河童の皿箱
2025-12-18 09:11:15
41671文字
Public 遊戯王:長め
 

その男は、楽人であった。

あるグループがグループになる前、昔のさらに昔の話。
※捏造の濃度が高い。



 ふ、と。目を覚ます。あいも変わらぬ水辺に腰掛けて、少年はじっと、霧を眺めた。
 どこまで行こうが、どこを向こうが。霧はなおも己を包み、沈黙する。少年は毎夜、そんな夢を見た。けれど夢、というには、地に足がついて、頭が冴え渡っていた。これは夢だと、夢中ながらも気づけるというのに、もしもここが現実だったらと考えれば、肝が冷えた。

 とはいえ、ここには水以外の何もなく。目覚めの時がくれば、夢はいつでもこの身を手放した。なにも不安に思うことなどない。けれども、どこまで行こうが無意味だと、どれだけ目を凝らそうと無意味と、そう知ってしまえば、退屈極まりなかった。

 あぁーあ。ここに、コトがあったらなぁ。

 そう、目を閉じる。すると、なにやらずっしりとした重みがあって。目を開けば手元には、我が半身があった。
 つくづく、夢は不思議だと、そう思った。けれど、これで暇は潰せるだろう。少年はコトを爪弾いては、祝詞を口ずさんだ。

 ふ、と。目を覚ます。控えの間の窓の外には、雪が日を映し、キラキラと輝いている。快晴だ。しかして未だ、頭と胸の霧は晴れず。布団から這い出してみれば、体はやはり浮かび上がっているかのように不安定で、しかと足を地に着けているのに、なおも不安で不安で仕方がなかった。振り払うように着替えを済まし、厨に向かう。
 あら、おはよう。元御巫の老婆が、もうここにいた。おはようございます、と頭を下げては、前掛けをつける。それじゃあ、今日もお勉強しましょうねぇ、と。火が燃え盛る竈には、湯がぐつぐつと煮えていた。
 あなたは器用だから、なんでもすぐ覚えるのう。教えてて楽しくて仕方ないわ。老婆はふふふと微笑んだ。火の入れ方や、野菜の切り方、米の炊き方に、味の付け方。かれこれ半月、けれど少年はそのおおよそを理解し、ほとんどを自発的に行うようになっていた。米を炊き、根菜を煮込み、味噌を溶かし、味見をし。出来上がった朝食を盛り付けたら、3人前を食卓まで運んだ。

 おぉ、おはよう。もう出来たんか、と。穏やかな老人がまた、微笑んだ。この老人と老婆は、夫婦なのだそう。えぇ、もう出来ましたよ。これならもう、ご飯の心配はないじゃろう、と。
 まだ、他の老人たちは来ていない。それもそうだ、ふたりは少年の朝食を気にして、こんな日が出てすぐの時間にここを訪れているのだから。朝食に箸を入れ、里芋を頬張れば、うん、よう煮えとる。美味いのう、と。少年は頷き、しっかりと飯を平らげれば、しわくちゃの手は穏やかに、少年をあやすように撫でた。
 明日からはちょいと家が忙しくてのう儂らも少し、来るのが遅くなっちまう。まあなに、皆が来る時間になれば、儂らも来るわい。心配はせんでくれな。そうねぇ、もうあなたは十分お料理ができるから、今度は別のお勉強もしてみましょうか。例えば、お裁縫とか。大丈夫よ、お昼は儂も作るからの。やりたいことがあれば、いつでも言ってちょうだいね。ジジイとババアは教えるのが大好きなんだから、と。

 朝食の片付けをしているうちに、老人がひとり、やってきた。深い深い眉間の皺と、じっと見下ろす視線。気難し屋の老人だった。少年は頭を下げ、そそくさと去る。たぶん、あのふたりが遅くくるようになったら、この人がはじめに来るようになるだろう。けれど、少年は不安であった。目を合わせれば、鼻がフンと鳴る。そしてそっぽを向いて、縁側で外を見る。口数は多くないし、まるで睨まれているようで、どうにも苦手であった。
 今日もまた、鼻を鳴らして縁側に座る。穏やかな老人が隣に座り、少年は足早に自分の部屋に引きこもった。
 押し入れにしまった本を取り出して、読みかけの丁を開いては、隅に固まってじっとする。遠く遠く離れた街の、ロックという音楽。嫌気が差した若者たちが、ワァと叫んで、叩きつける音楽だという。ギターやベースという琵琶のような形の楽器、ドラムセットというたくさんの打楽器が一緒になった楽器、キーボードという何やらよくわからぬ楽器。果たしてどんな音なのかと、想像を浮かべてみる。けれど、雪に覆われた山々の静寂は、離れた世界の喧騒ではなく、同じ屋根の下の話を運び込んできた。

 ほれ、怖がられておるじゃあないか。もうちっとその皴をなんとかせんか。
 ふん、黙っとれ。勝手に怖がっとるのはあいつじゃろうが。
 それはそうかもしれんがの、あの子は傷ついておるんじゃ。傷が治るには時間がかかる。あの子には、心穏やかに過ごしてほしいんじゃよ。
 あぁあぁ五月蠅い。わかっとるわ。だが、あいつを傷つけたのは儂の家じゃ。わしの愚息どもじゃ。血だ家だと踏ん反り返って威張り散らして、あいつを此処まで蹴りだしたんだろう。なのに、どういう顔して近づけばいいと?
 わかっとる。分かっとるよ。お前がそれで悩んでいることもよぉく知っとる。それでも、今は少し優しく接してやってくれ。

 パチン。将棋盤の上に、駒が置かれる音。少年はその鮮明な声になお、耳を澄ませた。