はるの
2022-10-07 21:33:22
86681文字
Public X-MEN
 

ムーンレイカー

全年齢|cherik|2022.10.7|DP後、チャールズが人生に一区切りつける話。チャールズの過去をフリ~~~ダムに捏造しています。



 ――チャールズ。
 そんな呼び声を聞いたような気がして、うっすらと目を開ける。
 途端に、えもいわれぬ気だるさがどっと押し寄せてきて、チャールズはもう一度目を閉じた。下半身に感覚はないから、その分まで余計に上半身が疲労を引っかぶっているのではないか、とすら思う。あともうちょっと、5分だけでも、夢の中に戻りたい。そんなふうに切望しても、一度覚醒した意識は、思いどおりになってくれなかった。最強のテレパスと謳われたくせに、なんて体たらくだろう。
 ああ、現実だ。
 あきらめて、そう受け入れる。両足は動かないし、気をつけていなければ勝手に人の心を拾う。何十年とチャールズ・エグゼビアをこなしてきた体は、なべて生き物がそうであるように、老化していて、最近はストレスと飲酒で内臓もぐずっている。あと5分を得たところで、すっきりとした目覚め、とはいかないだろう。ままならず、不完全で、それでもずっと生きてきた、現実だ。
 問答無用に布団を剝がしにきた、夢の中のエリックのことを思い出す。今こそ、あの不必要なまでの鉄の意志が必要だろう。
「チャールズ?」
 頭の中で聞こえた声と、同じものだった。同時にぎゅっと手を握られて、少しだけ引っ張られる。
 ごわごわするまぶたをこじ開けて、チャールズは声のほうを見上げた。
 ベッドサイドで立ち上がったハンクは、まるで驚いたような表情だ。
――ハンク」
 認知能力を危惧するハンクの心の声を拾って、そう呼びかけた。どれくらい眠っていたのかは分からないが、声帯が動きにくくて声がかすれる。それでもかろうじて、彼を呼んだことは伝わったようで、ハンクは息をのむようにしたあと、はああ、と大きな溜息をつきながら着席した。ほとんど脱力して膝から崩れてしまったようだが、握っている手はまだ離れない。
 ふいにハンクははっとして、再び立ち上がった。
 今度はチャールズの喉元を触診して、頭と指先に医療器具を取りつけ、モニタを睨みながら少し唸る。腕を組んで難しい表情をする横顔を見つめながら、チャールズはなんとかつばを飲み込んだ。
「ハンク」
 呼べば、彼はこちらを見る。
 ハンクとの関係は、あれからずっとぎくしゃくしていた。もちろん、険悪な関係が続いているわけではなかったし、彼とは普通に話をした。学園の今後に関する打ち合わせや、彼に学園長の仕事を引き継ぐうえでの必要なやりとりに問題はない。ハンクは心から全力で、積極的に取り組んでいたし、チャールズに対して嫌な顔をすることは一切なかった。けれど、たとえば、仕事終わりにちょっとキッチンで冗談交じりの思い出話をしながら酒を飲む、といったことも、一切なくなってしまったのだ。わだかまりがすべてなくなるとは思っていなかったけれど、もう前のようにはいられないのだなと思うと、そのさみしさが余計にぎくしゃくした感じを作ってしまうところもあっただろう。チャールズは、エリックやレイブンとはさんざん喧嘩をしてきたが、ハンクとは決定的な喧嘩をしたことがなかったのだ。
「ハンク」
 けれど、今、そこで立ち止まってしまってはいけないような気がして、チャールズは気がせいた。
 何か言いたいけれど、何も言うことが出てこなくて、結局また名前を呼ぶだけになってしまう。困り果てて眉尻を下げると、それを見たハンクは片手で顔を覆って、はああ、と再び深い溜息をついた。
「そういう顔をすれば、僕が思いどおりになると思ってるんでしょう」
 とげのついた声にひるんで、チャールズはぎゅっと唇を閉じる。別にそういうわけじゃない、と言おうとしたけれど、言ってしまっていい言葉なのか一瞬分からなくなって、声は喉の奥に引っかかった。
 ハンクは続けざまに溜息を連発すると、組んでいた腕を解いて、ベッドサイドに近づいた。自分で取りつけた機器をチャールズから外しながら、ちらと目を合わせてくる。
「何十年、そういう顔したあなたの面倒を見てきたと思ってるんだ」
 確かに、ハンクの人生を、半分は食いつぶした自覚があった。ベトナム戦争の頃は特に、そのあともずっと。
 それについて怒るなら、いくら怒っても足りないだろう。粛々と受け止めようと、チャールズは素直に彼を見上げる。
「あなたと話していると、いらいらすることはありますよ。今も。もちろん」
「ハンク」
「でも、正直――、あなたのことは、今も好きです。我慢ならないところなんて挙げたらきりがないけど、いいところもたくさん知ってるから。好きなところも、たくさんある。だから、僕は……
 ハンクはほとんど口惜しそうにそう言って、顔をしかめた。
 チャールズは、ぽかんと口を開ける。言われたことが予想外すぎて、頭が追いつかなかったからだ。なにせ寝起きである。
「いったい何十年の付き合いだと思ってるんだ。年季が違うんだよ、本当に。あなたが昏睡状態に陥ったときの僕の取り乱しよう、本当にかわいそうなありさまだった。この際、記憶を読んでみるといいよ。年上の友人に振り回されて、落ち込む時間すら与えられなくて、本当にかわいそうな感じだから。もう、本当に……、なんなんだ、この人は」
 顔をくしゃくしゃにしたハンクが、自分の眼鏡を取り去った途端、彼からどっと安堵の心境が押し寄せてきて、チャールズは思わず呼吸を止めた。彼は自分の腕でごしごしと顔をこすると、その赤ら顔に眼鏡をかけ直して、心底嫌そうな顔をする。
「いいかげんにしてください、チャールズ」
 その口調は、チャールズもよく耳にしたものだった。
 自分が無茶苦茶なことをやらかそうとしたときに、叱りつけるときの声音だ。レディーボーデンを1パイント抱え食いしたいと言い出したときとか、ブラックバードを自分でも操縦してみたいと申し出たときとかの。
 チャールズは、じわじわと涙がこみあげてきて、ううーと唸った。我慢しようとしたことで、余計に顔がみっともなくなってしまったのだろう、ハンクは仕方なさそうな顔をして、どこからかティッシュを持ってきてくれた。



 ほとんど病室に作り替えられしまった空き部屋の一室で、自分は1か月ほど眠っていたらしい。
 夢の中ではほとんど3か月の日常を過ごしていたので、チャールズはそれを聞いて驚いた。「長いでしょう」と揶揄したハンクに、「いやすごく短い」と素直な言葉を返してしまったせいで、1か月寝る間も惜しんで世話をしていた彼を怒らせてしまったくらいだ。
「ただの夢だったのか、ないものを見せる私の能力のせいだったのかは、分からないけど」
「明晰夢にしては、あなた自身に記憶が残りすぎていると思う。それに……
「それに?」
 目覚めてから数日、体力もいくらか戻って、喋ることに疲れなくなってきた頃、チャールズは自分に起きていたことをハンクに説明した。
 もちろん、何もかもすべてをつまびらかにしたわけではない。ただ、のどかな日々を過ごしていて、そこには友人たちも登場して、自分はおそらく逃避の防衛機制を取ったのではないか、ということだけだ。怒っていたハンクは納得して、今は科学者の顔をしていた。
 起こしたベッドのリクライニングに体重を預けながら、チャールズはそんな友人を眺める。
「なんとなく、そういう夢を僕も見た気がする」
「君が? 君は、私のカウンセラーだったよ。私のお医者さんだった」
「結局そういう役回りなんだ。でも、確かにそういう感じの。内容は覚えていないけど」
「そう? じゃあ、本当に夢みたいに、すぐ忘れてしまうやつなんだね?」
「あなたがそういうつなぎ方をしたのかも。もしかして、覚えていられては困るようなことをやったの?」
「いたずらを隠す生徒を叱るような顔をしないでくれ。そんなんじゃないよ」
 疑わしそうな視線を向けられて、チャールズは軽く笑って手を振った。非常にプライベートな内容がほとんどだったので、覚えていられないならそれに越したことはないのだ。
 それに、つまり、今の話は、現実のハンクに影響はしたくないけど、心はつなげたくて勝手につないだ、という自分の甘ったれた所業の証左である。できればこのまま忘れてほしかった。
「あなたの、友人たち……、ということは」
 傍らに椅子を寄せて、座って話を聞いているハンクは、ふいにそう言って目を伏せる。
 チャールズはその傷ついた表情を見つめて、背筋を伸ばした。夢の中のレイブンを思い出しながら、そっと虚空に目をやる。
「うん」
「あなたは、倒れる前より、ずっと落ち着いているように見える。つまり、あなたの夢の友人たちは」
「私を立ち直らせようとしたのか、ってことかな。癒そうとしたり、矯正しようとしたり、そういうことをしてくれた?」
「違うんですか?」
「全然。まるっきり、いつもどおりだったよ。どうあっても、所詮は私の記憶から作られたものだし。状況がまるでファンタジーでも、彼らの言動はいたって普通だった」
 意外そうな、不思議そうな顔をして、ハンクはこちらを見上げた。
 チャールズは少し笑って、自分の両手を見下ろす。器型にしてみると、手の中に小さな体温が息づいているように感じた。
 単に自分の熱が集まるから、そう感じるだけとも言える。
「私は確かに今、比較的落ち着いていて、自分の中でひととおりの整理もできている。でも、別に彼らが、何か奇跡を起こしてくれたわけじゃないんだ。君も含めて、彼らはただ、話をしたり、会いに来てくれたり、そんないつものごくありふれたことを、してくれただけだったよ。そして、私にとってはそれこそが、十分なことだった」
 両手の指をそのまま組んで、チャールズは隣を向いた。
 ハンクのぽかんとした表情に、手をぎゅっと握る。
「君をひとりにしてすまなかった、ハンク。君にとって、私の言葉は邪魔なだけかもしれないけど――、君のために、何かできることはあるかい? 私にも奇跡は起こせないが、私は今、それをしたい」
 ハンクは、素直な驚き顔を見せた。
 それから困った顔になって、何事かを考え込む。
 また、下手なことを言っただろうか。そうチャールズが不安に駆られていると、ハンクは困った顔のまま、かすかに笑みを浮かべてくれた。



「それならチャールズ、一度きちんと病院で診てもらうべきだ。数値があまりにズタボロです。ストレス症状がひどいようならきちんとカウンセリングも受けて、必要なら通院すべきだよ」
 ハンクが見せてくれた笑みにほっとしたチャールズは、次の瞬間、医者の顔をした彼に鋭く切り込まれて真顔になる。
 あまり病院にはいい思い出がないので、できればこのままこの部屋で、養生コースを選択したかった。車椅子訓練は精神的にも肉体的にも過酷だったし、1か月寝たきりだったのなら、またリハビリ的なものがあるのではないだろうか。そもそも、人が痛がったり死にかけたりしている場所は、テレパス的にはなかなかにセンシティブな場所なのだ。
「それは、ここでもできるんじゃないかい……? 君は私の主治医のようなものだし」
「お忘れかもしれませんが、僕の本職は教師兼科学者です。どこに医者の文字があるんだ」
「えええ、でも、なんだかんだ言って、私が体調崩すと診てくれるし……
「チャールズ」
 ハンクは、ぬっと立ち上がった。さすがの高身長は迫力がある。しかも、ゆっくりと獣化もしてくれたので、威圧感がはんぱなかった。
 チャールズは憐れそうに縮こまって、そっとシーツを胸元にたぐり寄せる。
「あなたは、よく訓練され、熟達した、最強クラスのテレパスかもしれないが、心そのものはただの人間と同じ作りだ。か弱い人間どもと強い自分は違う、などといったマグニートー的甘い考えは即刻捨てなさい。それに、数値がズタボロだと僕は言いました。ほっておくと肝臓が死ぬよ、チャールズ」
「ヒェッ」
「アルコール依存症のチェックもしないとね。あなた、いい大人だからってほっておくと、薬漬けになったり酒浸りになったり、挙句の果てにはぶっ倒れて、正直そこらのか弱い人間よりよっぽど脆弱だよ。自覚してください」
「イ、イエス、マイドクター……
 反論できることがなくて、チャールズは両手を上げて降参した。すると、よろしい、とばかりにハンクは頷いて、座っていた椅子を部屋のすみに寄せる。その背中を眺めながら、自分たちの間で『マグニートー』が相手をけなす言葉として確立していることがじわじわとおかしくなってきたチャールズは、ちょうどハンクと似たようなことを言っていた、夢の中のエリックを思い出した。
 ふふ、と笑ってしまうと、ハンクはいぶかしげに手を止める。
「本当に分かってるの?」
「この上なく分かってるよ。いやね、君がくさしたマグニートーくんにも、私は病院へ行けと言われたんだよ。この世で最も私と一緒に深淵へ落ちるべきやつがだよ、病院行って健康になれ、これだ。あいつだけには、そんな真っ当なことを言われたくなかったな。こっちがずたずたに落ち込んでるのは分かってただろうに、あのトンカチ頭」
……あの、チャールズ。僕が心配しすぎて胃薬を飲んでいる間に、あなたは夢の中でエリック・レーンシャーといちゃいちゃしてたんですか?」
「えっ! いや、いちゃいちゃはし――、してないよ!」
「もう言いよどんでるんだよね。そろそろこの理不尽を力に変えて神獣に進化できそう」
「あれはしてないカウントだよ、イマジナリーエリックだったかもしれないし。だいたい、どこまでがエリックだったかなんて」
「ちょっと黙っててください。そうだ、麻酔を1本ぶち込もう。そんで病院まで緊急搬送しちゃおう、それがいい」
「や、やめて……、ずいぶんキレてる……
「朝、出勤したら、廊下で前学園長が倒れていたときの僕の気持ちを、早くテレパスで読んでほしい」
 完全に目が据わってしまったハンクを前に、チャールズはひるみきっていた表情をきょとんと変えた。
 言われたとおりにテレパスで読んだ、というわけではなく、自分の記憶と齟齬があったからだ。
「あれっ、私は誰も起きてこないうちに、この学園をぐるっと回って、ちゃんと車で出て行ったはずじゃ?」
「それ、夢だよ、夢! ごちゃごちゃ言ってないで、精密検査の予約、取るからね。おとなしく寝ててくださいよ。僕のしたいことは、あなたをここから放り出すことだ。そしてあなたを放り出すためには、あなたを健康にしなくちゃならない!」
 ぴしゃりとハンクはそう言い放って、いよいよ部屋を出て行った。総合病院の電話番号は、と口走っていたから、本気ですぐさま病院にぶち込むつもりなのだろう。
 チャールズはなんだか唖然としてしまって、ほっとリクライニングにもたれかかった。
 あの記憶から夢なのだとしたら、自分はあのままここを出ていくことが、ほんとは嫌で、嫌で、どうしても嫌で、夢に逃げ込んだということだろうか。
――子供か?」
 思わずこぼした自分の声は、心底あきれ返っていて、チャールズは頭を抱えてしまった。