はるの
2022-10-07 21:33:22
86681文字
Public X-MEN
 

ムーンレイカー

全年齢|cherik|2022.10.7|DP後、チャールズが人生に一区切りつける話。チャールズの過去をフリ~~~ダムに捏造しています。



過去の夢 - 02


 どすん、という衝撃で、僕は目を開けた。
 眠っていたようで、まぶたが重い。目をしょぼしょぼとさせながら隣を見れば、汚れて曇った車窓にガソリンスタンドが映っていた。足元は窮屈で、ダッシュボードは埃っぽい。廃車寸前の、キャンピングカーだった。
 運転席に座る男は、ぎっ、と強くサイドブレーキをかける。どうやら車が止まった衝撃で、目が覚めたらしかった。
「ローガン?」
 僕はまじまじと、隣の男を見つめる。サイドブレーキから離した手で、短くなった葉巻をつまみ、ローガンは疲れた顔でこちらを向いた。
「なんだ」
「え、ローガン?」
「寝ぼけてんのか?」
 ただただ驚く僕を見返して、ローガンは怪訝な顔つきをした。そのままドアを開けて出ていってしまう彼を、慌てて追いかけようとしてシートベルトに捕まる。僕がわたわたやっている間に、ローガンは葉巻を踏み潰すと、売店のほうへ歩いて行ってしまった。
 やっとアスファルトに降り立った僕は、少しだけ考えて、ローガンが路上に捨てた葉巻をつまみ上げる。きょろきょろとあたりを見回してから、見つけた灰皿にそれを投げ込んだ。
 閑散とした駐車場には、トラックが1台止まっている。合流部の様子を見るに、幹線道路を走ってきたのだろう。
 売店のガラスの向こうでは、武骨な男がスナック菓子とサイダーを買っていた。なかなかにかわいらしい光景である。僕も買い物をしようとして、ふと、自分の格好を見下ろした。ぺらりとしたシャツ1枚で、コットンパンツのポケットを探っても、財布らしきものは出てこない。きっと今は身ひとつで、どこかへ移動しているのだ。
 僕はおかしをあきらめて、再びキャンピングカーに戻った。本当に、ずいぶんと使い古されている。物珍しくてぐるりと1周見て回ったのち、僕は助手席に引っ込んだ。
 少し歩いただけなのに、ちょっとした息切れがする。
 座席に乗り上げるときに挙げた手が、少し引きつるようだった。
 僕は深く座った状態で、ぼんやりとフロントガラスを見つめる。ワイパーのあとがうっすらと、半円形に残っていた。ウォッシャーが切れているのだろう。そんなことをつらつら考えながらも、今、この状況が何なのかを、脳裏で静かに検討した。
 そろ、と両手を伸ばして、自分のシャツをめくる。
 おなかのあたりにある等間隔の傷は、ふさがってはいたけれどまだ赤かった。どうもなんらかの器具がついていたようで、変な直線のあざができてしまっている。
 次に、引きつった腕の袖をまくり上げた。執念すら感じるほどの注射の跡が治りそこねている。これはちょっと自分でも身につまされる思いがするので、とりあえず今はそっとしておくことにした。その跡を挟んで巻きついているのは、明らかに拘束帯の擦れだろう。ここまで黒ずんでしまったら、もう一生消えないのではないかと思う。医療用のスポンジつきは、使ってくれなかったようだった。
 僕は無言で着衣を整えると、はあ、と深く溜息をつく。
 そして、もしレイブンに出会わなかったら、と考えた。
 もし、レイブンが僕の家族にならなかったら。それでも僕は、自分自身の解明のために、遺伝学の道には進んだだろう。そしていずれ、モイラとは出会ったはずだ。僕は彼女の頭から、ヘルファイア・クラブの様子をのぞき見して、前のめりで協力を申し出ただろう。
 そしてCIA本部で、ミュータントに関するプレゼンテーションをする。
 長官は僕をいかれた科学者呼ばわりして、まったく話を信じない。そこで僕は意気揚々と、秘めていたテレパスを披露する。手品と失笑するスーツたちは、次の瞬間、僕に黙らされるのだ。彼らのトップシークレット、トルコでの核配備を暴き立てたことで。
 あのとき、僕はスパイだと糾弾された。あの頃の諜報合戦は苛烈極まるものだったし、モイラの発言権はほとんどなかった。もし、あの場にレイブンがいなかったら、僕はあのまま拘束されて、どこから情報を得たのかを、ひどく厳しめに尋問されたのではないだろうか。ミュータント能力だと説明しても、彼らはそれを受け入れない。何故、僕は彼らを操作して、逃げ出してしまわなかったのだろう? もしかしたら、分かってほしかったのかもしれない。誠意を尽くして善意を渡せば、きっと同じものを返してくれると信じきっている若い僕のことだ。もしかしたら――、初めて見た『僕と同じもの』に、どうしても会いたかったのかもしれない。
 ローガンは、人体実験にかけられた、というようなことを言っていた。今、ここに彼がいるということは、僕はローガンのいた研究所に移送されたのだろう。CIAでのプレゼンの場にはストライカーもいたし、彼の息子といえば、ミュータントはラボラットだと心から思っている人物である。僕やローガンのうわさを聞いて、いいラットを見つけたとでも思ったのかもしれない。そうして、さまざまなパワーゲームの果てに、僕らは非人道的な研究所で知り合った。そして今は、きっとそこから、一緒に逃げ出しているのだろう。
 ふう、と再び嘆息して、僕は背筋を伸ばす。シートはごわごわしていたけれど、体重を預けられる安定感はあった。
 何も考えず、薄汚れた天井を眺めていると、ローガンが戻ってくる。車体を揺らしながら乗り込んだ彼は、買ってきたものを僕の膝の上に放り込んで、ばたんと勢いよくドアを閉めた。僕はひとつ、スナック菓子をつまみ上げる。チョコがけの、子供が好きそうなやつだった。
「こういうのを与えておけば、僕がおとなしくしてると思ってる?」
「こういうのを与えるだけで、あんたがおとなしくなるなら安いもんだな」
「ふふ、子供みたいに甘やかされてるな」
「実際、あんたは子供みたいなやつだよ、俺からすると」
「ふうん。違う選択をした世界では、プロフェッサーと呼んで敬愛してくれていたのに」
「そりゃ、あんたが逐一小難しいことを言ううるささに対する皮肉だろうよ」
 そうじゃないんだけどなあ、と思いながら、僕はスナック菓子を膝の上に戻した。ここに置いていたら体温で溶けてしまうな、と思ったけれど、後ろまで行って片づける気は起きない。
 ローガンは何度かの失敗を経て、車のエンジンをかけた。それから少し間をおいて、僕の額に手のひらを押しつけてくる。
 隣を見ると、友人になりそこねた――この世界では友人に間違いない――爪の男が、まるっきり友人の表情で、渋面を作っていた。
「具合悪ぃのか」
 ぼそっとそう言って、彼は手をひっこめる。僕はにこりと微笑んで、彼を安心させようとした。
「悪くはないよ。良くもないけど。ただ、ちょっとぼんやりしてる」
「何かあったら言えよ」
「何もなくても言うよ」
「ったく、弱っててもうるせえやつだな」
 あきれた口調のローガンは、慣れた手つきでサイドブレーキを外すと、ゆっくりと車を前に出した。



 車窓には、延々と荒野が続いていた。草がまばらに生えた、何もない砂礫地帯だ。
「ローガン」
「なんだ」
……ほかの、ミュータントは?」
 ずっと、聞くべきか聞かざるべきか、迷っていた。きっとハムレットも、こんな気分だったに違いない。このまま、このよく分からない新しい世界で、よく分からないままぼんやりと過ごすことと、決定的な何かを決定的にしてしまうことと、どちらがより『まし』だろうか。
 そう考えている時点で、もう最善は取りえないことを察している。そして結局、僕はあらゆることを、把握しておきたい性分だった。
「ほかの?」
 決死の覚悟で繰り出した問いに、ローガンは不可解そうな顔を寄こしてくる。
「つまり、僕たち以外の」
「どういう意味だ? ほかの、って、全員死んだだろ」
「ぜ、全員?」
「あんたが馬鹿みたいに助けようとした――、研究所にいたやつら、って意味じゃなく?」
「いや、もっとこう、一般的な意味で……
 どうやら、研究所は壊滅したようだった。助けられなかったようだ、と思うと、経験はしていないのに胸が痛む。ローガンは怪訝極まる顔つきのままで、僕の顔色を一瞥すると、前方を睨み据えた。そのまま、押し黙ってしまったので、僕は小さく息をつく。もしかしたら、僕がぼけてしまったのではないかと懸念しているのかもしれない。
 どうやったら、ごく自然に、今の状況をうまく聞き出せるだろう。僕はしばらく考えて、ふとエリックのことを思いついた。マグニートーを毛嫌いしていた彼のことだ、エリックのことなら知っているかもしれない。そして、エリックが今、どういう行動を取っているかで、ミュータントの社会事情も知れようというものである。
「君は、エリック・レーンシャーと面識がある?」
「あ?」
 唐突に質問したからだろう、ローガンは間の抜けた声を出した。
「エリックだよ。あ、マグニートーと呼んだほうが分かる?」
「なんだその愉快な名前。コードネームか?」
「え?」
「そんなやつは知らん。あんたが研究所に来る前の知り合いか?」
「え?」
 今度は、僕こそが間の抜けた声を出してしまった。ローガンの表情は、もはや心配の分量のほうが多いくらいになっている。
 それから、いつだって明晰な僕の頭脳は、もう一度ハムレットを始めた。
 僕はいつだって、もはや最善は選べないことを、本当は知っているのだ。
……セバスチャン・ショウは?」
「ああ? おい、ほんとに寝ぼけてんのか。あのくそ野郎がアメリカ大陸を吹っ飛ばしやがったから、俺らもこんな暮らしになってんだろうが」
「ねえ、ローガン」
「なんか怖ぇんだけど。なんだ」
「寄り道しよう」
「は?」
 こめかみに指を添えて、僕はあたりを探ってみた。場所が荒野だからだろう、人の存在が感じられない。集中して、もう少し範囲を広げる。やっと捉えた思考回路は、疲れきっていて、ひとりだった。その誰とも分からない誰かの視界を、僕は凝視する。
「この道路をそれて、右のほうへ」



 僕の寄り道提案に、ローガンは一言だけ文句を言って、すぐに進路を右に取ってくれた。なんだかんだでいいやつだ。きっとどの世界にいるローガンも、なんだかんだで僕に甘く、根本的にいいやつなのだろう。
 見えてきた海は、灰色をしていた。
 からからに乾いてひび割れたアスファルトのぎりぎりで、キャンピングカーは停車する。
 僕は颯爽とドアを開け、外に飛び出した。曇り空で、風が強い。あたりに人影はなく、見た目だけなら完璧に、ほろんだ世界のようだった。いや、実際ほろんだのだろうか。けれどまあ、どちらでもいい。今さら社会情勢を分析しても、きっと何にもならないだろう。道中で広げ続けたテレパスで感知できた人々は、驚くほど少なく、まばらだった。
「おい、チャーリー」
 まっすぐ浜へ降りていくと、律儀なローガンがついてくる。困惑した声で愛称を呼ばれて、僕はくすぐったくて笑った。
「君、そんなふうに僕を呼ぶの」
「あんまはしゃぐなよ、汚染されてるかもしんねぇだろ」
「ポストアポカリプスの世界だな、まさに」
 黒っぽい砂利の浜は、リズミカルに、いくつもの波を白く壊している。この寄せては返すリズムだけは、地球に月がいる限り、きっと変わらないのだろう。文明が何度ほろんだって、誰もこれを見ていなくたって、きっとずっとあるものだ。
 靴を脱いで、波に足を浸すと、キンと冷たい感じがした。
 指の間を細かな砂が通り抜ける。少し大きな石を踏むと、立っていられないくらいの痛みが走った。
 昔、こんなふうにして、エリックと海で遊んだな。
 僕がはしゃいで深みに行くのを、浅瀬にくるぶしまで洗われながら、やたら渋い顔で見守っていた。僕がびしょびしょになって、あとで困ることを懸念していたのだろう。エリックがあんなふうに、僕のことだけにかまけている時間は、僕の一番のお気に入りだった。
 腰を伸ばして、はるかな水平線を眺める。
 ――エリックは、きっと死んだのだ。
 僕は目を閉じて、深呼吸をした。胸いっぱいに海風を吸って、呼吸を止める。
 エリックはきっと、あの夜の海で死んだのだ。潜水艦を追いかけて、そのまま海に引きずり込まれてしまった。僕があの場にいなければ、エリックが死んでしまうって、どうして僕は気づけなかったんだろう。
 かっと目をかっぴらいて、気合を入れて短く息を吐く。そうして僕は、挑みかかるように、ばしゃばしゃと海に向かって歩いた。膝を波に取られて、舌打ちをしながらなんとか踏ん張る。まるでもつれるような下半身を叱咤して、腕を大きく振って進む。荒い波が顔を打って、足元が掬われる。
 ごぽり、と耳元で空気が鳴った。彩度の低い海の中は、押し込めたような暗がりだ。きっとこの世界のエリックが、最期に見た景色だろう。
 こんなのは、ちっともよくない。
 この未来は、絶対に駄目だ。いいから僕を戻してくれ。僕はレイブンと出会わなければならない。
 それだけは、確かだった。僕はレイブンと出会わなきゃ――



「それってつまり、レイブンの命よりエリックを選ぶということ?」
 ――そうじゃない。そうじゃないけど。
「でも結局、そういうことだろう?」
 そうじゃない……