はるの
2022-10-07 21:33:22
86681文字
Public X-MEN
 

ムーンレイカー

全年齢|cherik|2022.10.7|DP後、チャールズが人生に一区切りつける話。チャールズの過去をフリ~~~ダムに捏造しています。



とある冬の話 - 09


 風は冷たいけれど、よく晴れていて、ひなたにいるとぽかぽか暖かい。
 町を歩く人たちも、どことなく足取りが弾んでいるように見えた。ところどころに溶け残った雪は、あちこちで水たまりを作っていて、僕は軽くぴょんとホップしながら、青空の映った自然の鏡をまたぐ。通り過ぎていく赤い自転車。花屋の店先のパステルカラー。教会の扉の上で光を透かしたステンドグラス。
「こんにちは、チャールズ」
「こんにちは、ドクター」
「なんだかご機嫌そうだね」
 ちょっと困ったように笑って、カウンセラーの先生は首を傾げた。通っているクリニックは、今日もクリーム色の壁紙が柔らかだ。ご機嫌に間違いなかったので、僕も似たような笑みを返した。そうして、とりとめのない、穏やかな時間を過ごす。
 何かクリエイティブなことをしてみたら、という彼の助言を考えながら、僕は帰路を歩いた。
 クリエイティブというと、自己表現のことだろうか。たとえば、絵を描くこととか? 確か、アートセラピーというのがあったよな。
 僕はとりあえず、ぐるりと通りに目を凝らす。大量のイーゼルが並んでいるあの店は、きっと画材屋だろう。
 果たして、そこは画材屋だった。僕はうんうん考え込みながら、スケッチブックと、なんか絵描きっぽい鉛筆を購入する。絵筆と絵具も手に取ったけれど、結局それは棚に戻した。僕は、自分のことをよく知っているのだ。早々に飽きてしまう予感しかしなかった。
「ただいま」
 そう言って玄関に入ると、真っ先に小鳥がやってきて、顔の周りで飛び回る。
「おかえりなさい。それは何? わたしへのお土産かしら?」
「うーん、ごめん。どちらかというと僕のためかな」
「甘いお菓子は?」
「それもないよ」
「気が利かないわね」
 小鳥はぷいっとそっぽを向くと、ぴょいっと書き物机まで飛んでいってしまった。あんまり薄情な同居人に、僕は思わず笑ってしまう。
「ごめんごめん。でも、紅茶を淹れよう。それで、クッキーの缶を開けようよ」
 両手をふさいでいる荷物はテーブルに置いて、僕はキッチンで手を洗った。それから、おととい開けて、半分だけ食べた缶を取り出すと、小鳥は再び、ぴゅっと飛んできて、僕の肩にちょんと乗る。
「それは素晴らしいアイディアだわ」
 小鳥はとっても現金だ。
 食べ過ぎ防止と言って缶に蓋をした僕をさんざんなじっていた小鳥なら、途端に機嫌を直してくれるとあらかじめ分かっていた僕も、現金といえば現金だ。
 僕たち、とってもいいコンビだよね。
 口に出せば馬鹿にされそうだったので、僕は勝手にそう思うことにする。ケトルを火にかけて茶葉を取り出せば、早く早く、と小鳥は缶をこつこつとつついた。



 せっかく買ったので、僕は鉛筆を取り出した。鉛筆削りなんて持っていないので、書き物机の引き出しを漁ってカッターを取り出すと、ゴミ箱の上で難儀しながら、なんとか黒鉛の芯を削り出す。がたがたで不出来だったけれど、機能すれば問題ないだろう。
 刃物を使うから近寄らないで、と言い含められていた小鳥は、スタンドルーペの上で興味津々そうだった。
「わたしだって、馬鹿な小鳥じゃないのよ。カッターが危ないことくらい分かってるんだから」
「それは失礼。ああ、そんなふうにいてくれると、ルーペですごく見やすいよ。しばらくそこにいてくれる?」
 僕はまるまると拡大された小鳥を見つめながら、スケッチブックを開いた。片腕をイーゼルの代わりにして、真っ白い紙のど真ん中に線を引く。
「あなた、変な顔してる」
「うーん。思ったとおりにいかないな……
「わたしを描いてるの?」
「頭の中では完璧に描けてるんだけど……
 しばらくの間格闘して、僕はとうとう、鉛筆を置いた。
 小鳥が飛び上がってスケッチブックを覗き込もうとしたので、僕は机の上にページを広げる。
「鳥ね」
 小鳥の感想は、至ってシンプルだった。
「もしかしたら、カエルかもしれないけど」
 さらにそう付け足されて、僕はしかめっ面で唇を突き出す。
「小鳥だよ」
「そう……
「その悲しそうな感じのやめて。これはあれだ、変にルーペなんかを使うから駄目だったんだ。やっぱり自然な状態で、目に見えたまま描かないと!」
「そうかもしれないわね。頑張ってね」
 小鳥は気遣わしそうに、けれど冷たいことを言うと、今度はバスケットのふちに止まる。なんだかんだ言って、モデルは務めてくれるらしい。
 僕は早速、意気揚々と新しいページをめくった。



「君からあと5分を買うには何を支払ったらいいのかな……
「残念ながら売り物じゃない。起きろ、チャールズ」
「非売品なら譲ってくれ……
 朝のキンと冷えた空気をまとって、エリックはいつだって颯爽と現れる。僕はぐずぐずとベッドに留まろうとして、彼の比類なき鉄の意志によって速やかに叩き起こされるのだ。甘く香ばしいクロワッサンの匂いがなければ、いつだってくじけてしまいそうだった。
「今日も元気ね、あのアーリー・モーニング・テンペストは」
 顔を洗っていると眠そうな小鳥がやってきて、エリックに完璧なあだ名をつける。僕は吹き出して笑って、タオルから顔を上げた。
「ひとつ残らず元気そうだよ、あのEMTは。『地獄は空だ、悪魔はすべてここにいる!』」
「おい、何か俺の陰口を言ってないか」
 ドアを開けたままにしているせいで、キッチンからは卵の焼ける甘美な音と、エリックののっそりした声が聞こえてくる。僕と小鳥は目を見合わせると、揃ってリビングへ戻った。
「聞こえるように言ったから、陰口じゃなくて悪口かな」
「なお悪いだろ。どうもお前は朝食が要らんようだな」
「あっ、ちょっと、ごはんを盾にするのは卑怯だぞ!」
 どうせそんなつもりもないエリックの挑発に、どうせそんなつもりもないと分かっていながら飛び乗って、僕は紅茶の葉を適当にティーバッグへ詰め込む。わあわあ言い合う隙間を縫って、さも自分は関係ありませんというすました顔をした小鳥は、さりげなくエリックの手元に降り立つと、ぴゅいぴゅいとかわいらしい声を上げて、小さく首を傾げてみせた。
 小さきものへの庇護欲がはんぱないエリックは、そのおねだりにあっさり負けて、小さくレタスをちぎって与える。
「つまみ食いを許してる!」
「すぐあとに食うんだからいいだろ……
「じゃあ僕だっていいだろ? 僕だって小さいだろ、エリックからすると! ちくしょう、のっぽめ!」
「身長の話なんてしてたか?」
「ちゅんちゅんちゅん!」
「はいはい。やらんぞ。座れ。シット。犬だってもっと話が分かるな」
「この苛立ちは、寝不足が原因だと思う」
「真っ当な起床時間だ」
 テーブルには、温かいクロワッサン。半熟の卵と、今日はウィンナーとトマトも炒めてある。そしてみずみずしいレタス。
 僕が適当に淹れた紅茶は、やっぱり適当な味がする。小鳥はいつものマグカップ。エリックはクロワッサンをまめにちぎって、ときどき僕の口にも入れてくれた。



「これは、カエルか?」
「絶対分かって言ってるだろ。小鳥だよ!」
 目ざとくスケッチブックを見つけたエリックは、勝手にめくってからそう言った。難しい顔を作っているけれど、半笑いだから失礼極まりない。僕はいつも小鳥がするみたいに、ぷいっとそっぽを向くと、ソファにだらしなく沈み込んだ。
「こんなふうに削られた鉛筆初めて見た……
「雑で悪かったね」
「悪いとは言ってない」
「そんなに言うなら、君も描いてみなよ。びっくりするくらい思いどおりにならないから」
 エリックは、ふむ、と言うと、スケッチブックの新しいページを開いて机に座った。いびつな削られ方をしている画家の鉛筆を何度か持ち直して、そっと構える。
 小鳥はテーブルの上で、僕のマグカップに止まっていた。エリックはしばらく、その様子を見つめてから、目を伏せてさらさらと線を引きはじめる。
 ときおり止まっては静まり、再びさらさらと鳴る音は、まるで寄せては返す波のようだった。
 おなかがいっぱいになっていた僕は、そのうちうつらうつらとしてしまう。
「おはよう、チャールズ」
 そんなささやきで目を覚ましたときには、すっかり日も高くなっていた。
 明るく晴れた暖かい部屋で、エリックは微笑ましそうに頬を緩めている。僕はぱちぱちと何度かまばたいてから、幸せそうな彼にふにゃっとなってしまった。何かいいことでもあったの、と尋ねようとして、エリックの人差し指がこちらの胸元を指すのを見る。
 つられて見下ろすと、ほとんど寝そべったような僕の上で、小鳥が足を畳んで眠っていた。僕の呼吸でゆっくりと上下するのが、まるでゆりかごみたいに平和だ。小鳥もゆっくりと息をしていて、丸い体温をシャツ越しに感じた。エリックをほわほわな気持ちにさせた原因が分かって、僕はにんまりと彼を見上げる。
 エリックは、小さく眉を上げてから、ゆったりと笑った。僕の頬を親指でこすって、黙ってスケッチブックを差し出してくる。
 僕は、小鳥を起こさないように、慎重に、それを目の前に掲げた。
 幸せそうに寝こけている僕と、その胸に小鳥がちょこんと乗っているスケッチだ。すごくうまいわけではなかったけれど、大事に大事に描かれていて、僕はすっかり茶化すことを忘れてしまった。