【創作|馬軸】春雷 褪色- 花散りて、なお  [了]

七話~最終話です。


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『 中央競馬史上、女性騎手が初めてクラシックを制して二年が経った。
ロジェールマーニュ。王道の牡馬クラシック三冠路線へ進み、皐月賞を逃げ切って圧勝。そして威風堂々、世代の頂点を決める日本ダービーへ出走した。だがここで牝馬ながら皐月賞、ダービーへ出走してきたフジサワコネクトと熾烈な叩き合いを演じ、二着。(勝馬フジサワコネクト)
菊花賞では彼が持つ本来の脚を伸ばし、後続を突き放し差し返して勝利。レコードを一秒更新するというおまけつきで、クラシック二冠を手中に収めた。
ロジェールマーニュは二歳当時から注目されていたわけではない。神代リゾートファーム(馬主 神代信二郎氏)が誇る由緒ある良血。その一点においては脚光を浴びていたが、どうにも小さい馬体と細い四肢が目についた。
新馬戦の手綱を取ったのは、フジサワコネクトとコンビを組む瀬川迅一だった。人気は三番、まあまあ、という評価での出走だった。スタートから馬郡を割って一気に大逃げを打ったロジェールマーニュは、そのまま逃げ切って一着。瀬川はこれについて「凄く掛かっていて制御がきかなかった」と語った。しかし現在のロジェールマーニュに対し、瀬川はこう語る。
「完全に僕の間違いでした。〝かかっていた〟のではなくて、単純に〝速すぎた〟んですよね。国美先生には間違った情報を伝えてしまって、申し訳なく思っています」
ロジェールマーニュは新馬戦以降、七度の転戦を経験していた。しかし新馬以降の勝ちがなく、二着三着と安定感こそあるものの勝ちきれない競馬を続けていた。そして弥生賞の二着によって、皐月賞の優先出走権を獲得。ついに皐月賞へ挑むことが決まった。

鞍上に迎えられたのは、栗東所属__白綾后子。ロジェールマーニュ三歳時点で、中央競馬会所属騎手では紅一点。しかしながらこの時まで彼女は一四一連敗の渦中にいた。
連敗中の最高成績は障害未勝利での四着。彼女は障害・平地の両刀と言えば聞こえはいいが、必死に勝利を拾おうと泥臭く足掻いていた。白綾が勝利に恵まれぬ苦労人であることは騎手界隈でも有名な話だ。世間では良く「最も運の無い騎手」という評価が付きまとう。

そんなヒロインと、同じく一歩勝ちに手が届かない馬が巡り合った。しかしこの人馬の縁は、お互いの運命を切り開いていくことになる』

月刊「DREAM horse」より 一部抜粋



瀬川迅一は、その雑誌『DREAM horse』を食い入るように読みながら時間を潰していた。この雑誌はだいぶ古いものだ。それこそ、ロジェールマーニュが四歳春__天皇賞・春を快勝した際に発売された、所謂永久保存版というやつである。いろいろな騎手が読むので雑誌はずいぶんくたびれていた。
ここは栗東トレセンにある騎手の休憩室。調教と調教の合間の手持ち無沙汰な時間をここで消費し、次の馬に乗る。瀬川は難しい顔で次のページを繰った。
今期の春のグランプリ__宝塚記念にて引退することを表明しているロジェールマーニュは、ここのところ成績低迷が続いている。天皇賞・秋ではフジサワコネクトに追いつけず三着。その二か月後の有馬記念では大外に振られる不利を受けたことも響いて五着。年が明けて始動戦の阪神大賞典はやはり追い込んで迫れず三着。そして満を持してやってきた本番、誰もが「そろそろ勝つだろう」と思って二番人気にまで推された天皇賞・春では四着。
しかもこの阪神大賞典、天皇賞・春の二つのレースでは、一世代下の牝馬に負けている。と言ってもこの世代の牝馬たちは化け物ぞろいで、阪神大賞典の勝馬は三冠牝馬、そして天皇賞・春の勝馬はクラシックでの見せ場はオークス二着だけだったものの着実に力を伸ばしていた。加えてレコードタイムで差し切っての勝利__。牝馬の天皇賞・春制覇は実に四十九年ぶりの快挙だった。

時代は牝馬。強く、速く、美しい女たちが競馬の主役だ。
『無敵の紳士』と称えられたロジェールマーニュは輝きを急速に失っている。后子は特段何か言うことは無かったが、瀬川は后子が「逃げさせない」ということに関して一つの可能性を考えていた。

あの大逃げ、というより、あの凄まじいスピードをもう出せない。あの速度で走れない。
だからこそ速度が出にくい重馬場、かつスタミナ勝負の長距離戦がロジェールマーニュの主戦場となる。それは栗東での共通認識だった。后子なんか散々雨女呼ばわりされるのが嫌だとぼやいていたのに、ロジェールマーニュのレース前にはてるてる坊主をさかさまに吊るす始末である。だがその願いとは裏腹に、競馬の日は美しい青空が広がっていた。

……白綾」

ドバイシーマクラシックを二着(一着は欧州馬)で飾ったフジサワコネクトの評判はうなぎ登りだ。欧州の名馬を敗北寸前まで追い詰め、秋の凱旋門賞で雪辱を果たすと既に表明していることもあるだろうが。
それと対照的に「終わった」と揶揄されるライバルとその鞍上の姿に、瀬川は人知れず唇を噛む。

違うんだ。ロジェールマーニュは本当に強いんだ。影すら踏ませない孤高のサラブレッドなんだ。
白綾と共に数多くの栄光を掴み取り、何度も俺とフジサワコネクトの前に立ちはだかった最高のライバル、否__超えるべき影なんだ。
終わってなんかいない。戻ってくる。圧倒的な速度で駆け、誰にも先頭を譲らないロジェールマーニュと白綾后子は、絶対に戻って来る。

そう叫びたかった。だが、その叫びを真に受けてくれる人が何人いるのだろうか。
ロジェールマーニュは、四歳時の天皇賞・春直前の時計を超えられない。己で出した最高の時計を、己で再び超えられない。
全体時計__六ハロンが八三秒四。ラスト一ハロンが一〇秒一。強烈な末脚で一気に全てを突き放す。そんな驚異的な時計を叩き出していたあの頃のロジェールマーニュは、誰もが認める〝最強〟だった。
だが今は違う。その競争能力は衰えている。それは出てくる数字に如実に反映されている。

花は枯れる。本格化すれば、そこから先は緩やかに下降していく。
ロジェールマーニュは恐らく、四歳春にそのピークをすべて使い切ってしまった。

本格化を迎えてなお成長し続けるフジサワコネクトと、一瞬の煌めきに身を委ねたロジェールマーニュ。
その二頭が再び激突するのが、一か月後の宝塚記念である。休憩室の壁に貼り付けられた大きなカレンダーが、窓から吹き込む風で音を立てて揺れた。