【創作|馬軸】春雷 褪色- 花散りて、なお  [了]

七話~最終話です。




指定席の争奪戦は何百倍という倍率だったが、怜奈は持ち前のくじ運の良さで二人分の席を引き当て、しかもかなりいい位置に陣取った。最初一緒に行くはずだった白綾后子の父__白綾刧は、ロジェールマーニュの馬主である神代信二郎と共に馬主席にいる。ちなみに怜奈の隣に座る超絶イケメン壇官(※芸名。本名は神宮司官)は怜奈の弟だ。后子は盛大に勘違いをしている。

…………姉さん、ロジェールマーニュ飛ぶと思うけど。そんなにつぎ込んで大丈夫?」
「アホ!! 応援馬券なんか当たらんでも別にええわ。っていうか晴れの日の后子が飛ぶことぐらい知ってるし。何年付き合いあると思てんねん」
「あ~……それは、そうだね。あの様子だと后子さん僕の事気づいてないよね」
「せやろな。てか官。あんた、その東京かぶれの喋り方どうにかならへんの? 気持ち悪いねん」
「酷いな~……。姉さんだって歌舞伎町にいた頃だいぶきしょい喋りだったよ」

官は双眼鏡を覗き込みながら本馬場を見守った。手綱を外され、芝の上を馬たちが駆け抜ける。何頭か顔を横に振って「いやいや!」というようなそぶりを見せる馬もいたが、流石に経験豊富な古馬たちの戦場だ。殆どの馬たちがしっかり折り合い、落ち着いて返し馬をこなして待避所へ向かって行く。

特にロジェールマーニュ、フジサワコネクトの二頭はこのメンバーの中でも抜けた実力者だ。他の馬にもGⅠタイトルホルダーがいるが、彼らよりもこの二頭が数枚上手だと誰もが考えている。何せ世代の頂点であるダービー馬と、牡馬クラシック二冠__皐月賞、菊花賞を手中に収めた馬なのだから。

現在の一番人気はフジサワコネクトで、オッズは一・三倍と圧倒的な人気を集めている。ロジェールマーニュは二番人気だが、オッズは三倍程度と三番人気と大して差が無い。オッズが十倍を切る馬が八頭で、この馬たちはいずれもGⅠタイトルを持っている。

展開次第ではどの馬が勝っても決しておかしくはない。
だが、その中でもフジサワコネクトという存在はモノが違う。
キングジョージをリアルタイムで見た者ならば誰でもそういう感想を抱く。
今のフジサワコネクトは、誰にも負けない最強の馬だ__そう、思う。

だからこそ皆フジサワコネクトを打倒するような強い馬の出現を待ち望む。
それはロジェールマーニュであったり、或いは新たな世代であったり、更に上の世代の馬であったり。誰もが彼女の進撃を阻むことを心のどこかで望んでいる。

ファンファーレの音がはるか遠くに感じられる程張り詰めた空気が流れている。十八頭の馬たちが続々と枠入りしている様子がターフビジョンに流れていた。怜奈は出馬表を片手にその時を待つ。通路にも大量の人がごった返しているので、彼らの話声で実況は殆ど聞こえない。ざわめきと興奮がスタンドに満ち満ちて溢れそうになっている。最後__大外枠の馬が枠に収まった。

一瞬の静寂に、ゲートが開く音が耳を打つ。怜奈は筒状に丸めて手に持っていた出馬表を無意識のうちに握りつぶした。ハナを奪ったのはロジェールマーニュではなく別の馬だ__日本国内において、出遅れを喫したダービー以外大逃げを打ってきたロジェールマーニュは馬郡後方に控えている。アスコットゴールドカップの時と同じように追い込みをかけるつもりでいるらしい。
馬郡中団、その内ラチ側にはだいぶ白くなったフジサワコネクトがいる。芦毛の馬体が日差しに照らされてどの馬よりも目立って映った。人々の歓声は馬たちに届いているのだろうか。それはわからない。

よどみなくレースは進んでいる。向こう正面を駆け抜ける馬たちは若干馬郡がばらけ始めたのか縦長の隊列で坂を下り、二コーナーに突入する前に急な上り坂を駆け抜ける。ここから位置取りを上げ始めたロジェールマーニュは一旦内ラチ側から外へ持ち出してロングスパートをかけていく。大逃げを打たない、という選択は后子自身の物なのか、それとも陣営の決断なのかは誰にもわからない。
各馬が坂を駆けあがり、一旦平坦なコースを走ってコーナーを曲がる。相変わらずハナを奪っているのは今年の三歳世代の牡馬だが、徐々に進出してきたロジェールマーニュは現在三番手の位置まで既に上がっていた。
怜奈は押し切れる、天皇賞春秋連覇できる、そう期待に胸をときめかせながらあと僅か__もうほんの数十秒でスタンド前の直線に突入してくる十八頭を見つめた。

だが当然、その期待をフルスイングで破壊しに来る鉄骨娘がいる。フジサワコネクトは内ラチ側を走っているが、馬一頭分の空隙を見逃さず進出しそこから一気に上がり始めた。誰もが思う。これはやはり最後、ロジェールマーニュとフジサワコネクトの熾烈な叩き合いになると誰もがそう思った。
最終コーナーを超えて馬たちがスタンド前の直線に突入する。フジサワコネクトはこの時点でハナを奪い後続を引き剥がしにかかる。だがしかし__

それに待ったをかける馬がいる。鹿毛の馬だ。誰もその馬には注目していなかった。単勝人気もブービーだった。『ライデンシャトリヒ』__名手武内秀吉騎乗の良血馬。デビュー当時は三億で落札されたと騒がれたが、ここのところ二年程成績が低迷し、二桁着順が続いていた馬だった。
フジサワコネクトにライデンシャトリヒが追い縋りそして並ぶ。フジサワコネクトは瀬川迅一からの右鞭を受けて更に加速しライデンシャトリヒを突き放しにかかった。しかし武内の激に答えた彼は決して突き放されない。フジサワコネクトにへばりついて負けるものかと必死で走る。その二頭から三馬身程離されて三番手の位置にロジェールマーニュがいた。

…………ッッ!」

怜奈は思わず息を吸い込む。ロジェールマーニュはいつもと変わらず頑張っていた。必死に埋まらない差を埋めようと二頭を懸命に追った。だがその差は埋まらない。埋められない差がついたまま、馬たちはゴール板を駆け抜けた。

大歓声が怜奈の鼓膜を乱暴に鳴らす。フジサワコネクトの強さと、ロジェールマーニュの敗北。冷徹な勝負の世界の在り方を突きつけられたような気がした。怜奈の掌から『がんばれ!』という文字が書かれた、ロジェールマーニュの応援馬券が風で飛ばされどこかへ消えていった。