【創作|馬軸】春雷 褪色- 花散りて、なお  [了]

七話~最終話です。


天皇賞・秋__ 当日


天高く馬肥ゆる秋、とはよく言ったもんやと思う。秋天出走馬はロジェ以外ほぼ皆プラス体重で、筋肉バキバキにしてきたような印象を受けた。ただでさえ収縮色を見に纏うロジェは細く見えるのに、今のロジェは絞っているのでさらに細い。
東京競馬場は雲一つない青空。秋晴れという言葉に相応しい天気、そして馬場状態は芝・ダート共に良馬場の発表である。どんな馬でも最良の走りができる最高の舞台となった。だが、私は心のどこかに引っ掛かりを覚えていた。
十八頭の馬たちは四肢をバランスよく動かしてパドックを周回している。その十八頭の先頭はフジサワコネクト。芦毛の馬体が陽光を反射し、銀食器が磨かれて光輝くような存在感を放っている。後ろにいる馬の存在感がかき消されるほどに強い気配だった。英国の地でGⅠを走り、無敗の名牝を突き放し圧勝して見せた。それらが彼女の風格を形作っている。
止まれの合図で馬たちは足を止めた。私はちょうど控室の前にやってきているロジェールマーニュに視線を向け、ヘルメットの顎ひもを締める。

「緊張しているかい?」
「柳沢さん……

桃色の染め分け帽を被っている柳沢俊一が話しかけた。私は手袋を嵌め、鞭を右手に持ち替えて柳沢さんのほうへ顔を向ける。

「緊張というか、何か……心がざわつくというか」
「その気持ちには素直に従うといい。僕も今日はなんだか、波乱なレースになる気がしているんだ」

柳沢さんがそういう事に言及するのは珍しい事だった。基本的に仕事人基質のこの人は、常にレースの中で最良の選択をしていくタイプの騎手だ__それは彼がロジェの祖父である無敗の三冠馬シャルルに騎乗していた時からそうである。私は柳沢さんの言葉に更なる違和感を強めた。
東京競馬場、芝二〇〇〇メートル。良馬場。晴れ。フルゲート十八頭。最良のコンディションのはずだ。この秋の盾のために誰もが心血を注ぎ、馬たちに究極の仕上げを施し__そして今日。ゲートが開けば数分の内に決着がつくレースで馬たちがしのぎを削り合い、栄光へ向かって直走る。
それがこの舞台のはずだ。なんでこんなに引っ掛かるんやろ、と私は肩を回しながら考えた。答えがそれで出たら世話ないねんけどな。

……ん?」

私はパドックへ出てきてふと前へ視線を向けた。今日も様々な横断幕が張り出されているが、その中に妙に目立つ白くてデカい横断幕があった。縁が造花で飾られている。紺色の文字で『紳士と淑女が通る道 栄光街道一直線 輝けロジェールマーニュ&白綾后子』とデカデカと書かれていた。

「なんやあれ!!?!」

そこにはラフな服装の幼馴染、神宮司怜奈がいる。怜奈がいてる。めちゃくちゃこっちに手ぇ振ってる。しかも横にどえらいイケメン連れて来てるやん。マスクと眼鏡で隠してるけどありゃぁどえらいイケメンや。私にはわかる。

……なんやねんあいつ…………

なんなんほんまに。競馬場でデート? 競馬場で。デート。デートやぞ? しかもイケメンと。どえらいイケメンと。これが歌舞伎町ナンバーワンに上り詰めた元キャバ嬢・神宮司怜奈か。

「腹立つわ~~…………
(后子? どうしたの?)

私が鞍上でボソッと呟いた大変個人的な怒りをロジェが不思議そうに聞いた。耳が私の方に向いている。渚ちゃんが手綱を軽く引けばロジェはゆっくり歩きだす。特に歩様がおかしいとかそういう事もなく落ち着いているので、私は怜奈の方へ一度視線を遣ってから地下馬道へ顔を向けた。前を見つめれば先頭には「わたしは誰よりも強い」と全身で叫ぶフジサワコネクトがいる。