河童の皿箱
2025-12-18 09:11:15
41671文字
Public 遊戯王:長め
 

その男は、楽人であった。

あるグループがグループになる前、昔のさらに昔の話。
※捏造の濃度が高い。



 男は自由を得たが、真に自由になったわけではなかった。里をあとにするということは、衣も食も住も捨て去ると同じ。背中に蓄えはあるものの、それは減る一方になる。故に、男は新たに生きるための基盤を作らなければならなかった。とはいえ、男も男で伊達に妙な生涯を送ってきたわけではない。多少の物資の不足など、苦でなかった。
 階段を下りた先は、農村であった。閑散とした石の道を、さてどちらに向かおうかと男は思案したが、ともかく都に向かってみようと。見慣れたようで肌慣れぬ田畑の向こう、山をいくつか乗り越えていけば、きっとそのうちには都にたどり着けるはずだと、男は歩み始めた。なに、山をいくつか超えるなど、これまでに何度も何度も繰り返してきた。無策で突っ込むほど無謀ではないが、ひとまず山道の具合を見に行こう。

 男は石の道を歩いて歩いて、近場の山の麓まで辿り着いた。どうやら道はそれなりに綺麗に整備されているようだった。山々のほっそりとした枝の隙間から、石の道がどんどんと、山の上まで通じている。脇になにか――確かこれは、車だったか――描かれた青い看板が立っているが、多分車がここを通るんだろう。隅を歩けば問題ないと、男は山を登り始めた。
 急勾配であった。足場は固められ、それ自体は歩きやすいのだが、霜が降りたのだろう、濡れていてつるつる滑る。転んでしまっては大切な楽器も壊れてしまうかもしれないと、男はゆっくりと、慎重に歩くことにした。この山はそう大きな山ではないし、道もしっかりあるから、きっと日暮れまでには先に行けるはずだ。
 突如鳴り響いた、ビー! という耳をつんざく大きな音に、男は身を跳ね上げた。一体何が起きたのかと思えば、後ろから車が凄まじい速さで追いかけてきている。鉄の体もものともせずに、馬車より素早く、力強く。男は目を丸くした。車とは、かくも速いものなのかと。そしてかくも大きなものなのかと。
 男はできうる限り、道の隅に立った。それでも、車はほとんど道幅いっぱいで、崖際にあった。男のすぐそばまで車が来れば、半透明の窓がスーと開いては、御者が怪訝な顔を見せた。おい、アンタ。ここは自動車専用道路だぞ。標識があっただろ? と。男は首を傾げた。もしやここは、車しか通ってはいけない道だったのかと。口にすれば、御者は溜息をついた。なんだよ、教習受けてないのか? はぁ、仕方ねぇ。ほら、後ろ乗れよ。山越えすんだろ? 専用道は長いぞ。熊も出るし、明日のニュースになってたら夢見が悪いしよ、と。
 男は、御者の思慮こそ分かったが、では後ろに乗るにはどうすればいいかと、若干右往左往をした。つるりとした胴に、取っ手がある。ひとまずこれを持って、横に引っ張ってみる。が、動かない。反対側に引っ張る。動かない。男は首を傾げ、御者は溜息ついた。手前だ手前。男が言いなりになってみれば、ガコッと音が鳴り、開いた。まあ、あんまいい車じゃねぇけどと、男が乗り込むのを待って、また御者は車を走らせた。
 ガタンガタンと揺れて、ブルンブルンと煩く、椅子はカチカチしかしながら、急な坂道を文句も言わず、えっさほいさとぐんぐん上っていく。いやはや、これが車かと、男は窓の外を食い入るように見た。御者は言った。なあ、アンタ。随分と古風な格好をしているな。旅人か? 男は問いに頷いた。あぁ、都を目指しているんだ、と。御者はやはり怪訝な顔をしたが、都あぁ、あそこかと御者が頷けば、でもそこまでは連れてけねーぞと。男は首を振った。いや、拾ってもらえただけでもありがたい。山を越えた後は、歩いていくつもりなんだと。
 御者はなお、頭を抱えた。あそこまで歩こうってのか!? とことん古風っつうか、常識が通じねぇな

 御者は車を走らせる間、男にいくつかを告げた。まさかとは思うが、野宿しようと思うなよとか、その服は目立つから着替えた方が良いぞとか、流石に端末は持ってるよなとか、身分証ぐらいはあるよなとか。その多くはまさしく御者の不安からくる小言であったが、男にとっては現地人の貴重な助言となっていた。

 当然、男は野宿するつもりだったし、この服で都まで行くつもりだったし、端末や身分証などはもってのほかであったのだ。