【創作|馬軸】春雷 褪色- 花散りて、なお  [了]

七話~最終話です。




短距離、マイル、そして中距離。三階級制覇を成し遂げた馬は過去に見ても例がなく、短距離系統の馬が中距離で掲示板に食い込む__ましてや重賞勝利など。
誰もがいい所まではいっても、掲示板に何とか載るかその程度と思っていただろう。だがスノーホワイトは、圧倒的な支持を集めていたエキセントリックを突き放しゴール板を駆け抜けた。
白い馬体が泥にまみれて少し汚れている。引き揚げてきた馬たちに跨る騎手たちは、私の顔を見ながら驚いたような笑顔を浮かべていた。スノーはどこか誇らしげに首を上げ下げして鼻息を一気に吐き出す。「ぶふぉ」と数度息の音がすぐそばで聞こえる。

(これ……もしかしたらほんまにGⅠ三階級制覇出来んのとちゃう……?)

ぞくりと背筋が冷えた。恐れではなく、期待と興奮が胸に満ちる。仮にスノーが今までただの一度も本気を出していなかったとしたら。実はめちゃくちゃ距離の融通がきき、ひとたび本気のスイッチが入れば短距離から中距離までこなすのであれば。国美さんの悲願__短距離マイル路線の馬での天皇賞・秋制覇も現実の物として見えてくる。
流石に二二〇〇メートルを走るのはしんどかったのか、スノーはもう一度鼻から息を思い切り吐き出した。熱が籠った鼻息が蒸気となって、真っ白な馬体からも湯気が立っている。私は目元を覆っていたグラスを外してヘルメットに引っかけ、冷たい雨が降り出した京都競馬場のスタンドへ鞍上で礼をした。雨にも関わらず多くの人が詰めかけている。熱気はGⅠ開催日のようだった。拍手と歓声が入り混じった声を聞きながら、私は帰り道へスノーを導く。

「ほんまに……真面目に走ったらめちゃくちゃ強いのに」
(なんだよ。俺はいつだって真面目だろ~)

べ、と悪戯を考えるときのように舌を出したスノーはそのままひょこひょこと歩いて地下馬道へ入った。待っていた岩蔵さんが手綱を取り付けて引っ張っていく。よく頑張ったなぁと首筋やら顔やらを撫でてやりながら私は考えた。ドバイターフでは私ではなく現地の騎手が乗ることになっている。観客と同じようにテレビ見ながら応援するだけだが、そこでスイッチが入ってくれれば確実に国美さんは神代さんに対し『天皇賞・秋への挑戦』を進言するはずだ。
秋の盾。ロジェールマーニュと共に、最速で駆け抜けた昨年の天皇賞・春。私の手中に伝統の盾が、もう一枚収まる可能性。
スノーがドバイターフを快勝すれば、その目標へ更に前進する。


「せやけどスノーホワイトやからな……

ぼそりと私が言う。その言葉に岩蔵さんも「そうなんだよな……」と苦々しい表情で同意した。海外旅行になるかどうかはこの気分屋な白馬しか知らない。やる気の乱高下がえげつないスノーは、度々一番人気に推されたレースでも騎手の指示をガン無視して全く走らないことがある。
この馬とはもう二年程度付き合いがあるわけだが、未だに私はスノーのやる気スイッチの場所を把握できていない。とにかくクセが凄いんよなぁ。真面目に走ったらめちゃくちゃ強いのに。多分そこにはスノーなりの競馬哲学があるんやろけど。

(まぁロジェがいねえ間は俺が国美の財布だからな)
「なんかいたらんこと考えてそうな顔してんな自分」
(そんなことないけど。でも帰ってもロジェいねえのはつまんねえよなぁ)
「スノー……?」

どこか哀愁漂う表情を浮かべたスノーは、私の髪の毛を唐突に口に含んだ。引っ張られるのでやめんかいと鼻を触ればすぐに離れる。
僚馬の不在。今まで走ったことのない中距離路線への挑戦。そしてドバイ遠征。
今までに経験したことのないことを立て続けにしなければならないのは、きっとスノーにとってもストレスのかかることなのだと思う。無論、私にとってもロジェールマーニュの不在は気になる要素だ。
単なる放牧ではない。右前脚の屈腱炎という爆弾が見つかってしまったので、春のプランは完全に白紙だった。情報は表には出ていない。治る確率は高くても、阪神大賞典に間に合うかはわからない。
屈腱炎は不治の病と言われている。再発率が高いからだ。過去多くの名馬がこの屈腱炎によってターフを去って行った。
国美さんは「后子さんに非はない」という。けれど、それでも__私が無理をさせたことは事実だろう。欧州の雨で濡れた凄まじく重い馬場を走らせ、走法で言えば大逃げ追い込みまで様々な戦法で走らせた。脚に負担がかからないわけがない。今日のスノーだって喜べる勝利か、といったらそうやあれへんし。

『馬の脚質、適正距離、馬が最も高パフォーマンスを発揮できる舞台を選ぶ』
『奇計も切り札もいらない。ただ、馬を信じるだけだ』


……私は…………

ぼんやりと険しい表情を浮かべた国美さんのことを思い返す。私はスノーから馬装を外して検量室へ向かった。じっと私を見つめるスノーの瞳から、「とりあえず褒めろ」__そんな気配を感じて、私は軽くスノーの顔を撫でた。