと思うんですよね」
 ロマネスコはそう言った。確かにそれは正論である。私はティーカップをソーサーに戻した。
 手の中で暴れるアスパラガスの妖精を必死に押さえながら、ホークアイも私の方へ興味ありげな視線を向ける。

「私はアンシーリーコート。……原生神秘、『原初の泡』」

 二人の視線が硬直する。何を言っているのか理解できていない様子で顔を見合わせる。
 私はそこに言葉を重ねた。

……嘗て、このベイカー・ストリート221Bで名探偵シャーロック・ホームズと共に暮らし、謎に挑んだ医師──ジョン・ワトソン本人でもある」


「えっ」
……えっ?」
「「……どぅぇえぇえ──────ッッッ!!?!?!?!」」


 二人分の絶叫が221Bを覆う。
 私は面倒くさくなって、驚いたままの顔の二人を放置する。
 向かうべき場所へ向かうべく、トレンチコートに袖を通した。


✤