【創作|馬軸】春雷 褪色- 花散りて、なお  [了]

七話~最終話です。


宝塚記念 __当日


一枠一番。最内枠が与えられたが、阪神開催最終週とあって内側は所々芝が剥げている。といってもロジェはそこまで枠は関係ない。積極的にハナを取りに行った方がいいやろなぁ、と思いながら私は己の足で芝を踏んだ。足の裏に伝わる感触で馬場のクッション性や固さを確認しつつ、どのように競馬を行うかを考える。
逃げるか否か。私は最初、逃げずに中団から差す形で戦うことを想定して考えていた。最終追い切りのタイムが、突如ベストを超えるまでの間は。競馬は科学だ__というのは私の師匠の言葉だが、科学では推し量れないものもある。ロジェは最後まで私にそれを教えてくれる。
全体時計__六ハロンが八三秒四。ラスト一ハロンが一〇秒一。これが今までのロジェの自己最高タイムだ。しかし木曜日の追い切りでは、六ハロンが八十三秒二、ラストが一〇秒丁度。ロジェは己の限界をこじ開けるような走りを見せ、ついに自己ベストをこのラストラン直前というタイミングで更新した。

ラストランでの復活、そして退場というあまりにも出来過ぎたドラマの実現を、誰もが待ち望んでいた。
それは鞍上で手綱を取る私の願いでもある。

「『そしてみんなの愛馬になった』か……
「キタクニシローのポスターか?」

同じように馬場状態を確認しに来た瀬川迅一が問う。私はのんびりと、私の瞳と似たような色の空を見て答えた。

「そうそう。あれ考えた人天才やわ」
「今年の頭にフジサワコネクトのポスターができたんだけど、キャッチが『繋』の一文字だけ。しかも字の感じもさ、凄い達筆で。洒落てるよな」
「何でフジサワコネクトのポスターがあってロジェールマーニュのポスターがあれへんねん」
「俺に言われてもなぁ……

雲一つない青空が広がっている。私は音が響く地下通路を抜けて来た道を戻る。ありがたいことに今日は、第十レース以外最終レースまで騎乗依頼が入っていた。私は背筋を伸ばして無造作に解いていた髪の毛を右手に付けていたゴムで括る。
引退式が行われるかどうかはわからない。なくてもロジェールマーニュの功績は誰もが知るところだ。誰もの心に蹄跡を遺した名馬。〝紳士〟と謳われる漆黒の名馬。それが、ロジェールマーニュという馬だ。私は控室の時計を見ながらぼんやりと今までの出来事を思い返した。