河童の皿箱
2025-12-18 09:11:15
41671文字
Public 遊戯王:長め
 

その男は、楽人であった。

あるグループがグループになる前、昔のさらに昔の話。
※捏造の濃度が高い。



 昼に皆々と楽器を奏で、夕の暗くなる前に皆々は帰路につく。それ以降、少年はひとりで過ごしていたが、かといって寂しい、空しいなどとは思わなかった。夕飯を食べ終えれば、老人たちと並んで割った薪やれ炭やれを火鉢にくべて、部屋が暖かくなったところで押入れを開いては、鞄を取り出した。夜の時間は馴染みの音から離れて、知らぬことばかりの書の世界に飛び込むのが楽しみであった。小さな座卓に手帖と筆と墨、そして使い古された本を開けば、あぁそこは未知の世界。知らぬ彩、知らぬ言葉に、知らぬ街。胸や頭で膨らむ想像は、その動かぬ景色を動かしていた。
 起きて、飯を食い、皆々と過ごして、去る背を見送り、本を捲っては眠りについて、夢に奏でて目を覚ます。そんな日々を過ごすうちに、雪解けを迎えた。清き流れのその奥に、閉じた生命は花開き、凍てつくような冷たさは緩んでいく。けれど、気難し家の老人とは、かわらず一言も話さぬまま。他の老人たちは日の恵みにすっかり気をよくして、少年を座敷に招き、自らも楽器を持たせるようにもなったが、たったひとり、眉間の皺の濃いその老人だけは、少年とは話さなかった。

 今日もまた、気難し屋の老人が始めにやってくる。そそくさと自室に篭ろうとしたのも束の間、今日の老人は一味違った。大きな鞄をぐいと押し付けてきたのだった。はて、中身は一体なんなのだろうか。そもそも開けても良いのだろうか。少年が戸惑えば、老人は縁側に座って、肩を落とした。

 お前は、失伝した歌舞に興味はないか、と。

 少年は首を傾げた。失伝した、とは。老人はポツリつぶやいた。ここに集まっているのが、伝統に少なからず嫌気がさした連中だというのは、わかっているだろう。いや、伝統を笠に着て、前と同じ事柄のみをただ繰り返せば良いという風潮か。儂らは、どうしてもそれが受け入れられなかった。
 老人は語った。まだ、それなりに若かった頃の話だ。現役を退いてのち、儂らは書物の蔵を調査した。御珠、御鏡、御剣それぞれの書物に記された歌舞が、実際にどれほど伝承されているのかと。わかったのは、儂らの代ですでに歌舞は半分ほど失伝しており、もはやその音も、振りも、わからないという無情な現実だった。それがどうだ、年月が経てさらに代が変われば、優秀と喝采された者の継いだ歌舞以外は軽んじられ、消えていく。儂の愚息どもの代だ! お前の、ふたつ前の代は特に酷かった! あいつらは、儂らが受け継ぐべき使命を、さらに半分にまで減らしおった! そのせいでどうだ、特段の人気のあった大日女の御神楽しか残っておらん。それ以外は不要だと彼奴らは切り捨てたんじゃ!
 老人は拳を膝に叩きつけ、けれど拳を解いた。……熱くなった、すまん。ともかくだ。近頃はお前もコト以外の楽器を奏でる様になった。腕も、まあ、悪くはない。それに、どうせひとりで暇を持て余す時間も多かろうよ。だからあー……暇なら読め。

 大日女の御神楽だけ、というのも、少年は首を傾げた。他の御神楽があったのだろうかと。訊ねれば、老人は頷いた。あぁ、ある。多く、ある。八百万の神々と、天上の神々と。儂らは実に、多くの神に見守られて生きてきた。だがいつからか、儂らは互いの目だけを気にしては、天上の神々ばかりをそしてその中でも最も力のある日の化身、大日女様を讃える御神楽ばかりを残し、他の神々を蔑ろにしたんじゃ。そう、儂らの祖先たる氏神様すら、儂らは忘れかけている。この地を切り開き、人々を此処に導いたという神々の名すら、もうわからないんじゃ。

 それきり、老人は縁側に居座っては、ぬるい風の中、遠く遠くを眺めていた。少年はそれから、何を話せばよいかわからなくなり、一礼しては、自分の部屋に引っ込んだ。つい、押し付けられたその鞄を開けてみれば、古びた書物が多く、入っていた。はらり開いてみれば、どうやら彼の、いや、彼らが長い時間をかけてきた研究の、その道程のようであった。
 御剣の領域、その山奥に存在する、蛇を模した磐境。御鏡の領域にて発見された、多くの動物のような何かが描かれた巻物。御珠の領域の高台から見える、空の星々、天の川の伝承。

 少年はそんな、指し示された喪失に、浪漫に、釘付けになった。